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作者不明《鳥毛立女屏風》魂を昇仙する天女たち──「谷口耕生」

影山幸一

2015年01月15日号


作者不明《鳥毛立女屏風》奈良時代(752〜756), 紙本白色地彩色ヤマドリ羽毛,
六曲一隻(右から、第一扇:135.9×56.2cm, 第二扇:136.2×56.2cm, 第三扇:135.8×56.0cm,
第四扇:136.2×56.2cm, 第五扇:136.2×56.5cm, 第六扇:136.1×56.4cm), 北倉44, 正倉院宝物
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「トリゲ」の響き

 作品名のなかに「鳥毛」と付けられた奈良時代の絵がある。聞き慣れた「羽毛」とあれば素材感が伝わってくるが、鳥毛の二文字は意味深長だ。鳥の毛と絵画にどんな関連があるのだろう。「トリゲ」の不思議な響きが近寄りがたく、しかしゴジラ、モスラ、ガメラなどの懐かしい怪獣の名前のようで頭から離れなかった。
 図録でその作品を見ても鳥の毛はよく見えず、常設展に展示されるような作品ではない。正倉院宝物であり、所在は奈良である。それに、たとえ実物を鑑賞できたとしても、劣化が激しく鳥毛も確認できないのは虚しいかもしれないなどと、半ばこの絵とは縁がないと思い込んでいた。
 ところが、天皇皇后両陛下の傘寿(さんじゅ)を記念して、奈良国立博物館では「第66回正倉院展」(2014.10.24〜11.12)が、東京国立博物館(トーハク)では同時期に「日本国宝展」(2014.10.15〜12.7)が開催され、1,250年前に製作された作者不明のこの《鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)》(正倉院宝物)が公開されることになった。全六扇(せん)の屏風のうち第二扇・第四扇・第五扇・第六扇の四扇が奈良博で公開され、第一扇・第三扇の二扇がトーハクで公開された。会場が2ヶ所とはいえ、同時期に全六扇が公開されることは稀である。


谷口耕生氏

天女ではないか

 トーハクの「日本国宝展」に特別出品され、初めて見ることのできた二扇の《鳥毛立女屏風》は、屏風というより二幅の掛軸のようだった。古さを感じさせない鮮やかな赤い唇に、血色のよい頬の豊満な女性像であった。しかし、鳥毛はよく見えず顔以外ほとんどが黒い線描のため制作中のアニメセル画のようだ、というのが第一印象であった。全身を鳥の毛で表現した女性像であったなら、現代においてもシュールな六美人は、当時斬新で強烈なインパクトを与えたに違いない。
 「正倉院展」図録の表紙は《鳥毛立女屏風》第五扇の女性が飾り、会期20日間の入場者数は26万9, 348人を記録し、2014年の国内美術展一日当たりの入場者数の最多記録(13,467人)であったという。正倉院展で絵画を担当した奈良国立博物館の学芸部保存修理指導室長で、日本仏教絵画史を専門とする谷口耕生氏(以下、谷口氏)に奈良時代の名画《鳥毛立女屏風》の最新の見方を伺いたいと思った。
 谷口氏が最初に《鳥毛立女屏風》を見たのは、今から16年前の1999年第51回正倉院展に《鳥毛立女屏風》の六扇すべてが一堂に展示されたときだった。東北大学の学生時代、仙台から奈良国立博物館へ正倉院展を見に行った谷口氏は、混雑する会場の中で特に感慨もなく有名な《鳥毛立女屏風》を確認したと言う。
 《鳥毛立女屏風》でよく見かける解説として、“8世紀の中国唐代に流行した美人画の伝統を踏襲し、鳥毛を身に付けた最新ファッションを反映した「樹下美人図」”がある。一方では唐代の仕女を表わした副葬品の俑(よう)★1に似ているとも言われている。
 「あの俑の女性像は、皇帝のまわりで近侍した仕女の姿では絶対にない。墓の中に入っている女性像なので、やはり神聖な墓との接点が強い画題であろうと推測している。世俗にいた女性ではなくて神仙と関わるような、天に居られるという意味の天女である可能性が高いと思っている。正倉院宝物は単なる聖武天皇の遺愛の品ではないのではないか。その観点から今回の「正倉院展」では《鳥毛立女屏風》の考察を進めた」と谷口氏は述べた。

