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[PR]サントリー美術館に聞く! 学芸員インタビュー「扇の国、日本」
上野友愛(サントリー美術館主任学芸員)/内田伸一
2018年12月01日号
対象美術館
1878(明治11)年のパリ万博では、エジソンの蓄音機やウィルソンのミシンなど、後の文化に大きな影響を与える発明品が存在感を示した。他方、日本からはまた異なるアプローチで、この国の小さな発明品が出品されたと伝わる。それが、狩野派や土佐派から、水墨画、浮世絵、文人画まで、幅広い時代と流派を網羅した百本の「扇(おうぎ)」である。おりしもジャポニスムが花ひらく時代、これらの扇は、日本絵画の魅力を凝縮して伝えるべく選ばれた。
大陸発祥というイメージもある扇だが、現存する資料は扇が日本で生まれたことを示すという。宗教祭祀や戦いの場では特別な力を期待され、あるいは携帯できる実用品・美術品として流通し、人と人をつなぐコミュニケーションツールにもなった扇。その多面的な美の世界を、「扇の国、日本」展の担当学芸員、サントリー美術館の上野友愛氏に案内いただく。
扇の発祥の地は、ここ日本?
従来、美術品としての注目度はそこまで高くなかった印象もある扇。それでも上野氏らが今回「扇の国、日本」展を企画したのには理由がある。ひとつには、上述のような豊かな表現性と、社会的機能をもち合わせていること。もうひとつは、扇が実は日本発祥のものだという、展覧会タイトルにも通じる事実である。
上野──さかのぼれば、奈良時代に中国から団扇(うちわ)が伝わり、8世紀までに日本でコンパクトに折りたためる扇が生まれます。起源は明らかではありませんが、10世紀末には中国や朝鮮半島に特産品としてもたらされました。中国の文献には、折りたたむ意味の「摺」の字をあてた「摺畳扇(しょうじょうせん)」や、日本の扇を意味する「倭扇」ということばが登場します。これらを見ていくと、扇は日本発祥だということが間接的にわかります。
最近では2008年に平城京の跡地から、最初期の扇となる「檜扇」(ひおうぎ)の原型のようなものが発掘された。檜扇は細長い薄板を重ねた扇で、宮中の役人が覚書にも用いた笏(しゃく)や木簡(もっかん)から生まれたという。8世紀ごろからあったとされるこの檜扇をもとに、平安時代には竹などの骨に紙を貼る「紙扇」が発展した。
上野──10世紀末には、宋へ渡った日本の僧侶が、贈答品として扇を持って行った記録があります。その後、骨の片側だけに紙を貼るつくりだったのが中国で両面貼りに発展して日本にも広まるという、扇文化の往来もありました。明治に至るまで、扇は日本を代表する輸出品であり続けました。ヨーロッパへはまずポルトガルの東洋貿易によってもたらされましたが、1878(明治11)年のパリ万博では、日本から扇の名品百本が出品されたのではと言われます。現在は東京国立博物館に所蔵されるこの百本の扇を収めた箱を見ると、箱書きに、パリ万博のために選出した旨の記述があるためです。
「扇の国、日本」展では、この扇群を紹介する「序章 ここは扇の国」から始まる。狩野派や土佐派から、水墨画、浮世絵、そして琳派など、多彩な日本の絵画史を伝えるべく選ばれた百の扇。これらが実際にパリで披露されたのかどうかは、残念ながらはっきりした記録がないという。だが、ジャポニスムが花ひらくこの時期、扇はドガやモネのような画家の創作にも影響を与えた。
あおぐ/呼び込む/祓う/つなげる──扇の多面的な役割
古来、扇はあおいで涼を取ること以外にも、さまざまな仕事を果たしてきた。そのひとつが、神仏と人間をつなぐ役割だ。扇には、神聖な力があると信じられてきた。
