キュレーターズノート
漂流のゆくすえ──「もしもし」から「てくてく」へ
中谷圭佑(京都芸術センター)
2022年09月01日号
東京の大学院を卒業し、京都市の中心部にある旧い小学校を改修した文化施設、京都芸術センターのスタッフとして働き始めてから5カ月が経つ。移り住んだ京都のむせ返るような夏の暑さには未だに慣れないが、アシスタントキュレーターではなく「アートコーディネーター」という聞き馴染みのなかった自らの役職名にはやっと慣れてきた頃だ。
私が京都芸術センターのアートコーディネーターとして現在担当している事業のひとつに、2022年10月1日(土)から始まるミーシャ・ラインカウフ「Encounter the Spatial ─ 空間への漂流」がある。本事業は、今年で13回目を迎える「KYOTO EXPERIMENT(以下、KEX) 京都国際舞台芸術祭 2022」のプログラムのひとつとして企画されている展覧会だ。
認識を拡大するような作品と出会う実験の場
2010年より京都市内で開催されてきたKEXは、その名の通り国内外の「EXPERIMENT(エクスペリメント)=実験」的な舞台芸術を扱う芸術祭だ。ただし、KEX2010からKEX2019まで10回にわたりプログラム・ディレクターを務めた橋本裕介が初回の挨拶文のなかで明言している通り、この舞台芸術祭はただ「実験演劇を紹介するためのフェスティバル」ではない。
KYOTO EXPERIMENTという名称は、敢えて訳せば「京都の実験」ということになる。もちろん、作品の実験性は重要なファクターだが、いわゆる実験演劇を紹介するためのフェスティバルではない。KYOTO EXPERIMENTでは、いま・ここという<現在>を知的な企みによって再考し、そしてその認識を拡大するような作品と出会う実験の場をつくり出すために構想された。世界はここだけではない。変化を恐れることなく、時間や空間に対する多様なヴィジョンを、出会わせ/衝突させ/対話させる、という実験を舞台芸術によって行うのだ。そしてそれが単に密室の実験室ではなく、<外>へ向かって開かれた場で、立ち会ったそれぞれの人に対して問い返されるような場でなければならない
。KEXはその設立当初から、観客、アーティスト、作品に関わるあらゆる人々が分野横断的に出会い、対話し、思考する場としてのフェスティバルを志向してきた。そのため、狭義の舞台芸術である演劇やダンスに限らず、音楽、美術、デザイン、建築など、ジャンルを越境した実験的表現が世界中から集められてきたのである。これまで京都芸術センターは、主催者である京都国際舞台芸術祭実行委員会の一員として、このフェスティバルの運営に携わってきた
。そのような背景もあってか、これまでKEXにおける展覧会企画には、上演プログラムとしての性格が与えられながらも、狭義の舞台美術を相対化するような視点が組み込まれてきたように思う。それはただ「展覧会」を用いることで、いかに近代的な西洋演劇の形式から逸脱するか、というだけではない。国際舞台芸術祭として、いかにローカルな身体性や物語をグローバルな状況へと接続していくか、ということが京都を舞台に考えられてきたのである。
演者不在のライブ・パフォーマンス
そうして2010年から着実に運営されてきたKEXはいま、大きな転換期のなかにいる。主な要因は他でもない、2020年に始まり、未だに出口の見えないコロナ禍の状況だ。
KEXが川崎陽子、塚原悠也、ジュリエット・礼子・ナップの3名の共同ディレクターによる新体制へと移行したのはKEX2021 SPRINGからのことである。KEX2019を最後に橋本がプログラム・ディレクターを退任することを受け、2019年の4月には新たな共同ディレクターチームがKEX2020に向けて始動していた。しかし、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を受けKEX2020は延期を余儀なくされ、2021年の春と秋の2回開催に至ったのだ。同じ年の春と秋に開催されるのは2016年以来のことだった。
渡航制限が比較的緩和された2022年現在においても、フェスティバルは継続の危機にさらされ続けている。コロナ禍における経済状況の変化が大きく影響し、フェスティバルの運営主体である実行委員会が担う予算はコロナ前と比べて半分程度減少した。その一方で、コロナ対策のみならず、不安定な世界情勢や、円安の影響もあり、渡航費は高騰の一途をたどっている。国際舞台芸術祭という存在は、困難な状況に立たされているのが現状だ
。しかし、組織の変化のタイミングでのコロナ禍という困難な状況が、KEXにおける実験を活性化させ、好意的な転換をもたらした側面もあるのではないだろうか。展覧会ではないが、ここで取り上げたいのがKEX2021 AUTUMNにおいて上演された「Moshimoshi City ~街を歩き、耳で聴く、架空のパフォーマンス・プログラム~」だ。岡田利規、神里雄大、中間アヤカ、ヒスロム、増田美佳、村川拓也が参加アーティストに名を連ねたこのプログラムは、受付で手渡された地図を頼りに京都市内の指定された場所を参加者が訪れ、そこで自らのスマートフォンか、貸出の音声機器で朗読を聴くというものだった。朗読されたテキストは、参加アーティストたちがそれぞれ執筆した架空のパフォーマンス作品の構想である。
これまでビデオ・インスタレーションなどといった方法で展示室の内で行なわれてきた演者不在のパフォーマンスが、都市空間を舞台に、イヤホンから流れる音声によって上演され、観客の想像力によってその土地の風景の中に立ち上がっていく。このような観客のフェスティバルへの参加の方法はまさに、共同ディレクターたちによって語られた「未完成の地図を観客に渡して、そこから自分で道を探してほしい」「余白のあるフェスティバルになるといい」という思いが結実した、実験結果のひとつだったのではないだろうか
。長く暗いトンネルの先へ
