2019年11月01日号
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アート・アーカイブ探求

サルバドール・ダリ《記憶の固執》──無意識の情景「村松和明」

影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)

2019年10月15日号

サルバドール・ダリ《記憶の固執》1931年、キャンバス・油彩、24.1×33.0cm、ニューヨーク近代美術館蔵
© Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2019  G1963
© 2019. Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Florence
無許可転載・転用を禁止

異種混交性の美

今年も日本はノーベル賞の受賞者が誕生した。リチウムイオン電池を開発してノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏(71)だ。日常生活に欠かせないスマートフォンやパソコンでおなじみの電池と聞くとノーベル賞が身近に感じられる。スポーツでも最近ではラグビーワールドカップで、リーチ・マイケル(31)をはじめ松島幸太朗(26)など、国際色豊かなラガーたちが一丸となり、チーム日本の快進撃に世界が驚いている。調和のとれた多様性に未来を感じながら応援していた。

そんな日常とは異なるモチーフの組み合わせで異彩を放す絵画がある。サルバドール・ダリの《記憶の固執》(ニューヨーク近代美術館蔵)だ。ぐにゃりと柔らかい時計の絵として記憶している人も多いだろう。風景と静物、有機と無機、柔軟と強硬など、異種混交性の美を目指したのか。時が止まるこの世の終末期か、見たことのない風景だ。よく見ると、時計には蟻が群がり、蝿が止まっている。横たわる顔のような物体の眉毛とまつ毛には金色の線が一本一本丁寧に描かれ、遠景の無機質な岩肌、海に波はなく、光が射す砂浜の岸には白い卵のようなものがあり、象の鼻に似た枯れ木の近くには青い卵のような物体が落ちている。一体何が描かれているのだろうか。

近年ダリに関する論文や書籍が意外にも少ないなかで、『ダリをめぐる不思議な旅』(ラピュータ、2010)や『もっと知りたい サルバドール・ダリ 生涯と作品』(東京美術、2016)など、ダリについての著作がある村松和明氏(以下、村松氏)に《記憶の固執》の見方を伺いたいと思った。愛知県岡崎市へ高速バスで向かった。



村松和明氏

現存していないリアル

1963年、村松氏は愛知県岡崎市に生まれた。大学は東京の武蔵野美術大学に入学、1985年に卒業すると地元に戻り、岡崎市初の公募で学芸員として採用される。同年「おかざき世界子ども美術博物館」の立ち上げに関与し、1996年には「岡崎市美術博物館」の開設準備の段階から関わった。「心を語るミュージアム」というコンセプトから、シュルレアリスムを柱に据えることを提言し推進してきた。シュルレアリスムコレクションで知られるミュージアムとなった。

また村松氏は、おかざき世界子ども美術博物館の「有名美術家10代の作品コレクション」を積極的に推進しており、博物館ではモネ、ムンク、ピカソ、ロートレック、エゴンシーレ、青木繁、岸田劉生、村山槐多ら錚々たる画家の幼少時代の作品約250点が収蔵されている。

村松氏は子どもの頃から絵が好きで、小学校4年生の頃に画集で見た、ダリの《記憶の固執》に強く惹かれたという。「写真ではない、現存していないけれどもリアルなものが心に入ってきた。これは何だろうと不思議な感覚」であったという。中学生の頃には絵を描くことが好きで、画家になりたいとも考えていたようだ。「子ども時代に見たものは、その後の人生の感性の糧になったり、人生そのものを変えてしまったりすることもある。子ども時代にこそ本物に触れなくてはならない」と村松氏。

社会人となり、ニューヨーク近代美術館にある《記憶の固執》と初めて対面した村松氏は、「小さくて驚いた。しかし本物の力はすごいと思った。ダリは実物を見ないといけない」と述べた。ダリは謎解きが難しく、自伝『わが秘められた生涯』を書いているが、天才を装うために錯乱を意図して書かれたダリの文章を真に受けては駄目だという。

2003年、ダリ生誕100年を記念し、村松氏はスペイン政府よりダリ研究の要請を受け、スペインへ行った。ダリと共にミロの調査研究を行なったが、ダリは知名度が高いわりに本国での研究も思いのほかに進んでいないと感じたという。ダリの生まれた地に立ち、その空気を得ることで、初めて謎の深さと奇妙な裏側が見えてきたそうだ。ダリは「そこでしか生きられない場所というものがある」と言ったが、村松氏は「彼には少し臆病な部分もあり、生涯子どもの心を持ち続けた純粋な人であったからではないか」と語る。

