キュレーターズノート
その土地の芸術──「段々降りてゆく─九州の地に根を張る7組の表現者」展
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2021年04月01日号
対象美術館
「段々降りてゆく」よりほかないのだ。飛躍は主観的には生れない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちる所へ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギイがある
──谷川雁「原点が存在する」(1954)
谷川雁(たにがわ・がん、1923-95)という熊本出身の詩人、思想家を知っているだろうか? 1960年代、吉本隆明らと同人誌『試行』を発刊して活動し、「東京へゆくな ふるさとを創れ」、「連帯を求めて孤立を恐れず」に代表される谷川の言葉は、全共闘や新左翼をはじめとするさまざまな運動に影響を与えていった。熊本市現代美術館で3月27日(土)から始まった「段々降りてゆく─九州の地に根を張る7組の表現者」展は、そのタイトルに谷川の「原点が存在する」の一節を借りている。
しかし、いったいどこに向かって「段々降りてゆく」というのか? 谷川の場合は、筑豊の炭鉱であった。水俣の眼科医の息子として生まれた谷川は、東京大学卒業後、詩作のかたわら西日本新聞に勤め、労働運動を指揮する。同社を解雇/退職後、共産党九州地方委員会で機関紙部長などを務めるが、結核で水俣へ帰郷。阿蘇などでの療養生活のなかで詩作を続け、1958年、福岡県中間市へ移住。森崎和江、上野英信らと、炭鉱を舞台に、中央と地方、労働者と農民、知識人と民衆、男と女といった分断や格差を超える横断的な連帯を求めて、雑誌『サークル村』を創刊した。その同人には石牟礼道子らがいた。その後、詩作をやめ、日本共産党を離党/除名、1960年には、中間市の大正炭鉱で仲間らとともに大正行動隊を結成し、労働運動を展開していく。そして、1965年には筑豊を離れた。
土着から生まれる豊かさを問う
谷川がもつ感性は、水俣という海洋的要素と筑豊という内陸的要素の断層をまたぎ、越境してきたことで培われたとする興味深い指摘がある。
その分類を借りるならば、本展出品作家のひとり、加藤笑平は、まさに九州の海洋的要素に属する存在である。現在加藤が拠点とする、長崎県・野母崎のアトリエは、熊本からでも車で3時間以上かかり、東シナ海上に軍艦島を望む半島の一番果てにある。港の脇の元水産加工場を地元の方から譲り受けてアトリエとして使用しており、内部はゴム長やエプロン、洗い場に乾燥台や加工機など、営業時に使われていた資材もそのままに、制作を行なっている。筆者が下見で初めて野母崎を訪問した際は、600号のキャンバスづくりの真っ最中であった。周囲には大量の廃材が備蓄してあり、アトリエの脇には、加藤が作品制作と並んで生業のひとつとする、塩炊き用の小屋が建設中であった。東京都出身の加藤は、2005年から、熊本県天草に移住し、作品制作と並行して、米づくりや塩づくりを行なってきた。なかでも「私たちの体は小さな海」という言葉をモットーに、塩づくりを続けてきた「天草塩の会」で加藤は昔ながらの製塩技術を身につけ、その活動スタイルや哲学は加藤に大きな影響を与えた(2020年で閉業)。その延長線上で、制作が行なわれ、絵の具には木蝋や塩、オイルなど、口に入れても問題のない素材を用い、土地の風景やものがたり、日々の暮らしの出来事などを作品に織り込んでいく。それらを見せる場づくりも加藤にとっては重要で、天草時代には、「天草在郷美術館」という農機具小屋を改装したオルタナティブ・スペースを運営した。
塩づくりや絵画と並んで、加藤において重要な表現行為が、パフォーマンスである。筋肉質で、身長180センチを超える恵まれた体格を生かし、褌ひとつになって、二礼二拍手一礼で終える一連のパフォーマンスは、展覧会や人が集まる場に欠かせない祭りや神事のようなものである。今回発表された《Newシン木》という、500号クラスの油絵やブラウン管テレビなどが廃材とともに天井から吊り下げられる巨大インスタレーションは、2005年以降の加藤の作品、そして自らの身体を通して受け取ってきた、土着性、非合理性、そこから生まれる豊かさとは何かという問いかけを、人間の持てる全精力をかけて、ぶちまけたような空間になっている。
九州で生きる作家たち
同展ではほかに、宮崎県綾町で子どもという対象を起点にした人間像を描く、すうひゃん。、大分の緑豊かな自然のなかで実験的な写真表現を追求する畑直幸、デザインや工芸と生活に焦点をあてた文化環境を追求するオレクトロニカ、生まれ育った熊本を離れて異国に暮らしながら、家族という他者とのコミュニケーションのあり方を模索する宮本華子、福岡県小倉市を拠点に、世界のアーティストたちとつながり、複数の世界像を提示するHOTEL ASIA PROJECT、自分という存在の原点を自らの身体をもって探求していく山内光枝など、九州の注目すべき作家が多数紹介されている。
本展企画者の佐々木玄太郎は、「九州には、首都圏のように多くの美術館やギャラリーやアートマーケットがあるわけではない。しかし芸術は、そのようなインフラが整った大都市の環境のなかでしか生まれないものではない。地方にはその地方ごとの芸術の存在の仕方があるはずである。そしてまた九州で生きる作家の価値観や行動原理は、大都市に住む人々のそれに追従する必要はない。必要なのは、自らの問題意識を持ち、自身を取り巻く環境を見つめて応答していくことであり、その先にこそこの土地が独自の文化を持ち、さらに生み出し続けていく可能性があるのではないだろうか?」
と趣旨を語る。熊本市現代美術館は開館以来、メイン企画展「ATTITUDE2002」「九州力」「アルスクマモト」「ピクニックあるいは回遊」「九州ゆかりの日本画家たち」「誉のくまもと」および、計138回に及ぶ九州・熊本ゆかりの作家を紹介するギャラリーⅢ企画を行なってきた。アーティストたちは、九州という場所の限定性を、むしろ前向きに捉え、さまざまな表現を試行している。それに重なるようにして起こったコロナ禍という状況においても、私たちはどう考え、生きていくのか。アーティストたちから教えられることは多い。
段々降りてゆく─九州の地に根を張る7組の表現者
会期:2021年3月27日(土)〜6月13日(日)
会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅠ・Ⅱ(熊本県熊本市中央区上通町2-3 びぷれす熊日会館3階)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/dandan/