アート・アーカイブ探求
ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》──求めた真実「齊藤貴子」
影山幸一
2018年08月01日号
水に潜む不穏な美しさ
西日本豪雨の猛威に追い打ちをかけるように、35度を超す「命にかかわる危険な暑さ」と連日トップニュースで猛暑を知らせる異常気象が日本列島を襲っている。熱中症対策として水分補給に加え、塩分補給や眠る前にコップ一杯の水を飲むことも大切なようだ。災害をもたらす大量の水から、コップ一杯の水まで、人間と水は不可分であることを思い知る今夏。動植物に欠かせない水のバランスが崩れ、美しい日本の四季は廻ってくるのかと不安がよぎってくる。いま、自然と人間、人間と人間の相互関係は脆弱かもしれないが、人間は自然を観察する日常があって回復していくのだろう。木々の緑陰に透明な水の冷たさを感じる絵が浮かんできた。
森の中の小川に、刺繍を施したドレスを着た若い女性が身を浮かべ、手からこぼれ落ちた色とりどりの可憐な花とともに天を仰いだままゆっくりと流れて行く。この一枚の清潔な絵は、水温や体温、浮遊感を伝え、紫色の静けさが美しくも不穏な空気を漂わせている。ジョン・エヴァレット・ミレイの《オフィーリア》(テート美術館蔵)である。
細密な自然描写の風景画としてではなく、肖像画の視点から《オフィーリア》をとらえるイギリス文学とイギリス文化の研究者である齊藤貴子氏(以下、齊藤氏)に、《オフィーリア》の見方を伺いたいと思った。著書『肖像画で読み解くイギリス史』(PHP研究所、2014)でミレイを肖像画家の視点からアプローチし、『ラファエル前派の世界』(東京書籍、2005)の著者でもある。齊藤氏は現在、早稲田大学(英語)、早稲田大学エクステンションセンター(文学と美術)、上智大学大学院(文学)で講師を務めている。酷熱のなか、東京の早稲田大学エクステンションセンターでお会いすることができた。
詩と絵画
齊藤氏は、子どもの頃から本を読むことが好きで、チャールズ・ラム(1775-1834)の『シェイクスピア物語』という子ども向けの翻訳本などを読んでいたという。英文科を卒業した母の影響のようだ。また、小学校の頃毎週日曜日に教会で上智大学のポール・リーチ神父にフランス語と聖書を習っていた。フランス人の神父は、なぜか英語のシェイクスピアを読まなくてはいけないと言い、齊藤氏は言われるがままに読んで本の世界にのめり込んでいったという。自宅の隣には日本画家が住んでおり、明治の文明開化ころの少女という設定でモデルをしていたそうだ。画家が飼っていた犬と遊べると引き受けたが、10歳の子どもには2時間同じポーズでいるのは大変だったという。
そして、高校2年生から受験勉強を始め、早稲田大学教育学部英語英文学科へ入学する。イギリスブームの草分けで紅茶の本などを執筆されていた出口保夫(1929-)先生に教えてもらいたいと思っていた。アメリカ英語とイギリス英語を使い分ける英語の神様・東後勝明(1938-)先生や、日本における英語辞書の神様・小島義郎(1928-2009)先生方もおられ、迷わずに大学の学部を選択した。
絵画との出会いは、大学へ入ってからだ。イギリスの詩の研究を始めた齊藤氏は、研究者になろうと詩人で画家だったウィリアム・ブレイク(1757-1827)と出会う。「ブレイクの表現は、言葉と絵とを併せて見たときに、初めて理解できるということに気づいた。美術の本を独学で読み、大学の3年からイギリスへ毎年行き絵画作品を見て勉強した。ブレイクがラファエル前派の創立者のひとりであるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-1882)によって再評価されたことを知り、ラファエル前派を包括的にまとめて本に書いてみたいと思うようになった」と述べた。
ミレイの《オフィーリア》を斎藤氏が初めて見たのは20歳のときだった。《オフィーリア》を見るためにイギリスのテート・ブリテンへ行ったが、壁の上の方に掛かっていて《オフィーリア》はよく見えなかった。「なんて心ないことをするんだろう。これがイギリスかと思ったことを強烈に覚えている。しかし実物の迫力があり、目を奪われた。それは2つの次元で奪われる。背景の自然描写と、不思議な姿で描かれている人物、それがどういうことなのか。引き込まれる何かがこの絵にはあると実感した」と齊藤氏は語った。
ラファエル前派結成
