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今、アート購入に注目が集まるのはなぜ? その2──データとアートフェアの現場から見えること
墨屋宏明(アート東京 マーケティング&コミュニケーションズ統括ディレクター)
2018年09月15日号
対象美術館
現代美術のアートマーケットは国際的に好況が続いているが、日本のアートマーケットはいわゆるバブル崩壊以降は低成長が続く。しかし日本最大級のアート見本市「アートフェア東京」の来場者数と売り上げは伸びているという。このギャップはなぜか。アートを買って楽しむ文化は徐々に広がりつつあるのか。アートフェアを主催する「一般社団法人アート東京」マーケティング&コミュニケーションズ統括ディレクターの墨屋宏明氏に、アートマーケットをめぐる概観と合わせて聞いた。(編集部)
アートマーケットをめぐる空気
──まず、これまで発表された2回のレポート(『日本のアート産業に関する市場レポート2016』『日本のアート産業に関する市場レポート2017』
)について伺います 。特に2017年のレポートは、政府の貿易統計なども引用しつつ、バブル期以来の美術品の取引の推移のグラフが載っていたり、また「美術品コレクター」と「美術愛好家」をピックアップして、その傾向の違いを分析したりしていて、興味深く思いました。レポートを拝見すると、全体として美術品市場は大きく成長しているとは言えない状況だと思いますが、一方で最近現代アートを中心として美術品の購入への関心の高まりは様々な形で報道されるようになっていますし、またアートフェア東京の入場者数・売上高も順調に伸びているようです。このギャップはどこにあるのでしょうか。墨屋──アート市場、アートマーケットの話題は一般の新聞やメディアに出るようになりましたね。私どもアート東京が2016年から始めた市場調査で客観的な数字を公表しはじめたのもそのひとつですが、いままでアートワールドの中だけで流通していた情報が徐々に外に開かれてきたことや、やはり全体として以前よりも「アートマーケット」がポジティブな話題として語られる空気になってきたことが考えられると思います。
──本題に入る前に、アート東京という団体について少しお伺いします。かつてアートフェア東京やその前進のNICAFを運営していた団体からの流れもあり、現在アートフェア東京を主催しているアート東京についても「あそこは画商の団体でしょ」と思っている人も、まだまだ多いのでは?
墨屋──この数年アート東京は、日本のアートマーケットのプラットフォームとしてアートフェア東京を開催するほか、市場調査や様々な事業への取り組みを通じて徐々に、活動領域を広げています。
例えばアートフェア東京2018では、作品の売買の場だけではなく、この機会に海外から来る美術関係者への紹介の場として、2つの展覧会を併催しました
。ひとつは若手人材の育成を目的とした、芸術系の6つの大学の学生による「Future Artists Tokyo ─スイッチルーム─」です。6人の学生キュレーターが12人の学生作家をキュレーションしました。今後は更に参加大学を増やしていきたいと考えています。もう一つは文化庁と共同で主催した「World Art Tokyo ─パンゲア・テクトニクス─」です。国際的な経験を持つ日本人の若手キュレーターによる9カ国のアーティストの国際展を行いました。この2つの展覧会には、未来のアートシーンを発信するという共通の役割を持たせています。アートの評価は、文脈的にも経済的にも、国際的な株式市場と少し似ているところがあり、国際的な評価に至らない、自国内のみの評価では、価値を成り立たせる基盤が弱いことがあります。自分の国や近隣の地域だけで価値が認められていても、そこで経済危機が起きたときに価値を支えてくれる人たちがいなくなってしまうからです。そこでこうした国際的な展覧会を通じた文脈や価値の発信が重要になるわけです。とはいえ、ただ世界の多様なアーティストを出して並べだけでは、評価に乗りません。そこで文化庁と共同で、日本を国際的な文化発信の拠点とし、ヴェニスビエンナーレのようなある種の定まった評価軸を作る新しい国際展をアジアに作るという志を持ち、国際的な経験を持つ次世代キュレーターがキュレーションしました。時間はかかると思いますが、日本は工芸や古美術の文脈もあり、豊かな自然やアジアの中での環境意識の先進性がありますし、震災への対応も各国が注視しているという状況があります。そのため日本からも独自の評価軸を作れる可能性があると感じています。
アートフェア東京2018への出展は国内15都市、海外14都市から、さらに93の大使館・海外文化機関と4つの地方自治体に後援していただきました。国の省庁も文化庁だけではなく、内閣府、外務省、経済産業省、厚生労働省、観光庁にも後援をいただきました。取り上げてくれるメディアも、アート関係の専門メディアだけではなく、ファッションや経済誌など、より広いジャンルのメディアから取材の申込みを受けるようになってきています。
──関係先や反応の広がりは、入場者数や売上の増加とともに、アートフェアへの関心の高まりを示しているといえそうですね。
墨屋──そうですね。アートは社会にとって広く共通の価値あるものというポジティブなイメージが少しずつ浸透してきていると思います。なかでもアートフェアは誰でも気軽に参加できるという点で、オープンな機会を提供している場としてとらえられるようになっているのではないでしょうか。
今後も日本から未来のアートシーンを創っていくために、アートフェアという場を活かして、さまざまな方々と協力を続けていきます。
──ちなみに、アートフェアへの協賛以外に、アートに対して企業からの関心も高まっているのでしょうか?