上野──例えば平安時代、《彩絵檜扇》
は、島根県の佐太神社に奉納され、御神体に準ずる扱いを受けてきたもの。また国宝の《扇面法華経冊子》 は、扇形の紙に絵を描いた二つ折りの冊子で、そこに法華経などを書写したものです。また、扇は邪気を祓い、運気を呼び込むものとされた。仏像の胎内に納入品として扇が入っていることがあるという。武将が陣中で指揮に用いた「軍扇」は、武運と勝利を引き寄せるためのものだ。今日でも応援団が扇を使うのは、その名残と言えるだろうか。
さらに扇は、人と人をつなぐコミュニケーションツールでもあった。中世から近世初頭の絵画や史料には、人々が水面に扇を投じて楽しむ「扇流し」の様子が見出せる。
上野──橋桁などから扇を落とし、はらはらと舞い落ちていく様、着水して流れていく様の儚さや無常さを楽しんだようです。なお、水に流れゆく扇の表現をさかのぼると、鎌倉時代の仏教説話集『長谷寺験記』に、「流れつく扇から愛する人の居場所を知り、再会する」というエピソードがあります。
これは三十六歌仙のひとり、藤原高光がモデルの高光少将が家族に行き先を告げず出家してしまう話だ。消えた高光を探し歩く妻が、川を流れてくる扇をみつけて上流へ向かい、奈良の山中で夫婦は再会する。扇は個人を象徴するものでもあり、それを介して男女が出会い、または離れた者同士が再会する話がさまざまに残っているという。
上野──水面に扇を流す様をデザイン化した「扇流し」の作品も多く生まれました。《扇面流図》
人と人のあいだを流れる扇
「流れる」と言えば、扇の贈答文化や流通も興味深い。扇は10世紀末から日本の特産品として大陸へ送られ、明代(1368〜1644)の日明貿易では、刀や屏風と並んで主要輸出品のひとつだった。また、国内でも京都を中心に人々が粋な扇を買い求め、知人同士で贈り合ったという。
上野──《扇面画帖》
需要が高まれば、供給者が要る。14世紀、室町時代の早期には京都の街に扇屋が営業していたという。絵巻も屏風も掛け軸も注文生産が主流だった時代、既製品を扱う扇屋は、美術品販売という視点で見れば、画期的なものだったと言える。
上野──その商いの様子を描いたのが《扇屋軒先図》
定着と爛熟──花ひらく扇
多くの人に扇が広まるなかで、扇文化は他ジャンルとも交差していく。例えば和歌。少ない字数で豊かな世界観を追求する和歌は扇と相性もよかったのか、扇絵に和歌を添えるのがポピュラーになった。室町後期には、複数の扇絵の周囲に、おのおのの画題につながる歌を散らし書きするジャンル「扇の草子」も成立。これは扇絵から和歌を当てる謎解き遊びも楽しめるものだった。
上野──さらに、人気の物語のワンシーンを描いた扇も流行しました。《源氏物語絵扇面散屏風》
平安貴族たちは「扇あわせ」なる遊びもしていた。2チームにわかれ、自慢の扇を場に出し合う。造形の面白さや、描かれた絵、和歌、漢詩など総合的な魅力で競い合う。紫檀の骨や蒔絵細工の骨など、贅を尽くした扇も生まれた。
上野──また、風を送るものなので、よい香りのする扇を持つ習慣も昔からあります。扇はそうした諸要素を通じ、個人の趣向を表現するものになっていきました。一方で川に流すようなこともしているので、当時の人々はTPOに合わせて扇の質を使い分けしていたようです。
江戸時代になると、扇絵を描かなかった絵師はいないと言っても過言ではないという。冒頭で述べた「百本の扇」のごとく、流派を超えて誰もが扇絵を描いた。本展でも、そうした扇の数々が並ぶ予定だ。