ミレイは、1829年イングランド(イギリス)南部のジャージー島に歴史ある旧家の次男として生まれた。天使の顔と評判の美少年で絵の才能にも恵まれ、史上最年少の11歳でロイヤル・アカデミー・スクールズに入学した。
19世紀のイギリスは、国家として黄金期を迎えていた。特に1837年のヴィクトリア女王の即位から70年代にかけて前世紀の産業革命の成功と、資本主義の発達を背景に帝国主義政策が推進され、国内経済が大発展をとげた。だが一方で1811年職人や労働者の起こしたラッダイト運動(機械破壊運動)を皮切りに、1840年代には労働運動が頻発、飢餓と不安の社会問題が深刻の度を増し、「飢えた四十年代(ハングリー・フォーティーズ)」と言われていた。
1848年、ミレイは19歳のときにドイツの反アカデミズムのローマ・ナザレ派「聖ルカ同士団」の影響を受け、絵画の革新を目指してウィリアム・ホルマン・ハント(1827-1910)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらと「ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood:P. R. B)」を結成した。15世紀のイタリア絵画およびフランドル派
の素朴な画風や、絵画の心構えを新たに見直し、自然から直接学ぶことを重んじて、ロセッティがP. R. Bと命名した。ルネサンスの巨匠ラファエロ・サンティ(1483-1520)をはじめとする盛期ルネサンスを18世紀の創設以来理想視してきたロイヤル・アカデミーや、英国画壇に異議を唱えた。1850年、20歳のとき写実性と象徴性を組み合わせたミレイの原点とも言える《両親の家のキリスト》(1849-50、テート美術館蔵)を発表した。これまで続いてきた伝統的な理想化を排除し、リアリティを追求した新しいミレイの作風は、小説家のチャールズ・ディケンズ(1812-70)などから非難され、展覧会の展示から外されてしまう。この騒ぎにヴィクトリア女王がミレイの作品を持ってくるよう命じご覧になられたという。
批評家ラスキン
批判を浴びていたラファエル前派を擁護したのは、当時イギリスで最も影響力のあった批評家ジョン・ラスキン(1819-1900)だった。ラスキンは『近代画家論』の著者であり、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851)を評価し、自然を忠実に再現する描法を提唱していた。ラスキンの妻エフィーは後にミレイと恋に落ち、ミレイはエフィーと結婚して8人の子どもをもうけている。
バッシングを浴びた《両親の家のキリスト》のあとに描いたのが《オフィーリア》である。発表当時には悲哀の欠如と批判され、ラスキンも《オフィーリア》に不満を述べ連ねていた。史上最年少でアカデミー美術学校入学を果たしたミレイは、アカデミー会員として将来を嘱望されていたが、ラファエル前派での活動は異端視され、ミレイはジレンマを抱えていた。しかし、1853年には実力と高まる人気からロイヤル・アカデミー准会員に選出され、ミレイは受け入れる。ラファエル前派は各人が次なる段階へ踏み出し、解散状態となった。
ミレイは1856年、アカデミーとエドワード・バーン・ジョーンズ(1833-98)やウィリアム・モリス(1834-96)ら第二世代に入ったラファエル前派に対し、唯美主義的作品を発表。1863年以降は感傷的な子どもの絵や肖像画を描き、国民的画家となって人気を博した。1885年に準男爵に叙せられ、1896年にはロイヤル・アカデミー会長に選出され、同年ロンドンで67歳の生涯を閉じた。
【オフィーリアの見方】
(1)タイトル
オフィーリア。英題:Ophelia
(2)モチーフ
オフィーリア、鳥、水、空、木、花、草、藻、苔。
(3)制作年
1851-52年。ミレイ22歳。イギリスで最も権威あるロイヤル・アカデミー展に出品するために制作され、1855年のパリ万博にも展示された。
(4)画材
キャンバス、油彩。額縁は、上部がアーチ形の祭壇装飾額縁。当時、技術革新で絵具の改良がなされて、屋外で油絵を制作できるようになった。ラファエル前派は、自然を忠実に描くことをモットーとしていたため、彼らにとって時代が追い風になった。
(5)サイズ
縦76.2×横111.8cm。
(6)構図
水面を斜め上から見た構図であり、仰向けのオフィーリアが頭の方向(左)へゆっくりと流れて行く横長の安定感がある。画面左下の垂直に立つ葦(あし)が前景と後景をつなぎ、時空間を感知させる。
(7)色彩
濃い緑、紫、青、黄、赤、茶、灰、白など多色。
(8)技法