★1──古代中国において、遺骸にそえて埋葬した、人間や動物をかたどった木製、陶製などの人形。

正倉院と宝物

 正倉院とは、律令国家が存続した7世紀半ば〜10世紀頃の律令時代に中央・地方の諸官庁や寺院など、穀物や調布等の財物を保管する倉庫のうち、主要なものを指す正倉が集まった区画をさす言葉であった。しかし、東大寺の正倉を残してすべて失われ、正倉院は東大寺の正倉を表わす固有名詞となった。現在、正倉院に収蔵されている宝物の総数は九千件ほど。大半が8世紀につくられ、8世紀の世界文化と奈良朝文化の精華を代表する生活全般にわたる品々であり、世界でも類を見ない貴重な古文化財である。
 奈良時代の天平勝宝8歳(さい)(756年)6月21日の聖武天皇七七忌に際し、光明皇后が天皇遺愛の品々を東大寺盧舎那仏(るしゃなぶつ。大仏)に奉献された。それらの目録である東大寺献納目録『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』の記録によると、奉献の目的は、天皇の御霊が速やかに「花蔵(けぞう)の宝刹(ほうさつ)」★2に到達することであった。『国家珍宝帳』には六百数十点の宝物名と数量が記録されているが、出蔵や消耗により現存するものはおよそ五分の一。そのなかに「御屏風壹佰畳」とある宝物のひとつが《鳥毛立女屏風》である。校倉造り正倉の北倉に収蔵されていたが、現在は1962年に建築された鉄骨鉄筋コンクリート造りの西宝庫に保管されている。
 「《鳥毛立女屏風》は、天皇所有の御物(ぎょぶつ)ではなく、正倉院宝物という。正倉院の宝物は、天皇家が大仏に献じたもので基本的には大仏のもの。倉は天皇の勅封(ちょくふう)となっており、倉の開扉には天皇の許可が必要で、管理を宮内庁正倉院事務所が行なっている。倉の内部は、北倉(ほくそう)・中倉(ちゅうそう)・南倉(なんそう)と三倉に仕切られ、各倉とも二階造り、北倉は当初から天皇勅封の倉である。中倉は平安時代から勅封になり、南倉は東大寺管轄の倉だったため東大寺の三綱(さんごう)★3が認めれば開扉できたが、南倉も明治以降政府が管理し勅封となった」と谷口氏は言う。
 宝物のなかでも希少な絵画宝物である《鳥毛立女屏風》は、工芸的な絵画でもある。鳥毛はほとんどが剥落しており、製作当時とは隔たりのあることも知られている。残存している微細な羽毛片を調査したところ、日本に棲息するヤマドリ★4と認められ、同じく北倉に収められていた《鳥毛篆書屏風(とりげてんしょのびょうぶ)》や《鳥毛帖成文書屏風(とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ)》と同様の鳥毛貼成(てんせい)技法を用いていたこと、また第五扇の下貼に752年(天平勝宝4)6月26日付けの「買新羅物解(ばいしらぎぶつげ)」★5の反故(不要となった紙)が用いられており、1985年の解体修理によって本紙としても使用されていることが確認された。これにより本品は盛唐の趣きを保持しているが、752年から『国家珍宝帳』に記載される756年までの4年間に日本で製作されたことが決定的となった。

★2──盧舎那仏の根本経典のひとつで『梵網経(ぼんもうきょう)』に説かれる盧舎那仏の世界「蓮華台蔵世界海(れんげだいぞうせかいかい)。
★3──古代の寺院に置かれた僧尼を統制するための機関で、一般に上座・寺主・都維那(ついな)。
★4──キジの一種で、全体に光沢のある赤銅色で、背・胸・腹に黒白の斑がある日本特産種。
★5──752年(天平勝宝4)に来朝した新羅の使節が舶載した物品を、貴族が朝廷にその購入を申請した文書。

