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メディアから考えるアートの残し方
第1回 エキソニモインタビュー

赤岩やえ(エキソニモ)/千房けん輔(エキソニモ)/水野勝仁(インターフェイス研究)

2018年11月15日号

ヒューララ感覚──ハードウェアとソフトウェアの問題


水野 ハードウェアとソフトウェアの問題を、あらためて考えてみる必要がありますね。さきほど言ったように世代でも感覚が大きく異なる。それが保存を難しくしている要因のひとつだと思います。ソフトウェアはこれまでの私たちの感覚とまったく違うもので、スイッチを一度押せばデータが一瞬でなくなる。コンピュータが現われるまで、人はこうした経験を体験したことがなかった。以前、藤幡さんはワープロで3時間かけて書いた文章データをフロッピーディスクに保存し忘れて、あっけなく全部なくなってしまった儚い感覚を「ヒューララ感覚」と表現していました。ハードウェアは残るけどソフトウェアはなかなか保存できない。一方で、久保田晃弘さんがアンケートに書いていたように、ソースコードがあればいくらでも改変し続けられる(生きられる)という考えもある。メディアアートにとって大事なものを残すとき、エキソニモはなにをどう残していこうと考えているのでしょうか。


千房 非常に難しいですね……。作品を発表したときに、見た人を驚かせるだけでなく、その時代に人間がどんなことを感じ、考えていたのかを後世に伝えることも、アートの役割として重要だと思います。過去の例を知ることで、現代の価値観を定められることもある。でも、そもそも未来に伝わらないメディアで作品をつくっていること自体、その機能と矛盾している。でも、悩んでいても作品がつくれないので、つねにジレンマを感じていますね。一時期は割り切って、作品を「長いパフォーマンス」と呼んでいたこともあります。


赤岩 エキソニモのこれまでの作品のなかで、完全に動かなくなってしまって再現も不可能という作品の割合は、ネットアートが一番高いんです。その問題意識がこの展覧会にもつながっているかもしれません。自分たちのネットアート作品に関しては、外部サービスに依存したものが多いので、どんなに頑張ってもパッといってしまう。もうヒューララです(笑)。


水野 そういえば、Yahoo!ジオシティーズが終了になるというニュースが話題になりましたね★10


千房 そうそう。ジオシティーズが終了になってすべての“ホームページ”が跡形もなく消えてしまう。シティーズ、つまり街が丸ごと消滅してしまうようなものです。


赤岩 保存の問題は、ネット上のものはより深刻ですね。Internet Archiveがやっている「Wayback Machine」というのはだいぶ前からありますが、そこでカバーできないものをどうやって残していくかという問題に対してRhizomeは「Webrecorder」を開発していたり「NET ART ANTHOLOGY」というオンライン展で80年代から現在までのネットアートを文脈化する動きもあります。こうしたプロジェクトが美術館ではないところから始まったことも大事だと思います。


水野 「保存」というよりは、むしろ「所有」と「共有」という問題に近い感じがします。インターネットはもともと学術上の知見を「共有」するという発想で生まれているわけですが、そこに「所有」ということが入り込んできている。物理世界であれば、だれかが大事に所有していれば残るけど、インターネットでは自分が所有していると思っていても、実際は企業と共有しているにすぎない。企業のサービスの閉鎖によって、ネットアートも僕らのブログのデータも、そういう「共有」の基盤の上に成り立っていることがここ数年のあいだ、実感を伴って顕在化しました。しかも、企業と個人とのあいだでイーブンに成り立っているものではなく、企業の力が強いために、企業が「共有」を打ち切ると、ネットアートもブログもなくなってしまう方向にあります。



収録の様子[撮影:水野勝仁]


千房 デジタルデータは突き詰めれば0と1の信号だから、物理的な劣化に強いと言われるけど、結局それをサポートするハードウェアがなければ動かないわけですよね。レコードは再生するたびに針で傷がついて劣化してしまうから、CDが登場したときは「これで100年劣化しない」と言われた。でも、じつはCDそのものがけっこう脆くて、保管の仕方が悪いとカビが生えちゃったり、ちょっと傷がつくだけで全部読み込めなくなったりする。ネット上のサービスの問題とは別に、ハードウェアの問題もありますよね。


水野 岩井さんもおっしゃっていたように、この30年間はインターネットやデジタルは永遠のものじゃないと気づく時間だったと言えますね。石や紙は意識しなくても残るけど、ネットにあるものは意識していないと消えてしまう。その差はけっこう大きいですよね★11


赤岩 岩井さんは、本を制作していて、紙のような「時間の変化を受け入れられるメディア」に魅力を感じているとおっしゃってました。じわじわと老いていくよさ、ですね。



★10──2018年10月1日に、採算やサービス維持の技術的な課題などを理由に、ホームページ作成サービス「Yahoo!ジオシティーズ」が2019年3月末で終了すると発表された。「ジオシティーズ」は1994年にアメリカで生まれ、1997年に日本法人が設立。日本のインターネット黎明期を代表するホームページ作成サービスで、個人による数多くのホームページを生んだ。参照「Yahoo!ジオシティーズサービス終了のお知らせ」。

★11──この発言は、菅俊一の「webの方を残しておこうと思うと、結構強めの『取っておく意志』を発揮しないと長い間残らない」というツイート(2018.9.18.5:32)を念頭に置いている。


