アート・アーカイブ探求

中村芳中《白梅図》心が癒される“かわいい琳派”──「福井麻純」

影山幸一

2013年11月15日号

京琳派

 紅葉ではなかったが秋の京都は修学旅行の学生が目立った。1973年名古屋市生まれの福井氏は、子どもの頃から絵が好きだったと言う。家族と一緒によく美術館へ行き、お絵描き教室に通っては季節の草花など水彩画を描いていた。そして「美術は唯一得意だった」と画家になりたい気持ちもあったそうだが、美術館で働く仕事があることを知り、学芸員を目指したと言う。名古屋以外の土地で暮らしてみたいという気持ちがあったこと、学芸員資格を取得して美術館で働きたいとの思いから、大阪の関西大学へ入学。大阪から京都・奈良は近く、日本の歴史的資料が間近に見られる環境にあって、古寺めぐりなどを通じて日本美術への関心が強まった。福井氏は養源院の《白象図》をみたり、琳派の展覧会を見た。「なんだこりゃ、面白い」と強い印象を受けて、卒論は琳派の祖と呼ばれる俵屋宗達にした。
 その後大学院へ進むと、先生方が大坂画壇について集中的に調査研究をしていた。研究レベルに達するかどうかわからない画家だったが、大坂で活躍した琳派という繋がりから、日本近世近代絵画史を専門とする中谷伸生教授が中村芳中を薦めてくれた。芳中を意識的に見るようになった福井氏は「すごくかわいかったので、はまりました」。修士論文は「中村芳中論」となった。
 大学院博士課程後期課程では引き続き芳中を研究し、単位修得後退学、2002 年より細見美術館の学芸員として現在に至っている。俵屋宗達(生没年不詳)、尾形光琳(1658-1716)に連なる中村芳中(?-1819)、神坂雪佳(かみさかせっか, 1866-1942)など、意匠性の強さが特徴という“京琳派”などを担当。福井氏は、京で誕生し培われてきた京琳派を研究していくなかで、芳中と雪佳の関連も見えてきた。そして2003年福井氏は私立美術館では最も芳中作品を所蔵している細見美術館で和みとおかしみの世界「琳派展VI 中村芳中─光琳に憧れた上方文人」展を企画した。以降全国で芳中の単独展覧会は開催されていない。

『光琳画譜』刊行

 中村芳中は、江戸時代後期に京に生まれ、大坂を中心に活躍した絵師として知られている。『浪華郷友録(なにわきょうゆうろく)』(1790/寛政2)に芳中の名を見出すことができるが、生業は大坂の商人という推測くらいで師系など含め前半生は不明である。
 画業の初期には、指先や爪で描く「指頭画(しとうが)」の名手として文人画を描いており、上方文化サロンの主導的立場であった木村蒹葭堂(きむらけんかどう, 1736-1802)のもとにも何度となく通っている。儒学者で画家の十時梅厓(とときばいがい, 1749-1804)や陶工として知られる青木木米(あおきもくべい, 1767-1833)、池大雅(いけのたいが, 1723-1776)の妻・玉蘭(ぎょくらん, 1727-1784)ら、さまざまな教養人や文化人たちとの交際を通じて、尾形光琳の存在を知った可能性がある。
 光琳を慕っていった芳中は、1799(寛政11)年俳諧仲間を通じて夏目成美(なつめせいび, 1749-1816)らを訪ねて江戸へ行き、琳派が得意とした垂らし込み★1を取り入れて、絵具がぼてっとにじんだユーモラスな作品を制作し、1802(享和2)年に光琳様式をアレンジした木版色摺り絵本『光琳画譜』を刊行。酒井抱一(1761-1829)が刊行した『光琳百図』(1815/文化12)より十数年早い出版であり、光琳図譜としては江戸上方を通じて最も早いものと思われる。

★1──画面が乾く前に濃度の異なる墨や絵具をたらしてにじみやぼかしをつくる。その際たっぷりと塗った絵具の画面に水気をしぼった筆を付けて余分な絵具を吸い上げてしぼり模様のようなむらをつくり出す吸い込みを行なうこともある。

【白梅図の見方】

(1)モチーフ

梅。梅の根元が描かれておらず、盆栽的にごろんと幹が描かれている。人物、草花、山水など、いろいろある芳中画だが梅のモチーフは多い。

(2)タイトル

白梅図(はくばいず)。

(3)サイズ

縦134.5×横66.5cm。掛軸。芳中の作品のなかでは大きいサイズ。

(4)構図

無背景の画面中央に白梅のみを配置。N字形に屈折した幹と天へ垂直に伸びていく枝、正面を向いた真ん丸にデフォルメされた花弁が平面的かつ意匠的に描かれ、芳中の意志を示している。扇面画が多い芳中にとって四角い画面は珍しい。

(5)画材

紙本着色一幅。

(6)色

白、青、茶、黄、黒、金。薄墨と金泥のほか、胡粉、群青、緑青などの顔料を用いている。

(7)技法

偶然の効果を巧みに制御した“垂らし込み”という琳派に受け継がれてきた技法。水分の多い筆でゆったり、たっぷりと楽しみながら描いているようだ。

(8)落款

「芳中画之」の署名、琳派を意識した「芳」の朱文円印と、垂らし込みの画風に合わせて文字がにじんでいる印文不明の朱文方印の印章。

(9)制作年

1804〜1818年(文化期)頃。芳中は1802(享和2)年『光琳画譜』を出版以後、光琳風の画家という評価を受けて、琳派風の作品依頼が増えたと想定され、制作時期は文化期と推測される。誕生年が不明のため、芳中の制作年齢も不明だが、若描きではなく円熟期の作品と思われる。

(10)鑑賞のポイント

盆栽のような和みの白梅がシンボリックに描かれている。梅の枝とN字形の幹は天空を目指し、単純化された円形の白い花は枝にくっついた気泡のようで、垂直と正面観という二つの視線が交錯した画面には不思議な浮遊感が漂う。琳派を伝承する垂らし込み技法を多用しているが、気負いのないスムーズな筆づかいは文人画家の筆を思わせる。輪郭線のない垂らし込みによる枝と幹と、太い輪郭線で描いた花が芳中の特徴的な技法を表わしている。紙に色がにじんで混ざる過程を楽しみながら絵を描いた芳中の自由奔放さが清々しく、鑑賞者の心をも癒し解放してくれる。

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