キュレーターズノート
風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから/サイモン・スターリング展、来年度予告:ヒロシマ賞受賞記念展
角奈緒子(広島市現代美術館)
2011年03月15日号
対象美術館
シンガポールではビエンナーレがオープンし、インターネットを通じて華々しいニュースや画像が飛び込んでくる一方、テレビでは、日本の関東から東北にかけて太平洋側の地域を襲った大型地震と大津波の速報──次第に明らかになる被害の模様と、それに付随して起こった福島原発事故の的を射ない状況説明──が延々と続く。この二つの出来事を並行して見ていると、原因があるわけでもなんの根拠があるわけでもないが、いまのアジアの情勢、パワーバランスが見えてくるようにも思うのは、皮肉にとらえ過ぎだろうか。
アジアの経済的成長は、アートシーンの急激な成熟をも助長したが、国によってその歩みの速度はそれぞれ異なるゆえ現在のアジア地域には、古くから存在する文化の違いのみならず、成熟度や発展の速度とそのベクトルに起因するいろいろな様相が見られる。その複雑な多様性に分け入っていくにはどのようなやり方が可能かつ有効なのか? その試みに挑戦したのが、大阪の国立国際美術館にて先日オープンした「風穴」展である。この展覧会は、「もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」という副題から推測できるように、「アジア」の「コンセプチュアリズム」という切り口を突破口とする。「コンセプチュアリズム」という言葉を聞いたとき、美術史、すなわち正統とされる美術の文脈を知る人間ならば、そのタームが概念や思考などの観念的側面、文字や記号といった既成のイメージを扱ったアート、例えば古くはデュシャンのレディ・メイド、また、ジョセフ・コスースやフルクサスの活動など、「西欧」における動きを指してきたことを思い起こすだろう。しかし、「アジア」に着目するこの「風穴」展は、上記の例のような西欧的視点からの「コンセプチュアル」解釈ではなく、特に90年代以降に見られるようになる日常性や身体といったキーワードも取り込んだアートを含め、同時代の動向や今日的な意味において広く「コンセプチュアリズム」をとらえ直し、既存の社会的枠組みを問題視するものだという。アジアに出自をもち、制度批判的な立場から制作する9組の作家の作品や行為を紹介しているが、ここでは特に私の印象に残った3名を取り上げたい。
中国の作家、邱志傑(チウ・ジージェ)はひときわ目を引くインスタレーション《Diploma No.5》を出品していた。壁一面に貼られた賞状、向かいの壁には無造作に置かれたようにも見える段ボール製の切り抜き文字、影絵のような映像を映し出すスクリーンとそのまわりに飾られた衣類のような布やフェイクとおぼしき農作物。その雑多でにぎやかな様子にまず面食らい、しばらく思考停止状態で呆然と立ち尽くしてしまうが、ふと我に返り、壁面の賞状を注意深く見てみると、すべてに立派な橋が描かれていることに気づく。中国近代化の象徴のひとつとして知られ、「達成」や「成功」を意味するこの南京長江大橋は、自殺の名所としても知られているという。チウは、近代化を目指し邁進する巨大国家、中国に生きる人々が味わう栄光と挫折という両側面を「長江大橋」というモチーフに見いだした。にぎにぎしい外見とうらはらに、この作品は声高になにかを糾弾するでもなく静かに、しかしながら確実に、力強く、中国の現状を映し出す。
以前、堂島リバービエンナーレ2009で、映像インスタレーション《農民とヘリコプター》を見て以来、気になっていたベトナム出身作家、ディン・Q・レーの作品をここでまとめて見ることができたのは大きな収穫であった。ベトナムではもはや誰も気にも止めないほど、日常の風景にとけ込んでいる「もの」や「形」に着眼した今回の作品に、前述の映像作品のようなドキュメンタリー性は見られないものの、身近な事象や人物に取材し制作するという彼の姿勢を見て取ることができる。「バイク修理屋の看板」にヒントを得て、スタイリッシュな「ミニマル・アート」よろしく完成させた《夜の後光》は、両者の形の類似性をユーモアたっぷりに提示すると同時に、人々の日々の営みと西洋美術史とのあいだの垣根を一気に取り去り、価値の問題をも鋭く問う。
タイの作家、アラヤー・ラートチャムルーンスックの映像「ふたつの惑星」シリーズは、青空の下、チェンマイの村人たちに19世紀フランス絵画の複製を見せ、その前で絵画について自由に会話をしてもらう様子を映像におさめた作品である。いわゆる名画を目の前に、思い思いに感想を口にする村人たちの会話は本当に他愛ない。会話につながるあらゆる糸口は、自分たちの身の回りの出来事から引き出され、話題はそのまま世間話へとすり替わる。それもそのはず、彼らは西洋美術史における印象派の位置づけはもとより、その絵画が名画として知られていることすら知らず、その絵画についてのあらゆる言説から自由なのだ。いかなる固定観念にも縛られることのない彼らのコメントは素直であり素朴であるがゆえ、純粋なおかしみを誘発すると同時に、絵画を知らない彼らの無知を無意識にせよ哀れんだことに気づいた鑑賞者の心には、なんとも形容しがたい後味の悪さも残すのではないだろうか。
年)ほか
そのほかにも、韓国の作家ヤン・ヘギュ、日本からは木村友紀、島袋道浩、プレイ、contact Gonzo、展覧会印刷物やサインのデザインを担った立花文穂らが参加している。
この展覧会、「コンセプチュアリズム」という言葉の広い解釈に若干疑問の余地は残らないでもないが、誤解を恐れず言えば、偏狭な「コンセプチュアリズム」の定義に固執することで、ダイナミックなアートの表現の可能性を見落としたり、そのあらゆる解釈に対する柔軟性を失ったりしないように、というメッセージにも受け取れる。新しい空気を不意に送り込んでくる風の通り道、風穴は案外近くに空いているのかもしれない。
穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから
学芸員レポート
当館では現在、ターナー賞受賞作家、サイモン・スターリングの個展を開催中である。鋭い洞察力と入念なリサーチに基づいて作品を制作するスターリングは、「広島」という都市での個展に際し、当館が所蔵するヘンリー・ムーアの彫刻《アトム・ピース》に着目した。この彫刻作品とムーアを取り巻く人物相関図は、能の演目『烏帽子折』のストーリーを借りて展開される。その詳細は、豊田市美術館学芸員の能勢陽子氏がレポートで取り上げてくださっているのでここでの言及は避けるが、一読のうえ、ぜひ展覧会会場にてスリリングな物語をご堪能いただきたい。
年度末を迎え、どの美術館も次年度スケジュールに向け猛ダッシュで準備を始めているに違いない。そこで来年度のラインナップからひとつ。2011年は、三年に一度開催される「ヒロシマ賞」の年である。第8回受賞者は、「愛と平和」のメッセージをさまざまなかたちで発信し続けているオノ・ヨーコ氏。7月末より当館にて開催予定の受賞記念展では新作の発表も期待される。夏の時期、ぜひお見逃しなく。