トピックス
視覚の共振・勝井三雄
新川徳彦(社会経済史、経営史、デザイン史)
2019年05月15日号
対象美術館
宇都宮美術館でデザイナー勝井三雄(1931-)の仕事を振り返る大規模な展覧会が開かれている。展示室に並ぶ仕事の物量もさることながら、その構成、見せ方もまた注目すべき展覧会だ。
宇都宮市制100周年を記念して1997年3月に開館した宇都宮美術館。頭文字のUとMをモチーフとしたロゴマーク、館内サインなどのデザイン・システムは勝井三雄によるもの。年間展示案内やミュージアム・ニュースなど印刷物のデザインもまた開館当初から現在に至るまで勝井三雄・勝井デザイン事務所が一貫して手がけている。宇都宮美術館のヴィジュアル・アイデンティティは、岡田新一設計事務所による建築と、勝井三雄によるデザインと、美術館との協業によって形成されてきたといえる。コレクションの柱のひとつを「生活と美術」とする宇都宮美術館は、プロダクト・デザイン、グラフィック・デザインの歴史的作品を数多く収集してきた。この場所で大規模な回顧展が開催されるのは必然なのだ。20年余にわたる宇都宮美術館の歴史もまた、この展示の一部といえようか。
卓抜な「仕事」の見せ方
展覧会は展示室に向かうプロムナード・ギャラリーから始まる。左壁面に年譜、そして右側に書籍、ノート、資料類が拡げられた展示ケースが並ぶこのエリアは「1801-2019 勝井三雄 デザインのあゆみ」。勝井三雄の思考の軌跡を、年表と、彼が影響を受けてきた書物などを通じて辿るコーナーだ。
中央ホールの吹き抜けからは、虹色の光がふりそそぐ。いや、自然光が差すスペースであるとはいえ、じっさいにそこに存在するのは物理的には天井から吊された色の付いた布だ。光はその光源を直視するのでなければ何かの物体に反射して初めて人の視覚に捉えられるものだ。そしてその物体の特性によって初めてそれを色彩として感じることができる。ところが、このインスタレーション「Visible Spectrum」(2008)を見ると、タイトルのとおり、光のスペクトラムが可視化されているように錯覚する。光と色彩。勝井三雄の仕事のテーマがここで強く印象づけられる。展示はここから左右ふたつの展示室「色光の部屋」「情報の部屋」へとつづく。
「色光の部屋」は主にポスターの仕事で、「情報の部屋」にはエディトリアルを中心とした仕事が並ぶ。どちらの展示室も入り口から奥正面の壁まで、視線を遮るパネルはなく、真正面の壁にはその仕事の中でもメルクマールになったものを展示したという。12ページに及ぶ作品リストに付された番号は291まであるが、シリーズものがひとつにまとめられているので、実際の点数はさらに多い。それでもここにあるものは勝井自身によるセレクションであり、仕事のすべてではないのだ。ところどころに勝井自身による解説文があるが、作品一つひとつにキャプションはなく、鑑賞者は作品の配置が示されたリストと展示を照合しながら見ることになる。会場を見れば分かるが、これは不親切というより展示に即した実際的な方法だ(このリストと図録と対応していればなお良かった)。
個々の仕事とともに、それをヴォリュームとして見せる展示方法にも感心する。「色光の部屋」ではこの展示のために誂えたという腰の高さの什器に貼られたポスターが光と色彩のウェーブのように見える。奥のスペースでは「兆しのデザイン」(ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)、2014)で発表された色彩のインスタレーションが展開されている。「情報の部屋」は、日宣美賞を受賞した「ニューヨークの人々」(1958)、味の素勤務時代の『奥様手帖』装幀(1959-69)など写真やコラージュを用いたデザインワークから、CIの仕事、『現代世界百科大事典』(講談社、1971-72)の基本設計、ダイアグラム。そして書籍『土の記憶』(2002)、『水を誌す』(2004)、『ゆらぎとゆらぎ』(2013)へと続く。展示台の上に浮いているかのように見える装幀の数々、自立する書籍、めくりかけたページ。平台と壁面を効果的に使った展示は、全体と個別、マクロとミクロ、表現と論理とを行きつ戻りつさせながら、勝井の仕事の全体像を見せてくれる。展示それ自体が情報デザインのすぐれた実践になっている。
