アート・アーカイブ探求
ビル・リード《ビーバー》──誇り高きクリエイション「齋藤玲子」
影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)
2022年07月15日号
威光のエネルギー
世界の国の数を日本では196カ国としている。日本は国連に加盟していないバチカン、コソボ共和国、クック諸島およびニウエを承認しているのに対し、国連に1991年加盟した北朝鮮を承認していない。戦火を交えるロシアのウクライナ侵攻を想えば、国の誕生と崩壊には、さまざまな国・地域の事情が複雑に絡み合う。国とは脆いものだと改めて実感し、国という概念が生まれる前に民族があったのではないかと思いを馳せる。国を超越する地球人の存在を歓迎したいが、民族とは何なのだろうか。
民族とは何かを考える糸口となる本があった。地名と民族名を明示した「カナダ先住民のアート世界」を記した画集で、二色刷りの明快な形の版画に目が止まった。ビル・リードの《ビーバー》(国立民族学博物館蔵)である。ビーバーとは、「ネズミ目ビーバー科ビーバー属の哺乳類。アメリカビーバーとヨーロッパビーバーの2種、ともに体長約1メートル。毛色は黄褐色から黒とさまざま。尾はうろこに覆われ、横に扁平。水生に適応し、後肢に水かきがある。木を噛み倒してダムを造り、その中の巣で生活する。海狸(かいり、うみだぬき)」と広辞苑にあり、勤勉な動物とされる。
作品の題名は「ビーバー」だが、円形やかまぼこ型のパーツを左右対称に組み合わせた形体で、天辺に人の顔が三つ重なり、下にも生み出された子供のようにひとり鎮座する非写実的なビーバーだ。開運の置物だるまさんのようにずんぐりと丸い形状で、親しみを感じる反面、ドンと正面を向いたビーバーは、赤と黒の入れ墨のような文様に威光のエネルギーがある。版画《ビーバー》の見方を国立民族学博物館(以下、「みんぱく」)の齋藤玲子准教授(以下、齋藤氏)に伺いたいと思った。
齋藤氏は、アイヌ民族や北方地域先住民文化を専門とする文化人類学者で、展覧会「トーテムの物語~北西海岸インディアンのくらしと美」(北海道立北方民族博物館、2008)を企画したほか、著書『極北と森林の記憶──イヌイットと北西海岸インディアンの版画』(共編、昭和堂、2010)を出版するなど、国内では珍しい北方先住民たちの作品を紹介されてきた。大阪府の「太陽の塔」が建つ千里万博公園内にある「みんぱく」へ向かった。
自然と人とをつなぐ
齋藤氏と待ち合わせた時刻にまだ余裕があったため、特別展示を見ようと「みんぱく」の正面左手にある「特別展示館」へ向かうとトーテムポールが立っていた
。展覧会は日本・モンゴル外交関係樹立50周年記念「邂逅する写真たち──モンゴルの100年前と今」(2022.3.17-5.31)が開催されており、首都ウランバートルの変貌にフォーカスした写真展だった。モンゴル人ドキュメンタリー写真家B.インジナーシ(1989-)がナイトクラブやショッピングモールでの若者を捉え、また貧富の差などモンゴル社会への怒りを抱いたラッパーたちのヒップホップのビデオクリップも流れる会場の中で、草原のモンゴルのイメージは覆され、「みんぱく」のいまを知る機会ともなった。そして、齋藤氏とお会いし、「みんぱく」の集大成と言える本館2階の展示場を巡った。オセアニアからスタートし、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、アイヌの文化、日本と一巡する約5キロの「みんぱく」の旅。世界中から収集した資料が12,000点ほど、楽器や住居などがそのまま露出展示されていて、多様性と類似性を感じながら世界一周を楽しんだ。