【鳥毛立女屏風の見方】

(1)タイトル

鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)。「とりげりゅうじょのびょうぶ」などともいう。英名:Ladies under the Trees, Decorated with bird feathers。

(2)モチーフ

女性、樹木、岩、草、鳥。

(3)サイズ

第一扇:135.9×56.2cm, 第二扇:136.2×56.2cm, 第三扇:135.8×56.0cm, 第四扇:136.2×56.2cm, 第五扇:136.2×56.5cm, 第六扇:136.1×56.4cm。本来は六曲一隻の屏風。長い年月の間に接扇の蝶番(ちょうつがい)が切れてしまい、安全に保管するため各扇バラバラの形にしたと思われる。

(4)構図

各扇の周りには布を額縁のように貼っている。各扇ともに木、女性、岩をひとつずつ配し、各扇がひとつの作品としても成立するように構成している。

(5)色

白、黒、灰、朱、緑、肌色。

(6)画材

紙本、白色地彩色、ヤマドリ羽毛。各扇の絵の周りを額縁のように緋色の紗(しゃ)で飾り、斑竹(はんちく)を模した細長い木板を四辺小口に打ち、背面に碧絁(みどりあしぎぬ)を貼り、各扇を紺臘纈(こんろうけち)の絁(あしぎぬ)でつないでいたとされる。

(7)技法

骨組となる柾目の杉材の框(かまち)★6と中子(なかご)★7に麻布を張り、その上から楮紙(ちょし)★8を全面糊付けて下貼にする。本紙の麻紙は、上下五段に継ぎ合わせてつくられている。白土(はくど)★9下地を全面にわたって施した上に、念紙(ねんし)★10を用いて下図の図様を転写し、その上から墨筆で図様を描き起こした。各扇間の画技は一様でなく、質的に格差が認められる。彩色箇所以外は下絵の墨線が見える。顔面部は、硫酸鉛による白色顔料を塗った上から赤色の隈取りを施し、小さく厚い唇には鮮麗な朱を塗る。第三扇の眼の描写が特徴的で、濃墨だけで瞳を描き、その中心を削って白下地を出し、瞳の輝きをつくっている。鳥の羽毛を貼る鳥毛貼成(てんせい)技法により、仕上げ時に墨線に沿って刀で羽根切り廻しをし、長さを整える。鳥毛は、第三扇の女性の右肩辺り(図参照)、また頭部や飛んでいる鳥にも貼られていた痕跡があるがほとんど剥落、どこまで鳥毛が貼られていたのかは不明。壁画的な白土下地が特殊である。


鳥毛の痕跡《鳥毛立女屛風》第三扇(部分)

(8)落款

なし。

(9)制作年

752〜756年の奈良時代。

(10)鑑賞のポイント

各扇とも樹下に豊麗な女性をひとり配す。第一扇から第三扇は立ち姿、第四扇から第六扇は岩に腰掛ける姿である。しかし扇の配列は、本格的な調査が始まった明治時代に整理の必要上から仮になされた順序。第四扇が保存状態が最も良好で顔も整っている(図参照)。最も劣化が激しい第六扇は女性像の顔から胸にかけて原初のものをわずかに残すが、他は補紙である。女性は唐風の姿。ゆったりとした袖の上着と長い裙(くん)★11を着け、裙帯(くんたい)★12を前に垂らし、肩に領巾(ひれ)★13をかける。髪を高く結い、豊かな頬、太い眉、小さく厚い唇、額中央に花鈿(かでん)★14、口の両側に靨鈿(ようでん)★15を点じる。顔や手、着衣の袖口など、部分的に彩色を施し、ほかは墨線のみの表現である。樹下の人物図の画題は樹木を介して天地を往来する神仙(仙人)とされ、6人の女性像も神仙と関わる存在として描かれたと思われる。中国にあった技法に基づき、日本で製作したと考えられる。絵師は、王室に所属した画工司(えたくみのつかさ)、あるいは朝鮮半島からの芸能渡来人絵師。東洋諸国交流による文化結合の精華といえる北倉44の正倉院宝物である。


