キュレーターズノート

山下清 展──歩き描いた49年

鎌田享(北海道立帯広美術館)

2011年02月01日号

 昨年12月からこの1月にかけて、北海道立釧路芸術館において「放浪の天才画家:山下清展──歩き描いた49年」が開催された。この数年来、全国各地で開催されている展覧会ではあるが、この機会に思うところを記しておきたい。

 山下清は、1922年に東京に生まれた。幼少時の大病の後遺症から言語障害と知的障害を発した山下は、1934年に千葉県市川市の養護施設・八幡学園に預けられる。そしてここでの教育の一環として、“貼り絵”と出会うことになる。山下の作り出す貼り絵の数々は、八幡学園の顧問医・式場隆三郎の目に留まり、また早稲田大学ほかで開かれた八幡学園園児の作品展においても高い評価を受けていった。一方で山下は八幡学園を生活の拠点としながらも、1940年から54年までたびたび放浪の旅に赴き、全国各地に足跡を残した。特異な美的資質と、放浪・奇行。このふたつの“異質さ”ゆえに山下清は、広範囲な知名度を博する一方で、長く美術の傍流に位置づけられてきた。今回は特に山下清の生み出した作品と美の“特異さ・異質さ”を巡って考えを巡らせたい。
 山下清の作品に早くから着目した式場隆三郎は、精神病理学を専門とする医師であるとともに、文芸分野にも関心をよせた人物である。彼の業績のひとつにファン・ゴッホの書簡訳出が挙げられるが、これは創作活動と精神病歴との関わりに注目した式場ならではのものである。さらに式場は、柳宗悦をはじめとする民藝運動の主導者たちとも、交流を持った。民藝運動は、文化財的な工芸作品よりも日用雑器のうちに独自の美を求めたものであり、ここでも式場ならではの脱領域的な関心のありようが伺える。式場が山下清の作品に関心を示したのも、こうした背景があってのことである。
 この200年余り、私たちは“西洋的近代合理主義”を絶対的な指標として、社会の枠組みを構築し、個々の振る舞いを規定してきた。美術の世界でも、その構造は変わらない。「作品は作家の思考の発露である」という、多くの人が承認するであろう言説ひとつとっても、人間の理性に最大限の信頼をおく西洋近代的価値観のあらわれである。今日私たちが了解する美術作品とは、理性的・近代的・西洋的な意志によって作者が生み出した創造物にほかならない。そしてここから逸脱する領域は、“正統なる美術”の枠外におかれることになる。原始美術や民族芸術、子どもたちの作品や障害者の作品が、それである。
 一方でこれらの“非正統なる美術”は、“正統なる美術”を揺り動かし活性化する存在として注目されてもきた。フランスの画家ジャン・デュビュッフェは、精神病者が生み出す特異な視覚表現に強い衝撃を受け、1945年からフランス各地の病院や監獄を訪れて作品の蒐集を続けた。患者や囚人をはじめ正規の美術教育を受けたことのない人々の生み出した作品を、デュビュッフェはアール・ブリュットと名付けるとともに、そこから多大なインスピレーションを得た制作を行なっている。また、ピカソにしろミロにしろ、あるいはコブラの画家たちにしろ、彼らは原始美術や世界各地の民族芸術、子どもたちの作品から多くの発想を得たことは周知の事実である。前出の式場隆三郎の視点も、これらと重なるものといえる。
 しかしながら“非正統なる美術”そのものは、依然として枠外におかれ続けてきた。そこからインスピレーションを受けた作品が、作者の意思と思考を背景としているがゆえに美術として評価の遡上にあがる一方で、その源泉となった原始の、民族の、子どもの、そして障害者の作品は同じ価値基準によって査定することが不可能であったがためである。


山下清展、展示風景

 しかしながらである。山下清の作品そのものを前にしたとき、私たちはそれが示す極めて意識的な創造性を認めないわけにはいかない。彼が貼り絵をはじめて間もない時期につくったとおぼしき虫をモチーフにした作品では、頭・胸・腹の三部からなる体節や六本の脚は胸から生えるといった昆虫の構造が正確に表わされている。貼り絵の技術は稚拙ながらも、山下が対象を写実的かつ意識的に描写していることがわかる。また1940年代までの精緻を極める貼り絵にしても、紙の貼り方の規則性や方向性に明瞭な意志を見て取ることができる。さらにいえば、後年、山下の作品はある種の様式化・類型化を示すのであるが、そのことすら合理的な意志の介在を思わせる。山下清の貼り絵は、彼固有の意志の産物と、想定されるのである。問題となるのは、山下の意志や理性が、私たちが所与のものと考えている西洋近代合理主義のそれとは別の相貌を備えているというだけのことである。
 山下の作品を巡って話をしているときに、「山下清はアウトサイダー・アートだ」とその美的位置づけを一言のもとに片付けられたことがある。これとは逆に、障害者の作品をノーマライゼーションやボーダレスの概念に基づきながら、いわゆる“美術作品”と同基準で評価し、さらには「病んだ現代社会に元気を与える福音」として称揚するケースもある。前者は正統なる美術とそうでないものを厳然と峻別する姿勢であり、後者は正統なる美術の枠内にそうでないものを位置づけようとする理念である。いずれにしてもそこには依然として“正統なる美術”の影がつきまとう。これこそ、近代の呪縛にほかならないのではないだろうか。
 山下清の作品を、その特異さを認めたうえで評価の遡上にあげるためには、評価の基準そのものを見直すほかない。意志とはなにか? 理性とはいかなるものか? それを掘り下げることは、美術とはなにかを問い直し、その領域を今日的な意味で拡張するために欠かせない道程なのであろう。

山下清展──歩き描いた49年

会場:北海道立釧路芸術館
釧路市幸町4-1-5/Tel. 0154-23-2381
会期:2010年12月3日(金)〜2011年1月23日(日)