アート・アーカイブ探求
坂本夏子《靴紐を結ぶ風景》──有機的なアルゴリズム絵画「秋庭史典」
影山幸一
2017年06月15日号
動的幻想
青い地球の生命線であった地球温暖化対策の国際ルール「パリ協定」から、温室効果ガス排出量世界2位の米国が離脱を表明し、世界に衝撃を与えた(1位中国、5位日本)。2015年12月に前米国大統領が協定の合意を主導して、197カ国・地域が参加し、今世紀後半には温室効果ガス排出の実質ゼロを目標に採択され、各国の協力体制が始動しただけに、大気に包まれた地球の未来がかすむ。先行きが見えない恐れ、大国の政策は揺らぎ、希望がもてない日常の不穏な空気に、人々はますます過敏になってしまう。
揺らぐ心象風景として呼び起こされたのは、「VOCA展2010」(上野の森美術館)で展示されていた坂本夏子の絵画作品《BATH, L》だった。タイルに覆われた浴室にいる女性はこちら側にいるのか、鏡に映った像なのか。すべてが水の中なのかと不安をかき立てる歪んだ室内空間だ。
そして2016年、URANO(東京・品川)での個展「画家の網膜」で発表された坂本の《靴紐を結ぶ風景》(高橋コレクション蔵)は、グリッドと色彩による遠近感が響き合い、複雑で強度のある空間を表出していた。画面中央を境に、左手は奥に、右手は手前に空間が展開し、ねじれる時空間と点滅する色彩が、リズミカルな動的幻想を感じさせる。M. C. エッシャー(1898-1972)やパウル・クレー(1879-1940)、ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)にも通じる不思議な感覚だった。
美学の更新に意欲的な『あたらしい美学をつくる』の著者であり、「画家の網膜」展のイベントでは坂本と対談を行なった美学者の秋庭史典氏(以下、秋庭氏)に《靴紐を結ぶ風景》の見方を伺いたいと思った。名古屋へ向かった。
絵を描くことは計算すること
名古屋大学大学院情報学研究科の准教授である秋庭氏は、1966年岡山県岡山市に生まれた。小学生の頃は絵を習っていたが、音楽のほうがかっこよく感じ、中学時代には音楽少年になっていたという。チェロやコントラバスも演奏していたそうだが、当時岡山市は田舎で大きな音を出しても怒られず、バンドでロックやフュージョン、ジャズなど何をやっても同じ曲に聞こえたと苦笑する。
美学へ進んだ理由ははっきりとしないが、「音楽を聴いたり、絵を見たりしているときに、一体人は何をしているのだろう」と興味を持った。関心のある本を読むと美学に関係した本が多く、もやもやとした未知の世界であったが、岡山大学でも卒業後の京都大学大学院でも美学を専攻した。人は、芸術作品の色や形を見ているのか、作品に感情移入をしているのか、同行した人との会話を楽しんでいるのか、それとも倫理的・道徳的な問題に関心があるのか、人それぞれ異なると思うが、それがわからずいまも美学研究を続けていると言う。
しかし、「わからないものを扱っているからわかりません、というのはよくない」と、2011年に秋庭氏は『あたらしい美学をつくる』を出版した。「いま生きているこの世界は科学に負っており、科学なしでは考えられない。美学はまず科学から入るべきだろう。この本のなかに自然計算が出てくるが、自然も計算をしているというシンプルな考え方。例えば蟻が大きな虫をこちらからあちらへ運ぶ。これも計算。キャベツが青虫に食べられると匂いを出し、遠くにいる青虫の天敵である蜂を呼ぶ。これも計算。料理も歯磨きも計算、計算は手順が決まっている(同僚の鈴木泰博准教授より教示)。世の中を広く計算ととらえると、その手順、アルゴリズム(問題を解決する定形的な手法・技法)が書き出せる。演算、コンピュテーションという観点から世界を見てみる。そこで計算をベースに美学ができないだろうか、という考え方です」と秋庭氏。
