キュレーターズノート
海山ののさり(恵み)のなかで託された表現たち──柳幸典《石霊の森》/塔本シスコ展 シスコ・パラダイス
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2021年12月15日号
ハリウッド俳優ジョニー・デップ主演・制作の『MINAMATA』、それに続き、原一男監督の6時間12分の超大作『水俣曼荼羅』が公開され、2021年後半は、筆者をはじめ世界各地の人々が映画を通して水俣という土地の歴史や現在に触れる機会ができた。時を同じくして、水俣市に隣接する、葦北郡津奈木町のつなぎ美術館においても「ユージン・スミスとアイリーン・スミスが見たMINAMATA」、「柳幸典つなぎプロジェクト成果展2021 Beyond the Epilogue」が開催され、会期終了後の現在も、柳幸典《石霊の森》が引き続き常設展示されている。
公害病がもたらしてきた分断
廃校になった小学校校舎を郵便局に見立て、見知らぬ人との手紙の交換をする「赤崎水曜日郵便局」や、西野達の《達仏》などのユニークな企画で知られる同館は、今年で開館20周年を迎えた。もともと、1984年に始まった「緑と彫刻のある町づくり」の理念を継承しながら、水俣病からの地域再生と魅力ある文化的空間の創造を目的として、2008年から住民参画型のプロジェクトに力を入れている。
その開館20周年を見据え、同館が3カ年計画で行なう新たなプロジェクトの依頼をしたのが、柳幸典(1959-)だった。かつて近代化に貢献した瀬戸内海の銅精錬所の遺構を作品化した「犬島精練所美術館」や、水爆実験の過程で誕生したとされるゴジラの巨大な目が瓦礫の中から睨む「Project God-zilla」など、国家と個人、そして社会に深くコミットする作品を発表してきた柳であれば、水俣という大きな問題に対しても、忖度のない表現が期待できると楠本智郎学芸員は語る。
犬島で三島由紀夫をモチーフにしたように、日本の近代文学に深く関心を寄せる柳は、津奈木町においても、石牟礼道子作品をベースに展開する構想を最初のリサーチで持ったという。来熊時には、プロジェクトの実行委員となる地域住民との企画会議や協働作業、リサーチに関連して、2019年から各年ごとに、アーティストの西野達、小田原のどか、政治学者で熊本県立劇場館長の姜尚中などとトークを行なった。柳はプロジェクトの最初のリサーチで、これまで同地域でユージン・スミスの写真展が行なわれていないことを指摘し、それが「MINAMATA」展開催のきっかけとなった。プロジェクトが進み、実行委員との対話やリサーチを重ねるなかで、ユージン・スミスや石牟礼道子などの、直接的に水俣を題材にした表現者に対して、複雑な感情を持つ方が多数いることを柳は改めて知ることになる。
忘れたくないという人もいれば、忘れたいという人もいる。公害病がもたらした健康被害、そこから長きにわたって生じてきた偏見、差別、地域の分断。それらを目の当たりにしてきた人のなかには、寝た子を起こすな、そっとしておいてほしいという気持ちが生まれるのは自然なことだろう。しかし、私たちの身の回りを振り返ってみても、巨大地震があぶり出した原子力発電所の脅威、ハンセン病や新型コロナウイルスのような感染症の流行が起こるたびに、世界の至るところで、同じような問題が繰り返されている。
当事者や地域の方のまわりに横たわるのは、そもそも知らない人、無関心な人であり、筆者もそのひとりであった。個人的な話だが、1980〜90年代に熊本市の公立小中高に通った筆者は、四大公害病のひとつとして水俣病の名前は知るものの授業などで取り扱われる経験がなく、上京して博物館学を修め、学芸員になり作品を取り扱うようになって、ようやく水俣について学び始めた。近年、熊本市の小学5年生は全員水俣市へ環境学習に行くようになったが、そこに至るまでにはゆうに数十年の年月がかかっている。それだけ多くの人が知る状況になるには、時間が必要であり継続することが欠かせない。
石から聞こえてくる声、託された言葉たち
完成した柳の《石霊の森》は、津奈木町役場にほど近い銀杏の木立の中にある。ちょうどその場に放置されていたいくつもの石に目をつけた柳は、自然の木立と大小100個ほどの石を組み合わせたインスタレーションを計画した。そのうち、いくつかの石は中央から二つに割られ、中から音が聞こえてくる仕組みになっている。聞こえてくるのは、地域住民が朗読した石牟礼道子の詩「入魂」、「花がひらく」、「尺取り虫」、「死民たちの春」、「はにかみの国」に加え、水俣病の語り部の声、そして200年前から町に伝わる「平国六方踊り」の音声である。落ち葉を踏みしめながら、ひんやりと冷たい石のそばで耳をすますと、熊本弁のなまりを感じる素朴な声が、「私」のなかに響いてくる。その周りをぐるりと取り囲むような、それ以外の物言わぬ石たちも、語るべき何かを内に秘めながら、静かに佇んでいる。そこで自分に託された言葉の意味に、しばし思いを馳せる。次なる人たちに、私はどう語り伝えるのか。それを石たちは優しく見守ってくれるようだ。
