キュレーターズノート
新潟市美術館のリニューアルと「アナタにツナガル」展
伊藤匡(福島県立美術館)
2016年03月01日号
対象美術館
新潟市美術館は、開館30年を機に約1年間休館して改修工事を行ない、昨年7月にリニューアルオープンした。改修工事のコンセプトは「作品にやさしく」「誰もが快適」で「くつろげる」こと。改修工事の中心は空調設備のオーバーホールだが、そのほかにLED照明灯の導入、本のラウンジや軽い飲食も可能な多目的スペースの設置など館内スペースの有効活用、同館を設計した建築家前川國男を紹介する顕彰パネルを設置して館のレガシーを強調しながら、ロゴマークの作成や館内サイン表示の統一など視覚的な新鮮さもめざしている。来館者サービスでは、ミュージアムショップの充実、ベーグルがおいしいと評判のカフェ、日・英・中・韓・露5カ国語の案内パンフレットの制作など、目配りの利いた改善が施されている。
所蔵作品を紹介するコレクション展(常設展)は、「悪い絵?」という人目を惹くテーマである。小テーマが五つあり、「かつて『悪い絵』と呼ばれた絵」では、ロダン、エルンスト、クレー、ピカソら同館のコレクションを代表する作品が並んでいる。一見、名品選のようにも見えるが、ロダンの彫刻は依頼主から受取りを拒否され、エルンストやクレーはナチスによって退廃芸術として退けられたという解説を見ると、近代美術史は価値の逆転の歴史でもあることを再確認させられる。甲斐庄楠音と、「穢い絵」と罵倒した土田麦僊の作品が隣り合って展示されているのも、麦僊が新潟県佐渡出身の大家であるだけに面白い。
続く第2章「子どものいたずら?」は、ジャン・デュビュッフェや田島征三らアール・ブリュットなどの作品。第3章「盗用・引用は『悪』か?」では、赤瀬川原平の《大日本零円札》や森村泰昌がレンブラント《テュルプ博士の解剖学講義》を下敷きにした作品《肖像(九つの顔)》、地元新潟出身の洋画家安宅安五郎がオディロン・ルドンの花を模写した滞欧作が並ぶ。
第4章「人間の『悪』戦争・飢え・貧困」では、新潟県五泉市出身の阿部展也の《飢え》や「埋葬」のデッサンが中心となる。最後の「不思議な魅力を持った『悪』」では、加山又造の蠱惑的な裸婦、小作青史や小山田二郎の怪物、空想上の生物など、「悪」に惹かれる人間の性に焦点を当てる。
常設展示については、「パーマネント・コレクションなのだから、いつ行っても見られるようにするべきで、テーマごとに頻繁に入替えるべきではない」という考え方もある。欧米の大美術館の展示は、この考え方に沿っている。しかし、所蔵作品が増加し、そのうえ展示室の広さに限界があるから、特定の作品を常時展示するとめったに展示されない作品が増える。そのうえ、日本の多くの公立美術館では、所蔵作品だけで観覧者を呼べるほどの人気作品を所蔵している館は少ない。日本の場合、同じ作品が見られることよりも、違う作品が展示されていることを喜ぶ人が多いように見える。そこで、常設展示もテーマを掲げてそれに合った作品を展示する手法が増えている。いずれにしても所蔵作品の魅力を観覧者に伝えることが公立美術館の共通の課題だが、新潟市美術館もこの課題に積極的に取り組んでいる。
さて、企画展示室では同館の独自企画「アナタにツナガル」展が開かれている。出品者は折元立身、岩井成昭、神林美樹、田中仁と角地智史の4組。
展示室入口では、折元立身《ART-MAMA+SON》の巨大な写真に迎えられる。最初の部屋は一室すべて折元の代表的なパフォーマンスの写真、映像、オブジェで充たされている。「パン人間」を世界各地で行なった際の記録写真が壁一面を埋めている。動物と無理矢理スキンシップする《子ブタをおんぶする》の写真と映像。自らも老境に入りながら認知症の母親を介護する現場をパフォーマンスとした《ベートーベン・ママ》《モーツァルト・ママ ディナー》《プレスリーのオムツ替え》の写真と映像には、おかしみと悲しみが交錯する。言葉の通じない人々、動物、認知症の母親などとの、さまざまなコミュニケーションのあり方を意識させられる。
次の部屋では、岩井成昭の作品が展示されている。「名前」への思いと、その背景にある文化的世代的な価値観に光をあてた《What's in a name》や《未来への命名》とともに、本展のための新作《注釈と追記〈空家について〉》の大きな仕掛けが展示室を埋めている。これは、部屋を模した空間の中で空家になった家の住人についての映像と音声によるインスタレーションである。テーマはいまや全国的な問題となっている「空家」。先日、日本の人口が減少に転じたというニュースが流れたが、本州日本海側最大の都市新潟市も例外ではなく、人口が減少し空家が増えているそうである。岩井は新潟の空家で、その家のことを知る人と、まったく知らない人々にインタビューする。現在は途切れてしまった「つながり」が、がらんとした部屋にうつろに響く。
3番目の部屋には、神林美樹、田中仁と角地智史の作品が展示されている。今年67歳になる神林は知的障がいがあり、福祉作業所で長年封筒製作などの作業を続けてきた。60歳を過ぎてから、木っ端や布切れなどを材料に旺盛な創作を続けている。田中仁はカメラを手放さず花の写真を撮り続けている。障がいのある人々の創造活動をサポートする団体、アートキャンプ新潟のメンバーである角地智史は、知的障がいのある田中を訪問し、その作品を紹介するとともに、田中の姿を撮っている。
「アナタ」には貴方と彼方の二つの意味が込められている。「ツナガル」相手は人やものではなく、過去や未来、地元の地域や世界の彼方、異界や別世界であるかもしれない。さまざまな「他者」と、どのようにして「ツナガル」か。本展の出品者たちはその実験を行なっている人たちともいえる。
展覧会を担当した荒井直美学芸員は、会場を回るギャラリートークで強調したのは「人と人がつながることは簡単ではない」ということだった。同時に「ツナガルということに向けて努力することが大切」とも付け加えた。「つながる美術館」をめざす新潟市美術館らしいアートの挑戦である。