キュレーターズノート

あいちトリエンナーレ2019、最後の7日間

鷲田めるろ(キュレーター)

2019年11月01日号

キュレーターを務めたあいちトリエンナーレ2019が10月14日に閉幕した。75日の会期のうち、65日という長期にわたり、トリエンナーレ内の一企画である「表現の不自由展・その後」(以下、「不自由展」)を中止したことをお詫びする。まず、観客から作品を見る機会を奪った。報道を通じて展示内容を知り不快感を抱いた人にも、実際の展示を見て確かめてもらう機会すら作れなかった。次に、作家から作品を展示する機会を奪った。そして、不自由展の企画者である表現の不自由展実行委員会が企画を発表する機会を失わせた。合意なく中止を決定したことは表現の不自由展実行委員会の信頼を著しく損ねた。さらに、トリエンナーレ実行委員会が不自由展を中止したことで、トリエンナーレのほかの出品作家に、自らの表現に対しても制限を加えられる危機感を直接的に感じさせた。社会に対しても、美術機関としての信頼性を損ねた。



「表現の不自由展・その後」での中垣克久《時代の肖像──絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳──》展示風景
[提供:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局]


中止の原因は、けっして行政が不自由展の内容を問題視したことではなく、脅迫と大量の抗議電話であった。十分に想定できておらず、準備が不足していた。そのため、中止後、安全確保の方法と抗議電話への対応方法について事務局で検討が重ねられた。9月25日、あいちトリエンナーレのあり方検証委員会の中間報告を受け、あいちトリエンナーレ実行委員会は再開を目指す方針を示し、表現の不自由展実行委員会との交渉を経て、10月8日に再開した。

私は再開後、毎日、ほかのキュレーターとともに、あるいは交代で、監視員として不自由展の展示室に立った。ほかの展示室の監視員は外部の会社に委託しているが、不自由展の展示室に限っては、スタッフの安全上の理由で受けてもらえなかったためである。以下では、再開後の展示室内の状況について、自らの体験をもとに記したい。


再開した「不自由展」の公開方法


再開後の公開方法は以下のとおりであった。

(1)中止前の展示内容と同一性を保つ。ただし、入り口すぐの通路に設置したモニターで展示していた大浦信行の約20分の短編映像作品《遠近を抱えて Part II》の上映方法を変えた。一部のシーンが切り取られSNS等を通じて拡散したことを受け、全編見てもらえるよう奥の広い展示空間に移動式のモニターを出し、床に座布団を用意して、各鑑賞時間の後半20分で上映した。後述するディスカッション付きの回のみは、プロジェクターで壁面に投影し、より大きな画面で集中して鑑賞してもらえるようにした。
(2)入場は各回40分の入れ替え制とし抽選とした。10月8日は各回30人とし、10月9日から11日は各回35人、以降は40人と安全性を確かめながら徐々に増やしていった。10月8日のみ2回、10月9日以降は1日に6回公開した。夜間開館を行なう金曜日は7回とした。抽選は、当選券を他人に譲渡できないようにするため、リストバンドを用いた。
(3)10月8日のみ写真撮影を全面禁止とした。10月9日より写真撮影は可能だが、会期中はSNSへの投稿を禁止とした。また、ほかの観客やスタッフの顔を撮らないようにお願いした。
(4)大浦信行《遠近を抱えて Part II》のみ、作家の意向により撮影禁止とした。
(5)ラーニング・プログラムを追加した。各回の入場前に、パネルを用いて表現の自由に関するガイダンスを行なった。準備段階ではガイドツアーという案も一時あったが、前半20分は自由鑑賞とし、後半20分は大浦の映像作品の鑑賞とした。また、毎日1回、20分の「ディスカッション」付きの回を設けた。私もそのファシリテーターを務めた。4人ずつのグループを作り、それぞれが、実際に展示を見てどのように感じたかを一言、1分程度で話してもらうようにした。10分を目安にグループ替えをする想定だったが、進行の不手際で時間が足りず、グループ替えができなかった回もあった。相手を説き伏せたり、グループで意見をまとめることはせず、ただ、ほかの人の感想を聞くことを目的にしてもらった。
(6)報道機関の展示室内への立ち入りを制限した。展示室内への立ち入りは認めず、展示室の外の廊下から取材してもらった。10月11日のディスカッション付きの会に県政記者クラブの代表カメラを動画1台、静止画1台を入れて取材してもらった。また、閉場時間中に2回、カメラを持たずにプレス向けに鑑賞していただく時間を設けた。会期が終了した10月14日の閉場後に初めて、カメラを入れての取材を認めた。
(7)展示室に作家が訪れたときは、作家の了承が得られた場合には紹介し、一言挨拶をしてもらった。10月8日にパフォーマンスを行なったマネキンフラッシュモブをはじめ、大浦信行、大橋藍、キム・ソギョン、白川昌生、中垣克久、永幡幸司、藤江民などを紹介した。



再開後の「表現の不自由展・その後」でのディスカッションの様子[提供:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局]


訪れた来場者の反応


台風の影響により、10月12日は終日トリエンナーレ全体を閉場したが、それ以外の日は最終日までこの方法で不自由展を開くことができた。安全対策が一定の成果をあげたと評価できるだろう。

