キュレーターズノート
「コレクション」を考える(1)──「コレクター」を展示する
志田康宏(栃木県立美術館)
2021年11月15日号
対象美術館
今号より「キュレーターズノート」にご寄稿いただく栃木県立美術館の志田康宏氏には、「コレクション」の収集や保存、その活用に関する考え方や制度の原点を照らしながら、現代社会におけるその役割をとらえなおすというテーマを掲げていただいた。第1回目は多摩美術大学美術館で開催中の「寺田小太郎 いのちの記録─コレクションよ、永遠に」展をもとに、寺田小太郎という稀世のコレクターとその収集の精神について探っていただく。(artscape編集部)
個人コレクターを顕彰する展覧会
「コレクション」にはさまざまなかたちがある。美術館や博物館による公的で大規模なコレクションもあれば、企業や団体によるコレクション、個人が収集するコレクションもある。またそれらは全体として流動的なものであり、私的なコレクションが公立ミュージアムのコレクションに加えられることもあるし、近年では財政的な理由などによりパブリックコレクションが市場に戻されることもある。コロナ禍においては他館や海外から作品を借用する展覧会の開催が難しくなったことから自館が持つコレクションを並べる展覧会が増え、「コレクション」の重要性が見直されている状況にある。そんななか、個人コレクターに注目した珍しい展覧会があると聞き及び、関心をひかれ取材した。
多摩美術大学美術館(東京、多摩センター)にて11月21日まで開催中の企画展「寺田小太郎 いのちの記録─コレクションよ、永遠に」は、東京オペラシティ アートギャラリーでの収蔵が有名な「寺田コレクション」の収集者である寺田小太郎(1927-2018)に注目した展覧会である。多摩美術大学美術館では2020年から個人コレクターを特集する展覧会のシリーズ「コレクターズ」が開催されており、本展はその第2弾となる。
寺田小太郎は、近江商人を出自とし江戸に移って約500年続く寺田家の長男として1927年に生まれ、東京農業大学で造園学を学んだ後、造園家として活躍した。1988年、東京初台の地で新国立劇場建設のため官民一体となった都市開発事業が開始されると、寺田は所有していた土地を提供し、本プロジェクトに唯一の個人として参画する。行政が掲げた文化施設を設置するプランに賛同し、美術館(現在の東京オペラシティ アートギャラリー)創設を提案し、私財を投じて美術館創設に向けて収集活動を開始した。2018年の没年まで収集が続けられた美術コレクションは4,500点にもおよび、その9割は東京オペラシティ アートギャラリーに寄贈されたが、没後には府中市美術館や早稲田大学 會津八一記念博物館などに寄贈され、多摩美術大学にも2019年に59点が寄贈された。本展はそれらの新たに寄贈されたコレクションをお披露目すると共に、収集主である寺田小太郎自身をも顕彰する異色の展覧会である。
「起源」と「継承」
本展は多摩美術大学美術館などに収蔵された寺田コレクションのなかから選りすぐった作品および資料約190点を展示する展覧会である。展示期間を前編(7月10日~9月20日)と後編(10月2日~11月21日)に分け、それぞれテーマを「起源」「継承」と設定し、全体を通して寺田の思考やコレクションの幅広さを示す展示内容となっている。
前編展示のテーマは「起源」であり、寺田が美術品収集を始めたきっかけや当時の思考などを表わす内容となっている。
寺田が美術品収集を始めたきっかけは、東京オペラシティ建設にあたり美術館の創設が計画され、その美術館に収蔵するための作品を自ら収集し始めたことにある。そのため、寺田コレクションは「美術館に寄贈すること」を前提として収集が始まった珍しい個人コレクションである。寺田コレクションの方向性は、画家・難波田龍起と出会ったことにより定められた。1989年に東京銀座アートセンターで開催された龍起の個展「石窟の時間」に展示された水彩画55点のうち50点をまとめて購入したことをきっかけに、作家本人とも交流を持ちながら収集が続けられた。東京オペラシティ アートギャラリーに寄贈された龍起の作品は約360点にのぼり、寺田コレクションの中核を成している。前期展示第1章「出会い 難波田龍起・史男」には、寺田が集めた龍起およびその次男である史男の作品が並べられている。龍起においては初期の具象画から独自の抽象表現の大成に至るまでの作風の変遷を辿ることができるラインナップが、また早世した史男による具象と抽象のあわいに漂う魅力的な水彩画も多数並べられ、コレクションの始まりを告げる充実した作品群を知ることができた。