60年余にわたって現役のデザイナーとして活動している勝井三雄の仕事の全体像を見て強く感じたことは、その仕事がまったく古びない、ということだった。表現を見ただけでは過去の作品、近年の作品の区別がつかない。時代を感じさせるものもなくはないが、その理由はだいたい印刷などのメディアの技術進歩が理由で、表現が古びているわけではない。しかしそれは「変わらない」ということではない。コンピュータを使った表現をいち早く取り入れるなど、新しい技術を知ることに常に積極的(ただし本人がコンピュータを触ることはほとんどないという)。道具としてのコンピュータばかりでなく、「兆しのデザイン」
、「光るグラフィック展」 では展示のメディアもまたデジタル化されている。その方法は常にアップデートされている。ロジカルなコミュニケーションのためのデザイン
古びないデザイン。消費されないデザイン。なぜそれが可能なのか。とても不思議だ。ポスターにコマーシャルな仕事が見られないからなのか。エディトリアルの仕事の場合はどうだろうか。これもファッション誌のような時代を追いかけるメディアではないからなのか。もうひとつの不思議は、「色光の部屋」のポスターのような人の視覚を刺激する表現と、「情報の部屋」のダイアグラムなどのように徹底的にシステムを追求する仕事が、どのようにひとりのデザイナーのなかに共存しているのか、という点だ。
作品を鑑賞し、図録を読み、年譜を遡る。どうやら勝井三雄がデザインの実践者であると同時に、つねにデザインの教育者でありつづけたことが、、この不思議の理由なのかもしれない、と思う。1961年に味の素を退職して独立すると、すぐに母校・東京教育大学(現・筑波大学)の非常勤講師となり18年間務める。1966年、東京造形大学の開校とともに助教授に就任(-1971)。1987年、武蔵野美術大学客員教授。1993年、主任教授に就任しカリキュラムの再構築に関わる。デザインへのアプローチ方法ゆえの教育志向なのか、教育者であるがゆえのデザインの方法なのか。田中一光が「勝井三雄の作風は、どちらかというと研究者的な体質を持っている…(中略)…彼の仕事にはコマーシャリズムをかたくなに拒否した、どこか学問的な研究者の一面を強く感じさせるものがあった」
と書いているところからすれば、氏のデザインはもとより非・商業的であり、時代というより理論の上に構築されており、それが一方では光と色彩と視覚の研究とそのアウトプットとなり、もう一方ではロジカルなダイアグラムやエディトリアルの仕事に結びついているのかも知れない。つまり設定された課題が異なるだけで、両者の方法は同じなのだ。非・商業的という点ではさらに、勝井三雄のデザインにおいて、デザイナーも、クライアントも、情報の受け手も、消費をデザインの目的としていない。そこにあるのはコミュニケーションのための方法だ。作品には独特の様式があるように見えるけれども、それは理論から導き出されたものであって、様式のための様式ではない。ゆえに消費されてしまわない。ゆえに古びない。展示を見終えてプロムナード・ギャラリーにもどり、改めて年表をみる。この年表が勝井三雄の誕生より100年以上前から始まっていることはわかっていたが、それは近代デザイン史に氏を位置づけるためだけのものではない。ゲーテの『色彩論』(1810)から勝井三雄の仕事へと連なる、科学、デザイン、人、社会のクロノロジーなのだということに、ようやく気づく。
参考文献
『勝井三雄―Katsui Mitsuo 1954‐2013 (ggg Books別冊 10)』(DNP文化振興財団、2014)
[hontoウェブサイト]
本展図録『視覚の共振:勝井三雄』(光村図書出版、2019)
[hontoウェブサイト]
*本展覧会には、公益財団法人DNP文化振興財団が協力しており、会場では柏木博氏による勝井三雄氏へのインタビュー映像が上映されている(Creators file : DNPグラフィックデザイン・アーカイブ : グラフィックデザインの時代を築いた20人の証言)。
視覚の共振・勝井三雄 visionary ∞ resonance: mitsuo katsui
会期:2019年4月14日(日)〜6月2日(日)
会場:宇都宮美術館
栃木県宇都宮市長岡町1077
tel. 028-643-0100