アート・アーカイブ探求
ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》──虚実交錯の自由「元木幸一」
影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)
2019年02月15日号
※《アルノルフィーニ夫妻の肖像》の画像は2019年2月から1年間掲載しておりましたが、掲載期間終了のため削除しました。
五感が動く
「余白の美」とは異なる「濃密な美」なのだろう。深い黒、緑、臙脂(えんじ)色が占める神秘的な薄暗い部屋に、一組の男女が手をつないで立っている。開かれた窓からは春を感じさせる外気が入り、柔らかな光が女性のベールをひときわ白く輝かせていた。画面中心にある丸い鏡がこの絵の鍵となるに違いない。
シャンデリアが下がる豪奢な空間の足元には、脱ぎ放された尖鋭的な木靴と子犬。プライベートな部屋で黒い衣装を着た男性が隠棲的で近づきにくいが、画面の中へ一歩踏み込んでみると細部に発見がある。インテリア、ファッションなど、その描写された物質は、触れると音が聞こえてきそうなほどリアル。五感が動く質感表現で魅入ってしまう。幻惑的で壮麗感の漂う名画。ヤン・ファン・エイクの代表作《アルノルフィーニ夫妻の肖像》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)である。 油彩画を完成させたというファン・エイク。1434(永享6)年の制作というから、いまから約600年前、日本では足利氏が政権を握った室町時代(1419-1471)の作品にあたる。《アルノルフィーニ夫妻の肖像》には何が描かれているのだろうか。二人を絵にした意味は何なのだろうか。山形大学名誉教授の元木幸一氏(以下、元木氏)に《アルノルフィーニ夫妻の肖像》の見方を伺いたいと思った。元木氏は西洋美術史を専門とし、とくにネーデルラント絵画 に詳しく『西洋絵画の巨匠12 ファン・エイク』(小学館、2007)を執筆されている。雪の積もる山形へ向かった。
美術が歴史を語る『中世の秋』
山形駅に着くと「山大入口」のバスは1時間に1本だった。雪が止んでいたこともあり、駅から徒歩25分とあったので歩くことにした。緩やかな上り坂で思いのほか時間がかかったが、小白川キャンパスに着いて約束通り元木氏へ電話をすると、研究棟の1階出入り口まで迎えに来てくれた。
元木氏は、1950年宮城県仙台市に生まれた。小学生の頃、家の隣にあった絵画教室へ通っていたという。佐々木正芳(1931-)という教室の先生は、シュルレアリスムの画家として仙台では有名な方と後で知った。建築家の父の仕事の関係で、家には美術に関する本や全集があり、抵抗感なく写実的な油絵を描いていたそうだ。しかし、宮城県仙台第一高校に入学するとサッカー部へ入った。
その後、画家の佐々木先生と同じ東北大学へ進学した。工学部は苦手な数学があり、法学部は論外、経済学部出身の佐々木先生のアドバイスを得て、自由度の高い文学部へ進んだ。ドイツ語を選択した元木氏は、カンディンスキー研究をしていた西田秀穂先生(1922-)に学び、初期ネーデルラント絵画の勉強を始める。“ホモ・ルーデンス(人間とは遊ぶ存在である)”を提唱したオランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)の著書『中世の秋』を読んで、この時代の美術を研究したいと思ったと語る。
「歴史の本だったが、絵のことがたくさん出てきて人間が生き生きと描かれている。しかも小説でなく、きちんと歴史的な資料を踏まえながら、美術を歴史を語る材料として利用した。そこに登場したのがファン・エイクだった」と元木氏。卒論はファン・エイクの肖像画の制作年代について、修士論文は初期フランドル絵画の受胎告知の図像について書いた。
元木氏が《アルノルフィーニ夫妻の肖像》の実物を見たのは大学院生のときだった。夏休みにひとりで1カ月半ほどヨーロッパを周り、最初にロンドンへ行った。《アルノルフィーニ夫妻の肖像》は、「とても鮮やかな色なので意外と写真と同じようだな」と思ったという。その旅では、ファン・エイクではなく、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400-1464)の大きな祭壇画《最後の審判》(フランス、ボーヌのオテル・デュー蔵)がもっとも印象的だったと述べた。
鋭い観察力の「画家G」
ヤン・ファン・エイクの生年や出身地は、正確にはわかっていない。現在のベルギーのマーセイクか、オランダのヘルダーラント地方に1390年頃生まれたと考えられている。