シュルレアリスムとの邂逅

サルバドール・ダリは、スペインのカタルーニャ地方フィゲラスで、公証人で町の有力者だった父イ・クーシと母ファリパ・ドメネクの次男として1904年に生まれた。翌年アインシュタイン(1879-1955)の相対性理論が発表されている。フィゲラスは、フランスの国境とバルセロナの間に位置する開放的で文化的な小都市だった。ダリには兄と妹がいたが、兄はダリの生まれる2年前に亡くなった。サルバドールは兄の名だった。生涯ダリは自分は兄の身代わりという意識にとらわれる。

早くから絵の才能を発揮したダリは、12歳でフィゲラスのカトリック系の学校で中等教育を受けながら、市立デッサン校にも通った。優雅さと調和のあるルネサンスから同時代の美術まで広く絵画様式を学び、フィゲラス市立劇場(のちのダリ劇場美術館)で開かれたグループ展に出品した14歳の頃には、すでにフィゲラスでは知られる存在だった。

17歳で母を癌で亡くし、ダリは大きな衝撃を受ける。4歳下の妹アナ・マリアを母親に代わる存在として偏愛し、妹を繰り返し描いた。のちにアナ・マリアは、『妹が見たサルバドール・ダリ』(1949)を出版し、ダリの私生活を明かした暴露本にダリは激怒、妹と絶交した。1922年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入学。後年映画監督になるルイス・ブニュエル(1900-1983)や、詩人ガルシア・ロルカ(1898-1936)たちと学生寮で出会い親交を持つが、大学に抗議する学生運動を率いたことでダリは放校処分となった。

1925年21歳、バルセロナで有名なダルマウ画廊で初個展を開くと、パブロ・ピカソ(1881-1973)とジョアン・ミロ(1893-1983)に高く評価された。特にミロは、ダリに画家になることを強く勧め、反対する父親を説得に家を訪ねている。1929年には、パリでブニュエルと共に映画『アンダルシアの犬』を制作し、ミロを通じて詩人で批評家のアンドレ・ブルトン(1896-1966)ら、シュルレアリスム★1の芸術家たちと出会い、グループに受け容れられていく。そして海の見えるスペインのカダケスで過ごした夏に、詩人ポール・エリュアール(1895-1952)の妻であったガラと出会う。

★1──超現実主義。アンドレ・ブルトンが提唱した前衛芸術思想。ジークムント・フロイト(1856-1939)の精神分析理論に影響を受け、頭に浮かんだ言葉やイメージを修正せず、純粋な心的現象を直接書き取るオートマティスム(自動筆記)、またイメージを本来の文脈から切り離して別の文脈に転置することにより違和や驚きを生じさせるデペイズマン(配置転換)の手法などによって、無意識の表出を目指す。
https://artscape.jp/artword/index.php/シュルレアリスム

ミューズとしてのガラ

1894年ロシアに生まれたガラは、ダリより10歳年上だった。本名をエレナ・イヴァノヴナ・ディアコノワという。ミューズとなったガラによって、ダリはエロティシズムと死の魅力に気づかされた。1930年ダリは海沿いのポルト・リガトに漁師の小屋を購入し、ガラと暮らす住宅兼アトリエを構えた。「偏執狂的・批判的方法」★2を提唱し、1931年には一度見たら忘れられない《記憶の固執》を制作。翌年ニューヨークで初のシュルレアリスム展に出品し話題となる。1930年代はダリの最盛期となった。アトリエには大型の拡大鏡が設置され、それをのぞき込みながら極細の筆で描いていたという。

1936年スペインに内乱が勃発する。シュルレアリストの代名詞的存在となったダリだが、常軌を逸した言動やパフォーマンスがブルトンの怒りを買う。ダリは「シュルレアリスムの死」を宣言し、1939年グループから除名された。自己顕示欲と強い自己愛は、つねに優しかった母親を失った喪失感と、つねに抑圧してきた父親に対する反発から生まれたコンプレックスが根底にあったようだ。

ガラと正式に結婚し、第二次世界大戦が勃発したことから1940年にアメリカへ亡命。科学や物理への興味を深め、映画や演劇、ファッションなどの異分野にも積極的に取り組み、確固たる地位と財力を得た。

1942年38歳、自伝『わが秘められた生涯』を出版し、第二次世界大戦後の1948年スペインに帰国。インスピレーション中心だった“幻視”を“原子”に、“心理”を“真理”に置き換えて「神秘主義宣言」を発表した。