精密な自然描写が際立つ物語性のある画風は、イングランド南部サリー州ユーエルのホグスミル川のほとりに出かけ、7月から11月にかけて背景を写生。その冬20歳のエリザベス・シダルをモデルとし、一面銀の花刺繍が施されたドレスを着せ、湯を張った浴槽に寝かせて人体を描写した。
(9)サイン
右下に「Millais 1852」と赤で署名、年記。
(10)鑑賞のポイント
シェイクスピアが1601年頃に制作した悲劇『ハムレット』の第4幕第7場(下記参照)を忠実に描いた文学的主題の絵画である。オフィーリアは、王子ハムレットとの恋に破れ、あげく父まで殺されて狂気に陥り、花環をつくっていた川辺で足を滑らせ溺死する。目に生気がなく、口を開けた女性が内なる我を見つめるという宗教的な歓喜を表現している。死に向かう瞬間と、神へ近づく祈りにも似た不可視の意識。草木生い茂る小川に流される水死体という当時の表現にはない姿を、ミレイは真実を求めて正確緻密な自然描写とともに描いた。19世紀は花ことばが完成してきた時代でもあった。髪の長いオフィーリアの首にかけているスミレは純潔、右手の下の赤いケシは死と眠り、胸元の紫のヒナギクは無垢を象徴し、“無垢で純潔な乙女の死”という意味になる。画面左上のコマドリは、オフィーリアが劇中で歌う「かわいいコマドリ、あたしの命」に関連し、右下の花環はオフィーリアが柳(見捨てられた愛)の枝にかけようとしたもの。歯に反射する光までもとらえる写実に徹しながら、花の象徴性によって美しいオフィーリアの運命や再生を暗示する。目に見えるものと、目に見えないものを同時に表現する写実的な象徴主義は、ミレイの得意な表現であり、ラファエル前派の特徴でもある。ミレイ渾身のイギリス絵画を代表する名作である。
『ハムレット』シェイクスピア著、福田恆存訳(pp.158-159)
「小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流れにうつして、斜めにひっそり立っている。オフィーリアはその細枝に、きんぽうげ、いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、(略)そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地わるく枝はぽきりと折れ、花環もろとも流れのうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になずんだ生物さながら。ああ、それもつかの間、ふくらんだすそはたちまち水を吸い、美しい歌声をもぎとるように、あの憐れな牲(いけに)えを、川底の泥のなかにひきずりこんでしまって。それきり、あとには何も」
顔のエロティシズム
《オフィーリア》の見どころを斎藤氏は「写真撮影以上の精緻な自然描写にある。当時まだ珍しかった屋外写生を行ない、ミレイは南イングランドで夏の晴れた日には1日10時間休みなく写生をしていた。また、その自然描写に負けないレベルの人物描写をしている。いちばん驚くのは、リアルなオフィーリアの官能的な顔の表情。半開きの唇と重たげな瞼にある。オフィーリアを描いた絵はたくさんあるが、川を流れて行く姿を描いたのはミレイが最初である。その斬新さは誰もが指摘するが、それに目が慣れると顔に興味が行く。なぜこのような官能的な表情をしているのかというと、この絵のもとになっている『ハムレット』の第4幕第7場に、彼女が死んでいく場面で、ハムレットの母親の王妃が「祈りの歌を口ずさんでいた」という一説がある。歌を歌うためには口を開けないといけないので、口を開いている整合性はある。しかし、あの表情はそれに留まらない官能性がある気がしてならない。その原因について多くの識者はモデルの影響と言っている。この絵のモデルは、エリザベス・シダル。プロのモデルで、のちにラファエロ前派を共につくったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妻になる人。ロセッティの描いた《ベアタ・ベアトリクス》(1864、テート美術館蔵)に出てくる自分の妻も同じ表情をしている。顔の表情はモデル自身の顔に依拠しているが、それで多分にモデルの個性であろうと思うのだけれども、それだけでないというのが私の考え方で、《オフィーリア》が世に出る前年の1851年、ミレイはシダルとまったく別の女性をモデルに同様の表情を描いた《花嫁の付き添い》(フィッツウィリアム美術館蔵)という作品を発表している。この事実がある以上、《オフィーリア》の顔は、モデルであるシダルの個性とミレイの表現力によるエロティシズムとが融合した表情だと思う。いろんなものがいいタイミングで組み合わされて、人が一生に一度描けるかどうか、というレベルの作品である。ミレイの女性像というのは本当に官能的だ。そこにミレイという画家のリアリズムとシンボリズムが加わっている」と語った。