まず、入場に関しては抽選がうまく機能した。抽選はひとりにひとつの番号が割り振られているため、グループでトリエンナーレを訪れた人も一緒に当選する可能性は低く、多くの人は、グループから離れてひとりで不自由展を鑑賞することになった。通常、2人以上のグループで美術館を訪れ、作品を見ながら話をすることは、自分が気づかなかった視点に気づくこともあり、よい効果も多い。しかし、今回の不自由展の場合、報道やSNSを通じて、あらかじめ展示についてなんらかの意見を持って見にくる人が多いと想定できた。その場合、知り合いや仲間どうしで話しながら見ると、作品に向き合うよりも先に、その意見が増幅されてしまうことがある。例えば、知り合いどうしで来場された方の会話を聞いていたところ、彼らは展示再開に賛成する意見だったが、「なぜこの程度のものが見せられなくなるのか」という意見が会話を通じて、より強められているように感じられた。また、展示を妨害しようとする人が当選した場合も、ひとりでは行動を起こしにくいように見受けられた。けっして通常の展示室内と同様ではなく、緊張感のある展示室内ではあったが、大きな声を上げる人や暴れる人はなく、それぞれが作品と向き合っていた。

撮影を禁止した10月8日は、20分の自由鑑賞時間は適切だったが、撮影を解禁した10月9日以降、ほとんどの人がすべての作品を写真に収めており、「鑑賞時間が短すぎる」というご意見を多くいただいた。しかし、少しでも多くの方に見ていただくために、1回の鑑賞時間は変えなかった。大浦の映像作品は、ほとんどの方が、途中で離脱してほかの作品を見たりすることなく、最後まで見ていた。そのため、最初は展示室を明るくしたまま上映していたが、暗いシーンも多いため、途中から部屋を暗くして上映するようにした。



再開後の「表現の不自由展・その後」での大浦信行《遠近を抱えて Part II》上映の様子[提供:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局]


「ディスカッション」の時間も落ち着いて話ができていたように感じた。私は全体の進行をしていたため、個別のグループにあまり入れなかったが、私の聞けた範囲だと近くに住む人、遠くから来た人、美術の好きな人、報道で見たので来た人などさまざまで、それぞれの感想を述べていた。韓国からの留学生が入っていた回もあったが、冷静に話せていた。

報道機関の展示室への立ち入りを禁じたことも、鑑賞者が落ち着いて作品と向き合うことに貢献した。カメラがあるとどうしても気になってしまうし、過剰になってしまう。なかには、40分の鑑賞時間のうち、5分ほどで「なぜこんなものが芸術なのか」と吐き捨てるように言いながら展示室を出て行く人もいたが、展示室の外で待ち構えている報道陣へのアピールの意味合いもあるようだった。報道の自由を重視する表現の不自由展実行委員会からは、報道機関による撮影を認めないことについて厳しく追及されたが、私は、鑑賞者が作品と向き合う環境を整えることが最優先だと考えた。

作家の挨拶は、特に話してほしい内容は言わず、自由に話してもらった。人によって内容はさまざまだったが、展示できないことが不当であることを訴える作家も多かった。これを止めはしなかったものの、私は、なぜその作品を作ったのかについての発言がもっと欲しかった。そのことを話せるのは作家だけであり、また、せっかく作品を前にしていたからである。この点については、作家の発言を規制することを過度に怖れ、遠慮しすぎたかもしれない。鑑賞時間終了後、直接作家に質問する来場者などもいた。



ディスカッションのファシリテーターを務める筆者[提供:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局]


展示再開対策の課題


もちろん、このような安全性を重視した特殊な公開方法に課題がなかったわけではない。まず、多くの見たい人に対して、人数が非常に限定された。抽選の倍率は回によって異なるが、平均10倍以上であった。また、抽選に当たって入場した人も、誓約書へのサインや金属探知機によるチェックがあった。そのことによって、安心して作品を見ることができた面もあるが、ボディチェックを受けるのは信頼されていないようで、気持ちのよいものではない。さらに、SNSの投稿禁止は、鑑賞者が自由に発信することを制限するものである。これらの点については、表現の不自由展実行委員会や、一部の出品作家から厳しく批判を受けた。

また、運営には大きな人的コストがかかっている。展示室内には、各回、数人の表現の不自由展実行委員会側のスタッフと、監視員や上映スタッフとしてトリエンナーレ実行委員会のスタッフが2、3人ついた。抽選から誘導、荷物預かりにも20人以上のスタッフを要した。警備対応のため、県庁から各会場にのべ約260人が派遣された。うち170人が不自由展の会場である愛知芸術文化センターに配属された。県警の協力も受けた。要注意人物の場合、展示室内にも私服警官が同行した。

再開にあたり、私が担ったのは全体のごく一部である。ほかにも、抗議電話対応、警備対応、メディア対応なども重要な要素である。それぞれの部署で取った実務的な対応と反省点が共有され、今後、公立の美術館等で、政治的テーマを扱う作品の展示にあたり、今回の経験を各館の学芸員が活かしてくれることを願う。



「表現の不自由展・その後」での安世鴻《重重──中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち》展示風景
[提供:あいちトリエンナーレ実行委員会事務局]


トリエンナーレの作家のひとりであるアイシェ・エルクメンは、私へのメールで「静かに(silently)再開することを願う」と書いてくれた。多様な表現が当たり前に展示され、作品を実際に見て受け止め、それに対して自由に意見を交換できるような場に美術館がなっていけるよう、つねに努力を続けてゆきたい。


あいちトリエンナーレ2019 情の時代

会期:2019年8月1日(木)~10月14日(月・祝)
会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、名古屋市内のまちなか(四間道・円頓寺)、豊田市(豊田市美術館及び豊田市駅周辺)ほか
公式サイト:https://aichitriennale.jp/


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