齋藤氏は、横浜生まれの埼玉育ち。子供の頃はカブトムシやクワガタを捕って真っ黒になって遊んでいたそうだ。生き物に関心があった齋藤氏は、未知の世界へ憧れ自然豊かな北海道へ行ってみたいと思った。1985年北海道大学の文2系へ入学し、バードウォッチングのサークルに入ると、そこには伝統のアルバイトがあった。支笏湖のビジターセンターで、観光客の散策ガイドをした。早朝に探鳥会をし、昼間は散策路で自然観察、夜は映写会を行なった。自然と人とをつなぐ仕事は面白いと思った齋藤氏は、大学で学芸員課程を履修。北海道の地名や植物について体得するなかで、アイヌ文化や博物館に興味を持つようになった。動物行動学や生態学、文化人類学を学び、1989年北大文学部行動科学科を卒業した。
北海道教育委員会に就職、北海道立北方民族博物館開設準備室の学芸員として札幌で1年間を過ごし、1991年網走に北方民族博物館が開館。そこで学芸員を20年間続けてきた。「みんぱく」で「アイヌの文化」展示場のリニューアルを見据えた教員の公募があり、2011年齋藤氏は北海道から大阪へ転職した。「アイヌを中心とした先住民の文化のなかで、非先住民とのコンタクト・ゾーンにある工芸や観光、その歴史と人との関係を見て、現在そしてこれからの先住民文化について何ができるか考えたい」と齋藤氏は言う。
ビル・リードの版画作品との出会いは、北方民族博物館で展示するための資料収集にカナダ、アメリカへ行った、就職した翌年の1990年だった。「際立って力強く、複雑で、人に訴えかけるものがあった」と、齋藤氏は当時を振り返る。日本の先住民族であるアイヌの文化を研究する齋藤氏にとって、カナダの北西海岸先住民の文化は、比較研究するうえで興味深いという。「アイヌと北西海岸先住民はともに口伝や儀礼などによって、自然のなかで生きる知恵を継承してきた。生活用具や儀礼具に独特な図像や紋様を施す伝統があり、アイヌは絵画的なものは描かず、特に具象的なものは描かないが、ものづくりでは両者とも木の文化で、植物の素材の使い方や染料などに共通点がある。また両者ともサケを捕る民族のため、その技術や保存方法、サケに関する世界観も共通するところが多い」と述べた。
人々の島
ビル・リードは、1920年カナダのブリティッシュコロンビア(BC)州ビクトリアに生まれた。本名をウィリアム・ロナルド・リード・ジュニアという。父のウィリアム・ロナルド・リード・シニアはスコットランドとドイツ系のアメリカ人、母のソフィー・グラッドストーン・リードはカナダ北西海岸のハイダグワイ(旧名クイーンシャーロット諸島)にあるスキッドゲートで生まれた先住民ハイダ民族だった。
ハイダの伝統や風俗を知らされずに育ったビル・リードは、1943年23歳のときに幼少期以来初めてハイダグワイを訪れて、母方の祖父である銀細工職人で彫刻家のチャールズ・グラッドストーン(1877-1954)と一緒に時を過ごす。ハイダ語で「人々の島」を意味するハイダグワイは大小約150もの島々からなり、約5,000人の島民が暮らす(2016年の国勢調査)。南北におよそ220キロ、北にグラハム島、南にモースビー島。この二つの大きな島を隔てるのがスキッドゲート海峡である。
祖父のグラッドストーンは、ハイダの著名な芸術家チャールズ・イーデンショー(1839-1920)の甥で後継者だった。温帯雨林の木々と海産物に恵まれたハイダグワイで、ワタリガラスを紋章とする氏族であることを知ったビル・リードは、自分が生まれた年に亡くなったエデンショーの道具をグラッドストーンより受け継ぎ、ハイダのアートに強い関心を持つようになっていく。
1939年からラジオのアナウンサーとして各地で働いていた。1944年メイベル・ヴァン・ボイエンと結婚。1年間カナダ軍に徴兵された。1948年トロントへ移りCBCラジオ局のアナウンサーになる。しかし、自身のアイデンティティとつながりたいと思ったビル・リードは、ハイダグワイでの記憶を胸に、書き言葉を持たないハイダの祖先へ目を向け、ライアソン工科大学に入学し、ブレスレットや耳飾りなどジュエリーづくりを学び始める。ジュエリー技術によって古い形にモダニズムを取り入れ、ハイダ・アートに適用した。
