キュレーターズノート

ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」

能勢陽子(豊田市美術館)

2018年09月01日号

8月から9月半ばにかけて、文化庁の短期在外研修でアムステルダムとベルリンに滞在している。ベルリンではこの時期、第10回ベルリン・ビエンナーレ「We don’t need another hero」を開催していたが、それより幅広い時代と地域を包含して面白かったのが、ベルリンにある国立美術館のコレクションを再編成した「ハロー・ワールド」展である。ベルリン中の国立美術館の収蔵品200点に加えて、ベルリンの市立美術館や民族博物館などから150点、さらに日本の美術館数館を含めた国内外から美術品・雑誌・資料400点を借用している。

「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」ハンブルガー・バーンホフ

冷戦時代、西ベルリンの美術館はヨーロッパや北米を中心としたポップアートなどの作品を[図1]、東ベルリンの美術館は自国のリアリズム絵画やイデオロギー絵画[図2]を、それぞれ収集していた。美術館のコレクションは、時の政治や市場の偶然性に左右され、決してリニアな歴史を描くわけではない。本展では、ベルリンの国立美術館のコレクション、またそもそも19世紀から形成され始めたコレクションの成立過程に欠落していた、非西欧圏の作品や美術の領域以外からの視点を織り交ぜて、再構成している。美術がグローバルな展開を見せるようになった21世紀以降に位置する現時点から、過去の収蔵品と同時代の世界的な動向をあらためて眺め直し、コレクションの再編可能性や意義を問おうとするものである。

図1 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns│© 2018 The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. / Licensed by Artists Rights Society (ARS), New York]


図2 Vogeler Heinrich 《Kulturarbeit der Studenten im Sommer》(1924)

[© Staatliche Museen zu Berlin, Nationalgalerie / Volker-H. Schneiderder]


全13章からなる本展の、入ってすぐの巨大なコリドールには、古代ギリシャで人々の重要な公共空間となっていた「アゴラ」の名が与えられている[図3]。そこには、屋外の観客席が向かい合うブルース・ナウマンの《Indoor and Outdoor Seating Arrangement》(ハンブルガー・バーンホフ蔵、1999)や、ヨーロッパでの移民の移動ルートをネオン管で示したアルフレッド・ジャーの《 (Kindness) of (Strangers) 》(作家蔵、2015)などが展示されている。その中央に大きく掲げられているのが、ムラデン・スティリノヴィッチによる、《英語が話せない芸術家は芸術家ではない(AN ARTIST WHO CANNOT SPEAK ENGLISH IS NOT ARTIST)》(Gallery Martin Janda蔵、1992)である[図4]。クロアチアのコンセプチュアル・アーティストであるスティリノヴィッチのスローガンは、もちろん反語的な響きを持っている。このピンクの幕は、展覧会の冒頭で、現代美術がグローバルな展開を見せるようになったとは言え、なおそこにある一定の条件や暗黙の了解を示すのである。

図3 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

[©Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns│© VG Bild-Kunst, Bonn 2018]


図4 ムラデン・スティリノヴィッチ《英語が話せない芸術家は芸術家ではない(AN ARTIST WHO CANNOT SPEAK ENGLISH IS NOT ARTIST)》(Gallry Martin Janda蔵、1992)

[© Mladen Stilinovic‘s Estate, Zagreb / Boris Cvjetanović]


本展が扱う国々や地域は、インドネシア、インド、メキシコ、アメリカ(ネイティブ・アメリカンの影響や系譜に焦点を当てる)[図5][図6]、クロアチアやスロヴェニアなどの東ヨーロッパ諸国(ナチスを彷彿とさせるパフォーマンスで物議を醸し出すスロヴェニアの音楽集団・ライバッハも含まれている)、ロシア、そして日本とあまりに広く、時代も20世紀全般から現代に至るまで長期にわたっている。初めて目にする作家や美術動向も多く、それらを概観するのは到底不可能なので、ここでは日本に関わる二つの展示のみを扱わせてもらうことにする。