顔《鳥毛立女屛風》第四扇(部分)

★6──周囲の枠。
★7──真ん中、中心。
★8──コウゾの樹皮の繊維を原料として漉いたこうぞ紙。
★9──カオリナイトやハロイサイトを主体とする白色粘土。
★10──木炭の粉末などを和紙の裏に塗ったもので、下絵と画面との間に入れ、下絵の輪郭をたどって転写する。
★11──袴状の衣服。
★12──裙の腰部で結ぶ飾りの紐。
★13──首にかけ、左右へ長く垂らした織物。
★14──唐代に流行した眉間に描く化粧。
★15──唇の両側に黒点や緑点を描く化粧。

西方から来る羽人

 《鳥毛立女屏風》と同じようなモチーフが中国の墓の中にある、と言う谷口氏。「墓室内に明器(めいき)★16として屏風を埋葬するという伝統は、古くから中国で行なわれていたらしく、アスターナ古墳には本物の絹製屏風がそのまま墓室に入っていた。また、陝西省(せんせいしょう)長安県の南里王村韋氏墓の《樹下人物図屏風》(742-756)は、《鳥毛立女屏風》と酷似している。中国古代墓は、天井に天象図、東西南北の四壁に四神を描くなど、天界を表象する壁画で荘厳することがひとつの定型となっており、昇仙と密接に関わるモチーフを屏風にも描いて墓室内を構成していた。墓の中はそのように異空間だが、さらに墓に納められた屏風のフレーム内に描かれた絵の先にも異空間があり、そこから仙界あるいは壺中天(こちゅうてん)★17といわれる世界へとつながり、墓主は導かれていった。屏風に描かれた女性はその昇天を助ける天女と考えられる。屏風は墓の西側の壁に、折り曲げずにフラットに貼るか、コの字型になるように、第一扇と第六扇だけを折り曲げて壁に貼り、霊魂が西へ昇仙するようにしている。実はこういう屏風のなかに、西域の駱駝に乗った人など西の方からやってくる人物像が描かれる場合がある。仏教の教えでは西には極楽浄土があるといわれ、中国の死生観でも西方には崑崙(こんろん)山があり、そちらから来る人は異界の仙人を連想させる。だから単に西域の人がやってきたというよりも、遠山と鳥が象徴する西の異界、崑崙山と結びついたイメージ、あるいは崑崙山の主である西王母(せいおうぼ)の世界に誘われ、そこに魂が昇って行くイメージがあると思う。天女は西王母の使いといってもいいような、羽人(うじん)★18と似た神格である。着衣に鳥毛を用いた先例として、唐の中宗(ちゅうそう)の女、安楽公主(あんらくこうしゅ)が着用したという多くの鳥の毛で鳥獣の姿をあしらった裙(くん)がある。奈良時代に製作された東大寺二月堂の本尊光背には、羽衣をまとった羽人とみられる神仙の姿が線刻で表わされている。特に中国の墓では道教的、仏教的な世界観で昇仙する意味が重要だった。鳥が天界との往来を担う存在であることから《鳥毛立女屏風》は、その中国の墓制と関わった考え方のなかで、聖武天皇を天上の理想世界へと導く意図を込めて、追善の明器として献上されたといえるのではないだろうか。正倉院宝物の夢は広がる」と語った。

★16──墳墓の中に埋めるために特製した器物。
★17──俗世間とかけ離れた別世界・別天地のこと。
★18──羽衣を着て自由に空を飛ぶ神仙や道士。

谷口耕生(たにぐち・こうせい)

