アート・アーカイブ探求
ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》──煌めく白い日常「尾崎彰宏」
影山幸一
2018年11月15日号
※《牛乳を注ぐ女》の画像は2018年11月から1年間掲載しておりましたが、掲載期間終了のため削除しました。
絵画らしい絵画
世界に現存する作品が三十数点といわれるヨハネス・フェルメール。その絵画の4分の1がいま、日本に集結している。東京展(上野の森美術館)と大阪展(大阪市立美術館)を巡回し、来年の5月まで日本で鑑賞することができる。フェルメールの色を実見したいと思い、上野へ「フェルメール展」を見に行ってきた。当日は日和もあってか、午前中にもかかわらず長蛇の列でその人気ぶりにあらためて驚いた。
オランダの黄金時代を象徴するというフェルメールの作品は、絵画らしい絵画を見たという満足感を与えてくれる。サイズは大きくはないが、モチーフ、明暗、遠近、色調、構図、空間、質感と見どころは尽きない。初期の作品で発表当時から称賛されてきた《牛乳を注ぐ女》(アムステルダム国立美術館蔵)を探求してみたいと思った。窓から射し込む光を受けながら、若くたくましい女の使用人が台所で丁寧に牛乳を注いでいる。鑑賞者をもてなすかのように、牛乳の入った水差しがこちらに向けられている。緻密に描かれた壁の釘穴など一見写実に見えるが、計算された白地の背景や斜めに配置されたモチーフにフェルメールの創意が感じられる。
ネーデルラント美術を研究され、『西洋絵画の巨匠5 フェルメール』(小学館)を出版されている東北大学大学院の尾崎彰宏教授(以下、尾崎氏)に《牛乳を注ぐ女》の見方を伺いたいと思った。東北大学がある宮城県・仙台へ向かった。
イメージが出てくる理由
仙台駅から10分ほど、地下鉄東西線で広瀬川を渡り、川内(かわうち)駅を降りるとすぐ仙台城二の丸跡にある東北大学だった。青空のもと紅葉した木々が美しく、尾崎氏が「いまが一番いい季節です」と迎えてくれた。尾崎氏は、1955年福井県に生まれ、歴史好きの少年だったという。父が中学校の美術の教師だったが、特に美術好きということはなく、人物の生き方に関心があり、吉川英治の『宮本武蔵』など、日本史や西洋史を読んでいたそうだ。ただ幼稚園に入る前に日展に出品していた父と一緒に東京へ行ったとき、東京国立博物館で見たキラキラと輝く日本の刀剣の美しさが、幼心にも印象に残ったという。
東北大学の文学部に入学した尾崎氏は専攻を迷っていた。大学のイベントで彫刻家の高田博厚(1900-1987)を招いたとき、尾崎氏は高田から「美術をやりたいのなら、フランスへ行き3つのものを訪ねてきなさい。何かを感じればそれをやり、感じなければやめる」と言われた。パリのステンドグラスが美しい教会サント・シャペル、クリュニー中世美術館のタペストリー《貴婦人と一角獣》、オランジュリー美術館のクロード・モネ(1840-1926)の《睡蓮》。翌年の1977年2月の終わりから4月の初めまで、尾崎氏はヨーロッパ旅行へ出かけた。ほとんどイタリアにいたそうだが、ルーヴル美術館へ行ったときレンブラント・ファン・レイン(1606-69)と出会った。「闇の世界だけど何なのか、すごいと思った」という。尾崎氏はレンブラントを研究することに決めた。博士課程へ進み、1983年から84年までオランダ政府給費生としてアムステルダム大学美術史研究所へ留学。現在は移転したが研究所は、アムステルダム国立美術館裏手のヨハネス・フェルメール通りにあったそうだ。帰国後の1985年、青森県の弘前大学へ就職し、2000年より母校で教鞭を執っている。
《牛乳を注ぐ女》を尾崎氏が初めて見たのは留学中のアムステルダムだった。「なぜ女性がどんと存在感をもっているのか」と、この作品がフェルメールの鍵となる作品だとは思ってはいなかったという。17世紀のオランダ美術研究は、19世紀の印象派を研究するようなところがあり、研究対象の画家以外にも周辺の画家を知らなければいけない。フェルメールを意識して取り組んだのは『西洋絵画の巨匠5 フェルメール』であったという。尾崎氏は「イメージというものはエフェメラルな一過性で終わるのではなく、何かイメージがあるということは、イメージが出てくる理由があるのではないか。その理由とは時代なのか、思想なのか、一体何かに関心がある」と述べた。
オランダの独立
オランダは、かつてネーデルラントと呼ばれていた。ネーデルラントの17州は1477年からハプスブルク家の領地となり、スペインの支配下に置かれた。1517年宗教改革以降はプロテスタントの数が増え、カトリックの守護者たるスペイン王フェリペ2世はこれに怒り、ネーデルラントのプロテスタントに重税を課して厳しく弾圧した。プロテスタントの急進派であるカルヴァン派が反発し、教会の聖像、聖人画を打ち壊す「イコノクラスム」を各地で起こすようになる。1568年ネーデルラント貴族のオラニエ公ウィレム1世が武力蜂起し、独立戦争へと発展する八十年戦争(〜1648)が始まった。1581年「ネーデルラント連邦共和国」の樹立を宣言した。