フランス王シャルル5世の弟、ベリー公ジャン(1340-1416)は、14世紀末~15世紀初めにかけて、フランスでもっとも写本制作に情熱を傾けた君主であった。ベリー公が注文した彩飾写本『いとも美しき聖母時禱書(じとうしょ)』は、依頼者や所有者のさまざまな変転を経て、『トリノ=ミラノ時禱書』(羊皮紙、28×20cm)と呼ばれるようになった。その1420~1425年頃に制作された時禱書にファン・エイクが制作したと推定される細密な写本彩飾挿絵(ミニアチュール)がある。時禱書の画家の手はA~Kに分類され、「画家G」がファン・エイクにあたる。ファン・エイクの修業時代の記録も不明であるが、油彩による板絵以前のファン・エイクが微小な世界に魅了されていた様子を想像することができる。
1422年ファン・エイクは、ハーグにあったホラント伯ヤン・ファン・バイエルン(1374?-1425)の宮廷画家となった。1425年にはブルゴーニュ公国のフィリップ3世(1396-1467。善良公と呼ばれる)の宮廷画家兼侍従に任命され、外交団にも参加した。各地を訪れる機会を得たファン・エイクは、政府高官や民間人の注文を受けていたと思われる。
当時フランドル地方は、イギリスから羊毛を輸入し毛織物に仕立てて、各地と貿易することによってヨーロッパ経済の中心地となっていた。ブルッヘ(ブリュージュ/現ベルギー)、ブリュッセルなどの都市にはブルゴーニュ公国の宮殿が築かれ、各国の外交官や国際商人、芸術家が集い、華麗な宮廷文化が開花。富裕な市民社会が形成され、ルネサンスが花開いたイタリアへもフランドルの板絵を輸出していた。
15~16世紀にわたってネーデルラントで展開された初期ネーデルラント絵画は、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)などのドイツ絵画などとともに、新しい時代を告げる「北方ルネサンス
」という呼び名で語られることもある。1432年、ヤン・ファン・エイクは、やはり画家であった兄フーベルト・ファン・エイク(1385/1390頃-1426)を継いで《ヘントの祭壇画》を完成させた。ブルッヘの工房にはブルゴーニュ公やローマのニッコロ・アルベルガティ枢機卿(1375-1443)などの君主や高位聖職者たちも訪れた。1434年、《アルノルフィーニ夫妻の肖像》を制作。同年第一子が誕生し、ブルゴーニュ公が名づけ親となる。1439年には妻マルガレーテ・ファン・エイクの肖像を描いた。
鋭い観察力で光とその効果をとらえ、新たな改良を加えて洗練させた油絵具を用いて、透明に輝くリアリティーある絵画をつくり出した。現在ヨーロッパとアメリカに保管されている肖像画と聖母画は、1432年から1441年の9年間に制作された作品で約20点ある。師と弟子はわかっていない。1441年にブルッヘにて死去した。
【アルノルフィーニ夫妻の肖像の見方】
(1)タイトル
アルノルフィーニ夫妻の肖像(あるのるふぃーにふさいのしょうぞう)。
英題:Portrait of Giovanni(?) Arnolfini and his Wife
(2)モチーフ
男、女、凸面鏡、シャンデリア、蝋燭、ロザリオ、署名、ラグ、犬、長椅子、クッション、スリッパ、ベッド、箒(ほうき)、椅子、窓、果実、家具、木靴、床板。
(3)制作年
1434年。
(4)画材
板(オーク)・油彩。
(5)サイズ
縦82.2×横60.0cm。
(6)構図
男女、黒白、硬軟、遠近、直線と曲線とを対比させた垂直線の多い縦構図であり、凸面鏡を中心線としてモチーフを左右に配置している。一点透視図法を採用してはいないが、室内の奥行き感を十分に感じさせる正面性の強い構図である。
(7)色彩
緑、青、赤、黄、茶、灰、白、黒、金などを用いた鮮やかな色彩。補色の赤と緑色、ハイライトの白が厳粛な画面を生き生きとさせ、柔らかなグラデーションや微妙な色調が秀逸。
(8)技法
注文制作のため、ファン・エイクは依頼主と用途やサイズなどについて打ち合わせし、オーク材を貼り合わせ、板の上にジェッソ(下地)を塗り、額縁をつくったあとカーボン系の絵具で下描きをし、その上に油絵具で描いた。物体の感触にリアリティーを感じさせるように、注意深く絵具の層を塗り重ねている。宝石細工にも似た緻密に計算された写実的な表現のなかにも、指で絵具を伸ばしたり(犬の腹下)、筆の柄の先で絵具を掻き落とすグラッタージュ(ベッド脇の箒)、素早い筆致(房飾り)やぽたりと絵具を落としたような大胆な点描(ロザリオのビーズ)など、多様な描法を駆使している。
(9)サイン
流麗な書体による「Johannes de eyck fuit hic/1434(ヤン・ファン・エイクここにありき。1434年)」と、鏡の上にラテン語の記載がある。字体から察すると専門の書家が書き入れた可能性も考えられる。ファン・エイクが絵の中に署名したほかの作品はなく、この記載をサインとするかどうか悩ましい。画家が画中にサインするようになるのは、15世紀後半の版画からである。
(10)鑑賞のポイント