奈良国立博物館学芸部保存修理指導室長。1972年仙台市生まれ。1994年東北大学文学部東洋日本美術史専攻卒業、2000年同大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程単位取得退学。2001年8月より奈良国立博物館学芸員、その後現職。専門:日本仏教絵画史。所属学会:美術史学会、文化財保存修復学会。主な受賞:第25回国華賞(「倶舎曼荼羅と天平復古」(林温編『仏教美術論集1 様式論─スタイルとモードの分析』竹林舎, 2012)。主な展覧会企画:『特別展 神仏習合──<かみ>と<ほとけ>が織り成す信仰と美』(2007)、『聖地寧波 日本仏教1300年の源流〜すべてはここからやって来た』(2009)、『天竺へ〜三蔵法師3万キロの旅』(2011)、『国宝 醍醐寺のすべて─密教のほとけと聖教』(2014)など。主な共著:『奈良国立博物 館所蔵 国宝 絹本著色十一面観音像』(中央公論美術出版, 2006)、『薬師寺所蔵 国宝 麻布著色吉祥天像』(中央公論美術出版, 2008)、『日本美術全集 奈良時代2(東大寺・正倉院と興福寺)』(小学館, 2013)、『大徳寺伝来五百羅漢図』(思文閣出版, 2014)など。

作者不明

デジタル画像のメタデータ

タイトル:鳥毛立女屏風。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:作者不明《鳥毛立女屏風》奈良時代(752〜756), 紙本白色地彩色ヤマドリ羽毛, 六曲一隻(第一扇:135.9×56.2cm, 第二扇:136.2×56.2cm, 第三扇:135.8×56.0cm, 第四扇:136.2×56.2cm, 第五扇:136.2×56.5cm, 第六扇:136.1×56.4cm), 北倉44, 正倉院宝物。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:正倉院事務所, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 380.3MB(1,000dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:─。情報源:正倉院事務所。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:正倉院事務所。



【画像製作レポート】

 《鳥毛立女屏風》の写真は、宮内庁正倉院事務所が管理。宮内庁正倉院のホームページから「写真使用について」をダウンロードし、「写真使用申込書」に必要事項を記入後、正倉院事務所へ郵送。高精細デジタルデータの提供は行なっておらず、作品写真のサイズ別紙焼きの提供となっている。ひと月ほどで西大寺フォトからA4プリント6枚(納品書No.N00460)と請求書(No.S00615)が送られてきた。使用料・掲載料は無料、紙焼き代・送料の実費27,000円(原板借用返却費:4,000円、プリント代:3, 500円×6=21,000円、税金:2,000円)を支払う。
 A4サイズの写真(カラーガイド・グレースケールなし)を6枚スキャニングしてデジタル化。各1,000dpi、約50MBのTIFFファイルに保存した。iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録などを参照して、目視による画像の調整作業に入る。色を調整後、6つの画面を合わせて縁を切り取る。Photoshop形式:380.3MB(1,000dpi, 8bit, RGB)に保存。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 6つの各画像の色を個別に調整したのだが、6画像全体を見ると統一感がない。各作品の経年変化の違いや写真撮影時の環境の差など、6画像が同じ条件ではないにしろ調整に手間取った。実物6扇が一堂に並ぶのはいつになるのだろう。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