墨屋──はい、アートへのさまざまな関心を持つ企業から、アート東京へアプローチいただく機会も増えています。お話を伺っていると、ビジネスとフィランソロピーを区別しあえて切り離していたかつての「企業メセナ」と違い、「アートの力を企業の内外で経営に活かして行こう」「ブランドイメージ向上につなげたい」という大きな流れを感じます。先日、アートパトロンをたたえる国際的な賞である「モンブラン国際文化賞」を受賞した寺田倉庫などもその例ですが、ベンチャー企業や、海外進出を計画している企業、日本国内でイメージを高めたい外資系企業など、さまざまな企業が関心を高めています。中には組織内部で人事部が活用している例もあります。国際的成功を積みあげてきたあるメーカーでは、創業者が美術館まで作ったコレクションについて、企業文化の継承のため、「なぜ創業者はそれを買ったのか」を理解するという趣旨で、若手社員が学ぶ機会を設けているそうです。
アートを購入する人の傾向
──では、本題である購入への関心について、2017年のレポートでは、市場規模などの調査と別に行われた調査で、美術展を見に行く回数や美術品購入件数といった調査項目から、30代・40代に絞って、過去3年間に美術品を10万円以上購入した「美術品コレクター」(になりえる層)と、年4回以上ミュージアムには行くが作品購入経験のない「美術愛好家」をピックアップして、その傾向の違いを分析するというユニークな調査がありましたね。
墨屋──コレクターもアートファンも言うまでもなく多様ですが、何か共通点や違いが傾向として把握できないかと調べてみました。するとアートファンとアートコレクターはいくつかの質問で比較的顕著に違うポイントがありました。
例えば重視する価値観。美術愛好家が相対的にコレクターより強い傾向が見えたのは「人並みの暮らしをする」「世間のしがらみから距離を置いた暮らしをする」といった項目。逆にコレクターがアート愛好家に比べて強かったのは「都会で常に刺激的な暮らしをする」「グローバルに活躍をする」「社会的な地位・影響力を持つ」といった、ある面で上昇志向の強いビジネスパーソンのような項目でした。
──こうした傾向が数字で示されると興味深いですね。少し前まで高級車などに向かっていた関心がアートに向かって来ているのでしょうか。あるいは、ある程度資産を持つ個人が不動産だけではない多様な金融資産を持つことが一般的になってきたため、資産ポートフォリオの中に楽しめるものも入れておきたいということでしょうか。
墨屋──価値観が変わっているとしたら、誰もが分かるものよりも、より自分にとってのみ面白いものが欲しいという気持ちでしょうか。高級品市場でも、以前より既製品の価値は下がってきているように思いますし、高額でないものでも、刺繍などの手芸・クラフトを楽しむ人は増えているようです。それに、投資を考える余裕のある世代や層の方からすると、いまは何を投資したらいいか迷ってしまう時代。少し上の世代までは、資産がある人は基本的に株と不動産を買えば資産を守れたし、増やせました。しかし、いまは社会が成熟してしまって、右肩上がりの時代のように「他の人が持っているものを自分も欲しい」と追い求める時代が終わってしまったのかもしれません。
価値観が多様化していく中で、自分のアイデンティティが以前より重要になっています。だから、お金を持っていようといまいと、世の中に一つしかないものを求める人が増えてきます。ただし、もし買うのであれば、当たり前ですが価値が下がりにくい、国が違っても信用があるもののほうがいいと考えるのも自然ですから、作品の価値の信頼感を上げる取り組みが継続されているマーケットに関心が集まるのではないでしょうか。
アートフェアという形式の可能性
──どうしてもギャラリーは敷居が高いと感じがちですが、アートフェアはある意味で大型の展覧会とも似ていますし、安心感もあり、お祭り的な雰囲気もあって必ずしも買わなくてもいいという空気があるので、参加しやすいですよね。買える展覧会として、アートフェアがもっとあちこちで頻繁にあればと思います。3331 ART FAIRもローカルをテーマにしていましたが、参加しやすい形で地域色が出てくると面白いですね。カオス*ラウンジの現代美術ヤミ市、中崎透のスーパーローカルマーケットのように、アーティストの側から仕掛けるものも出てきていますが。