1950年娘のアマンダ・リードが誕生。1951年バンクーバーに戻り、CBCで働きながらジュエリー制作も続けていた。1954年ハイダグワイへ向かい、ハイダ伝来のトーテムポールを保存するためのプロジェクトに参加し、ハイダ民族より「Iljuwas(Manly One, Princely One)」というハイダの名誉ある名前を贈られた(1973年には「Kihlguulins(Golden Voice)」、1986年には「Yaahl Sgwansung(The Only Raven)」という名前も贈られている)。そしてハイダ民族とニスガー民族のルーツを持つ1歳の男の子レイモンド・クロス(1981年没)を養子とした。
民族のアイデンティティ
1962年ビル・リードは、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)人類学博物館の依頼によりハイダの家屋とトーテムポールを建て、伝統的な村の様子を復元した 。トーテムポールには、家の「入口柱」や屋内の「家柱」、「墓柱」のほかに、記念すべき出来事や神話を想起させる高さが10メートルを超える「独立柱」がある。モチーフは、人間社会や自然環境すべてを取り込んだ祖霊のシンボルであり、ハイダの場合、多くはワタリガラスかワシのいずれか属する氏族を象徴する彫刻を冠に、氏族と関係の深い動物や神話に登場する人物が、太い1本の木の上から下まで重ねられる。
ビル・リードはカナダ芸術評議会のフェローシップで1968年より1年間ロンドンに移住。翌年モントリオールに移り、ジュエリーワークショップを開始する。パーキンソン病に苦しんだが、1973年バンクーバーへ戻り、スタジオのアシスタントとともにシルクスクリーン版画やスキッドゲートのトーテムポール(1978)、木彫《ワタリガラスと最初の人々》(1980)、青銅の鋳造品《神話のメッセンジャー》(1985)などを制作し、1986年から1991年にかけてはワシントンD.C.のカナダ大使館のために《ハイダグワイの精神(ブラック・カヌー)》をつくった。
1976年UBCから名誉博士号を授与され、1994年には全国アボリジニ生涯功労賞を受賞、ブリティッシュコロンビア勲章のメンバーおよび王立カナダ芸術アカデミーの会員となった。1996年カナダ大使館の作品と同名の《ハイダグワイの精神(ジェード・カヌー)》がバンクーバー国際空港に展示され国立カナダ歴史博物館に常設展示されている。
、また石膏でつくられた実物大の模型《ハイダグワイの精神(ホワイト・カヌー)》はハイダの伝統的なビジュアルを現代に再現させて、民族のアイデンティティをカナダの誇りとして全土に広げたビル・リード。カナダ・アートの人間国宝と呼ばれ、ロバート・デイビッドソン(1946-)やジム・ハート(1952-)など後進を育て、ジュエリー、版画、仮面、彫刻、トーテムポールなど、小さなものから巨大なものまで1,000点を超えるオリジナル作品を残し、1998年3月13日死去した。享年78歳。遺灰はハイダグワイの祖母の村であるターヌーに埋葬された。カナダ政府は2004年に発行した20ドル紙幣にビル・リードの四つの作品(《ワタリガラスと最初の人々》《ハイダグワイの精神》《ハイダのグリズリーベア》《神話のメッセンジャー》)を掲載。2020年にはロイヤル・カナディアン・ミント(カナダ造幣局)が生誕100年を記念して《ハイダのグリズリーベア》が入った2ドルコインを発行した。
クレスト
北西海岸先住民とは、アラスカ州南部からカナダのBC州、合衆国のワシントン州、オレゴン州にかけた太平洋岸に居住してきた複数の民族の総称で、ハイダのほかトリンギット(クリンキット)、クワクワカワクゥ、ツィムシアンなどは、お互い似た文化を形成している
