キュレーターズノート
福田尚代展「水枕 氷枕」/「粟津潔と建築」
鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2016年11月01日号
対象美術館
金沢の浅野川のほとりには山鬼文庫(さんきぶんこ)という私設図書館がある。ここでは、かつて金沢美術工芸大学で教鞭を執っていた森仁史(現・柳宗理記念デザイン研究所シニアディレクター)の個人の蔵書をカフェとして公開している。2013年にかつて料亭だった築100年の建物を使用しオープンした。いま山鬼文庫では福田尚代展「水枕 氷枕」を開催している。
福田はこれまでに、国立新美術館の「ARTIST FILE 2010」や東京都現代美術館の「MOTアニュアル2014」でも作品を発表しているが、私が作品を見るのは今回が初めてであった。事前に見た図録からは、言葉を扱う作家という印象をまず受けた。例えば、「巡礼/郵便」シリーズは、受け取った私的な手紙の文字を糸で刺繍し、文字は読めなくなってしまっている作品である。今回出品されている《作文、詩、読書感想文》も、福田自身が幼少の頃に書いた作文の原稿用紙のマス目を切り抜いた作品だ。文字が書かれていなかったマス目や、赤いペンで先生が書いた花丸はそのまま残されている。福田は美術作品の制作と平行してさかんに回文をつくっており、回文集を何冊も発行しているということも図録から知った。そのことも言葉を扱う作家という印象を強くした。
言葉を扱うということから、私は福田展を見に行く前に、2つの予想をした。ひとつは、現在、金沢21世紀美術館で開催中の「コレクション展2 ダイアリー」に出品しているセシル・アンドリュの作品との類似である。アンドリュも、読んだ本の文字を一つひとつ修正液で消す作品や、原稿用紙のマス目をモチーフにした作品を制作している。アンドリュは作品制作を通じて、概念的な言葉と身体との関係という哲学的なテーマに取り組んでいる。もうひとつの予想、あるいは期待は、蔵書を使うなど山鬼文庫となんらかの関係を持つ新作であった。以前の河口龍夫展では、山鬼文庫の蔵書を使った新作も2点含まれていたからだ。
だが、実際に福田の作品を見た印象はアンドリュとはかなり違っていた。展示作品には、夢のなかの世界や影、目に見えないものに向き合うという面が強く現われていた。消しゴムを削ってつくったさまざまな造形物を8畳の部屋の真ん中2畳に放射状に並べた《漂着物》から特にそのことを感じた。消しゴムは文字を消す文房具であるという点では言葉との接点がある。だが、この作品で強い印象を与えるのは、中心のベッドの形と、その周囲の造形物の形である。船や机、墓といったモチーフは福田が夢に見たものと関係しているという。ほかにも、文庫の背表紙の部分のみを切り取った《書物の骨》は、用意されたちゃぶ台の上にではなく、その下の影の部分に並べられていた。
おそらく、言葉や手仕事といった福田の作品のもつさまざまな要素のうち、まどろみのなかの世界が山鬼文庫では強調されて現われたのであろう。福田はオープニングにあわせて行なわれたトークで、山鬼文庫での展示を構想するにあたり、横に流れ続ける川や、これまでこの場所で働いてきた無名の女性の存在を強く感じ、そのことに触発されたと語った。目には見えなくとも、建物にはそのような記憶が宿っており、福田はそれを感受したということだろうか。そして目には見えないその影が、福田のまどろみの世界を刺激したのだろうか。
展覧会には山鬼文庫の蔵書と絡む新作もなかった。同じトークで福田は言葉について「川や雨のようなもの」と語った。世界のなかを巡るものというイメージだろうか、意外にも、福田にとっての言葉は、文庫の書物のなかにではなく、脇を流れる浅野川のほうにあったのだ。それを聞いて、福田が散文ではなく、回文に関心を寄せる理由が少し分かったような気がした。回文をつくることは、自分の語りというよりは、言葉の世界にある法則を発見するような行為なのだろう。福田の展覧会とトークは、言葉というものに対する自分の概念を更新させられる経験であった。