考古学な想像力とコンダクターという職能


千房 この問題はアートだけの話じゃなくて、親がスマホで撮りためた子どものデジタル写真をどうやって残すのか、ということともつながってくると思います。だから輪廻転生展は専門的なテーマを扱っているように見えるけれど、自分たちの普段の生活と密接に関係しています。あと、まだ確実性はわからないけど、ブロックチェーンの技術のように強固に履歴を残せる技術もあります。個人的には、まだそれを維持するにはコストが高すぎると思う。


水野 人間が求めることに応じてテクノロジーは急激に変わりますが、それに対する僕らの感覚を保存することも求められていて、それを担うのがメディアアートなのかなと思います。そのためには保存された作品は動かないといけないし、もし動かないとしたら、その使われ方を考古学的に想像しなきゃいけない。仮に動いた作品を体験できたとしても、マウスとカーソルがない時代の人が、マウスとカーソルを主題とした作品を体験した場合は、そこで当時の人がどのような感覚だったかを、考古学的に想像する必要があるのかなと思います。メディアアート作品の保存を考えるときは、ふだん僕たちが使っているテクノロジーの感覚に立脚しているからこそ、アート的な想像力だけではなくて、考古学的な想像力も求められるのかもしれないですね。


千房 「いきなり考古学」ですよね。テクノロジーの変化のスピードが早いから、たった20年前なのに発掘しなきゃいけなくなる(笑)。


水野 だから「作品がどう見えるのか」ではなく「作品を通した世界がどう見えるのか」を示せるのは、人間と密着している「Looking through(透かし見る)」なテクノロジーを使っているメディアアートの領分と言えるのかもしれないですね。


千房 「メディアアート作品の中心は体験である」という考え方があるけど、それってどうなんだろう? エキソニモの作品にも全部あてはまるのか考えても、あまりピンと来なかったところもあるんだけど。


赤岩 メディアアートの場合は、特に人の行為や体験がトリガーとなっているものも多かったりするけど、メディアアートだけじゃなくて、例えば絵画作品を鑑賞するのにだって、そこに行為や体験が伴っているわけですよね。古典的な芸術を見る場合は、普遍的な美を享受するみたいな感覚だけど、つねに新しい体験が生まれてるはずだし。絵画は、いまも昔も変わらない普遍的なモノである、という見方が前提になっている。でも、メディアアートやその保存を考えることから、そういった見方そのものが変わったとしたら面白いんじゃないかな、と思ったりしますね。


千房 絵画や彫刻のような、いわゆる王道のアートは見方の文脈が共有されていますよね。作品の時代背景や作家の歴史を踏まえて作品を見ることが、カルチャーとして共有されている。その見方や文脈は、だれかが恣意的に選んできたもものでかたちづくられていますよね。メディアアートと呼ばれているものは、テクノロジー自体のスピードが早いから、その文脈をつくる人が出てきていないし、いまはまだ共通の見方がつくられていない。


水野 逆に言えば、まだ共通の見方がないからこそ、これまでにない見方や考え方を示せる可能性がありますよね。これまでのメディアアートは、メディアのコンディション(条件)を問うことで批評性を担保する作品が多かったですが、最近はメディアを使って人間の現在の感覚のコンディションを問いかけてくような作品が多い気がしています。チームラボの作品や、エキソニモの「Body Paint」シリーズ(2014-)のように、文脈を気にせずに感得できる。それは感覚が操作(ハッキング)されるような感じもあって、怖い作品だと言うこともできると思います★12


エキソニモ「Body Paint」シリーズ(2014-)


赤岩 ところで、いまはコンサバターと呼ばれる職能の人たちが、作品を保存したり修復したりしていますよね。メディアアートには、コンサバターじゃなくてコンダクター(指揮者)のような人がいてもいいんじゃないか、と思うんですけど。クラシック音楽の指揮者が楽譜を解釈して演奏を指揮するように、その時代や環境に応じた作品の解釈をして再制作するような人。


千房 それはキュレーターと違うのかな?


赤岩 ざっくり言うと、キュレーターは作品から文脈をつくる人でコンダクターは作品を再解釈して蘇らせる人って感じかな。再解釈の専門家。美術館では、作品の修復において「再解釈(reinterpretation)」っていうのは、ほかに打つ手がない場合の最後の手段と考えられているみたいなんですよね。クラシック音楽の指揮者が、作曲された時代とは違う環境のなかで楽譜をもとに新しい表現を生み出すように、新しい解釈によっていろんなバージョンが生まれて変化していく。作家が生きているあいだは自分でやっていることだけど、それはいつまでできるかわからないし。記録やモノの保存だけでは伝わらないものが長い時間をかけて伝わっていくのも面白いんじゃないかなと。


千房 ひとつの楽譜をもとに、いろんなコンダクターが作品を解釈して、それぞれの違いが見えてくると面白いかもしれないですね。


[2018年10月15日、神戸とニューヨークをつなぐインターネットにて]


★12──小鷹研理(名古屋市立大学)は「Body Paint」で起きている事態について、メディア空間と物理空間を「単純な対立関係としてではなく、相互に依存し合うシステム論的(生態系といってもよい)な視座の上で捉え直そうとしている」と指摘する。次を参照「展示の記録と周辺|からだは戦場だよ 2017」(小鷹研blog、2017.4.3)

エキソニモ+YCAM共同企画展「メディアアートの輪廻転生」(終了しました)

会期:2018年7月21日(土)〜10月28日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM] 山口県山口市中園町7-7

展覧会の特設ウェブサイトでは、出展作家へのインタビューや、アーティストを対象に実施した作品の寿命や未来の姿についてのアンケート、研究者らによるエッセイを掲載している。
https://rema.ycam.jp/

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