キュレーターズノート

「絵画の何か」──地域性と絵画について考える

吉田有里(MAT, Nagoyaプログラムディレクター)

2019年03月15日号

港まちポットラックビルでは、これまで2015年、2017年、今年と3回に渡り「絵画の何か」と題した展覧会をシリーズで開催してきた。このシリーズは、愛知県を拠点に絵画/立体を制作するアーティスト・佐藤克久を共同企画者として迎え、東海エリアにゆかりのある作家を招いた展覧会とトークイベントを通じて、さまざまな切り口で「絵画」について考える企画となっている。
今回は「絵画の何か」の3回の成果を振り返りながら、絵画と地域性との関係について考えていきたい。


「絵画の何かPart1」展示風景
[撮影:城戸保]


愛知はこれまで数多くの優れた画家を生み出してきた地域である。2009年に愛知県美術館と名古屋市美術館で共同開催された「放課後のはらっぱ──櫃田伸也とその教え子たち」展は、愛知県立芸術大学で長年教鞭を執っていた櫃田伸也同校の卒業生が参加する展覧会として企画、構成が行なわれた。この展覧会に出展した多くの作家たちがそうであるように、櫃田のもとで学び、絵画を主軸としながらもそれだけの表現に留まらず、多様な表現方法を取り入れた作家が、このエリアでは数多く輩出されている。それはこの地域にある3つの美術大学(愛知県立芸術大学、名古屋芸術大学、名古屋造形大学)での教育、ひいてはそれらの大学に入るまでの予備校がこの地域における「絵画」を制作する作家たち、大きく言えばこのエリアのシーンに大きく影響しているのではないかと考えている。

また一方で、2005年に開催された愛・地球博が契機となり、2010年に始まったあいちトリエンナーレのような国際展や、2015年度のプレイベントからスタートした港まちで開催しているフェスティバル、アッセンブリッジ・ナゴヤのようなフェスティバルで発表される作品には、素材や手法、表現形式が多様で、参加型やコラボレーション型の共同制作などが、数多く見受けられる。

「絵画の何か」とは、芸術祭やプロジェクト型の展覧会と、それらの時代の流れとはまた別のシーンが同居するこの愛知において、この地域を拠点とする作家たちの多くが「絵画」表現を選択している(もちろん「絵画」以外の表現媒体の作家もいるのだが)。「描く」というプリミティブで、孤独な行為だからこそ「絵画」に取り組む作家たちと制作環境や状況を共有し、意見交換の場を作ることも大きな目的としている。

絵画の何かPart1|2015年11月13日〜12月26日

Part1では「何か=次元」と仮定し、川角岳大、小島章義、堀 至以、守本奈央の展示を行なった。彼ら1970-90年代生まれの作家たちに共通しているのは、絵画と並行して立体作品を制作しており、素材や技法にとらわれず、二次元である絵画と三次元である立体を自在に扱っている点である。川角は絵画作品のほか、空間を間仕切るような構造体をつくり、会期中何度かの配置替えによって他の3作家の作品にも干渉しながら、展覧会の鑑賞体験を大きく揺るがすような試みを行なった。小島はキャンバスをねじりあげる手法で、絵画であり、立体でもある「factor x」シリーズを展開。堀は連鎖反応を描いた一連の抽象的な絵画作品とともに映像、手のひらサイズのマケットのような立体作品を展示。守本は近寄るとセンサーで反応する音声つきの絵画や、扉を開いて鑑賞する絵画など、作品に鑑賞者が積極的に関わりを持つ作品群を発表した。

トークイベントでは、「絵画を続けていくこと」「種明かしと方法」「絵画のこれから」をテーマに、主に愛知を拠点とする作家をゲストに迎えて議論を行なった。企画者であり、作家として実践者でもある佐藤の問題意識を出発点とし「絵画」における「危機感」やその「広がり」について佐藤の同世代の作家や学芸員、このトークイベントで初めて自作について語った若手の作家たち、また大学で「絵画」を学ぶ学生たちからの質問などが活発に交わされた。これまでのトークイベントの来場者数を上回る盛況ぶりで、関心の高さを実感することとなった。



「絵画の何かPart1」展示風景
[撮影:城戸保]


絵画の何かPart2|2017年1月28日〜3月25日

part2では、「何か=ニュー・オールド・マスター」と仮定し、1930年代・40年代生まれの加藤松雄、原健、山村國晶の3名のこれまでの活動を紹介した。ニュー・オールド・マスターとは、私たちがしばしば参照する「巨匠=オールドマスター」を現在進行形として更新する意味を込めて佐藤が考えた造語である。

