2022年10月01日号
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キュレーターズノート

日本の80年代美術展を展望する

中井康之(国立国際美術館)

2022年09月01日号

ここ数年にわたり、日本の80年代美術を主題とした、あるいは同80年代の作品が主体となった展覧会が連続して開催されてきた。コロナ禍が世界を覆い尽くして3年目となる2022年6月から8月にかけて兵庫県立美術館で開催された「兵庫県立美術館 開館20周年 関西の80年代」によって、その連鎖はとりあえず終止符が打たれた(と思う)。ところで、同展タイトルにも謳われているように、日本の80年代美術は特に関西を中心に特徴的な動きを見ることができた現象であったといえるだろう。そのような地域特性を反映するかのように、この連続した80年代展は日本の地方都市と海外という、日本の戦後文化の中心地である東京を避けるようにして開かれた。その事実を確認するためにも、巡回展を含めて、展覧会名、会期、開催場所を展覧会ごとに列記してみよう。


「関西の80年代」会場風景[撮影:髙嶋清俊]

1968年──もの派からの視点

「起点としての80年代」2018年7-10月、金沢21世紀美術館。「起点としての80年代」2018年11〜12月、高松市美術館、2019年1〜3月、静岡市美術館。「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」2018年11月〜2019年1月、国立国際美術館。「バブルラップ」2018年12月〜2019年3月、熊本市現代美術館。「パレルゴン:1980年代、90年代の日本の美術」2019年2〜5月、ギャラリーBlum & Poe(ロサンゼルス)、2019年4〜5月(同展、同時開催)、Nonaka-Hill(ロサンゼルス)、そして「関西の80年代」2022年6〜8月、兵庫県立美術館

2018年という年は、1968年から半世紀が経過した年である。そしてその1968年に、パリで学生・労働者・市民による反政府行動が勃発した。「5月革命」である。アメリカのベトナム反戦運動や西ドイツ・イタリアの学生運動と連帯したその一斉蜂起運動は、高度資本主義による管理体制を批判する社会変革闘争の様相を帯び、ド・ゴール政権は翌年退陣に追い込まれた。同時代、日本でも当時の社会制度や政治体制に対する「異議申立て」運動がさまざまなかたちで勃発する。日本大学で学園民主化を求めて日本大学全共闘が誕生し、東京大学でも医学部インターン問題に端を発した東京大学共闘が結成された。それらの個々の動きは連帯を組むようになり翌1969年には全学共闘会議(全共闘)が組織化された。そのほかにも社会では、「ベトナムに平和を! 市民連合(ベ平連)」の運動が高揚化し、三里塚闘争(新東京国際空港建設反対運動)等、混迷を深めていた時代であった。

新しい美術運動(前衛美術運動)は、このような社会的異議申立てに沿うよう誘われるように生み出されることがある。「規制の権威に公然と異を唱え、ときに暴力的な手段に訴えても、未知なる領域へと突き進もうとする情熱において、両者は時代を分かち持っていた」(四方田犬彦「<1968年>には何が起きたか」『1968[1]文化』(筑摩書房、2018、24頁)★1

引用した図書を編集した四方田は、1968年を時代背景として生まれた文化動向を9つのジャンルで取り上げ、それぞれに対象となるテーマに長けた者をラインナップしている。最初に取り上げられているジャンルは「美術」で、椹木野衣が2年後に控えた日本万国博覧会を21世紀の文明を指し示すような成功を実現するために、それまで「思想的変質者」扱いされていた前衛美術家たちが、潤沢な予算を政府から提供されて動員されたことを指摘している★2