龍起の作品がまとう独自の抽象性に魅せられていった寺田は、次第に「東洋的抽象」という考え方を収集におけるひとつの軸とした。白髪一雄、李禹煥、松谷武判、また郭仁植や尹亨根ら韓国の作家による無彩色または単色によるミニマルな抽象絵画の収集は、やがて白と黒のグラデーションのみで彩られた作品を軸とした「ブラック&ホワイト」の収集テーマにも発展していった。「東洋的抽象」や「ブラック&ホワイト」における抽象性や無彩色の世界は、敗戦を経験し目に見える物のリアリティが感じられなくなってしまったという寺田の人生経験に起因するところがあるという。これらの作品は前期展示第2章「『日本的抽象』から『東洋的抽象』へ」また第3章「ブラック&ホワイト 表現と非表現」に展示されていた。
2008年に上梓された『わが山河』は寺田の自然観が表現された自伝的随筆で、寺田が幼時に慣れ親しんだ開発前の武蔵野の原風景に対する憧憬が吐露されている。寺田は1945年の空襲で自宅を焼き出された際、小金井の「ハケ」と呼ばれる国分寺崖線沿いにある祖母の家に避難し暮らしていた。国木田独歩『武蔵野』や徳富蘆花『みみずのたはこと』に感化され「美的百姓」という言葉に憧れたことを動機として造園家の道へと進み、生涯を通じて日本の風土や自然への愛と畏敬の念を育んだ。寺田は東京農業大学緑地土木科(現造園科学科)および同大学農学部農業経済学科を卒業後、大学での恩師・中島健の誘いを受けて綜合庭園研究室に勤務し、造園の仕事に携わることになった。1980年に綜合庭園研究室から独立し、創造園事務所を設立。中島とともに東京オペラシティビルの植栽・管理も行なった。本展では寺田の造園の仕事に関する記録写真のスライド上映や旧蔵資料の展示もあり、造園家としての寺田の一端を垣間見ることができる。寺田が造園家として働き始めたころは開発が広がり日本の原風景が失われ始めていたころで、近代化のなかで失われていく「日本的なるもの」を収集作品に見出していた。前期展示第4章「わが山河 故郷への旅路」では中路融人や齋藤満栄による多湿な日本の山野や里山の風景などを描いた日本画が並べられ、日本の原風景に対する寺田の郷愁の念が感じられた。『わが山河』は本展図録に全文が再録されている。
後編展示のテーマは「継承」で、コレクションを次代につないでいくことの責任と意味についての寺田の考え方が垣間見られる。
寺田は戦争経験を通じて人間の不完全性や二面性に直面し、「人間とは何か」を考え始めるようになった。そんななか、都市生活者をはじめとした人間社会のあり様を描く洋画家・相笠昌義と出会い、交流を持ちながら作品を収集した。東京オペラシティ アートギャラリーで今年春に開催された「『ストーリーはいつも不完全……』『色を想像する』 ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」の最後に象徴的に展示されていた《みる人》が示すように、寺田コレクションのなかでも相笠作品は重要な位置を占める。《トップルームの寺田さん》は、東京オペラシティの54階にあった通称「寺田ルーム」と呼ばれるサロンのような一室で富士山を望む窓際に座る寺田の姿を相笠が描いた作品で、コレクターと作家の親密な交友関係がうかがえる作品である。後期展示第1章「人間 この未知なるもの」においては、相笠作品をはじめ人間の姿をさまざまな視点から描いた作品が並べられ、ある種のグロテスクさを以て人間を捉えようとしていた寺田の人間観を感じ取ることができる。
寺田はまた一方で、不可視の世界や神秘的現象を表現した作品群を「幻想美術」と名付けて収集した。敗戦を経験してリアルな現象が存在している手応えがなくなったという背景もあり、寺田コレクションには現実世界へ向けられた批判的精神が色濃く反映されたことがうかがえる。第2章「幻想美術 見えないものとの対話」においては、シュルレアリスムの技法を取り入れた川口起美雄や落田洋子らによる油彩画、武田史子による静謐で幻想的な銅版画、耽美な世界観で人気を博す宇野亞喜良のイラストなどのラインナップから、技法やメディアを限定しない柔軟な寺田の収集方針を窺うことができる。
第3章「自然の声 未来のアニミズム」では、『わが山河』にも表われているような寺田の自然観にも通底する動植物モチーフの作品が並ぶ。空き缶や食器、廃楽器などの廃材を用いてユーモラスな動物の姿を造型する富田菜摘のシリーズが目を引くが、これらの作品のなかには富田がまだ学生であった時代に購入されたものもあるそう。学生の作品も分け隔てなく収集する姿勢には、作家のネームバリューなどで購入を決めていたわけではない寺田の純真な収集方針がうかがわれる。