図5 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Anita Back]


図6 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns│© Morgan Art Foundation / ARS, New York / VG Bild-Kunst, Bonn 2018]


まず、1920年代にはすでに国を遠く隔ててつながっていた、ベルリンの「デア・シュトルム」と東京の「マヴォ」の間に生まれた、前衛のプラットフォームについてである[図7]。1922年にベルリンに滞在した村山知義が、柳瀬正夢、門脇晋郎らとともに東京で「マヴォ」を結成したのは、その翌年である。村山が過ごしたわずか1年ほどの時期のベルリンは、ドイツで巨額の賠償によるインフレが始まった頃で、日本人にとって暮らしやすい場所であった。そのため村山は、美術だけでなく数多の演劇やダンス公演を観て回り、主要な芸術書を購入するなどしていたという。第一次世界大戦のあと、ヨーロッパの前衛と互いに交流しながら、関東大震災という未曾有のカタストロフィーを経て、後に激化する左右のイデオロギーに翻弄された村山の活動は、その後のドイツにおける美術動向と歴史の関係との符合のうえでも興味深い。フェルナン・レジェの《コンポジション》(新ナショナルギャラリー、ベルリン、1920)、ワシリー・カンディンスキーの《Horn Shape》(新ナショナルギャラリー、ベルリン、1924)、村山知義の《サディスティッシュな空間》(京都国立近代美術館蔵、1922-23)が並んでいるのを観ると、村山の絵画がヨーロッパの影響というより、1920年代の相互交流のなかで、作品としてまるで遜色のないものであったことがよくわかる[図8]。村山を中心とした大正期の美術動向は、今から振り返っても特異で豊かな展開を見せており、日本の現代美術史を考える際にも繰り返し立ち戻るべき参照点である。村山の《コンストルクチオン》(東京国立近代美術館蔵、1925)[図9]は、昨年豊田市美術館で開催された、美術作家の岡﨑乾二郎企画による「抽象の力──現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」にも出品されており、ベルリンで同時代の作品と並んだ本作の前に立つと、岡﨑氏が本展で述べていたことが実感をともなって感得される。曰く、「この画面全体はどこか画面の背後に通じるさまざまな回路の端末=入り口が配置された操作盤に酷似している。ちょうど電話の交換台のように世界中のどこかに通じているインターフェースであるかのようだということだ」 。村山の作品は、真に「身体と世界を具体的に結びつける回路であることが目指され、さらにその関係を転覆し再編する装置であることこそが目指されていた」のだった。

★───「抽象の力」展ホームページ参照。http://abstract-art-as-impact.org/

図7 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns © VG Bild-Kunst, Bonn 2018]


図8 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

Exhibition view Hello World. Revising a Collection / Platforms of the Avant-Garde
Hamburger Bahnhof – Museum für Gegenwart – Berlin, 2018[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns]


図9 村山知義《コンストルクチオン》(東京国立近代美術館蔵、1925)

[© The National Museum of Modern Art, Tokio (Schenkung Hama Tokutaro) / Norihiro Ueno]

