アート・アーカイブ探求
宮北千織《うたたね》──瞳を閉じれば見える「安部則男」
影山幸一
2016年01月15日号
対象美術館
調和と開放感
カーテン越しに日差しの入る明るい室内、赤い髪、色彩豊富な画面から作家の自由な感性が伝わってきた。赤・青・黄。信号機と同じ色の絵が目を引いた。ネガフィルムをそのまま絵にしたような無機質な人物像。絵肌が乾いて見えるためか、フラ・アンジェリコ(1387頃-1455)の《受胎告知》(サン・マルコ美術館蔵)のようなフレスコ画を思わせたが、カラフルな日本画だった。宮北千織の《うたたね》(足立美術館蔵)である。多色にもかかわらず、全体が調和しているところに高い構成力と技巧力が見られる。画面中央の人物は背景と同化し、すべてが等しく光に包まれ色彩を放ち、鑑賞者に精神的開放感を与えている。
インターネットで出会ったこの絵の実物を見てみたいと思っていた。宮北の新作《皇妃の一生》が「再興第100回院展」に出品されていたので、早速見に行った。「内閣総理大臣賞」を受賞しているこの作品は、理知的に練られた画面だったが、宮北の直感的色彩表現が変化したような何か模索しているような印象を受けた。やはり実物の《うたたね》の前へ立たねばと思い、作品を所蔵する島根県の足立美術館へ向かうことに決めた。
《うたたね》は2002年に足立美術館賞 を受賞し、足立美術館の所蔵作品となった。作品について足立美術館の安部則男学芸部長(以下、安部氏)に《うたたね》の見方を伺うことにした。授賞理由や《うたたね》の評判も併せて訊いてみた。
新鮮な感覚
朝7時10分、羽田から飛行機で出雲縁結び空港へ行き、出雲大社に参拝して、昼過ぎにJR安来(やすぎ)駅に到着した。足立美術館へは無料シャトルバスが出ている。民謡の安来節やどじょう料理、鉄鋼開発拠点として有名な安来市には、美術館に隣接してさぎの湯温泉もある。
1965年島根県安来市に生まれた安部氏は、小さい頃からよくこの足立美術館へ来ており、絵に親しみをもつようになったという。材木商を営んでいた実家を継ぐために駒澤大学経営学部経営学科を卒業し、2年間広島県呉市の木材会社に勤めたが、改めて自身の将来を考えた時に美術館で働くことを決意。縁あって1991年足立美術館に就職することに決まり、一年間は学芸員補として見習い、その間通信教育で学芸員資格を取得、翌年から学芸員となった。
横山大観と庭園で有名な足立美術館の来館者は、山陰観光のひとつとして訪れる人が多く、大観など近代日本画を目指して来る美術愛好家ばかりではない。これまで庭園の魅力や絵の見方など、美術へ興味をもってもらえるような展示やサービスを提供してきたが、2020年に開館50周年を迎えるにあたり今後は地域とのかかわりを強化していくという。安部氏は約1,500点の収蔵品のなかから特に好きな絵として、横山大観の水墨画作品《雨霽る(あめはる)》を挙げた。墨一色で山を表わし、雲や霧の動きを感じさせるように表現したところに、大観の素晴らしさを感じるという。
《うたたね》の第一印象について安部氏は「これまでの院展にない新しい新鮮な感覚の作品で面白いと思った。将来性も感じられ、第8回足立美術館賞の審査では審査員全員一致で決まった」と述べた。《うたたね》の画像は、図録「足立美術館現代日本画選」の表紙、クリアファイルやポストカードなどのミュージアムグッズにも採用されており、足立美術館の新しい顔として人気があるという。
自律的意志
色彩の画家と形容される宮北千織は、1967年東京生まれの日本美術院
日本画の団体の主要な展覧会として、院展のほか、多様性が特色の日展、西洋の近代絵画をより自由に摂取した感覚的造形主義が特色の創画展がある。院展の名で親しまれている日本美術院を、宮北は最も絵を勉強し続けられる場として、絵画制作の拠点としている。
1992年東京藝術大学の日本画専攻を卒業。1994年《室内・夜》で院展初入選、1997年藝大大学院美術研究科を満期退学。1998年院友に推挙される。2000年《陽のあたる午後》で奨励賞受賞、2002年に《うたたね》で日本美術院で最も栄誉ある日本美術院賞(大観賞)と足立美術館賞を受賞して、特待に推挙された。2004年《うつろふ》で日本美術院賞(大観賞)、天心記念茨城賞を受賞し、招待に推挙され、個展やグループ展への発表を続けて2007年には藝大出身の女性として初の日本美術院の最高ランクである同人に推挙された。
《うたたね》に魅せられ宮北千織という画家を知ることになった。取材を申込みお会いすると院展の注目作家ということを感じさせないオープンな明るい感じの女性であった。女流画家という言葉のイメージが覆るが、芯が強く頑張り屋タイプには相違なく、おそらく制作に入ると変身するのだろう。寡黙派や理論派、パフォーマンス派の芸術家ではない。世界に開かれた自律的意志の強さとしなやかさを兼ね備えた人が、芸術家にとっていまあるべき姿なのかもしれないと思えた。
2014年《うたたね》は「日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』」において、過去の名作と共に展示されたことがある。7つのエリアに分けられた会場の中で《うたたね》は、「幻想の世界」のコーナーに展示された。「人のすがた」か「風景の中で」のコーナーでもよさそうだが、「幻想の世界」に分類されたのが興味深い。
