キュレーターズノート
サイモン・スターリング──仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)/AICHI GENE: some floating affairs
能勢陽子(豊田市美術館学芸員)
2011年03月01日号
サイモン・スターリングは、広島市現代美術館で個展を開催するにあたり、館所蔵のヘンリー・ムーアによる《アトム・ピース》を軸に、過去から現在へと、世界の各都市にまたがって重層的かつ複雑に展開する、壮大な物語を作り出した。それも、日本の伝統的な芸能である能のかたちを借りて。
6点の木彫と2点のブロンズの仮面、それにシルクハットが、暗い展示室の中にぼんやりと浮かび上がっている。それらの面の主は、おそらくほとんどの人にとって、映画『007』の主人公ジェームズ・ボンドと、ケンタッキー・フライドチキンの創立者である真っ白に漂白されたようなカーネル・サンダースくらいしかわからないだろう。美術愛好者なら、白髪の翁がヘンリー・ムーア、ブロンズ彫刻の仮面がムーア作の《アトム・ピース》だとわかるかもしれない。しかし、これらの面になんらかの共通点を見出そうとしても、その糸口を探し出せる人はほとんどいないだろう。それでもそれらの登場人物は、スターリングによって綿密に、周到に、関連付けられているのである。“それぞれの隠されたキャラクターによって”。だから、もともと二重性を孕んでいる仮面がここに選ばれているのだろう。本来のっぺりとしているはずの能面が、彫りの深い西洋人の顔に取って代わっていることも、かなり奇異な印象を与える。そしてそれが、そこに隠された奇妙な二重性を効果的に伝えてくる。一瞥したところでは到底わからない複雑な物語、この奇妙な違和感の正体を追っていくことが、この作品を読み解くことに繋がる。
そこに居並ぶ面は、能の演目のひとつ『烏帽子折』の登場人物に準えられている。『烏帽子折』は、元服した姿に変装して東国に向かおうとする牛若丸が、盗賊を倒す物語である。能面の反対側に設置されたスクリーンには、面の主達のドキュメントや面の制作過程が流れており、また展示室を出たところに、〈面の主達/『烏帽子折』の登場人物〉を紹介するパネルが掛かっているので、なんとかそこで構築されているストーリーを追うことができる。主人公である「牛若丸」の役目をはたすのが《アトム・ピース》、そして『烏帽子折』のなかで彼の逃亡を助ける「烏帽子屋の亭主」役がヘンリー・ムーアである。
広島市現代美術館が所蔵する《アトム・ピース》が、かつて広島市の議会で物議を醸したことがあった。それは反核の象徴と謳われていたムーアの《アトム・ピース》に、「原爆賛美」の疑いがあるというものだった。これとまったく同じ形状の作品がシカゴにあり、そちらは《ニュークリア・エナジー》と呼ばれていて、これは物理学者のエンリコ・フェルミ(「六波羅の早打」役で登場)の核分裂連鎖反応の制御の成功を祝うためにつくられたことが判明したのである。《アトム・ピース》は、「反核」作品なのか、それとも「原爆賛美」作品なのか。まったく相反する意味合いを持つかもしれない美術館の所蔵作品を軸にこの作品はできあがっている。ムーア、そして彼を取り巻く人々を探るうち、その相関関係はより複雑な様相を呈してくる。ムーア自身は、優れた芸術家であったと同時に、政治的な面でもきわめてうまく立ち振る舞うことのできる人物であった。彼は美術批評家ハーバート・リードや、美術史家アンソニー・ブラントなど、美術の史上・市場両面で影響力を持ちうる人物と近しい関係にあり、だからこそ彼の作品は、世界中の美術館で観ることができるのである。もちろん、ここ日本においても。広島市現代美術館と同様に、豊田市美術館の庭にも、ムーア《座る女:細い首》が恒久設置されている。そしてアンソニー・ブラント(「烏帽子屋の妻」役として登場)について辿るうち、この物語はまるで推理小説を読むようにスリリングになってくる。ブラントは英国王室の絵画鑑定官であり、カナダの美術館がムーアの作品を大量に収蔵する際の立役者にもなった人物である。