柳は「MINAMATA」展、《石霊の森》に加えて、現在、旧赤崎小学校のプールをベースにした《入魂の宿》を建設中である。柳には閉ざされた地形の不知火海と水の循環が限られるプールとがリンクして見えたという。そこに植物の力を使って水を循環させる仕組みを取り入れ、水生植物や小さな生き物たちと一緒に宿泊するというプランを立てた。予定地を覗いてみると、周辺にはハーブなどの植物が植えられ、「植生育て隊」を中心とした地域の人々による手入れが始められている。
黄昏の光は凝縮され、空と海は、昇華された光の呼吸で結ばれる。
そのような呼吸のあわいから、夕闇のかげりが漂いはじめると、それを合図のように、海は入魂しはじめる。
油凪に光凪、ちりめん波。私たちは、石牟礼作品から、季節や時間、天気や場所によってさまざまに変化する海を語る多様な言葉を知ることができる。しばしネットから離れて、石牟礼の詩の一篇を読み、ユージン・スミスの一枚のプリントを見つめる。そして小さき生きものたちと一体となって、ともに入魂していくような、ひとときの体験ができる日が来ることをいまから楽しみにしている。
柳幸典つなぎプロジェクト成果展2021 Beyond the Epilogue
会期:2021年9月11日(土)~11月23日(火)
会場:つなぎ美術館(熊本県葦北郡津奈木町岩城494)
公式サイト:https://www.tsunagi-art.jp/event/56/
※《石霊の森》は同展終了後も常設作品として津奈木町役場付近で引き続き展示中。
https://www.tsunagi-art.jp/blog/506/
シスコさんが描いた、不知火海の暮らし
現在、2月5日から熊本市現代美術館に巡回する「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記」展の準備のただなかにいる。全国的にはまだ知る人ぞ知る存在かもしれないが、熊本出身の画家・塔本シスコ(1913-2005)の作品は非常にユニークで、50代で独学で油絵を始めた後、91歳で亡くなるまで、身近な花や生きもの、風景をモチーフに溢れ出る夢や喜びを描き、膨大な数の作品を残した。今回、担当したなかで特に発見があったのが、シスコが幼少期を過ごした宇城市松橋町での思い出を描いた一群の作品である。今年は調査のために、幾度となくこの地を訪れた。
水俣は不知火海の南側、松橋は不知火海のもっとも北側に面しており、シスコの育った東松崎地区は江戸時代に干拓によって開発された半農半漁の村であった。1927年生まれの石牟礼道子とは14歳の年の差があるが、9人きょうだいの末の妹たちと同世代にあたり、不知火海沿岸の恵みによって人々の暮らしが成り立っていたという点において、共通の原風景を持っていると言えるだろう。
熊本市現代美術館で収蔵している《ふるさとの海》は、シスコの作品のなかでも最大で、段ボールを重ねた3枚のパネルを連結させた180×270㎝サイズだが、まるでドローンで俯瞰したような視点から、不知火海沿岸の暮らしを見渡している。自宅近くの川にアミがのぼってくるのが見え始めると、父親や弟たちはそら来たと言わんばかりに帆掛け船を出して晩のおかずになる魚を獲りにいく。トンパハゼ(ムツゴロウ)が元気よく干潟を跳びまわる。天草から牛たちを乗せたベベン子丸が到着し、シスコの家の井戸水を飲んでひと休みしてから、街なかに売られていく。奥には蒸気機関車の線路が走り、子どもたちは井戸の水くみの仕事をする。家のまわりには蓮根を収穫するための蓮が植えられ、たくさんの花をつけている。プールがないので、水泳の授業が海で行なわれている。
シスコはこれ以外にも、大正から昭和にかけての農作業の様子、子どもたちの暮らしや祭りなどの様子を描いた膨大な量のスケッチを残している。ほんの数十キロしか離れていない沿岸で、これほど明暗が分かれると想像すると心が痛むが、石牟礼にしてもシスコにしても、海山ののさり(恵み)のなかで、いかに自分たちが生かされているかということを強く意識したのだろう。その実感を文や絵を通じて人々に伝え、残していきたい、そんな同時代の切実さが感じられてやまない。
塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記
会期:2022年2月5日(土)〜 4月10日(日)
会場:熊本市現代美術館(熊本県熊本市中央区上通町2番3号)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/tomotoshisuko/