宮北は「私は物を色で見ているので、作品をモノクロ写真で撮ると何の作品だか分からなくなってしまう。私の色彩は長所であり短所でもあると迷っていた時期もあった。(略)色彩は元気の源である。絵を描くには体力と気力を保つことが大切であると感じている。また描き進むなかで自分をみつめる作業が私にとって重要」(油井一八『新美術新聞』No.1063より)と述べている。
【うたたねの見方】
(1)タイトル
うたたね。英文:Dozing
(2)モチーフ
女性、外光、椅子、布、クッション、カーテン。
(3)制作年
2002年。構想は3月下旬、桜の咲く花冷えの季節に取材し、本画が仕上がったのは8月下旬。
(4)画材
紙本彩色。和紙、岩絵具、膠(にかわ)。
(5)サイズ
縦215.0×横170.0cm。額装。
(6)構図
直線で描かれた暗色を背景に、明るい色の曲線に包まれたソファーに横たわる人物を前景とした構図。斜めの背景と真正面からとらえた女性による形を考慮した空間が生まれている。相反する概念を同居させている。
(7)色彩
多色。柔らかな筆致で、直感によって色を配置した。油絵具のように発色のよい色がバランスよく調和している。人物の色は、生身の肌の質感の再現よりも、目には見えない何かを表現したい気持ちから天然黄茶(きちゃ)・錆金茶(さびきんちゃ)・丁子茶(ちょうじちゃ)などを使っている。
(8)作画法
アトリエに入る西陽の形からインスピレーションを得た。姉をモデルにデッサンをし、小下図を描き、大画面へ移行し、筆や刷毛などを用いてアレンジしながら本画を描出。椅子の背に掛けられた白いレースは胡粉を盛り上げ、青いクッションは絵具をペンティングナイフで削っている。
(9)落款
院展は、公募展のため出品時には落款を入れない。画像はこの出品時に撮影したものなので落款はない。足立美術館収蔵時に額装に合わせ、画面左下に金文字の「千織」の署名と朱文方印の「千織」の印章が入れられた。
(10)鑑賞のポイント
「再興第87回院展」に出品のために制作された日本画。ソファーの上で心地よさそうに居眠りをする等身大の女性。だが体温が感じられる人として描かれてはいない。多様な布の取り合わせや、窓から差し込む日差しなど、色彩の調和を楽しむように表現されている。光に透けたカーテンやリアルな透けたレース、滲む色彩が、不穏な空気を漂わせ、人物を介して幻想的な詩情世界へ誘う。瞳を閉じると見える、あのときの、あの感じ。「アトリエの壁に陽が差し込み仕事にならないので、カーテンを閉めようとしたとき、窓の形が菱型に映り手を止めた。西陽と人物を組み合わせて絵にしたいと思ったら、人物のポーズは自然とすぐに決まった。椅子の面積と陽の当たる白い面積に気をつかった。題名は、いつも最後まで迷うが、この絵は最初から《うたたね》にしようと思った」と宮北は述べた。日本美術院賞(大観賞)、足立美術館賞受賞作品。
静物画のように
《うたたね》について安部氏は「色彩の豊かさ。これまでの院展にないような色彩豊かで新鮮な感覚で描かれているところにこの作品のよさ、見どころがある。これだけ色を多く使いながらも、それぞれが喧嘩することもなく、邪魔することもなく、見事にマッチして表現されているところが、この画家のセンス、力量の素晴らしさではないかと考えている。人物は、宮北さんによると、自分は人物を中心に描いているが、人物画としての絵ではなく、むしろ静物画のように、自然に描くように心がけているという。足立美術館賞の授賞式のときに記者から質問があって、これは少女の絵ですかと問われると、姉を描いたものだけれども、姉とか特定の人物を描いた絵ではなく、静物画のように客観的に表現したいと回答していた」と語った。
時空間の美意識
《うたたね》の見え方は、展示空間と照明によって大きく変わると思った。一見すると《うたたね》は油彩画に見える。正面性の強い等身大の人物と、画面一面に広がる多様な要素が関連し合い哲学的、宗教的なテーマを醸し出しており、ポール・ゴーギャンの《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)や、《うたたね》とは正反対の状況として、自然の叫びに耳を塞ぐ、エドヴァルド・ムンクの《叫び》(オスロ国立美術館蔵)といった油絵具を用いた西洋画をも想起させる。
寝ている姿の向こう側に、幻想世界が現われてくる。寝ている人の夢のなかに独自の物語が展開し、過ぎゆく時間の記憶の影を見る。たとえ目が覚めても、明るい日差しから暗い部屋へと哀愁が近寄ってくることは止められない。
哲学者の梅原猛は「窪田空穂(うつぼ)は、万葉集の歌は空間的であるとし、古今集の歌は、時間的であるというが、(略)正確にいうと、万葉歌人の美意識の志向は、瞬間において空間的に広がってゆく美意識であり、古今の歌人の美意識は、時間的に延びている美意識であるというべきであろう」(梅原猛『美と宗教の発見』より)という。《うたたね》に万葉歌人の空間的美意識を、または古今の歌人の時間的美意識を重ねてみたくなる。色彩が導く時空間の揺らぎが、美の感情的構造に作用し、西洋も東洋もない普遍的表現に辿り着いた現代絵画の優品と言えるだろう。
安部則男(あべ・のりお)
宮北千織(みやきた・ちおり)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献