アートという枠組みはすごく不便である。これはアートかアートではないか、という問題が常に出て答えるのは結構難しい。秋庭氏は「少し大きすぎる話だが、アートの枠組みを外したかったし、そう見た方がいいだろうと思った。計算であれば、自然もコンピュータも人間も、計算の枠組みでとらえられる。考えることと絵を描くことはずっと近くにあり、絵を描くということは計算すること」と語った。
造形芸術の拡張
好きな画家はたくさんいるという坂本夏子がひとり名を挙げたのは、フランス人画家オディロン・ルドン(1840-1916)だった。単純化した形と原色を多用した一見飲み込みやすい絵にもかかわらず、複雑なイリュージョンが異質な世界を立ち上げて、作品に近づいて見ると色の重ね方など描き方にあられもない種明かしがあると言う。
熊本県に生まれた坂本は、美術が好きだった母の影響で子どもの頃から画集を見たり展覧会へ出かけていた。愛知県立芸術大学へ進学し、大学院生だった2007年豊田市美術館のグループ展に出品、その翌2008年には「overflow」展、2010年には「BATH,R」展を名古屋にあった白土舎で個展を開催するなど、順調に画道をスタートさせた。2012年に同大学院の美術研究科博士後期課程を修了し、「絵画でしか表わせない世界」の探究を続けている。
坂本は学部生のときに描いた初期作品《Tiles》(2006)について「画面が少しずつ埋まっていくと、自分が画面の中に入りこんで、中で見て描いているみたいになっていた。すごく興奮した」(坂本夏子『美術手帖』No.937、p.28)と、作品と一体となって制作するスリルをかつて語っていた。一方、《靴紐を結ぶ風景》が発表された2016年の個展で坂本は次のコメントを発表した。
「わたしにとって絵は、すでにあるイメージを表出するためのものではなく、未だ無い空間にふれるための方法です。(略)描きながら常に変化する画面はとても繊細で無限の不思議さを内包しています。手の順序がたったひとつ入れ替わる、一筆がおく絵の具の面積や質感、引きずり方がほんの少し違うだけで、次の手の誘導、可能性ががらりと変化します。すべての一手が分岐点です。知らない場所にでるための選択になるか予測しながらくり返します。描くことは絵の内側に住むことですが、そこでは二次元でも三次元でもない場所に身体が適応させられていくような感覚があります。その、絵にしか起こりえない空間は網膜の経験を不思議に歪めていくような気がします」(坂本夏子「『画家の網膜』へのメモ」URANO、2016より)
坂本は、絵を目的ではなく、別の世界を出現させるための媒介やプロセスと考えている。パーソナルでプライベートな自分という表現ではなく、手段としての絵画の成立でもない、その間で絵を描くことで、見たことがないものを見たいという造形芸術の拡張を目指すようになった。
《靴紐を結ぶ風景》は、「高橋コレクション」となった。2017年現在、2,500点を超える作品を所蔵する「高橋コレクション」には、日本屈指の現代アートコレクターとして知られる精神科医・高橋龍太郎氏によって収集された日本の現代アートを考えるうえで欠かすことのできない重要な作品が多く含まれている。
【靴紐を結ぶ風景の見方】
(1)タイトル
靴紐を結ぶ風景(くつひもをむすぶふうけい)。英題:Landscape lacing up shoes
(2)モチーフ
奥行きのある部屋、部屋の中で靴紐を結ぶ女性(図1)。
(3)制作年
2016年。
(4)画材
グルーキャンバス(膠〔にかわ〕引きの麻布)、油彩。絵具に含まれる顔料の量や性質、粒子を見極めて絵具を選択。
(5)サイズ
縦162.0×横194.0cm。坂本自身の身長を超えるサイズであることと、現実の世界のスケールより少しミニチュアであることが意識されている。
(6)構図
