2020年10月15日号
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キュレーターズノート

落石計画

鎌田享(北海道立帯広美術館)

2010年08月01日号

 北海道東部の根室市落石岬にて2008年より毎夏、井出創太郎と高浜利也、ふたりの美術家によるアート・プロジェクト「落石計画」が続けられている。ふたりは今年も7月下旬に現地入りし、1週間ほどの作品制作を経て、8月1日から5日まで展覧会を開催する。


左=旧・落石無線送信所跡(現・池田良二スタジオ)、外観(2009年8月)
右=同、内部(2009年8月)

 北海道の東端に位置する根室半島。その付け根の太平洋側にこぶのように突き出して落石岬はある。かつてここには落石無線送信所があった。1908年に開設されたこの施設は、千島列島やカムチャッカ半島との、さらには広く北太平洋航路を航行する船舶や航空機との交信拠点として重視されてきた。しかし1960年代半ばにはその役割を終えて閉鎖。鉄筋コンクリート造りの建物は、周囲の草はらになかば埋もれ、時の経過のなかで朽ち果てつつあった。近年これを、根室市出身の銅版画家・池田良二が個人スタジオとして活用している。「落石計画」は、歴史の重みを背負ったこの近代遺構を舞台に展開されている。
 井出創太郎と高浜利也はともに1966年生まれ、腐蝕銅版を主たる表現媒体として制作を続けてきた。2003年からは共同で作品制作やワークショップを展開。「落石計画」は、ユニット「井出創太郎+高浜利也」の4番目のプロジェクトであり、2008年より3年計画で進められてきた。第1期となる一昨年には、地元の小中学生を中心としたワークショップを開催。翌年はふたりの公開制作・作品展示に加え、前年スタッフとして参加した大学生ら若いアーティストによるグループ展と、ふたりの先達たる池田良二の作品展を開催した。
 これらと並行してふたりは、旧・落石無線送信所の建物内にプロジェクトの中核となる作品、対話空間「茶室」の制作を続けている。この茶室は縦・横・高それぞれ3mほどの木組みの小部屋。その外壁は井出・高浜おのおのの銅版画を刷り込んだ一辺10cmの石膏キューブで覆われ、四畳半の内部空間は銅版画の廃版で埋められるという。


対話空間「茶室」(2009年8月)

 落石におけるこのプロジェクトは、いわゆるサイトスペシフィックな試みである。
 近代以降の美術は大筋において、その自律性を志向し、かつ基盤としてきた。「美」は他のいかなる価値基準からも独立した指標であり、作品は唯一無二のこの指標にのみ寄って立つものとされた。そしてこの自律的な美術作品を公開する場として、いかなる意味性をも排除したニュートラルな空間、ホワイトキューブとよばれる展示空間が発明された。
 近年各地で盛んに試みられているサイトスペシフィックな作品群は、こうした自己充足的で特権的な美術のあり方に対する異議申し立てとして注目を集めている。作品とそれが展開される特定の場との関わりが重視される。場=サイトが備えた自然環境や歴史背景や空間特性が、作品のコンセプトや構造を決定していく。
 それは確かに今日的な美術のあり方を示唆するものではあるのだが、クラシカルな美術館学芸員としては、サイトスペシフィックにも(というよりはその隆盛振りにも)いくつかの陥穽があるのではないかと、皮肉交じりに思わないでもない。
 ひとつには、サイトスペシフィックなアートの訴求力は、アートから生じているのか?サイトから生じているのか?という点である。ホワイトキューブとは異なる、ある種強烈な個性やクセを備えた建造物なり空間なりは、それ自体が見る者に大きな衝撃を与える。そしてこの衝撃は時に、肝心の作品自体の印象をも飲み込んでしまいかねない。私見ではあるが、特異なサイトに設置された作品の印象は、三割方増強される……。しかしこれはサイトの力である。アートであり人為物であるかぎり、所与の空間が備えた衝撃から作品自体が立ち上がってこなければならない、はずである。「場」に「作品」が喰われてしまっては、本末転倒であろう。
 もうひとつはサイトへのアプローチの仕方が、ある種の話法に収斂してはいないかという点である。サイトスペシフィックなプロジェクトのコンセプトシートではしばしば、「場の特性を読み解く」「歴史と記憶を掘り起こす」といった文言を目にする。もちろんそうなのだろうが、サイトとの関わり方が郷土史的な定型句にばかりとらわれるのだとしたら、やや食傷の感をぬぐえない。もっとも作品を成立させるためのより重要な点は、サイトへのアプローチの方向ではなく、その深度にこそあるとは思うのだが。

 さて「落石計画」である。落石岬の夏は、いくら北海道とはいえ肌寒く、しばしば海霧に覆われるその景色は、どこか異界じみた印象さえ与える。そのただなかに建つかつての無線送信所は、表面の漆喰もなかば剥げ落ち、廃墟のごとき佇まいをみせる。自然環境からも歴史背景からも、極めて強い磁力を発するサイトであり、この磁力が井出と高浜を惹きつけ、制作への衝動をもたらしたことは疑うべくもない。
 聞けば高浜は、もう二十年余りも前、大学時代に池田良二に連れられてこの地を訪れたという。一方の井出は十年ほど前に同じく池田より、銅版の廃版を使って茶室をつくらないかと、持ちかけられたという。できすぎた話と聞こえるかもしれないが、「落石計画」の出発点はここに求められる。このプロジェクトは長い熟成のときを経て、ようやく着手されたのである。さらに今年は三年計画の最終年、プロジェクト終了の年にあたるわけだが、当初の予定にとらわれず今後も落石での活動を継続していくという。そしてこの間ふたりの意識は、サイトへの関わり、地域への関わり、また従来の個々の作品との連関などへと、派生的に広がりつつ深化している。
 サイトスペシフィックな作品は、なによりもまずその場への衝動を契機として発生するものであろう。しかしその衝動を作品へと昇華するためには、その場に深く長く沈殿する必要がある。サイトとの息の長い「対話」を続けることで、所与の衝撃を超克し定型句への回収を忌避する「落石計画」の行く先を、注視する次第である。

落石計画第3期:井出創太郎+高浜利也「版/対話空間」

会場:旧・落石無線送信所跡/現・池田良二スタジオ
根室市落石西244-4
会期:2010年8月1日(日)〜8月5日(木)

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