前回のKEX2021 AUTUMNでは、コロナ禍で急速に増えたオンラインのコミュニケーションのなかで、身体的表現のひとつとしての「声」に着目し「もしもし?!」というキーワードが掲げられた。今回のKEX2022では、また別の原初の身体的表現として「歩く」ということを取り上げている。コロナ禍という長く暗いトンネルを抜けるための今年のキーワードは「ニューてくてく」だ。
共同ディレクターチームが、このキーワードとともに今年の展覧会で紹介するのは、ドイツ、ベルリンを拠点に活動するアーティスト、ミーシャ・ラインカウフである。ラインカウフは自らの足で世界中のさまざまな場所を実際に巡り活動を行なってきたアーティストだ。彼はときに地下へと潜り、さらには海の中までも歩く。
本展で紹介する2つの映像作品、《Fiction of a Non-Entry(入国禁止のフィクション)》と《Endogenous Error Terms(内生的エラー)》は、一見するとどこか遠い別の世界の景色を映しているように思える。だが実際は、そのどちらもが普段私たちの目に触れないところで日常を支えているはずの、国境と、インフラなのだ。2つの作品を通して私たちが疑似体験するのは、単に心地よく穏やかな風景ではない。ラインカウフの実体験によって明かされているのは、日常の裏側に人知れず存在する、不安定な領域なのである。
ラインカウフは、リサーチのすえに出会った、そのような私たちの周縁に存在する知られざる領域のことを「空間(the Spatial)」と呼び、自らの個展のタイトルを「Encounter the Spatial」と名付けた。そして、京都芸術センターで開催する展覧会としてこのタイトルの和訳を考えることになった私は、これに「空間への漂流」という副題を付けることにした。
本来、直訳するのであれば「空間との遭遇」が適切ではあるが、代わりに「漂流」という言葉を使ったのには理由がある。そのひとつは、ラインカウフが自らの制作手法の参照点のひとつとして、「シチュアシオニスト」の理論と実践における「漂流(デリーヴ)」をあげていたことだ。
「漂流(デリーヴ)」とは、フランスの思想家・映画作家、ギー・ドゥボールによって1957年に結成された「アンテルナシオナル・シチュアシオニスト」と、その名を冠した機関誌のなかで提唱された概念である。パリを中心に繰り広げられ、1968年の五月革命にも大きな影響を与えたシチュアシオニストたちの前衛活動は、第二次世界大戦後の加速する消費社会をいかに批判するかということに主眼を置いていた。彼らが行なったさまざまな実験のひとつである漂流もまた、そのような社会背景において都市を新しい視点から見直すための方法だったのだ。
漂流、というと当てもなくふらふらと歩くような印象を受けるが、シチュアシオニストの漂流は「旅や散策のような古典的概念とまったく逆のもの」であるとドゥボールは言う
。都市のゾーニングから逸脱しながら、身の回りの環境の感覚的・社会的な特徴を捉えなおし、再構築するために歩くのだ。一般的な観光とは異なり、あらゆる要因をつぶさに観察し、即興的、意図的に身をゆだねる漂流という歩き方は、無意識に通り過ぎていた都市空間や社会制度の隙間の発見を可能にする。私には、ラインカウフが自らの制作活動を言い表わした「Encounter the Spatial」というタイトルを、いかにフェスティバルの観客に向けて開かれたものにするか、という目論みがあった。そのためラインカウフの視点から見た結果としての「遭遇」ではなく、そのプロセスである「漂流」に着目したのである。
プロセスへの着目は、共同ディレクターチームが執筆した最初の挨拶文にも記されている。KEX2021 SPRING のディレクターズ・メッセージには「認識を拡大するような作品と出会う実験の場」というKEXの根底にあるコンセプトを引き受けながら、フェスティバルを<外>へ向かってどのように開いていくか、ということが次のように示されている。
実験的表現は、ひとつの形を規定するのではなく、常に変化を続けていくものでしょう。まさにその変化し続ける表現のあり方こそ、「いま」を規定することなく複数の形で具現化しながら、未来に向けてさらなる変容を続ける可能性を秘めているものだと信じます。その変容のプロセスにみなさんと共に参加していくことこそ、このフェスティバルの目的であり、これからの新たな挑戦を共有し、共にエクスペリメンタルな日々を過ごすことを楽しみにしています
。「もしもし」という線的な繋がりから、「てくてく」という面的な拡がりへ。2010年から脈々と受け継がれ、転換期のなかで変化し続けるKEXの実験性は、2022年の京都においてどのような新たな視点を浮かび上がらせるだろうか。さらにはKEX2022の先において、どこへ向かっていくのだろうか。
いよいよ1カ月後に開幕する展覧会が、ただパフォーマンスの記録映像の上映として展示室の内に限定されるのではなく、広義の舞台芸術の実験として、展示室の外の世界へと続いていくことを期待したい。KEX2022というフェスティバルの出発地点のひとつとして、京都芸術センターに足を運んで頂ければ幸いである。
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 公式サイト:https://kyoto-ex.jp/
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2022
ミーシャ・ラインカウフ「Encounter the Spatial ─ 空間への漂流」
会期:2022年10月1日(土)~2022年10月23日(日)
会場:京都芸術センター ギャラリー北・南
(京都府京都市中京区室町通蛸薬師下る山伏山町546-2)
KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2021
AUTUMN Moshimoshi City 〜街を歩き、耳で聴く、架空のパフォーマンス・プログラム〜
会期:2021年10月8日(金)~2021年10月17日(日)
会場:京都市北区、左京区、中京区、南区内全9箇所