一方オランダは、大航海時代をリードしていたポルトガルがスペインに併合されたことから香辛料などが輸入できなくなり、アジアへの進出を始めた。海運や毛織物業の発展をもとに1602年に連合東インド会社(VOC:Vereenighde Oost Indische Compagnie)を設立し、インドネシアを拠点に、鎖国中の日本を含む世界各地との交易ルートを開拓し、東洋から香辛料や綿織物、磁器などを輸入し、莫大な利益を上げた。自由で寛容なアムステルダムはヨーロッパ随一の国際貿易都市となり、オランダは圧倒的な経済力で世界の覇権を握った。長らく続いたスペインとの戦いも、1648年のミュンスター講和条約により終結し、「オランダ連邦共和国」として独立が承認された。豊かな市民社会となり美術品が求められ、多くの絵画が商品として流通するようになった時代にフェルメールは生まれた。
光の粒子を扱う
1632年、オランダのデルフトに誕生したヨハネス・フェルメール。謎の多いフェルメールの生涯であるが、父レイニール・ヤンス・フォスは、織物職人として修業したのち、居酒屋兼宿屋「空飛ぶキツネ」を経営、画商も手掛けていたようだ。フェルメールは15歳頃からデルフトを出て画家修業を積んでいた。先生や場所などは判明していない。1652年第一次英蘭戦争が勃発した年に父が亡くなり、二十歳になったフェルメールは長男であったことから宿屋と画商を受け継いだ。翌年の1653年、デルフトで最も信頼を集めていた画家レオナールト・ブラーメル(1596-1674)の立会いにより、カトリックの富裕な家の娘カタリーナ・ボルネスと結婚。結婚を渋っていたという義母マーリア・ティンスの屋敷で同居生活を送った。子どもは少なくとも14人生まれている。
画家・工芸家のギルド「聖ルカ組合」に加入し、プロの画家としてスタート。フェルメールは最初物語画、歴史画を描いていた。25歳頃には、富裕な醸造業者ピーテル・ファン・ライフェン(1624-1674)というパトロンを得て、光の粒子を扱う魔術師として名声を高めていった。風景画や静物画に並び、人々の日常の暮らしの情景を描いた風俗画が流行。なかでも特に人気を博した主題が、台所で働く名もない女性のイメージであった。
1662年30歳のフェルメールは、最年少で「聖ルカ組合」の理事に選出された。1665年第二次英蘭戦争が勃発し、1672年には英仏に宣戦され、第三次英蘭戦争が始まり国家的な危機に陥った。絵が売れず生活が苦しくなったフェルメール。揺れる時代に翻弄されながら1675年、32〜36点といわれる作品を残し、43歳で死去した。デルフトの旧教会に埋葬され、妻と11人の子どもが残された。再評価されたのは19世紀半ばになってのことであった。
【牛乳を注ぐ女の見方】
(1)タイトル
牛乳を注ぐ女(ぎゅうにゅうをそそぐおんな)。英題:The Milkmaid(The kitchen maid)
(2)モチーフ
女、頭巾、エプロン、水差し、牛乳、平鉢、パン、パン籠、青いジョッキ、テーブル、テーブルクロス、青い布、窓、壁、額、籠、金属容器、釘、足温器、タイル。
(3)制作年
1658-59年頃。フェルメール26〜27歳頃の作品。
(4)画材
キャンバス・油彩。群青色の高価な顔料ウルトラマリン(ラピスラズリ)を使用。
(5)サイズ
縦45.4×横40.6cm。
(6)構図
画面中央に人物を置き、前景には食べ物などを置いたテーブル、後景には白い壁、中景の女性が持つ水差しの口をこちらに向けて、牛乳を細く注いでいる。左手に外光が入る窓を配し、右手に室内の空間を感じさせる余白のある構図。
(7)色彩
白、黄、青、緑、赤、茶、黒など多色。鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」と呼ばれている。青と黄色の補色を主調とし、赤や緑で女性に華やかさを添えている。鉢の影に青を使うなど影にも色を付けて全体に透明感のある明るさを表わした。水差し口の黒に対する牛乳の白のコントラスト。赤と青は聖母子で用いる色でもある。
(8)技法
線遠近法
(9)サイン
なし。
(10)鑑賞のポイント
柔らかく澄んだ光が射し込む静かな土間の台所で、慎ましく労働する健康的な女性が描かれている。ハプスブルク王家の支配から脱し、海運国家として隆盛を極めた17世紀のオランダ。プロテスタントの国として独立したオランダを象徴する記念碑的な作品である。海運には天文学や地理学の知識が必要なため自然科学が発達し、自然を観察するためにカメラ・オブスクラ(Camera obscura)