『真美大観』第15冊, 1907.5.20, 日本眞美協會
村山旬吾『和漢名画選』1908.7.5, 國華社
『東洋美術大観 第1冊』1912.8.25, 審美書院
今泉雄作『日本画の知識及鑑定法(書画骨董叢書 第1巻)』1920.7.10, 書画骨董叢書刊行會
図録『正倉院御物図録 第二』1929.7.25, 帝室博物館
『日本美術の鑑賞』古代篇, 1942.7.30, 帝國教育會出版部
長島健「「鳥毛立女屏風」図のモチーフについて」『史観』第40冊, pp.31-.44, 1953.12.15, 早稲田大学史学会
野間清六「原色版解説 鳥毛立女屏風(部分)」『MUSEUM』103号, pp.5-.6, 1959.10, 美術出版社
岡田譲 編著『正倉院の宝物』(現代教養文庫257) 1959.10.30, 社会思想研究会出版部
秋山光和「鳥毛立女図の姉妹たち─樹下美人図の系譜」『MUSEUM』104号, pp.2-.4, 7-8, 1959.11, 美術出版社
飯島勇「鳥毛立女屏風の問題点─樹幹・巌石における羽毛貼成の否定を中心に」『MUSEUM』 105号, pp.2-6, 1959.12, 美術出版社
飯島勇「鳥毛立女屏風に新たな試論を加えて」『MUSEUM』113号, pp.2-6, 1960.8, 美術出版社
林陸朗『光明皇后』(人物叢書)日本歴史学会編, 1961.12.1, 吉川弘文館
武者小路穣「名画の秘密 日本 鳥毛立女屏風」『美術手帖』No.197, pp.70-75, 1961.12.1, 美術出版社
『正倉院の宝物』1965.3.31, 朝日新聞社
鈴木敬「書評 島田修二郎「鳥毛立女屏風論考」(「正倉院の絵画」所収)」『MUSEUM』210号, p.34, 1968.9, 美術出版社
『原色日本の美術 第4巻 正倉院』1968.12.20, 小学館
君島久子「羽衣覚書─飛翔と変身」『藝文研究』No.27, pp.411-421, 1969.3.20, 慶應義塾大学藝文学会
曽布川寛『崑崙山への昇仙 古代中国人が描いた死後の世界』1981.12.20, 中央公論社
小南一郎『中国の神話と物語』1984.2.23, 岩波書店
百橋明穂「イラストで見る羽衣を着た天平美人 鳥毛立女屏風」『芸術新潮』通巻431号, pp.48-52, 1985.11.1, 新潮社
島田修二郎「鳥毛立女屏風」『日本絵画史研究』pp.3-69, 1987.11.7, 中央公論美術出版
『正倉院宝物 北倉』1987.11.30, 朝日新聞社
小杉一雄「神仙の羽衣を論じて鳥毛立女屏風に及ぶ」『美術史研究』 第26冊, pp.1-22, 1988.12.15, 早稲田大学美術史学会
百橋明穂「作品解説 124鳥毛立女屏風(第3扇・樹下美人図) 125鳥毛立女屏風(第4扇・樹下美人図)」『正倉院の宝物』p.166, 1989.4.8, 平凡社
阿部弘「鳥毛立女屏風修理報告」『正倉院年報』第十二号, pp.1-17, 1990.3.20, 宮内庁正倉院事務所
阿部弘「正倉院宝物 鳥毛立女屏風」『國華』通号1151号, pp.32-34, 1991.10.20, 國華社
橋本治「その十一 ふくよかなものの変遷」『ひらがな日本美術史』pp.111-121, 1995.7.25, 新潮社
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米田雄介・杉本一樹 編著『正倉院美術館 ザ・ベストコレクション』2009.11.12, 講談社
成瀬正和「正倉院宝物を考える──舶載品と国産品の視点から」『正倉院宝物に学ぶ2』pp.203-218, 2012.10.25, 思文閣出版
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谷口耕生「鳥毛立女屏風と唐墓壁画樹下人物図屏風」『天皇皇后両陛下傘寿記念 第六十六回「正倉院展」目録』図録, pp.128-131, 2014.10.23, 仏教美術協会
Webサイト:戸田聡「第66回正倉院展 正倉院学術シンポジウム「正倉院宝物に日本文化の源流をみる」」『YOMIURI ONLINE』2014.11.10(http://www.yomiuri.co.jp/shosoin/2014/news/20141107-OYT8T50179.html?from=ycont_top_txt)読売新聞, 2015.1.5
Webサイト:「第66回正倉院展 正倉院展が閉幕…来場者は26万9348人に」『YOMIURI ONLINE』2014.11.13(http://www.yomiuri.co.jp/shosoin/2014/news/20141117-OYT8T50129.html)読売新聞, 2015.1.5
Webサイト:「【入場者数レポート】 2014年後半の主な展覧会の話題から」『Art Annual online』2014.12.17(http://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/44126/)美術年鑑社, 2015.1.5
Webサイト:「天皇皇后両陛下傘寿記念 第66回正倉院展」『奈良国立博物館』(http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/shosoin/2014shosoin_index.html)奈良国立博物館, 2015.1.5
Webサイト:『正倉院』(http://shosoin.kunaicho.go.jp/)宮内庁, 2015.1.8


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2015年1月

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