アート・アーカイブ探求
鶴岡政男《重い手》──不条理を凝視する「徳江庸行」
影山幸一
2014年06月15日号
どん底
初めてこの絵を見たのはいつだったろうか、それは石に化したように孤独に沈潜した裸体像で、どこかロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)の《考える人》に似ていた。インパクトが強く一度見ただけでイメージが頭に焼きついたが、なかなか内容に踏み込めなかった。身近に置いて愛でるたぐいの絵ではなさそうだ。暗く重く閉塞的で目をそらしたくなる絵かもしれない。だが、見なくてはならない絵。存在に価値がある絵というか、目で見て終わる絵ではない。巨大な手が背後から人間を圧倒し、垂れ下がるパンパンに膨れあがった両手が、どん底に落ちた重力を感じさせる。心に宿して静かに対話するのが似合う作品だと思う。鶴岡政男の《重い手》(東京都現代美術館蔵)である。
鶴岡政男を長年研究している群馬県立近代美術館の学芸員である徳江庸行氏(以下、徳江氏)に《重い手》の魅力を伺いたいと思った。徳江氏は2007年に「生誕100年 鶴岡政男展」を企画し、その図録に「鶴岡政男の足跡」を書いている。梅雨に入る直前、夏を思わせる晴天の群馬県高崎へ向かった。