宗教的創意
19世紀半ばのイギリスでは、経済発展に伴う環境問題や社会問題が深刻化し、宗教界は腐敗していた。1830年代には、オックスフォード大学を拠点として、16世紀以来のプロテスタントのイングランド国教会を中世のカトリック的な教えに回帰させようとする「オックスフォード・ムーブメント」という宗教改革が起こった。
ロマン派詩人ジョン・キーツ(1795-1821)の物語詩「聖アグネス祭前夜」の美意識を共有していたミレイやロセッティ、ハントは、ラファエル前派結成時に新しい宗教画を発表したが、日常的で現実的な表現が既存の図像学的ルールを犯したとしてバッシングを受け、試練に耐えねばならなくなった。
ミレイは宗教的なテーマを控えて、文学的主題の《オフィーリア》に着手した。しかし、齊藤氏はこの絵自体が宗教的だと指摘する。そもそも《オフィーリア》の額縁は、祭壇画によく見られるアーチ形で、オフィーリアのポーズも宗教的。彼女がしているのは両手を広げて信仰を表明する「表信」の仕草で、聖職者がミサや聖餐式などで行なう奉納祈願や、祝福のポーズを連想させるキリスト教的な動作であるという。また、シェイクスピアのテクストにおいてもオフィーリアが口ずさむ「昔の祈りの歌」、さらに「水から生まれし者が/また水へと還るように」死んでゆくという教会典礼をイメージさせ、聖水や洗礼の秘跡
も連想させると齊藤氏は語る。1850年にイギリスで牧師の就任をめぐるゴラム裁判があり、国家権力が洗礼の秘跡を否定し、イギリスの教会では洗礼を認めなくなった。ミレイは《オフィーリア》のなかで、洗礼の水と宗教的なポーズを表現し、イギリスが当時抱えていた宗教問題を反映させている。
ハムレットと草枕
明治時代イギリスで《オフィーリア》を見た夏目漱石(1867-1916)は、若い女性の水死体を不愉快と感じながらも、風流で美的と書いている(下記参照)。
シェイクスピアの『ハムレット』に着想したミレイの《オフィーリア》ついて、夏目漱石が『草枕』に書いている美の観察はいまも正しく、真の審美眼とは時の流れも洋の東西も乗り越えている。自然をそのままに描くというラファエル前派のモットーどおりに描いた最も素晴らしい絵が《オフィーリア》だと言う齊藤氏。普通人物がいれば人物から描くが、ミレイは背景から先に描いた。自然を忠実に描写することを重視していた。
「南イングランドのどこにでもあるありふれた自然が背景だからこそ、この絵は普遍性をかちえている。多くのイギリスの人が知るありふれた身近な自然、そこにイギリスで最も有名な悲劇のヒロインが描かれている。緑濃い自然と、イギリス人の多くが読んだことのある『ハムレット』を主題に選んだミレイの《オフィーリア》は、最高のイギリス絵画である」と齊藤氏は言う。
ラファエル前派は、中世復興を目指し、リアリズムや自然主義のさきがけとなり、印象派や象徴主義の萌芽でもあり、装飾芸術やデザインへの広がりなどの多様な要素が内包されている魅力がある。
今秋10月からは、早稲田エクステンションセンター早稲田校で齊藤氏による「ラファエル前派とシェイクスピア」の講座が開講される。来春(2019.3.14〜6.9)には、東京・三菱一号館美術館で「ラファエル前派の軌跡展(仮)」が開催される予定である。
『草枕』夏目漱石著(pp.108-109)
「流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督(キリスト)の御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。(略)ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択(えら)んだものかといままで不審に思っていたが、あれはやはり画(え)になるのだ。水に浮かんだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない」
齊藤貴子(さいとう・たかこ)
ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais)
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