その彼が、じつはソビエトのスパイだったという一大スキャンダルを持っていたのである。同じ架空のスパイである「三条の吉次」役のジェームズ・ボンドは、映画『ゴールドフィンガー』で、ソビエトの経済破壊の危機から世界を救う。「熊坂長範」役のジョゼフ・ハーシュホーンは、ムーアの一大コレクターであったが、原爆製造に使われたカナダのウラン採掘で巨額の富を成した人物であった。それぞれの人物像を追い、その関連性をみていくと、そこにはひとつの共通点がみえてくる。それは彼らが冷戦構造を背景にして、もうひとつの顔を持っていたということであった。
「仮面劇(マスカレード)のためのプロジェクト(ヒロシマ)」は、スターリングの豊かなイマジネーションにより壮大に、複雑に繋げられているが、しかしそれは単なるファンタスティックな空想ではない。それは政治と芸術両面に跨る、非常にリアルで本質的な問題を孕んでいる。政治における二極性を示していると同時に、芸術、もしくは芸術家の二面性を映し出してもいるのである。同じ作品でも、作家の姿勢、それがつくられる背景により、「反核」にも「原爆賛美」にもなりうる。私たちは、ムーアを戦後に活躍し始めた作家たちのなかでも、とりわけヒューマニスティックな彫刻家と位置づけてなかっただろうか。豊かな量塊を持つおおらかな人体、また包容力を感じさせる母と子の像に、同時代のベーコンやジャコメッティとは異なる、戦後の肯定的なヒューマニズムを読み取っていたはずである。そのムーアの別の顔がみえてくることは、私たちにとって一種の衝撃であり、これまでの芸術や芸術家に対しての認識に亀裂が入り始めることにならないだろうか。
本展においてスターリングは、展覧会を行なう場と自らの作品とのあいだに、また現代に生きるイギリス人である自身と過去に日本で起きた悲劇とのあいだに、どのような関係性を見い出せるかということを、詳細なリサーチをもとに丁寧に考察している。そしてそれが自らと過去の悲劇との点と点だけの繋がりではなく、継続する歴史のスパンのなかでとらえられていたから、現在においてその作品をみる意味が何重にも生じてくる。そしてなにより、広島市現代美術館が所蔵する1点の作品を軸に、政治と芸術の二面性に関わる問題が、これだけクールに展開されていたことが、じつにスリリングであった。
サイモン・スターリング──仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)
学芸員レポート
この原稿を執筆している現在、豊田市美術館では計4本の展覧会を観ることができる。印象派・近代日本画から現代絵画までの幅広い分野にわたって豊田市内の企業コレクションを紹介する「Art in an Office」(2011年1月8日〜3月27日)、船をテーマに現代美術コレクションを展示する「浮船」(2011年1月8日〜4月3日)、江戸の絵師・画家であった「柴田是真──伝統から創造へ」(2011年2月19日〜4月3日)、そして主に愛知県立芸術大学出身の作家たちを紹介する「AICHI GENE: some floating affairs」(2011年2月23日〜3月6日)である。
「AICHI GENE」展について紹介すると、この展覧会は愛知県立芸術大学芸術資料館の企画によるもので、大学のアウトリーチ活動として行なわれているものである。愛知県立芸術大学の資料館、清須市はるひ美術館、次いで当館で展示を行ない、展示する空間に合わせて作家や作品を変えている。豊田市美術館での出品作家は阿部大介、安藤陽子、井出創太郎、城戸保、坂本夏子、谷村彩、鈴木雅明、丹羽康博、細井博之、山田純嗣ら県芸の卒業生に、上田暁子、長谷川冬香が加わり、計12人である。全体を“儚さ”というテーマで緩やかに繋ぎ、美術館の展示室のみでなく、図書館やレストラン、茶室の空間を効果的に活かして展示を行なっている。活躍している作家も多く含まれており、見ごたえ十分の好企画。会期は短いが、ぜひ足をお運びいただきたい。