学芸員レポート
2014年にスタートした「粟津潔、マクリヒロゲル」シリーズの第3回目として、私は「粟津潔と建築」展を担当した。金沢21世紀美術館は2006年から2007年にかけ、粟津デザイン室より約3,000件の作品・資料を受贈した。2007年には、「荒野のグラフィズム:粟津潔展」と題した個展を開催し、企画者であるチーフ・キュレーター(当時)不動美里の副担当の一人として、私はカタログに「粟津潔とメタボリズムの思想」を執筆した
。展覧会終了後も、不動を中心に、レジストラーやアーキビストが作品情報の整理をすすめ、2012年にコレクション・カタログを発行した 。その後、さらにキュレーターの北出智恵子を中心に作家ならびに作品・資料の調査と整理が進められた。その成果の一部は、パフォーマンス、1960年台の代の視覚表現の展開をテーマにした2回の「粟津潔、マクリヒロゲル」シリーズとして展覧会と記録冊子 というかたちで公開された。一方で私は、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴで川添登へのインタビュー
を実施するなど、粟津潔とメタボリズムの関係について調査を継続していた。町家など日本の伝統的な民家への関心を強めながら、1950年代から60年代にかけて活発に議論された日本の伝統と最先端の現代建築との関わりについても興味を惹かれていた。メタボリズムに関しては、2012年に森美術館で回顧展が開かれ、されにハンス・ウルリッヒ・オブリストとレム・コールハースによるインタビューに基づく書籍『プロジェクト・ジャパン』
も出版され、再評価が進んだ。こうしたことを受け、今回「粟津潔、マクリヒロゲル」シリーズの3回目を担当することになった私は、「建築」をテーマに、「荒野のグラフィズム」展後に受贈した資料も含め展覧会を構成した。「メタボリズムと万博」「建築家との協働」「建築雑誌のデザイン」の3つのセクションを設け、空間的なデザインの記録写真やデザインした書籍など約40件を展示した。
今回、調査を進めたなかで特に刺激を受けたのは、京都信用金庫の「コミュニティ・バンク」構想である。1970年に理事長に就任した榊田喜四夫が、川添登などによるシンクタンクCDIをブレーンに起用して展開したもので、全国区の都市銀行とは異なり、信用金庫は地域の経済と文化を支えてゆく存在になるべきだという考え方である。菊竹清訓が店舗の建築設計を行ない、粟津潔は、色彩計画や壁画などを担当した。例えば田辺支店では、通常ならば3時に閉まってしまうシャッターを、建物の外側ではなく、カウンターの前に取り付けた。それにより、銀行の閉店後もロビーは子供のための広場として開放され、2階のコミュニティ・ホールへのアプローチともなった。粟津はこのカウンター前の移動式シャッターに壁画を描いている。1970年の万博に向かう高度経済成長期にあたる1960年代に対し、1970年代はオイルショックなど社会が経済的にも停滞する時期である。そのような時期に「コミュニティ」への関心が高まることは、現在の日本の状況に照らしても興味深い。京都信用金庫より『コミュニティ・バンク論』というコンセプト・ブックもⅠ、Ⅱと出されているが
、「バンク」を「ミュージアム」に置き換えて読めば、今日でもそのまま通用しそうな内容である。1970年代のコミュニティ論を参照することによって、今日のコミュニティ論を相対化し、より冷静に考えることができるだろう。本展は11月27日(日)まで開催中である。また、本展の記録冊子を年度内に発行する。是非ご高覧いただきたい。
福田尚代展「水枕 氷枕」
会期:2016年10月15日(土)〜11月21(日)
会場:山鬼文庫
金沢市桜町5-27/Tel. 076-254-6596
コレクション展2 ダイアリー/粟津潔と建築
会期:2016年9月10日(土)〜11月27日(日)
会場:金沢21世紀美術館
石川県金沢市広坂1-2-1/Tel. 076-220-2800