活動期間が長く、今もなお変化、更新し続ける彼らの「経験」や「言葉」を共有することで、絵画を多角的に捉え「絵画の何か」について思考するという試みであった。

展覧会では、60年代の作品から近作まで約50年の間で、時代性や作家のあゆみが見てとれるように代表作で構成した展示と、それぞれのインタビューから選出したキーワードを発表した。

加藤は、画面一面に長方形が無数に配置された抽象画「磁場に向けて」シリーズや、曼荼羅や量子力学などを主題に取り入れた作品を発表。また、日々のライフワークとして自然の様態を「みるために描く」ための写生作品も展示した。原 健は、腕の一振りや鼓動など、身体性を意識して描いた色彩豊かな作品を制作している。60年代のシェイプドキャンパスの作品から、代表作であるリトグラフによる「ストロークス」シリーズとともに、近年制作している油彩による「ASUKA(飛華)」シリーズを展示した。山村國晶は、60年代に東京で起こった美術運動や欧米のアーティストに影響を受け、抽象絵画をスタートしたことを語り、当時の作品とともに70年代より継続している東洋的な色彩を用いて、単一のモチーフを塗り重ねる「work」シリーズのなかから最新作を展示した。

トークイベントでは「忘却/応用編」「危機/不定形」「ニュー・オールド・マスター/未来」と題して、愛知で美術教育を受け、映像やインスタレーションの表現方法で作品を発表する小林耕平とアカデミックな教育を受けず、ストリートカルチャーを出発点にデザイン、絵画、壁画の領域を横断し活躍する鷲尾友公との対談を行なった。また、かつて愛知を拠点に活動し、自身の作品制作と並行してアーティストランスペース「キワマリ荘」を運営していた有馬かおると相模原を拠点に絵画制作、展覧会企画、私塾「パープルーム予備校」の運営など幅広い活動をする梅津庸一との対談も開催。企画者の佐藤と愛知県内の学芸員らが、ともに登壇する作家たちとそれぞれの立場からの意見を言い合いながらも、この地域における絵画表現の意義を問い直し、深めあう場となった。



「絵画の何かPart2」展示風景
[撮影:城戸保]


絵画の何かpart3|2019年1月22日〜3月16日


「絵画の何かPart3」左:設楽知昭 右:秋吉風人 展示風景
[撮影:城戸保]


part3の今回は「何か=展開」と捉え、2人の作家を個展形式で紹介した。1人の作家が表現方法の異なるシリーズを意識的に制作している状況を提示し、展示することで、絵画を足がかりにしている作家個人の作家性がそもそもどこに由来するものなのかを探りその広がりや可能性を考えるのが狙いである。

展覧会では画家として、また教育者としてそれぞれの活動を展開している設楽知昭(1955年生まれ)と秋吉風人(1977年生まれ)を紹介した。

設楽知昭は、愛知県立芸術大学で教鞭を執り、油彩、テンペラ、エンコスティック(蜜蝋)などを用いた絵画やノートに描くドローイング、近年では天秤や鏡などの日用品を支持体とした作品など、手法や技法に捉われない表現方法で、制作された80年代から現在までの作品を展示した。設楽が、作品制作を始めた70年代後半、いわゆるキャンバスに油彩という真正面の「絵画」に取り組むことが難しかった当時の影響を受け、形式や様式を超えた「絵画」への追求を作品を通じて辿ることができた。一方で秋吉風人は、7年間のベルリンでの制作活動を経て、昨年より名古屋芸術大学の准教授になることをきっかけに愛知に活動の拠点を移した。遡ると、秋吉は大学在学中の1999年に北名古屋市設立されたアーティストランスペース「dot」のメンバーとしても活動していた経歴をもつ。秋吉の代表作である「room」シリーズは、金色の絵の具を用いてミニマルな手法で空間を描きだす。またアクリル板に透明性の高い油絵の具の重なりで画面を構成した《naked relations》や、描きあげた1枚の絵を半分に分割し、別の絵との組み合わせによって構成する近作の「We meet only to part」シリーズを発表した。