1974年、故郷フィゲラスにダリ劇場美術館が開館。1982年のガラの死によりダリは急速に衰え、1984年に寝室の火災により重度の火傷を負った。そして1989年、ダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で心不全により生涯を終えた。享年84歳。ダリ劇場美術館の地下聖堂に埋葬されている。

ダリ生誕100年を終え、ダリの派手なイメージが変わりつつある。「エロティシズムが真っ先にくる」とダリは言っていたが、ダリは愛を求めて描いていた、と村松氏。ダリはガラの存在によって失われた母性を補填されることになった。インパクトを与えることにより、常識や固定観念を白紙にさせ、新しい思考回路や新たな感覚を呼び起こさせようとした。芸術と芸術家のあり方に一石を投じ、現代アートの先駆者のひとりとなった。

★2──ダリが提唱した表現方法。夢や妄想など通常とは異なる精神状態で、目の前にあるひとつのイメージが別のイメージへと姿を変えていくように、連想して浮かび上がる支離滅裂なイメージの連鎖。主観的解釈から切り離し、批判的な視点で捉え直すこと。見方によって異なるイメージを喚起するダブル・イメージや、多重イメージが具体的な手法。


【記憶の固執の見方】

(1)タイトル

記憶の固執(きおくのこしつ)。英題:The Persistence of Memory

(2)モチーフ

時計、枯れたオリーブの木、蟻、蝿、厚い台、板状の台、顔のような物体、砂浜、岩壁、海、空。

(3)制作年

1931年。ダリ27歳。

(4)画材

キャンバス・油彩。

(5)サイズ

縦24.1×横33.0cm。紙のA4サイズ(21.0×29.7cm)に近い大きさ。

(6)構図

水平線のある自然風景を遠景とし、時計や台などのオブジェを前景に配置して、安定した画面に動きと奥行き感を与えている。後年、同じ構図で描いた《記憶の固執の分解》(1952-54、キャンバス・油彩、縦25.4×横33.0cm、サルバドール・ダリ美術館蔵〔米国〕)がある。

(7)色彩

補色関係にある青と黄を基調色に、金属質を表す金やグレー、白、懐中時計の橙色、砂浜の茶と黒など多色。

(8)技法

遠景の風景を先に描き、インスピレーションで生み出された“溶けた時計”などは瞬発的に後で描き加えた。筆跡の残らない薄塗りで、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して描いた。ダリは「偏執狂的・批判的方法」と呼んでいる。

(9)サイン

「OLIVE Salvador Dali 1931」と左下に黒色で署名。

(10)鑑賞のポイント

《記憶の固執》というタイトルは、妻ガラが初めて見たときに「この絵は一度見たら決して忘れられないわ」と言ったことから付けられたと言われる。「柔らかい時計」や「溶解時計」「時間の永続性」とも呼ばれる。この絵画誕生の様子をダリが回想している──ある晩、友人たちを自宅に招き食事をし、そのあとガラは彼らと外出した。自分は家でひとり、皿の上に残されたカマンベールチーズの「超柔らかさ」について考えていた。そして寝る前にアトリエの小さな風景画を確認し、明かりを消した瞬間に「見えた」のである──。「進行する時間」と「溶けていくカマンベールチーズ」が重なって見えた。硬いものと柔らかいものの対立のなかで、ダリは描きかけの風景画にイメージに浮かんだ溶ける時計を描き加え、2時間後にガラが戻って来たときには完成していた。アトリエから見えるポルト・リガトの入り江の風景を基に、死を表わす止まった時計、内面の自画像と考えられる横たわる奇妙な物体、終末を暗示させる懐中時計に群がる蟻、生命の終わりを黙示する枯れたオリーブの木、その奥にある板状の長方形の台は、崩壊した終末世界からの旅立ちの象徴と考えられる家の前の波止場。ダリにとって秩序や習慣、時間に拘束された社会は嫌悪の対象であり、鼓動を止めた社会の崩壊と静寂を描出した。無意識の超現実の世界を提示したダリの代表的作品。

夢の実像

絵が描かれた1931年は、ダリがガラと出会って間もない頃だった。《記憶の固執》には“か弱いダリ”がむき出しの状態で投影されている、と村松氏。ガラに守ってもらいながら描いた1930年代のダリ作品は、精神も肉体も最高潮で作品の質が充実している。

