キュレーターズノート
すべての人々へ希望、そして光を──八戸ポータルミュージアム「はっち」オープン/渡辺郷「After us the deluge」@Midori Art Center (MAC)
日沼禎子(元・国際芸術センター青森、現在、女子美術大学准教授)
2011年04月01日号
2011年2月11日、青森にまたひとつ、新たな文化施設「八戸ポータルミュージアム[はっち]」(以下「はっち」)がオープンした。メディア、バリアフリー、市民活動支援などに取り組み、新しい文化施設・活動のありようを示した「せんだいメディアテーク(smt)」が昨年10周年を迎えたことも記憶に新しいが、「はっち」では、そうした先進事例に加え、八戸の新たな魅力を掘り起こすことを目的に、産業や人を含む地域資源に目を向けるという、極めて今日的な活動に取り組む。まちづくり、文化芸術、観光、ものづくり、子育てなど、市民生活、活動をサポートするとともに、独自の視点によるアートプロジェクトを企画実施し、地域の人々とともに生き、育つ場としての役割を発信しようとしている……。
こうした書き出しで、順当にレポートをするはずであった「はっち」オープンのニュース。しかし、3月11日、あの未曾有の大地震は起こった。東北・関東地方太平洋沿岸部は津波による甚大な被害を受け、八戸市も例外ではなかった。中心市街地は深刻な被害は避けられたものの、港湾エリアは大打撃を受け、さらに青森県内全域で電気、水道、ガスなどのライフラインが途絶えた。「はっち」は被災者の受け入れ場所として施設を開放、一時は約300名もの市民が身を寄せた。筆者は、オープニングプロジェクトのひとつである「八戸レビュウ」を当サイト上でレポートするため、12日の取材を予定していた矢先の出来事であった。ようやく訪れることができたのは、展覧会最終日の16日。燃料不足や節電のため、青森県内のみならず、国内のいたるところで文化施設が臨時休館やイベント中止を余儀なくされるなか、「はっち」は節電のため時間を短縮しながら開館し続け、訪れる人々を暖かく迎え入れていた。
さて、「はっち」の施設概要、オープニング関連記念イベントなどについては、公式サイトを参照していただくとして、ここでは「八戸レビュウ」を紹介する。このプロジェクトは八戸の「八」にちなみ、88人の市民ライターが八戸市在住のさまざまな人々を取材して書き上げた88のストーリーをもとに、気鋭の写真家が写真撮影するというもの。参加した写真家は当代注目の梅佳代、浅田政志、津藤秀雄の3名。また、市民ライターへの文章指導を『海猫ツリーハウス』で第33回すばる文学賞を受賞した木村友祐(八戸市出身)、クリエイティブ・ディレクターの佐藤尚之が担当。モデルとなる人々は市民ライター自らが選ぶ、あるいはスタッフによってマッチングされ、昨年8月頃から丁寧な取材が行なわれた。孫が農家の祖母への思いを紡ぎ、娘が父の働く姿を追い、あるいは高校生が歓楽街・みろく横町の名物ママの心意気を伝える。そして三人三様の写真家たちが、そうした人々との出会いにシャッターを切る。梅佳代はモデル本人が好きな場所に共に訪れ、一瞬の表情をスケッチしていく。浅田政志は取材テキストをもとにした、フィルムスティルのような劇的場面を提示する。津藤秀雄は、被写体とじっくり向き合いその内面までも深く表わそうする。映し出された市井の人々の日常、夢、希望、そして愛が、写真と400字のテキストによって語られていく。個々のテキストはグラフィティ風にパネルに手描き、あるいはショッピングバックを模したカードボード、また三社大祭の山車をつくる職人の手によってつくられた、八戸名物「南部せんべい」の模型にカリグラフィされるなど、一つひとつ手に取り、感じることができるような工夫と遊び心が溢れている。このプロジェクトは、「はっち」開館前から数年にわたって行なわれた市民ワーキンググループの活動から生まれたアイデアを膨らませたものだという。そうした経験の積み上げによってつくられた市民、アーティスト、スタッフのフラットな関係が、このプロジェクトを成功に導いた。「八戸レビュウ」が見せてくれたものは、250名以上の八戸市民たち一人ひとりの、過去・現在・未来の姿であり、私たち一人ひとりの「生」、そしてなによりも人と人との絆なのである。
88の物語、そして笑顔は、多くの人々の心に希望という光を灯すだろう。あえて追記することを許していただきたいが、現在、「はっち」文化創造ディレクターの吉川由美氏は、宮城県を拠点に数年来ともにプロジェクトを進めてきた南三陸町の復興支援に奔走している。そしてまた、冒頭で触れた「smt」は震災で大きな被害を受けながらも、スタッフが全力で復興に向けて行動している。私たちの命は繋ぎ、繋がれ、そして前進する。必ず私たちは共にアートという希望の光を掲げ、再生することを、ここに誓おう。
オープニングプロジェクト「八戸レビュウ」
学芸員レポート
「初日しか見られないんですよ」という意味深なメッセージをMidori Art Center (MAC) 住民(キュレーター)の服部浩之氏から受け、なんとか駆けつけてみる。ギャラリーの中央には、私たち青森の人間にとって切っても切り離せないもの、古くからの友人、そしてときには大いなる敵にもなる、まさしく「雪」の塊が鎮座している。「なんだ、雪像じゃないか」。確かにそうなのである。直径2m、高さ1.5mのほぼ円柱をベースにした塊の周囲には、作品名の《After me the deluge》というテキストが彫られ、その溝の階層にミニチュアの作業車が置かれている。また、周囲のビデオ映像には、車窓を通り過ぎる終わりのない雪景色や、除雪作業の様子が流れている。良い意味で、なんだか木で鼻をくくられたような気持ちで会場を見まわしていると、まるで舞台美術家のような風情の男性を発見。それが渡辺郷氏である。渡辺は「作品のため、あるいはアートのための作品はけっしてつくらない」(MACフライヤー、服部氏の言葉より)という。極めて即興的にあるいは演劇的に、ここと誰かとのあいだに、あるものを持ち込んだりずらしたり、一緒に考え、眺めてみること。そのためにここで選ばれたのは、まさしく私たちの日常である「雪」と「仕事」と「風景」の関係。そうした渡辺を舞台美術家のようだと感じたのは、とても自然な印象だったのだな、と我ながら思った。
翌日、雪は融け、そのタイトルのとおりMACは洪水になった。「me」は、床掃除をやらされる羽目になった、MAC住民の服部氏というオチまで付いてしまったのだから。2日間だけのドラマの後には、苦笑と、楽しい冬の青森の思い出が残された。