15世紀には、結婚は教会で挙げなくても2人の証人がいればどこでも成立した。美術史家のエルヴィン・パノフスキー(1892-1968)は、制作年(1434)のちょうど500年後の1934年に美術史専門誌『The Burlington Magazine』に、図像解釈学によってこの絵を結婚記念図と読み解いた論文を発表、これが定説となった。手を取り合う男女は結婚のしぐさ、ベッドは子孫繁栄、シャンデリアに灯された1本のろうそくは結婚のシンボル、凸面鏡は神の目、赤は情熱、緑色は献身の色、ロザリオの水晶は純潔、椅子上の木彫りの聖マルガリタは安産の守り神、箒は聖水を撒き、清めるための道具、オレンジは人間の原罪を象徴する禁断の果実、犬は夫婦間の忠節、木靴やサンダルは結婚の宗教的儀式を意味し、鏡の周囲には10のメダイヨン(円形装飾)があり、下から右回りで、オリーブ山での祈り、キリスト逮捕、ピラトの前のキリスト、鞭打ち、十字架を担うキリスト、磔刑、十字架降下、埋葬、リンボ下り、復活というキリスト受難に関わる場面が描かれている。多種多様なモチーフを結婚と関連する象徴ととらえた。鏡に映り込んだ部屋には、反転したアルノルフィーニ夫妻に加えて2人の人物がおり、ひとりは壁の銘文からファン・エイクであり、婚姻の証人として立ち会っていると思われる。ブルッヘ(現ベルギー)在住のイタリア・ルッカ出身の商人ジョヴァンニ・アルノルフィーニと、同じルッカの商家出身のジョヴァンナ・チェナミが婚姻の誓いを立てているところを記念して描いたと言われている。犬はフランドルの裕福な人々に人気のブリュッセル原産のグリフォン犬と見られるが、モチーフ等の解釈については諸説あり、いまなお定まらない。室内の暗闇を背景に金属、織物、木、毛皮、ガラス、果実の触覚までもが実感できそうな質感描写。約600年近く前に描かれた油彩画とは思えない完成度の高さに驚嘆する。厳粛な雰囲気に満たされた2人の全身像肖像画として記念碑的な作品であり、ヨーロッパの宝といわれるファン・エイクの代表作である。
モチーフの再構成
元木氏は「《アルノルフィーニ夫妻の肖像》は、テレビの走査線のように全体を隈なく見て、しかもできるだけ作品に目を近づけて見ることが大事」と言う。絵の縦の中心線をなす、天井から吊るされたシャンデリア、凸面鏡、2人の手、赤いサンダル、ラグ、小犬と見て、中央の凸面鏡に目を止める。そして再び鏡の中に目を凝らすと、夫妻の後ろ姿とともに2人の人物が映っている。ひとりはファン・エイクなのだろう。夫の顔が爬虫類みたいで気持ち悪いとか、妻は若くて初々しいとか、ヘッドドレスのレース飾りや指輪など、一つひとつ新しい発見があるので、1時間くらいは見たほうがいいと指摘する。
《アルノルフィーニ夫妻の肖像》は、婚礼のスナップ写真のように一瞬をとらえたものではない。モチーフを組み合わせ再構成することにより、独自の作品世界を構築している、と元木氏。豊かなフランドル市民の住居の一室である。1階に寝室をつくることはないためここは2階なのだろう。窓から見える外壁はフランドル地方独特のレンガ造りで建てられていることがわかる。まだ平らなガラスができない時代で、牛乳瓶の底のような円形のガラスを金属の枠にはめて連結させたロンデル窓だ。鏡も当時まだフラットなガラス鏡は存在せず、凸面鏡しかなかった。絵の主役の2人は誰なのか、元木氏はパノフスキーと同様に、やはり「裕福な商人ジョヴァンニ・アルノルフィーニと妻は商家出身のジョヴァンナ・チェナミで、結婚か婚約を記念して描かれた絵」と推測している。男性が挙手と握手の二つの動作を同時に行なったのは、ファン・エイクが結婚図を象徴的に創出したかったからではないかという。
枠を超える自由
油絵は写実に適した表現方法なのではなかろうか。油彩画の起源は定かではないが、ファン・エイクはそれまであった油彩画の技法を統合させて、600年近くも前に技術的にも完成させてしまった。「アヴァンギャルドではないか。油絵技法を成熟させただけでもアヴァンギャルドだが、自由に描いているのがすごい」と元木氏。商人アルノルフィーニが依頼した肖像画が《アルノルフィーニ夫妻の肖像》だとすれば、これは市民が結婚の秘蹟を絵画化した先進事例として、聖と世俗とをつないだことにもなる。
そして元大阪大谷大学教授の小林典子説にならい、「ファン・エイクの芸術的な起源として重要な働きをしていたのは、パリの思想・文化から生まれた写本画ではないか。その革新性と科学的側面としての光学理論が、インスピレーションを与えたのではないか。ファン・エイクを主導したのは14世紀末のジャック・クーヌ(1395-1456)の技法書であろう。豊かな空気、光、陰影の表現を可能にする技法で、ファン・エイクの板絵に関連する技法がそこにあった。ファン・エイクは写本技法から生まれた画家であることが理解できる」と元木氏は述べている。
『トリノ=ミラノ時禱書』などの写本画における細密なミニアチュールは、絵画と現実を区切る境界線を越えて絵画世界へ引き込み、現実を逆照射してくる。聖と俗、虚と実の区別をなくし、両世界を行き交うことができる自由がある。ヨーロッパを代表するこの《アルノルフィーニ夫妻の肖像》に対する研究は、現在も途切れることなく続いている。
元木幸一(もとき・こういち)
ヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献