これまで《記憶の固執》の解釈としては、時間に追われている現代社会の滑稽さや、機械的なものに振り回されている現代人の哀れさなど、多くの解釈が出ているという。しかし、そういう解釈や見方とは関係なしに自由に見てほしいと続けた。「ダリは、パッと閃いた幻想光景をオートマティスムに近いかたちで一気呵成に慌てて描いている。思考する意識を捨てて純粋なイメージをキャンバスに定着させた。鑑賞者も考えずに絵の中に入っていく見方でいいと思う。面白いとか、可笑しいとか、不思議と思うのでもいい。解説書を読んでからダリの作品を見るとかえって絵が見えなくなってくる気がする」と村松氏。

ダリは死に対する恐怖や関心が強かった。時計に付いている蟻と蝿は、腐敗したものにたかることから死を象徴し、中央の横たわる人の顔のような物体は、1929年にガラと出会ったダリが自身の精神性を「か弱い裸体」として表現したダリの“内面の自画像”と村松氏は言う。ダリは、ガラによって生き続けることができるようになったのだ。眼前に広がる風景はアトリエのあるポルト・リガトであり、身近なモチーフを用いて超現実の世界を構成した。「写真に手描きで着色したような、どこか夢で見たような、ある種の普遍的な《記憶の固執》は、リアリズムによって“夢の実像”を表現した初めての絵画だ」と村松氏は語った。



村松和明(むらまつ・やすはる)

「おかざき世界子ども美術博物館」副館長代行学芸員。著作家、美術家。1963年愛知県岡崎市生まれ。1985年武蔵野美術大学卒業。 2003年スペイン政府の給付により渡欧し、ダリとミロを調査研究。研究論文をもとに構成されたNHKの特別番組「私が噂のダリである」が国際エミー賞(International Emmy Award 2006)にノミネートされる。キュレーションでは「村山槐多の全貌」展が、2011年美連協大賞・奨励賞を受賞。美術家としては2014年銀座永井画廊で回顧展を開催、『不可思議な梢―four Elements 村松和明作品集』を刊行。また、空間デザインの新たなプロジェクト「アートに暮らすアパート」として、2019年11月に岡崎市に誕生するダリのアトリエをモチーフにした「ポルト・リガト」の監修も務める。主な執筆・著書:「ダリ大図鑑」『Mado:美術の窓』通巻252号(生活の友社、2004)、『ダリをめぐる不思議な旅』(ラピュータ、2010)、『もっと知りたい サルバドール・ダリ 生涯と作品』(東京美術、2016)、「サルバドール・ダリ」『美術手帖』No.1043、総合監修(美術出版社、2016)、『真実の眼──ガランスの夢 村山槐多全作品集』(求龍堂、2019)、『もっと知りたい 村山槐多 生涯と作品』(東京美術、2019)など。

サルバドール・ダリ(Salvador Dali)

スペインの画家。1904〜1989年。スペインのカタルーニャ東北部フィゲラスに生まれる。父は町の有力者で公証人。同名の兄がいたが幼少で亡くなり、4歳年下に妹がいる。6歳のとき油絵で風景画を描く。1921年17歳のとき、母死去。1922年マドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーに入学。1925年バルセロナのダルマウ画廊で初個展。ピカソとミロが高く評価。1926年美術アカデミー放校処分。1929年25歳、ガラと出会う。ブニュエルと共に映画『アンダルシアの犬』を制作。ミロを通じシュルレアリストたちを紹介される。1930年ポルト・リガトに住居兼アトリエを構える。「偏執狂的・批判的方法」を提唱。1931年27歳、《記憶の固執》制作。1933年ニューヨークでアメリカ初の個展。1934年ガラと結婚。1939年シュルレアリスト・グループから除名。1940年ガラとニューヨークに移る。1941年37歳、ミロとニューヨーク近代美術館で共同回顧展。1942年自伝『わが秘められた生涯』出版。1948年スペインのポルト・リガトに帰る。1951年『神秘主義宣言』出版。1964年60歳、スペイン国王よりイザべラ・デ・カトリカ大十字勲章を受章。1969年ガラのためにプボル城購入。1974年70歳、故郷フィゲラスにダリ劇場美術館が開館。1982年78歳、カルロス3世大十字勲章を受章。1983年スペインで初の大回顧展。1984年プボル城の火災で全身に火傷を負う。1989年ダリ劇場美術館に隣接するガラテアの塔で心不全により没する。享年84歳。ダリ劇場美術館の地下聖堂に埋葬された。主な作品:《記憶の固執》《ナルシスの変貌》《パン籠─恥よりも死を》《ポルト・リガトの聖母》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:記憶の固執。作者:影山幸一。主題:世界の絵画。内容記述:サルバドール・ダリ《記憶の固執》1931年、キャンバス・油彩、24.1×33.0cm、ニューヨーク近代美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者: ニューヨーク近代美術館、JASPAR、Scala、(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Jpeg形式24.0MB(300dpi、RGB、8bit)。資源識別子:0159397D(Jpeg、30.3MB、300dpi、8bit、RGB、カラーガイド・グレースケール付)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:ニューヨーク近代美術館、JASPAR、Scala、(株)DNPアートコミュニケーションズ。