。北西海岸南部では約5,000年前の考古学遺跡から動物の仮面が彫り込まれた角製スプーンが出土し、芸術的作品の起源とされる。またカナダにおける先住民とは、インディアン(ファースト・ネーションズ)、フランス系ヨーロッパ人とインディアンとの間に生まれた人々の子孫で独自の文化を持つメイティ、そしてイヌイットであると1982年憲法によって規定されている。カナダの総人口3,300万人のうち、約140万人が先住民と言われる(2011年国勢調査)。近年、インディアンという言葉は使われなくなってきており、カナダではファースト・ネーションズ、アメリカではネイティヴが主流になっている。ハイダはハイダグワイとその北にあるプリンス・オブ・ウェールズ島を中心に居住し、ハイダ語を話し、主に漁労を基盤に、狩猟と採集をする自然と一体の暮らしだった。ハイダの芸術性の高さは、豊富な食料に恵まれ、動物と人間を同列に考えるなど創造性を発揮できる時間的なゆとりが確保されていたからだと見られる。社会は外婚規制(特定範囲の個人間の結婚を禁じる規則)の単位として、ワタリガラスとワシの母系半族に分かれており、ビル・リードはワタリガラスの氏族に属する。かつては、その氏族の成員が20~50人集まってひとつの家集団を形成した。この氏族と家集団は、社会生活の基本単位として機能するとともに、社会的ランクの序列に従って貴族層や庶民層と階層化されており、儀礼の場における着席の順序などが決められている。それぞれの氏族と家集団には特権的に所有するクレスト(紋章)があり、ほかのクレストを使用することは、相手の権利への挑発行為と見なされる。全員がクレストを身に着けたり、描き表わすことができたわけではない。文化人類学者で放送大学教授の大村敬一氏は、「クレストを表象する象徴図像は装飾としてのみならず、その所有者の権威と特権を表象する象徴として、社会・政治的に重要な役割を果たしているのである」(図録『第16回特別展 美しき北の文様』p.39)と、展覧会の図録に記している。
18世紀後半からヨーロッパ人とハイダはラッコやビーバーの毛皮交易を行ない、毛皮とともに仮面や木箱などを提供、その見返りに鉄器や布地、小麦粉などヨーロッパ製品を手に入れて繁栄した。ポトラッチ
という伝統儀礼の規模は大きくなり、頻度も増えた。しかし、天然痘やはしかなどの伝染病により人口が激減し、社会の再編成を行なわざるを得なくなった。カナダ政府は同化政策の一環として、蓄積した富を短期間に消費し尽くすポトラッチを1884年から禁止。このため儀礼道具の制作は減り、技術の伝承が進まないという弊害が生じた。「インディアン・ルネッサンス」
一方で、カナダ政府の役人や宣教師は、1890年頃から銀製や木製、角製の彫り物やバスケットを観光用のみやげ品として制作するよう奨励した。1939年にサンフランシスコ万国博覧会、1941年にニューヨーク近代美術館でアメリカ先住民の展示があり、北西海岸先住民の儀礼道具の芸術性が評価された。カナダ国内では1949年UBCが先住民アートに関わり、トーテムポールの修復を先住民に依頼した。バンクーバーやビクトリアは北西海岸先住民アート復興の中心地となっていった。
ポトラッチ禁止に対する先住民の抵抗は続いていたが、1930年代の大恐慌により先住民の情熱は徐々に削がれ、もはやポトラッチを禁止する必要がなくなったことを受けて、1951年インディアン法が改正され、ポトラッチの禁制は解けた。消費社会と観光産業の拡大が関与し、消費者は「消えゆくインディアン」のなかで「インディアンらしさ」を求めていた。古いトーテムポールなどを復元する文化復興プロジェクトが始まり、1960年代には「インディアン・ルネッサンス」と呼ばれる先住民による先住民の文化復興の時代が幕を開けて、ビル・リードも活躍する。新しい表現としてシルクスクリーン版画が、クワクワカワクゥのエレン・ニール(1916–66)によって1949年に制作されていたが、本格的に制作されたのは1960年代初頭のトニー・ハント(1942-2017)以後である。版画は、先住民社会で消費される場合と、市場で商品化される場合がある。民族共有の様式と作家のオリジナリティの線引きや知的財産権などの問題はあるが、先住民にとって版画は経済的に寄与するとともに、トーテムポールと同様に民族のアイデンティティの象徴として機能している。