続く展示室には、1976年の1年間、DAADの招聘でベルリンに滞在した河原温の《日付絵画》(フリック・コレクション[ハンブルガー・バーンホフ]、1966-2013)が、四方の壁面をぐるりと囲んでいる[図10]。村山が身体と世界の再編成を試みたとすれば、河原は概念のみ示して身体を消そうとした作家であると言えるだろう。村山の約50年後に河原が滞在したベルリンは、冷戦下にあって西ベルリンと呼ばれ、東ベルリンの中に飛び地のように存在していた。そこに並んでいるのは、日付絵画の制作を始めた1966年から亡くなる前年までの2013年の、47年間分の日付絵画である。世界中を移動しながら制作を行なった河原が、その地で入手した新聞を箱の内側に貼りつけたものも、ともに展示されている。日付絵画には、河原が当時の西ベルリンで制作したものと、その日読んだ新聞記事も含まれている。そしてもちろん、ベルリンの壁が崩壊した1989年のものもそこにある。黒や濃紺のモノクノームを背景に描かれた白いアルファベットと数字は、ただ淡々と日付を示すだけで、その日がどんな日だったのか、どんな出来事があったのかということはまるで知らせない。箱に貼られている各国の新聞記事も、会談や紛争、事件や事故のこともあれば、商品広告や何も貼られていないものもある[図11]。冷戦時代に始まりその崩壊を経て、アメリカからヨーロッパ、インドや中国、日本の世界各地を移動しながら制作されたそれらの絵画は、すべての日が歴史的で特別な1日であり、同時になんでもない普通の1日である。「‘Today’シリーズ」と名づけられた日付絵画は、「今ここ」の「今日」の連続からなる。まるで20世紀の歴史そのものであるベルリンで、過去のある一点であり「今」の連続でもあり、歴史であり日常でもある絵画に向き合うと、長い時間に棹さすように存在する自らの「今ここ」の地点・時点が強く意識される。

図10 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

Exhibition view Hello World. Revising a Collection / Platforms of the Avant-Garde
Hamburger Bahnhof – Museum für Gegenwart – Berlin, 2018[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns]



図11 ハンブルガー・バーンホフ「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」展示風景

Exhibition view Hello World. Revising a Collection / Platforms of the Avant-Garde
Hamburger Bahnhof – Museum für Gegenwart – Berlin, 2018[© Nationalgalerie – Staatliche Museen zu Berlin / Thomas Bruns]


展示室の中央には、河原が1998年から2013年にかけて20の幼稚園で行なった、「純粋意識」のリーフレットが並べられている。このプロジェクトは、1週間分の《日付絵画》を、まだ時間の概念がなく、社会に適合する作法が植えつけられる前の未就学児童のためだけに展示するものである。教育目的ではないので、子どもたちが《日付絵画》について尋ねても、その質問には答えないという。リーフレットに掲載された子どもたちの写真を見ると、大抵は作品に無関心で、それぞれの時間に没頭しているように見える。日付という時間の物差しは、てんでバラバラの時間を持つ子どもたちのなかで、まるで無効になる。子どもたちの頭のなかに、ある日突然現れた日付絵画は、どんなふうに記憶されるのだろうか、またされないのだろうか。それは、人間の主体的な意識と時間との対比を鮮烈に浮かび上がらせる。本展では、「純粋意識」とともに、第二次大戦中に日本の子どもが使用していたスクラップブック(個人蔵、ベルリン、1940年代)がともに展示されている。表紙に「挙国一致 国民精神総動員」と書かれた雑記帳は、同盟国の友愛の証として持ち主の子どもが描いたらしい、少年と少女の頭上に鉤十字と日の丸が交差するページが開かれている。《日付絵画》はまるで鏡のように、ともに展示されるものに応じて、時間、空間、歴史、日常、システムなどのさまざまなものを映し出す。幼少期に言語や時間の概念とともに獲得される社会や国家の成員となるための規範は、こうした悪しきものともなる。


美術館のコレクションは、半永久的に存在し、固定した価値を形成するとされるため、時折墓場だとも揶揄される。しかしコレクションは、そもそも時代や歴史背景、そして市場の偶然性に左右されるものであり、流動的なものでもあって、つねに絶対的な価値を示すわけではない。ときには墓場を掘り起こし、意外な地域や背景とつなげることで、新たな文脈が見えてくるだろう。「ハロー・ワールド」展は、各国のキュレーターも参加して、時代・文化・空間のかなりの広範囲にわたって、批判的にコレクションの再編成を試みた、実に刺激的なものであった。


「ハロー・ワールド コレクションの改編(Hello World. Revising a collection)」

会期:2018年4月28日〜2018年8月26日
会場:ハンブルガー・バーンホフ(Hamburger Bahnhof - Museum für Gegenwart/ベルリン)
詳細:https://www.smb.museum/en/exhibitions/detail/hello-world-revision-einer-sammlung.html