「絵画の何かPart3」ラウンドテーブルの様子


また、今回の企画では、3回に渡る「絵画の何か」を総括するトークイベントとして「絵画の何か・ラウンドテーブル」を開催した。東海エリアを拠点に「平面」や「絵画」の手法で制作するアーティストに声をかけ(こちらから意図的に選出するという方法は取っていない)、参加表明してくれた約40名と、近隣の美術館やあいちトリエンナーレ、アートラボあいちなどに関わるキュレーターが約10名であわせて50名、来場者も定員いっぱいの50名の総勢100名が参加する議論の場となった。アーティストにとっては、このような場が大きなお世話であることも覚悟のうえで声をかけたが、予想以上の反響があり、大学、世代・立場を問わず、それぞれが1人のアーティストとして、地域性や制作環境や状況、活動を続けるうえでの不安や悩みなどを持ち寄り、それぞれの状況を共有する場を持つことができた。これまでアーティストにはアーティストの、大学教員には大学からの、美術館やあいちトリエンナーレなどの組織ではそれぞれの組織の、さまざまな立場からの意見を共有する場(テーブル)を持つことがこのエリアでは難しかったため、今回は「絵画」に焦点を絞ることで、互いの状況に耳をかたむけながらも、意見や議論を交わしあうことができた。Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]としては、このような「地域性」と「アート」が交わり思考する場をつくれたことは、「絵画の何か」をはじめ、これまでの活動を続けてきたひとつの成果の現れであると考えている。このようなラウンドテーブルでは肯定的、また否定的な意見、さまざまな立場から見える景色が混在してしまう。それを回避するため、ラウンドテーブルの参加スピーカーには事前アンケートを実施し、その結果をまとめた冊子を会場で配布するとともに、開催後のアンケートも行ない、意見を記録し、総括を行なう予定である。

そもそも絵画とは、画面のなかで世界を成立させながらも、社会との接点や、ものごとを多角的に捉える視点など、外部との繋がりを模索してきた表現だとも言えるだろう。それぞれの問いはこれからも終わることなく続き、「絵画の何か」というに明確な「答え」が眼前に用意されたわけでもない。今なお続くこの「問い」は果たしてこれからこの土地にどのような状況をもたらすであろうか。単なる状況の共有であったとして、この「絵画の何か」をきっかけにまた新たな状況がうまれ、個々がフィードバックし、それぞれの活動に接続することに期待し、継続した場をつくっていきたいと考えている。


★──2009年8月から10月にかけて愛知県美術館、名古屋市美術館で共同開催された展覧会。企画協力に奈良美智、杉戸洋、森北伸。出品作家は櫃田伸也、安藤正子、加藤英人、加藤美佳、木村みちか、城戸保、小林耕平、小林孝亘、佐藤克久、設楽知昭、杉戸洋、登山博文、奈良美智、額田宣彦、長谷川繁、櫃田珠実、古草敦史、村瀬恭子、森北伸、渡辺豪。


絵画の何か Part3

会期:[前期]設楽知昭|2019年1月22日(火)〜2月16日(土)
   [後期]秋吉風人|2019年2月19日(火)〜3月16日(土)
会場:Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F Exhibition Space
愛知県名古屋市港区名港1-19-23

□ 「絵画の何か・ラウンドテーブル」
日時:2019年3月9日(土)15:00〜18:00
スピーカー:赤羽史亮(アーティスト)、秋吉風人(本展出展アーティスト/名古屋芸術大学特任准教授)、浅田泰子(アーティスト)、阿野義久(アーティスト/愛知県立芸術大学教授)、飯田志保子(あいちトリエンナーレ2019 チーフ・キュレーター)、猪狩雅則(アーティスト/愛知県立芸術大学准教授)、磯部由香子(アーティスト)、今村文(アーティスト)、鵜飼聡子(アーティスト)、遠藤俊治(アーティスト)、大川剛(アーティスト)、大﨑のぶゆき(アーティスト/愛知県立芸術大学准教授)、大杉好弘(アーティスト)、奥村綾乃(清須市はるひ美術館学芸員)、倉地比沙支(アーティスト/愛知県立芸術大学教授)、小杉滋樹(アーティスト)、塩津青夏(あいちトリエンナーレ2019 プロジェクト・マネージャー)、設楽陸(アーティスト/タネリスタジオ運営代表)、杉浦光(アーティスト)、鈴木雅明(アーティスト)、須田真弘(アーティスト/名古屋芸術大学教授)、髙田裕大(アーティスト)、田口美穂(アーティスト)、田中藍衣(アーティスト)、田中里奈(アーティスト)、千葉真智子(豊田市美術館学芸員)、都筑正敏(豊田市美術館学芸員)、西山弘洋(アーティスト)、野中祐美子(金沢21世紀美術館学芸員)、野々村麻里(アーティスト)、服部浩之(キュレーター/秋田公立美術大学准教授)、花木彰太(アーティスト)、馬場かおり(アーティスト)、久常未智(アーティスト)、藤永覚耶(アーティスト)、福田良亮(アーティスト)、古畑大気(アーティスト/Art Space & Cafe Barrackディレクター)、堀至以(アーティスト)、前川宗睦(アーティスト)、前畑裕司(アーティスト)、丸山ナオト(アーティスト)、三瓶玲奈(アーティスト)、水野里奈(アーティスト)、森川美紀(アーティスト)、山口麻加(アーティスト/波止場ディレクター)、横野明日香(アーティスト)
進行:拝戸雅彦(愛知県美術館企画業務課長)、佐藤克久(アーティスト/本展企画者)、Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya](青田真也、吉田有里)

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