もちろん、カウンターとしてダダカンやゼロ次元による「ハンパク」運動も紹介することによってバランスを取りながら、次に1968年の美術領域に生じたひとつの出来事として「もの派」も登場させる。但し、現在、戦後美術に親しむ者が認識する同動向の重要度に比べると、その扱われ方は高くはない。むしろ低いと言えるだろう。例えば、同じ著作者の主著『日本・現代・美術』(新潮社、1998)では一章が割かれて著されていることに対して、椹木が担当した章のなかに記された「もの派」は、「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」(1968)や「第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ) 人間と物質」(1970)と同等の扱いとなり、同箇所の挿図も「トリックス〜」展会場写真となっている。そのような外型的扱われ方の相対化ばかりではない。その内容としても、「もの派」の誕生を象徴的に表わす《位相-大地》(1968)に対して「地面の凹凸を土砂の移動によって一時的に隣接させ、トポロジーを連想させるかたちで連続/不連続させた作品は、のちの『もの派』が前面に押し出すような端的な物質性とは、むしろ対極にある知覚遊戯的な作品であった」★3という、これまでの多くの評論家たちとは明らかに異なる評価を下しているのである。

『日本・現代・美術』が『美術手帖』に連載された期間は1996年7月号から1997年6月号であり、「もの派」に関する論考「『もの派』と『もののあはれ』」が掲載されたのは1997年1月号である。およそ2年前、1995年2月から12月まで、日本国内の公立美術館4館によって、本格的に「もの派」を紹介した展覧会★4が開催された後の判断であり、同点では《位相-大地》は、大きな複製写真に過ぎず、十分な再現には至っていなかったかもしれない。いずれにしても、椹木のこの論考については、最後にあらためて取り上げることになる。

2000年代から振り返る80年代

80年代展の話題から入り、1968年という時代──それは「もの派」が誕生した年でもあるのだが──に言及してきたのは、「起点としての80年代」展カタログのあいさつ文(「はじめに」)の同展企画意図に、海外で(特にアメリカ合衆国で)「もの派」「具体」そして「戦後美術」が本格的に紹介され、また、(以下は、直接触れている訳ではないが)村上隆自身によって企画された展覧会「SUPER FLAT」展が日本を皮切りに、ロサンゼルス現代美術館(2001年1〜3月)、ウォーカー・アート・センター、ミネアポリス(2001年7〜10月)、ヘンリーアートギャラリー、シアトル(2001年11月〜2002年3月)と巡回して、成功を収め、日本のアニメ文化を背景とした現代美術が受け入れられている状況が背景にあり、「今日の美術につながる要素を80年代に探るというアプローチを採用した」★5

私は、(日本という国の)今日の美術というものが指しているのは、その前提としてアメリカにおける50-70年代の日本美術の紹介であるのなら、村上によってアメリカで「スーパーフラット」という概念で消費された日本のポップアートから派生した作家や作品を捉えるべきだと思うが、同展のカタログでは、その点は違う様だった。

次に、国立国際美術館で開催された「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」展は、タイトルにもあるように「関西ニューウェイブ」といわれた動向を前提として組み立てられたものだろう。同展カタログのあいさつ文、企画者テキストには、関西ニューウェイブの登場に関して、その発生したダイナミズムは隠蔽されてしまっているが、実は同カタログの後半に掲載された谷新の論考★6で、滲み出るような表現で丁寧に解き明かされている。そのような叙述となったのは展覧会構成の違いによる部分もあるだろう。先の「起点としての〜」では、19人の作家を4つのテーマによって分類して紹介するという構成展になっていたが、「ニュー・ウェイブ〜」では1980年から基本的には80年代各年、制作年順に作品を見せるという地道な方法を取っている。ストイックな表現から次第にイメージを色彩が回復し、サブカルチャーが混入し、遂にはそのサブカルチャーのポップな要素が、作品本体を変容させていく様子が生き生きと実感できた。谷新の論考は、70年代の作品がどの様な関係性を持ち、ダイナミズムが生み出されたのかを、一個一個の作品を丁寧にたどりながら解き明かしている。