画面を左右に分け、奥行きの深さは異なるが、左側と右側どちらも奥行きのある空間が表わされいる。
(7)色彩
多色。白、グレー、茶、黒にパステル調の淡い色。線も色面も均一ではなく、かすれや色むら、滲みなどによって、同じ色でも異なる印象が出るように絵具を塗っている。
(8)技法
グル─キャンバスに、油絵具を混色してつくった白に近いグレーを一層塗り、描き始める。線によるグリッドが何度も引き直されており、空間を立ち上げたり壊したりした痕跡が見える。タイルの部分は、グリッドの空間に沿うように塗られているものと、ずれているものがある。キャンバスの奥と、坂本自身の後ろにも座標があるイメージで描いているという(図2)。
(9)サイン
画面の裏側真ん中に「靴紐を結ぶ風景 2016 坂本夏子」(図3)。
(10)鑑賞のポイント
四角いタイルが基調となり、大小、形が変形する組み合わせで、非日常的な遠近感や音楽的リズムが生まれている。色面はどれも一様でなく、画面に散在するパステル調の淡い色彩が白と黒に呼応してチカチカと点滅。また時間をコラージュするかのようにグリッドを接合させ、二次元平面に四次元の時空を歪ませ表わした。タイルの過密と過疎、色面の大小、色調の強弱など、多様なタイルが一見無造作であるが、全体ではバランスよく配置されており、見るたびに見え方が変化するようだ。画面中央の二列に立つタイルを基軸に、左右の画面が異なる空間を形成し、左手奥のアーチ型の門と画面右下の描き残したような余白が、部屋の内側から外側への広がりを連想させる。靴紐を結んでいる女性は坂本自身とも見えるが、迷宮をさ迷ったあとの一休みなのか、旅立ちを決心した人間なのだろうか。
演算プロセスを鑑賞する
坂本はイメージのビジョンではなく、グリッドによる構造の複雑な結び合わせ方によって《靴紐を結ぶ風景》を描いた。キャンバスに構造のあたりをつけてから、グリッドを重ねたり、消したりして描き始める。部屋の奥行きをグリッドで示し、絵具の色彩と、絵具の物質感が起こす実在的なバランスを考え、手前と奥といった絵具による座標を探る。グリッドと絵具の2つの座標を組み合わせて、空間が立ち上がるぎりぎり、もしくは崩壊するその隙間を坂本は目指しているようだ。目に与える絵具の発色と、物質としての情報力の強弱が、一筆一筆絵具を加えるごとに複雑なオセロゲームをしているみたいに組み替わる。作品が徐々に変化していく絵の振舞い方を観察して、造形バランスを拡張していく。女性像は制作の途中、3割くらいできてきたときに登場させ、絵を描いているこちら側と、絵の中の世界とのつながりをもたせるため、絵の中に入るための入り口とした。制作日数は約2カ月であった。
秋庭氏は初めて《靴紐を結ぶ風景》を見た時「すごいなぁ」と、圧倒されたという。そして「数学や自然科学で問題を解くときに数式を用いるのと同じような、演算の結果を作品に感じた。その過程が全部作品に表われており、そういう演算のプロセスを考えながら鑑賞すると面白い。また構造的なグリッドの中に人がいて物語的な要素が入り、有機的な感じもあって魅力は尽きない」と語った。
絵を描く前にタイルで画面を埋め尽くすという制作ルールを設定するなど、ある単位を構造のなかに見つけていく方法によって、描画に制限を与える坂本にとって、制約は創造力を生み出す方法である。囲碁や将棋の一手ごとのように、坂本も一筆ごとに想像と思考を繰り返しながら絵具をキャンバスの上に置いていく。「混乱や間違いを受け入れながらも、それらを超えていきたい」と坂本。日々絵画の可能性を模索し、描く行為が絵画史を更新する挑戦となりうるかを問いながら前進している。
秋庭史典(あきば・ふみのり)
坂本夏子(さかもと・なつこ)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献