キュレーターズノート

北海道の美術家レポート⑫藤木正則

岩﨑直人(札幌芸術の森美術館)

2017年04月15日号

 北海道に根を下ろして活動するアーティストを紹介する「北海道の美術家レポート」の12回目として、藤木正則を取りあげる。


1──《Domestic Express from Wakkanai to Sapporo / from Sapporo to Wakkanai》2003年
プロジェクター、DVDプレイヤー、木

 遡ること14年。新しい世紀をあっけなく迎えてなんとはなしにやり過ごし始めた2003年の秋の頃。札幌芸術の森美術館で「虚実皮膜」なる展覧会が企画、開催された。担当したのが筆者であり、出品作家6人のうちのひとりがここで取りあげる藤木正則であった。
 このとき、藤木に割り当てられた展示スペースは11メートル四方の正方形空間。直角に交わる二壁面をスクリーンとし、どちらにも車窓の風景が映写された。向かって右には、札幌を発ち、北海道の最北端、稚内へと向かう列車から撮影した風景、左にはその逆の稚内から札幌へと向かう上り列車から撮影した風景が映し出される。ともに進行方向とは反対にカメラを向けて撮影された映像で、その風景は二つの壁面が接する内角へともの凄いスピードで流れ消失していく。内角に近づくほどに狭まる台形のスクリーンがさらに加速度を増幅させる[図1]
 札幌─稚内間は、特急列車で5時間余りの距離。途中に大きな峠のない比較的平坦な日本海岸沿いを走る線である。作品では、両面とも映像時間が50分間に編集されている。高層ビル群、蛇行する川、広大な牧場や田畑、停車駅で乗降する人々、人気のない通過駅のプラットホーム、時折それらの眺めを強制的に遮断する対抗列車、と次々に景色は移り変わる。列車の進行につれ時も刻々と進み、一方には澄んだ朝の陽が優しく広がり、もう一方には夜の帷が垂れる。これを眺めるために腰を落ち着かせてくれるのは、屋根つきの全長5.4メートルの木製ベンチ。飾り気のない素朴な造りながら、座面や背もたれの角度、表面の滑らかさなど、実は、“乗客”の座り心地にとても気が配られている。足下のスピーカーから発せられる車内の雑音や車掌のアナウンス、走行音が耳をくすぐる。スクリーンを眺めているうちに、ふと現実の車窓風景を見ているかのような感覚を覚える。流れる風景を漠と見やりつつ、瞬間的に目に入ってくる情報について自身の考えを展開させてみたり、はたまたそれとはまったく無関係の思考を巡らせてみたり。いま、美術館に在ることを忘れ、不覚にもすっかり列車に揺られている気分に浸ってしまったら、己の精神を虚構と現実の狭間に浮かばせた証。照明のない暗闇、異なる二面の映像、大掛かりで心地よいベンチ、適量の音声がその紛乱を助長する「仕掛け」ともなっている。
 藤木正則は、1952年、北海道旭川市に生まれた。東京造形大学造形学部美術学科において絵画を修めたが、美術活動の初期からコンセプチュアルな表現を志向しており、早くも「仕掛け」づくりに着手している。そう言えば、立体造形は目にしたことがあっても、絵画を拝見したことはない。いや、そもそも造形による表現というより、その手になる造形物や自身の身体を以て社会や他者に揺さぶりをかけ、そこからあぶり出されるものを藤木は表現としてきた。その揺さぶりをかける装置が「仕掛け」であり、また彼が言うところの「行為」である。


2──行為《交差点上の椅子》1981年


3──行為《ホワイトライン》1982年


4──《PROJECT the Straight》1997年 赤い服を着た女性たち、傘(遺失物)、GPS

 例えば、《交差点上の椅子》[図2]では、着席した自身と椅子とをロープで縛り、車が行き交う交差点の中心にじっと構えてみたり、《ホワイトライン》[図3]では、札幌中心部のスクランブル交差点に、グラウンドのラインを引く用具を持ち込み、駆けずり回って、横断歩道を石灰粉の白線で乱して見せた。また、ある時は、スーツを身にまとった自身が先頭に立ち、雨傘を片手にした全身赤尽くめの衣装を着けた女性たちを縦列に行進させた[図4]。実際のところ、これらを目の当たりにした人は度肝を抜かれたことであろう。ただ、誤解してならないのは、これらの趣旨が奇抜なパフォーマンスを実行し、世間を騒がせることにあったのではないということ。つまり、ハプニングではないのである。何をやったら社会が目くじらを立て始めるのか、どこまでだったら容赦するのか。社会や制度が規制する上限ラインはどこにあるのかを探り、それが発覚した「現象」こそが藤木の表現となる。真鍋庵氏は一連の「行為」を指して「世界のモデル化でも内在の純化でもなく世界の割り込み」と端的に指摘した(「遡行する現象……」『FUJIKI』1987年、MAJACKO刊)。なるほど、藤木は社会や行政、道徳に風穴を開けたいわけではない。問題を提起し、改革を求めているわけでもない。その隙間にするすると入って見せて、様子をうかがっているのである。それは確認とも言い換えられる。《宗谷岬で旗をふる》[図5]では、驚くことに徒歩で定められた国境に向かっている。これは写真作品として発表された。右に映る三角形のオブジェは、日本最北端の地を示す碑。その前では、観光客が自身を北限へと運んだことを喜び、記念撮影をしている。その向こう、沖で旗を掲げているのは藤木自身。自分の足でどれだけ国境に近づけるか挑戦したのだ。藤木の「行為」にはこうした自己確認の欲求に駆られることから始まり、そこにある種の諧謔を加えながら達成されていく。


5──〈FLAG〉シリーズ《宗谷岬で旗をふる》2003年 インクジェット・プリント、紙 110.0×386.0cm

 そもそも本作[図1]を出品した展覧会のタイトル「虚実皮膜」という語は、江戸時代の戯作者、近松門左衛門の「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」という芸術観を端的に示す言葉から取っている。芸術は、ウソばかりを積み上げても求心力を持たないし、リアリティに終始しても面白くない。芸術の本質(近松の言うところの「慰(なぐさみ)」)は、皮と膜がそうであるように、どちらともつかない境目にこそ存在するもの、と解釈される。藤木もまたしかりで、その境目を見極め、本質を突こうとしている。暴くのではなく、確認しているのだ。自身が手がけた「仕掛け」によって。以上を踏まえたなら、本作が単なる映像作品ではないと認識を改めるであろう。ベンチも、直交する二面の映像も、周到に用意された藤木の「仕掛け」なのである。本作は、この4月8日より札幌芸術の森美術館で開幕した「旅は目的地につくまでがおもしろい。」展に14年ぶりにリバイバルされている。映像と音は14年前のまま。鑑賞するなかで、もしあなたが、車窓を眺める感覚に陥ったとき、空間の錯乱のみならず、今回は時間の錯乱もその要因として加えられている。

札幌美術展 旅は目的地につくまでがおもしろい。

会期:2017年4月8日(日)〜5月28日(日)
会場:札幌芸術の森美術館
   札幌市南区芸術の森2丁目75番地
   Tel. 011-592-5111

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