1970年代後半には200名以上の先住民アーティストがアート市場に参入し、欧米を中心としたアート市場に取り込まれていく過程で、欧米人によって北西海岸先住民アートはアートとして認知されていった。文化人類学者で国立民族学博物館副館長の岸上伸啓教授は「カナダ先住民社会における現代アートの出現は、世界経済のグローバル化や国家の政策と深くかかわった現象なのである」(『極北と森林の記憶』p.15)と述べている。
【ビーバーの見方】
(1)タイトル
ビーバー(びーばー)。英題:Haida Beaver “Ts'ing”
(2)モチーフ
ビーバー。
(3)制作年
1978年。ビル・リード58歳。
(4)画材
アルシュ紙、シルクスクリーン用インク。
(5)サイズ
縦76.4×横56.9cmの中判サイズ。
(6)構図
横向きのビーバーが2頭向き合い、1頭の正面を向いたビーバーを表わしている。左右対称の安定した構図。実際にビーバーを解体し、その解剖学的所見に基づき、身体の各部位を自由に調整・配置する方法により、作品を様式化していったと思われる。
(7)色彩
黒と赤。
(8)技法
ビーバーの特徴的な象徴を明瞭に表わしたビル・リードの描いた原画をもとに、優秀な刷り師ビンセント・リカード(1942-)の版画工房Pacific Editions Limitedが195枚を刷った。写真製版(間接法
)のシルクスクリーン版画。エッジが鋭く、平面的でマットな色面、太い線に対するシャープな細い線描が、シンプルな形態にもかかわらず繊細で複雑な深み感じさせる。(9)サイン
左下に「Haida Beaver-Tsing」、右下に「36/195 Bill Reid ’78」と鉛筆で署名。
(10)鑑賞のポイント
ビーバーは、ハイダ伝統の図像のひとつで氏族の紋章を表わす。祖先と身近に存在する動物が密接に関わり合い、シャマニズム的要素を持って時に人間の形態をとる「相互変身」がキーワードであり、人間と動物の関係や自然と超自然の関係が作品のテーマ。正面を向いて座ったビーバーを様式化・図案化して表現した。2本の大きな前歯、網目模様の尾がビーバーの特徴で、耳と丸い鼻孔があり、前脚に棒を掴んでいる。三次元のビーバーを二次元に広げて見せたようにビーバーの全部が見える。ポトラッチの回数を示す3段の顔がついたかぶりものを着けて、社会階層の高さを示す。
水陸両用の特別な力
《ビーバー》について齋藤氏は「ビーバーは、水陸両生動物で特別な力があると考えられている。ダムをつくったりする働き者で魚を捕ることやクリエイションという意味がある。北西海岸の伝統的な図像は、少なくとも18世紀には記録に残されている。1778年に海洋探検家キャプテン・クック(本名:ジェームズ・クック、1728-79)に同行した画家が、家の内部をスケッチしたトーテムポール(家柱)には顔が付いている。ハイダの人たちは、人に評価してもらえることが誇りと考えており、富を蓄えた者がポトラッチというかたちで祝宴を開いて富を分配する。ポトラッチをした回数が多い者ほど評価が上がってくる。ビーバーの頭に乗っているものがポトラッチの回数を示し、《ビーバー》は3回のポトラッチ主催者であることを表わしている。また、2頭の横向きのビーバーが向き合って、1頭の正面向きのビーバーになっている不思議な構造や、ビーバーの関節に目のような模様を使うこと、ビーバーの中に人間があるのも特徴的な表現となっている。色彩の黒と赤は、伝統的な色使いだ。《ビーバー》はシルクスクリーン用のインクだが、仮面やトーテムポールなどに使用する黒は炭、赤はレッド・オーカーが使われた」と語った
。先住民族の誇りある紋章が、国を越えて広がり人類に平和をもたらしている。齋藤玲子(さいとう・れいこ)
ビル・リード(Bill Reid)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献
2022年7月