キュレーターズノート
CAAK, Center for Art & Architecture, Kanazawaの10年間
鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)
2017年04月15日号
私も設立メンバーの一人として関わった金沢の美術、建築系の団体CAAK, Center for Art & Architecture, Kanazawaが今年3月末をもって解散した。美術と建築を横断して議論できる場をつくろうと、2007年12月から約10年にわたり、金沢の寺町にある町家を拠点に48回のレクチャー&パーティ、24組のアーティスト・イン・レジデンスなどを行なった。
CAAKの発足に関しては、これまでもさまざまなところで書いたり、話したりしてきたとおり 、金沢21世紀美術館が主催したアトリエ・ワンの「いきいきプロジェクト in金沢」が契機となり、そのスピンアウト企画のようなかたちで、同プロジェクト終了後に始まった。金沢を訪ねてくる人にレクチャーを依頼し、その後、ゲストを囲んで歓迎パーティを行なう「レクチャー&パーティ」、さらにはゲストがしばらく滞在していくような「クリエーター・イン・レジデンス」が当初より中心的な事業であったが、2010年より後者が本格化し、最後の3年ほどは、レジデンス事業が活動の中心となった。
2010年よりレジデンスが活発化したことにはいくつかの要因がある。第一に、メンバーである私が、2009年に半年間、ベルギーのゲント市に滞在したこと。このあいだに多くのアーティストと知り合い、そのなかには、金沢で滞在制作をしたいという人もいた。ゲントでの滞在は勤務先の美術館の派遣であったが、美術館が滞在施設をもっているわけではない。ゲント滞在中に世話になった恩返しという気持ちで、金沢に来てくれるアーティストには少しでも滞在をサポートしたいという動機でレジデンスを整備した。実際、ゲントからのアーティストも多くCAAKに滞在した。第二に、日本のレジデンス施設に関するデータベースサイト、AIR_Jの立ち上げである。ここに登録されたことで、CAAKのような小さな団体にもレジデンスの申し込みがあった。小さな団体の場合、アーティストの認知を得るのが最大のネックとなる。AIR_Jのようなマッチング・サービスはそれをカバーしてくれる。レジデンス事業は、金沢にある別のアート系任意団体のKapoと共同で行なってきたが、CAAK解散後は、Kapoに引き継がれる。
このほかにも、建築を巡るツアーや、展覧会、ワークショップ、町家に残されたひな人形を飾ってのひな祭りなど、さまざまなことを行なってきた。個人的には、2010年に金沢青年会議所が主催した「かなざわ燈涼会」にCAAKが参加して行なった岩崎貴宏の展示が、その後の繋がりという面では大きい。この時初めて私は岩崎と仕事をし、さらにその展示を見た尺戸智佳子が、その後黒部市美術館の学芸員となり、2015年に岩崎の個展を企画した。岩崎と仕事をしたときの経験、そして、黒部市美術館と小山市立車屋美術館を巡回した個展を見たことにより、私は昨年ヴェネチア・ビエンナーレのコンペに指名された際、岩崎の個展を提案することに決めた。
解散の直接のきっかけは、拠点としていた町家が3月で使えなくなったことだが、ほかにもメンバーのライフステージが上がり、活動のための時間がなかなか取れなくなったことや、金沢でも芸宿など、若い世代によるCAAKのような活動が生まれてきたことなどが挙げられる。
NPO団体のように比較的しっかりとした組織に比べて、より小さくてカジュアルなスタイルのCAAKのような活動は、日本のほかの地域でも2010年頃に同時代的に見ることができた。一つひとつは極小の活動ではあるものの、それらを複数紹介することによって、ある動きとして見せようとしたのが、このartscape開設15周年を記念した2010年の「ダイアローグ・ツアー」であった。このツアーで回ったのは、北から青森のMAC、水戸の遊戯室、金沢のCAAK、京都のhanare、大阪の梅香堂、岡山のかじこ、山口の前町アートセンター、沖縄の前島アートセンターの8カ所である。このうち、MACは活動を休止、梅香堂は、2013年に主宰者の後々田寿徳が亡くなったことにより終了、かじこは鳥取に移動して「たみ」として再出発、前島アートセンターは2011年に10周年を機に解散した。
今、改めて振り返ってみると、こうした活動は、TwitterやUstreamといった当時新しく出てきたメディアとの関係が強かった。新しいメディアを使いながら、その可能性を発見していくことと同時進行で、CAAKなどの仕組みの実験をしていた。このことは当時から意識していたが、こうしたメディアの新しさが失われるとともに、CAAKなどの活動の勢いも失われていったように感じる。Ustreamが新鮮だった時の盛り上がりのピークが、おそらく、2010年にキュレーターの服部浩之が国際芸術センター青森(ACAC)で企画したNadegata Instant Partyによる「24 OUR TELEVISION」であっただろう。
当時書いたダイアローグ・ツアーの「宣言文」の冒頭では、先行する世代、例えば、村上隆や中村政人、北川フラムなどと対比的に書いていて、その対比は今も修正すべき点はないと思われる。一方で、後続の世代が現われてくると、それとの比較も書いておかねばなるまい。昨年の11月、服部が昨年度ディレクターを務めていたアーカスに、インディペンデント・キュレーターの長谷川新と私を呼んで「オープンディスカッション」をした。1988年生まれで、現在は金沢に住み、芸宿などにも関わる長谷川に、CAAKなどの活動と、芸宿などとの違いについて、話を振ってみたところ、「上の世代は、やたらと団体にして名前を付けたがる」と言っていて面白いと思った。われわれにとっての「ゆるさ」は、今と比べれば、まだまだ固かったのかもしれない。団体をでっち上げることで、公的なそぶりを見せつつ、公的なものを茶化そうという、メジャーとマイナーの攪乱自体に面白さや新しさがあったように感じる。
10年間の活動を通じて、さまざまな出会いや議論を生み出すことができた。各メンバーや、さまざまな催しに参加し協力してくださった皆様のなかにそれは残りつづけるだろう。新鮮な驚きをもって、みずみずしいメディアの使い方を実験し続けるのに、10年は十分に長い期間であった。また新たな実験に踏み出そう。
CAAK, Center for Art and Architecture, Kanazawa
活動期間:2007年12月〜2017年3月
金沢市寺町2-3-4