墨屋──オークションもオープンなマーケットですが、アートフェアはもっとオープンでさらにハードルが低いのではないでしょうか。アートバーゼルが香港やマイアミで展開しているように、国内でも東京以外の地域で開催されるアートフェアにも可能性を感じています。札幌や大阪のホテル型アートフェアも継続していますし、金沢の「KOGEI Art Fair Kanazawa」も2年目が開催され、盛り上がっているようですね。また、「アートを買って楽しむ文化」を広げるために、調査で「作品保有における課題」としてアートコレクターが困っていることを調査して公開したり、アートフェア会場で配布するフリーペーパーでも作品購入の疑問に答えています
。──芸術祭が全国に広がり、体験型・参加型のもの、屋外のものなど多様なアートとの接点が増えてきたことで、アートフェアへの関心も高まってきたのかもしれませんね。ちなみに現代アート以外の作品への関心はどうでしょうか。
墨屋──「日本のアート市場に関する調査2017」の結果をみても、陶芸、日本画、工芸、掛軸・屏風、書などの、特に日本文化を感じられる美術品ジャンルは、市場全体の中で変わらず大きな割合を占めています。アート東京は10月に開催される東美アートフェアにも企画協力していますが
、そちらでは、日本独特のジャンルの作品が多く出品され、教科書でもおなじみの、バーナード・リーチや北大路魯山人、黒楽の茶碗、そして掛け軸なら俵屋宗達といったものが、ものによっては数十万円くらいから購入できます。日本美術史を見渡せるようなフェアになっていますので、むしろアートファンやアートにあまり馴染みがない方も自然に楽しんでいただけるかもしれません。茶室や日本庭園もあり、世代を超えて家族と一緒に来たいと思えるような空間になっています。日本のアートマーケットを海外と比較すると、やはり日本独特の美術品ジャンルによるその多様性が一番の特徴です。現代アート作家の杉本博司や村上隆が自分で古美術をコレクションして、現代アートと合わせて展覧会をしているのも、世界でも貴重な日本の歴史ある美術品を、現代の視点から紹介したいという気持ちからではないかと思います。それらをきちんと評価して外国でも評価軸に乗せられれば、その価値はより広く認められるでしょう。近く東京国立博物館で開催される「マルセル・デュシャンと日本美術」
では、千利休の花入と、デュシャンのレディメイドの代表作「泉」を並べていますが、海外キュレーターと日本のキュレーターの共同企画のようですね。千利休は2022年に生誕500年を迎えますが、デュシャンよりも350年以上先んじているとも言えるわけです。こうした試みは楽しみですね。──逆説的ですが、海外で人気のある現代アートの精神的な部分を通じて、日本独自の美術ジャンルが再び盛り上がることで、アートマーケット全体にも良い影響があるかもしれませんね。これは日本の美術館にとってもチャンスではないかと思います。日本の美術館は多すぎる、数に比べて発信力が足りないとも言われますが、むしろ実力のある作家を全国各地の美術館が見いだしてきたと評価して、今後はむしろそれを強みとして行く方向に文化政策の舵を切っていくべき、という意見もあります。こうした状況に対して、アートフェア主催者のお立場から何かご意見はあるでしょうか。
墨屋──最近東京に進出してきたペロタンやファーガス・マカフリーといった国際的な画廊のインタビューでは、彼らは「マーケットだけを目的に日本に来たわけではない。香港と違い、日本には日本にしかない文脈や文化、そして日本にしかいないアーティストがいる、それを調査し、把握することが世界のアートのプレイヤーとして重要である」という趣旨でした。つまり、今後潜在的にマーケットを形成するであろう日本の作家や日本国内の文脈について調査する拠点を置くという意味合いが強いようです。こうした状況のなかで日本の美術館が海外に情報を発信していくことで、「この作家はこの時代のこういう傾向やグループの人たちである」ということが説明できるようになります。そうすれば、その作家について海外の美術館も紹介しやすくなり、コレクターなどの関心も高まるようになると思います。そうした意味で日本の美術館の取り組みは重要だと考えていますし、その成果によって所蔵作家の作品が今後新たに注目を浴びることも期待できると思います。