上野──描き手からすると比較的手軽に取り組めて、かつ流布しやすい扇絵は、自分を売り込む格好のツールだったようです。谷文晁が、元日の朝に自ら絵を描いた扇を町中にばら撒いたという逸話もあります。また、より大きな作品を視野にいれた見本帳のようにも使われ、ある寺院では山門の彩色者を選ぶ際、応募者に履歴書のように扇絵の提出を求めた記録もあります。そして当時の描き手たちは、小さな扇絵だからこそ自由にできる実験をいろいろとしていたのではとも感じます。例えば「洛中洛外図屏風」の一場面を先どりしたような扇もあるんです。
江戸中期には「扇売り(地紙売り)」
と呼ばれる行商人も登場した。扇紙を入れた箱を担いで街を歩き、客は気に入ったものがあれば手持ちの扇の扇紙をそれと差し替える。庶民が最先端の流行を気分に合わせて楽しめる、扇はそんな存在となったようだ。
上野──なおこうした多彩な扇は、男女どちらにも使われました。より古い時代の檜扇は、男性が無地、女性がきらびやかな扇を使ったことからすると、ひとつの変化と言えます。これは、ヨーロッパで扇がもっぱら女性のアクセサリーとして普及したのとも、大きな違いです。
「扇の国」に息づく文化
扇はその形状から末広(すえひろ)とも呼ばれ、繁栄を象徴する縁起ものとしても好まれた。このことから、工芸品などにも扇のかたちが波及していく。「扇の国、日本」展は、「終章 ひろがる扇」で、そうした表現にも目を向ける。《織部扇面形蓋物》
のようなユニークなやきものから、《梅樹扇模様帷子》 のような着物までが登場する。
上野──展示の最後を飾るのは、幅3m以上の屏風《一の谷合戦図屛風》
扇は現在も、日常とともにある。いまなお愛用者が多く、狂言や茶道、落語など伝統芸能でも使われてきた。いまも息づく扇の豊かな役割について、歴史をさかのぼることで改めて感じるものは多い、と上野氏は言う。
上野──例えば茶道では、敬意を払うべき相手に対峙する際など、閉じた扇子を自らの前に置いて距離をつくる結界とします。相手を敬う態度からですが、もともと扇がもつ、祓う、防ぐというブロック機能を知ると、なるほどと思えますよね。お月謝を扇に乗せて渡すのも、『源氏物語』での光源氏と夕顔の出会い(光源氏がとある家に咲くユウガオの花を求めると、住人である夕顔が、扇に乗せた花とともに和歌を贈る)を思えば、とらえ方も変わる。やはり歴史の延長線上に、芸能や礼法における扇の使われかたもあると感じます。
そうして意識し始めると、この国の日常のそこかしこに扇が見えてくる。そのため本展の体験を、われわれがもつ扇の知識やイメージと改めて照らし合わせることで、豊かな発見があればと上野氏は語った。
美術史的な先行研究がまだ少ないこと、また扇は大量につくられてきた一方で、失われたもの、作者不詳のものも数多あることなど、研究対象としては課題も多いという。しかし、「本展を踏み台に、研究がより盛んになれば本望です」と語る上野氏のことばどおり、ここからまた扇の美をめぐる世界が広がることに期待したい。
付記:本展はサントリー美術館で開催の後、共催する山口県立美術館に巡回する。こちらの担当学芸員である岡本麻美氏は、上野氏の大学時代の同窓だという。そこから歳月を経て今回、両氏は共にひとつの美術展を手がけることとなった。これもまた、扇がつないだ人の縁、と言えるだろうか。
扇の国、日本
会期:2018年11月28日(水)〜2019年1月20日(日)
10:00〜18:00(金・土は10:00〜20:00)
※12月23日(日・祝)、1月13日(日)は20時まで開館
※12月29日(土)は18時まで開館
※いずれも入館は閉館の30分前まで
会場:サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階
Tel. 03-3479-8600
概要:https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2018_5/