キュレーターズノート
「集団N39」展
伊藤匡(福島県立美術館)
2009年12月01日号
対象美術館
岩手県花巻市の東和町では、今秋も「街かど美術館 アート@つちざわ」が開催されたが、今回のレポートでは、東和町の萬鉄五郎記念美術館で開催されている「集団N39」展をご紹介する。
「集団N39」は、1960年代に岩手県内で活動した美術集団である。N39とは盛岡の緯度北緯39度に由来する。この集団の誕生にはひとつの逸話があった。発端は、1962年に盛岡市で行なわれた「1人の詩人8人の画家と1人の芸術家 舞踊家による 盛岡4月8日の日曜日」と題された舞踊と芸術による一日限りのイベントである。岩手の現代美術に衝撃を与えたこのイベントのメンバーを含む芸術家たちが、翌63年に「今日の美術」展を開催し、同年末頃から「集団N39」を名乗るようになる。やがて、活動が年1回の展覧会に終始するようになって運動の停滞を感じたメンバーたちは、1969年12月に解散して「集団N39」としての活動に自ら終止符を打つ。その後メンバーはそれぞれ独自の活動を展開し、岩手県内の若い作家たちに影響を与え続けた。
この展覧会では、「集団N39」のメンバー16人の平面、立体合わせて150点以上の作品が展示されている。広くはない会場は過密状態で、壁面は天井間際まで作品で埋まっている。エントランスホールには、大きく引き延ばされた「盛岡4月8日の日曜日」の記録写真を背景にして、柵山龍司の鉄製の作品が置かれ、このグループの結成の経緯を端的に示している。展示室では、作品そのものよりも使われているさまざまな素材に目が行くかもしれない。例えば、大宮政郎作品の金網、ホース、ビニール、橋本正作品の粗い布、村上善男作品の注射針や道路測量用の棒、田村富男作品の太いロープ、杉村英一作品のステンレスなどである。
過剰といいたいほどにものが貼りつけられている作品からは、作家たちが新しい素材の導入を梃子にして、新時代の美術を切り開こうと格闘した情熱が感じられる。一方では、色彩や形態をクールな情熱で探求している作家たちもいる。各作家がそれぞれの造形的課題を突き詰めようとしている。作品の鑑賞者との対話など全然頭にない「前衛」芸術家の気迫と孤独が横溢している。
これほど傾向の異なる作家たちが、なぜひとつのグループをにまとまることができたのか不思議だが、それは40年後の今日の見方であって、当時は個人の創造を超えた、集団による「美術運動」の可能性が信じられていたからだろう。ほぼ同時代に活動していた阪神の具体美術、福岡の九州派のグループなどとの比較考察は今後の課題だが、この展覧会は1960年代の日本美術に「集団N39」の位置づけを迫るものである。美術が熱く、そして難しく語られていた時代の余熱が、いまでも伝わってくる。