冒頭でも記したように、同展開催に続くようにロサンゼルスのギャラリーBlum & PoeとNonaka-Hillで「パレルゴン:1980年代、90年代の日本の美術」が開催された。展覧会構成はホームページ等のメディアによるもので類推するばかりなのであるが、絵画、彫刻から写真、映像も紹介し、パフォーマンスやノイズミュージックの再現まで実現したようである。企画者である吉竹美香が同展カタログに著しているように「1980年代から1990年代にかけての日本の美術は、モノ派からネオ・ポップの出現までの時代をつなぐ芸術的実践の断面図を示すとともに、欧米の文化生産がポストモダニズムの到来を特徴とする中で、日本独自の位置を切り開いています」★7とそのフレームワークを明確に述べている。また、これらの展覧会が開催されている同時期に熊本市現代美術館において、村上隆が所蔵している作品によって80年代作品展(「バブルラップ」展)が開催されていたことも記録として残しておくべきだろう。

「関西の80年代展」について

さて、ようやく兵庫県立美術館で開催された「関西の80年代展」である。展覧会のホームページを見ると、ここまで紹介してきた80年代展と大きく異なるところは、「関西ニューウェーブ」を謳っているところである。同館の前身である兵庫県立近代美術館で1975年から1988年に毎年開催していた「アート・ナウ」が、「関西ニューウェーブ」という動向の一翼を担っていた自負があるからだろう。同ステートメントから少し長くなるが引用しよう。「70年代の禁欲的な傾向とは一転、心躍る色やイメージにあふれた作品群は、ニッポンの片隅で美術作家として何を作りどう生きていくのか、大いに悩みつつそれぞれのリアリティを掘り下げた成果であり、結果的に現代にまで引き継がれる数々の表現語彙を生み出しました」

70年代の禁欲的な表現という「フレーム」を前提に、やはりこの展覧会の最初のセクションは「Ⅰ.フレームを超えて」であった。但し、その最初の枠付けを担う作家が、この「関西展」では、堀尾貞治と榎忠という、文字通り型破りな活動を貫き通した2人であった。彼らの行為が、展示エリアの廊下部分に写真資料によって紹介されていた。このような日常に非日常が唐突に生み出された芸術が、超えるべき関西の現代美術界の70年代であったとするならば、東京のあるいは欧米の、概念的な表現や、美術館やギャラリーではない日常的な場所で繰り広げられる表現行為等を知る暇もなかったかもしれない。



堀尾貞治活動記録写真 1970年代末〜80年代 一般財団法人堀尾貞治記念会蔵
「関西の80年代」会場風景[撮影:髙嶋清俊]



榎忠活動記録写真 1970年代末〜80年代 作家蔵
「関西の80年代」会場風景[撮影:髙嶋清俊]

次のセクションは「Ⅱ. インスタレーション─ニューウェーブの冒険」。やはり、関西ニューウェーブと言えば「インスタレーション」だろう。杉山知子が画廊空間で繰り広げたインスタレーション作品を同サイズの空間で再現していたのは見事で、これまでに紹介してきた「80年代展」では実現できなかった。それは既成の展示手法、展覧会構成全体を考えたときに破綻を生み出す要因となり得るからである。しかしながら、この「関西展」では敢行している。しかも隣接した空間には石原友明による画廊空間に展開したインスタレーションを再現していた。



杉山知子《the drift fish》(1984)作家蔵 兵庫県立美術館での展示風景
[撮影:髙嶋清俊]



石原友明《約束II》(1984/2022)高松市美術館・作家蔵 兵庫県立美術館での展示風景
「関西の80年代」会場風景[撮影:髙嶋清俊 © Ishihara Tomoaki]

次のセクション「Ⅲ. 『私』のリアリティ―イメージ、身体、物語」は、森村泰昌の現在につながるセルフ・ポートレートの最初の作品《肖像(ファン・ゴッホ)》(1985)。いま初めて森村の作品を見るデジタル世代は、画像処理による作品として見逃してしまうかもしれないが、森村は現在でも可能な限り自らを物理的に変装させて、その変わり果てた姿をストレートフォトで撮ることを原則にしている。そこに「関西」のフレームワークを体現する榎忠の「Bar Rose Chu」を思い起こさない関西人はいないだろう。



正面:森村泰昌《肖像(ファン・ゴッホ)》
「関西の80年代」会場風景[撮影:髙嶋清俊]