自然に対する寺田の思いは最終章「センス・オブ・ワンダー 最後の希望」に託される。「センス・オブ・ワンダー」は、自然破壊と化学薬品の乱用に警鐘を鳴らした『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンの遺作『センス・オブ・ワンダー』(初版:1965年発行)に基づいた概念で、著作に感銘を受けた寺田が大量購入した同書を知人に渡しまわっていたというエピソードが伝わっている。堀込幸枝、伊庭靖子、また寺田と親しく交流があったという奥山民枝らによる湿度を纏った作品からは、日本的な湿潤な気候やそこでの生活の匂いが感じられ、和辻哲郎の『風土』にも通じる世界観まで捕捉できる。また天野純治《Field of water》や市川美幸の写真シリーズ「集合の魔術」、千葉鉄也《白を越えて》など抽象度の高い作品群からは、テクスチュアや色彩、光の繊細なゆらめきに美を見出す寺田の感性を感じることができる。
本展で章立てに用いられたキーワードの数々は寺田自身がコレクションの方針として言語化し表明していたテーマであるが、個々の収集作品についてどのテーマに基づいて収集したかは明言されていないため、本展での分類は担当学芸員による推測に基づくものだという。また担当学芸員の渡辺眞弓氏によると、最後部の「自然の声」と「センス・オブ・ワンダー」は寺田自身の言葉ではなく、晩年に収集されていた作品群を表現する言葉として本展開催に合わせて考え出されたテーマであるという。
寺田小太郎のコレクター哲学
寺田小太郎は造園家として、また同時にコレクターとして独自の哲学を持っていた。それは「コレクションは造園と同じで、既存の物を集めたり組み合わせていくことで新しい世界を創り出していく。コレクションするということも創造的な営みではないかと思います」という寺田の言葉に集約されている。造園にもコレクションにも同様に「キュレーション」を見出していたと言い換えることもできるだろう。東京オペラシティ アートギャラリーでの収蔵品展の際も、寺田自ら展示作品の配置の指示を出すこともあったという。明確な収集方針を掲げてコレクションをしていたうえに、それが美術館への寄贈を前提としていたということからも、寺田は明確なコレクション哲学を持って収集活動を行なったコレクターの先駆者といえるのではないだろうか。「私はコレクションを通して自分を表現したいのだと思います」という寺田の発言も、コレクションという行為が自己を表現する方法となり得ることを認識していたことの証左である。
本展においては、単にコレクションを並べるだけでなく、寺田がライフワークとしたUFO研究に関する資料の展示があったことに興味をひかれた。この展示があることによって、コレクターの個人的内面に迫る展覧会となっていたためである。経歴やコレクションだけでなく、極めて個人的な興味関心である領域にも言及することで、個展を開く作家と同じように展覧会という舞台においてコレクターを顕彰する実例となっているからだ。
また生業としていた造園業に対しても資料の発掘や関係者インタビューなどで深掘りし、寺田の人間そのものを知ることができるとても意義深い展覧会であると感じた。本展からは、コレクター史という歴史学が研究領域として成り立つのではないかという可能性すら感じることができた。このような展覧会は稀有でとても有意義であり、「コレクター」や「コレクション」というものに目を向けさせる画期的な展覧会シリーズであるといえるだろう。
「コレクターズ」シリーズについては館ウェブサイトや図録に以下の宣言文が記載されており、コレクターを顕彰する展覧会の開催の目的やその意義について説明されている。
Series:コレクターズ/Collectors
「収集」の域を超えて芸術との関わりを生み、自らの志を波動として周囲へ影響を与えるような「コレクター」たちがいます。作家を支えつつ社会へ芸術の息吹を送る彼らは、将来アートシーンで活躍するであろう美術大学の学生にとっても重要な存在といえるでしょう。本シリーズでは、作品収集の背景にあるコレクターのまなざしや個人のライフストーリーを辿りながら、収集という行為そのものが社会をより充実させるための営みであると捉えることで、「社会におけるコレクターが果たす役割」を再考します。本展はその第2回目です。
この「コレクターズ」シリーズは今後も続けられる予定とのことなので、今後さらなる注目を集めてしかるべき展覧会シリーズとなるだろう。
寺田小太郎 いのちの記録 コレクションよ、永遠に
会期:前編「起源」 2021年7月10日(土)~9月20日(月・祝)
後編「継承」 2021年10月2日(土)〜11月21日(日)
会場:多摩美術大学美術館
(東京都多摩市落合1-33-1)