や顕微鏡などの光学技術も向上した。フェルメールは、このような知識を理解していたと推測されるが、正確な描写ではなく、形を単純化しリアルに見えるように、柔軟に採用していたと思われる。近年のX線調査では、壁に方形の地図のようなものが貼られ、赤外線写真の調査では、右下の足温器のあたりに洗濯籠が置かれていたことがわかった。清潔で堅実な市民生活の美徳を表現している。古いパンを牛乳に浸して柔らかくし、パン粥かオーブンで焼くパンプディングをつくるのだろう。テーブルは、折り畳み式の八角形の片方を畳んだいびつな六角形といわれている。壁には釘を刺した痕が残り、窓のガラスは割れて冷たい外気が入ってくる。低地国であるオランダの湿気対策としてデルフト焼きのタイルと足温器がある。すべてのものが光をまとい生命力を宿す。画面全体の落ち着いた色調や、窓から入る穏やかな光に映える色彩がよく知られている傑作。21世紀にも通じる日常の風景が描かれている。
プロテスタントと陶磁器の白
尾崎氏は、《牛乳を注ぐ女》について「白い壁であるがこの白さは、プロテスタント化された教会の空間を暗示している。白というのはネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー地方)各地で、反カトリックの動乱イコノクラスム(聖像破壊運動)が勃発し、教会の宗教画などを破壊した後、教会の堂内を塗った白色とつながる。そう考えると、この女性は聖なる空間にいる聖なるオランダの女性というイメージでとらえられる。家政婦と聖母のダブルイメージ。キリストの血と肉を読み替え、パンとぶどう酒のところを白い牛乳に変えて、風俗画に転化したのかもしれない。もうひとつ白は、陶磁器の白を連想させる。フェルメールは中国から輸入された陶磁器を見ている。陶磁器を見ると白と青の組み合わせが絵画的に見える。特に白は背景に対して白で、青は伝統的にも聖母子の絵にも使われる色。フェルメールは青の用い方が上手い。背景に白を使ったのは陶磁器から発想を得ていると思う。また、牛乳を注いでいる緩やかな運動、モーションを白で印象深く表わしている。モーションを白で表現するというのが、新しい美意識であり東洋の感覚を感じさせる。東洋の陶磁器が感性的に西洋に影響を与えて、新しいいままでなかった白を愛好するような、そういう美意識が混ざり合うことによってつくられてきたのではないか。さらに、この絵は決して写実的ではない。フェルメールは、カメラ・オブスクラを使ったといわれるが、現実はいろんな見え方があり、ひとつではないと思っていたと思う。カメラという装置を使うことによって、さまざまな見方ができる。そうすると、いろんな見え方を使って、現実というものをつくれるのではないか。それが芸術ではないか。芸術は現実をうまく使うことによって、現実から離れることが芸術。現実よりも現実らしい虚構をつくり出すかに腐心した。だから近くにあったからといって克明に描いてはいない。そういうトリック。これをトロンプ・ルイユ(だまし絵)などと呼んでいるが、そうではないと。また騒がしくはないけど、わずかな音があると思う。音によって生活を感じさせている」と語った。
新国家の風俗画
西洋ではルネサンスがそうであったように、古代ギリシャ・ローマこそ理想であり、古典を手本に自らの暮らしを理想に近づけようと考えていた。オランダの風俗画は、その価値観をひっくり返した。自分たちが生きている時代がいいという前提がなければ風俗画は生まれてこなかった。進歩していく時代の一番先頭にいるような意識がオランダにはあったと思う、と尾崎氏は述べている。
1983年に出版された美術史家スヴェトラーナ・アルパース(1936-)の著書『描写の芸術:17世紀オランダ絵画』では、オランダ絵画の特質は事物をありのままに描写することにあるとし、フェルメールを最も高く評価している、と尾崎氏は言う。それまでオランダでは、絵の中の形は必ず言語に分解できる図像学的解読のエルヴィン・パノフスキー(1892-1968)の考え方が主流だった。アルパースは、それに対し、形は同じでも複数の意味に当てはまることがあると主張。泣いているようで、笑っている。形と言語の関係は非常に曖昧であり、図像学的解読手法では限界があると言い、イタリア絵画は物語性に力点を置くが、オランダ絵画は物を写実的に精緻に描く描写性に本質があると発表した。
オランダは、スペインに対して戦争を仕掛け、独立を勝ち取った。市民による共和国を築いたのだ。しかし、権力の正当性は一体どこにあるのか。錦の御旗にあたるものがない。女性が中心になってくる時代に歴史画を描くような時代ではない。ヨーロッパは、王権神授で王権は神から受け取って正当性を主張してきたが、王や皇帝という伝統的な権威を持たないオランダ市民は、新たに自らの正当性をつくり、世に訴えていく必要があったのではないか、と尾崎氏。いまをポジティブに評価し、新たな価値観を広める一助を絵画が担ったイメージ戦略。新国家の理想が最も先鋭化した形で表現されたのが、市民を主人公にした風俗画であり、《牛乳を注ぐ女》は最もオランダ的な絵画だ、と尾崎氏は述べた。
光を活かして、市井の人々や事物の美を描出したフェルメール。黄金時代と呼ばれる17世紀のオランダで絵画力を発揮し、その柔らかな光力はいまも人々を魅了している。
尾崎彰宏(おざき・あきひろ)
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献