最後のセクションは「Ⅳ. 『私』の延長に」。この主題は私が個であるか集団であるかによってさまざまに展開されていくと思うのだが、関西では数名のユニットによる発表を続けている美術家が少なくないように感じている。森村泰昌がアーティスティック・ディレクターを務めたヨコハマトリエンナーレ2014では林剛+中塚裕子《法と星座・Turn Coat / Turn Court》(1983-85/2014)が紹介されたが、今回の関西展ではやはり京都アンデパンダンを舞台に大規模な装置を設置して発表を続けたKOSUGI+ANDO(小杉美穂子+安藤泰彦)の《芳一 ─物語と研究》(1987/2022)は、ひととき美術館の展覧会であることを忘れて、KOSUGI+ANDOの世界に浸ることができた。



KOSUGI+ANDO(小杉美穂子+安藤泰彦)《芳一 ─物語と研究》(1987/2022)作家蔵 兵庫県立美術館での展示風景
[撮影:髙嶋清俊 © KOSUGI+ANDO]

私は「関西の80年代展」において、何らかの枠組み、展覧会を貫くひとつのメッセージのようなものを見つけることはできなかった。しかしながら、上記してきたように、関西の作家たちが作り上げてきた意志の一つひとつを大切にすることによって、その当時、それぞれの作家たちの息遣いを感じ取れるような空間が各所に生まれていた。

さて、本稿の比較的最初の箇所で、椹木野衣が《位相-大地》に対して「知覚遊戯的な作品であった」★3と述べていたことを指摘した。「もの派」を研究する者にとってはその「知覚遊戯的な作品」という表現は、関根が《位相-大地》を生み出す前に手がけていた半立体作品「位相No. X」シリーズに対して用いる表現である。《位相-大地》は、そこから一転して物質的な世界観を表わし、その場に対峙し、その作品と出会った関根伸夫、吉田克朗、小清水漸、李禹煥らが、物質的「もの派」作品を提示していったのである。もし、仮に、大きなフレームワークを考えて作り出された展覧会で、最も重要な作品が、その作品の持つ意図とは異なる、または逆のメッセージを与えるような事態になったら、その大きなフレームワークは意味をなさなくなる、と「関西の80年代」展を回想しながら考えた。



「関西の80年代」会場風景[撮影:髙嶋清俊]


★1──同書はたまたま2018年に出版されたが、いわゆる「1968年本」は2010年に10冊以上刊行された(『朝日新聞』2010年12月4日朝刊)
★2──椹木野衣「美術 祝祭、狂乱、流転」『1968[1]文化』(前掲、pp.32-50)
★3──同上、p.43。但し、椹木が『日本・現代・美術』で一章を割いたとはいえ、椹木以前の評論家、峯村敏明や千葉茂夫のように、戦後日本美術に於ける時代を画した運動体であるといった評価を与えるといった立場ではなく、彼らが「つくらないこと」によって示したあたらしい世界は、「つくらねばならない」という近代の呪縛からの「解放」に由来するものである、といった論理で解析した論考であり、「もの派」の作家たちが戦後日本美術において果たした役割は等閑視されている。
★4──「1970年──物質と知覚:もの派と根源を問う作家たち」展。岐阜県美術館、広島市現代美術館、北九州市立美術館、埼玉県立近代美術館で開催された。
★5──「はじめに」『起点としての80年代』展カタログ(金沢21世紀美術館ほか編、2018、p.4)
★6──谷新「80年代美術をめぐって/その隆盛と社会に開かれたアート─〈ポストモダン〉を超える〈オルタナティブ〉なステップ」「ニュー・ウェイブ現代美術の80年代」展カタログ(国立国際美術館、2018、pp.113-126)
★7──Mika Yoshitake, "Parergon: Japanese Art of the 1980s and 1990s", Parergon: Japanese Art of the 1980s and 1990s,Skila editore S.p.A., 2020, p.10


兵庫県立美術館 開館20周年 関西の80年代

会期:2022年 6月18日(金)~8月21日(日)
会場:兵庫県立美術館
(兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1)


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