【画像製作レポート】

《記憶の固執》の画像は、DNPアートコミュニケーションズ(DNPAC)へメールで依頼した。後日、作品画像のURLが記載されたDNPACのメールから画像をダウンロードして入手(Jpeg、30.3MB、300dpi、RGB、8bit、カラーガイド・グレースケール付)。作品画像の掲載は1年間。
iMac 21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって、モニター画面を調整する。《記憶の固執》のモニター上の画像と、カラーガイドやWebの作品画像とを比較してみたが、色がよく出ており、色彩調整を行なわずに作品キャンバスに合わせて切り抜くのみとした(Jpeg、24.0MB、300dpi、8bit、RGB)。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。A4サイズの小さい作品だが、そのスケール感を表示する工夫が必要だと思った。
セキュリティを考慮して、高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」を用い、拡大表示を可能としている。



参考文献

・サルバドール・ダリ著、滝口修造監修、足立康訳『わが秘められた生涯』(新潮社、1981、pp.346-347)
・『ユリイカ』No.242(青土社、1986.11)
・イグナシオ・ゴメス・デ・ディアーニョ著、佐和瑛子訳『現代美術の巨匠 サルヴァドール・ダリ』(美術出版社、1988)
・エリック・シェーンズ著、新関公子訳『岩波 世界の巨匠 ダリ』(岩波書店、1992)
・鈴木治雄・長谷川智恵子選・著『世界の名画100選 ラスコー洞窟画からサルバドール・ダリまで』(求龍堂、1997)
・クリストファー・マスターズ著、速水豊訳『ダリ』(西村書店、2002)
・ジル・ネレ/ロベール・デシャルヌ『ダリ全画集』(タッシェン・ジャパン、2002)
・ロバート・ラドフォード著、岡村多佳夫訳『岩波 世界の美術 ダリ』(岩波書店、2002)
・村松和明「ダリ大図鑑:ダリはこうして天才になった!! 溶けた時計はどんな意味?」(『Mado:美術の窓』通巻252号〔No.246〕、生活の友社、2004.3、pp.16-17)
・村松和明「卵にこもりたかったダリ~ダリを訪ねてポルト・リガートへ~」(図録『ダリ生誕100年祭カタログ』、諸橋近代美術館、2004、pp.48-53)
・村松和明『ダリをめぐる不思議な旅』(ラピュータ、2010)
・サルヴァドール・ダリ著、北山研二訳・解説『ダリはダリだ ダリ著作集』(未知谷、2011)
・キャサリン・イングラム著、岩崎亜矢監訳、小俣鐘子翻訳『僕はダリ』(パイ インターナショナル、2014)
・三浦篤『まなざしのレッスン2 西洋近現代絵画』(東京大学出版会、2015)
・村松和明『もっと知りたい サルバドール・ダリ 生涯と作品』(東京美術、2016)
・村松和明「PART1 WORK シュルレアリスムの世界をキーワードで読む ダリ作品の本当の意味を知っていますか?」「PART2 LIFE ダリの数奇な生涯」(『美術手帖』No.1043、美術出版社、2016、pp.18-35,42-59)
・斎藤環「ダリ―パラノイアに憧れる神経症者」(『芸術新潮』No.802、新潮社、2016.10、pp.79-83)
・図録『ダリ展』(読売新聞東京本社、2016)
・秋元雄史『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』(大和書房、2018)
・Webサイト:「サルバドール・ダリとは?」(『諸橋近代美術館』)2019.10.7閲覧(https://dali.jp/collection/dali.php
・Webサイト:「Salvador Dalí The Persistence of Memory」(『MoMA』)2019.10.7閲覧(https://www.moma.org/collection/works/79018?artist_id=1364&locale=ja&page=1&sov_referrer=artist



掲載画家出身地マップ
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2019年10月

  • サルバドール・ダリ《記憶の固執》──無意識の情景「村松和明」

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