キュレーターズノート

‘文化’資源としての〈炭鉱〉展

山口洋三(福岡市美術館)

2010年02月15日号

学芸員レポート

 仕事柄、福岡ゆかりの、つまりいわゆる「ローカル」な作家およびその遺族の方々との付き合いが生じる。他地域の学芸員の方々にもこの仕事があると想像される。皆さんはどのように接しておられるのか。九州派を生んだ福岡といっても、作品のレベルは、美術大学などが充実している大都市に比べ高くないので、作品に出会う喜びはさほどでもない。若手の展覧会には失望することが多い。とはいえ、私はあまりこれが苦痛ではない(正確にいえば、苦痛がなくなってきた、というべきか。慣れていくのが、自分でもわかる……)。物故の作家のアトリエには発見がある。先日、数十年前に亡くなった画家のご遺族より寄贈の申し出があり、遺された作品の調査に伺った。アトリエには油彩や水彩が並んでいたが、レベルはアマチュアよりは上だが、美術館の常設にはとても向かない程度のものだった。しかし、すべての作品がきちんと額装されていて、画家の作品への愛情を感じた。題材は風景と人物が多く、その風景の多くが海外のものだった。頻繁に海外に取材旅行に出ていたらしい。東京で発表することは数回しかなく、ほとんどの展覧会が福岡市内で行なわれていた。晩年まで絵筆を離すことはなかったらしいが、年譜をみると、40歳前後で仕事を辞め、画業に専念する決心を固めている。作品が売れていたわけではないのに、である。その後、(幸いにも?)作品もそこそこに売れ、個展も毎年のように開いていたようだ。彼を慕っていた方も多かったと聞く。特に名声を欲していた様子は見られない。幸せな画家人生だったに違いない。画家の「成功」とはなんなのだろう。〈炭鉱〉に関わった画家のこととあわせて、考え込んでしまう。

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