アート・アーカイブ探求
長沢芦雪《虎図》写実から解放されたユーモア──「辻 惟雄」
影山幸一
2010年11月15日号
対象美術館
応挙からの出発
機智に富む芦雪の絵でありながら、インパクトの弱さを感じるのはなぜなのだろうか。「芦雪が円山応挙から出発したことと関係するかもしれない。応挙の写実描写を完全にマスターし身につけた芦雪は、ボキャブラリーを新しく加えるのが難しかったのだろう。もともと応挙とは違う諧謔や擬人化した表現であったが、それが出しづらかったのでは。だがそれでは応挙の亜流と言われるようなものになってしまう。芦雪は自覚して応挙の亜流にはなりたくないと思っていた。芦雪のもっていた素質を活かして、大胆な機智的な表現を展開した。奇想の度合いは、若冲は地のまま全部、地と奇をてらう要素が半々の蕭白。芦雪には生来の奇の部分がさほど濃くなくて、それをカバーしようという努力があった」と辻氏。
芦雪の《虎図》をインパクトが弱いと感じたのは、本土最南端の地、和歌山県串本町の温暖な気候の無量寺で実物を見ていないからだと思えてきた。横4m以上のワイド画面に全身を横一杯に伸ばした猫のような虎が描かれていたら、どう感じるのか。体験するほかない。写実の基本をしっかり学んだ芦雪だからこそ、一気加勢に描いた巨大な虎も破綻なく作品となったのだろう。ウィットとユーモアを生み出す基底に写実があることを見落としてはならないのだ。辻氏が、米国の若冲コレクターであるジョウ・プライス氏から聞いた「若冲は85歳まで生きたが芦雪は46歳で亡くなった。もし芦雪が若冲の歳まで生きたとしたら、おそらく若冲をしのぐ画家になったろう」、また蕭白研究家のマネー・ヒックマン博士(元ボストン美術館員)から聞いた「蕭白には力があるが芦雪のような優雅さに欠ける」という言葉に虚を突かれた思いがした。
氷の中の魚
もうひとつ芦雪の人間性を表わした印章の逸話を伺った。「印章が、なぜ魚なのか。芦雪が淀から京都の応挙のアトリエに通って絵を教えてもらっているとき、冬の寒い日の朝で道端の小川の水が凍っていて、中に魚が閉じ込められていた。気になったので帰りにまた見てみると、氷が溶けていたので魚は自由を得て嬉しそうだった。翌日そのことを師匠の応挙に話すと、自分の修業時代を思い出すと言われた。応挙は天才というよりも努力型で、あの素晴らしい描写技術は、技術を使いこなせるようになって、初めて自由を得たのだと応挙は芦雪に語った。芦雪はそのことを忘れないように、氷の象徴である亀甲型の中に魚という字を入れた判子を使い出した。判は現在も残っているが、故意に割られた跡があり、芦雪が師の画風から自由になった証としてあえて割ったといわれている。芦雪39歳の時に描いた作品の印が欠損しているので、その頃ではないかと思われる」。
せめぎあう地点の言葉
辻氏は30代に「奇想」、40代に「遊び」、50代に「かざり」、60代に「アニミズム」と、時代ごとにキーワードを掲げてきた。今、辻氏は明言する。「絵は、描く人と見る人、五分五分で成り立ち、いい絵は直感と経験により瞬間に判断される」。辻氏が美術作品にひそかに望むのは、意表をつかれたいということだと言う。眠っている感性と想像力が一瞬に目覚め、日常性から解き放たれるような喜びを感じたいのだそうだ。「奇想」というのは、そのようなはたらきを持つ不思議な表現世界を指すために使われている。
そして「美術史をやるのだったら、モノに直接対面するのが一番大事。それがやりがいというか生きがい。考古学者が土の中からすごいモノを掘り当てるのと、モノにこだわるという意味では同じ。印刷の技術は確かにどんどん上がっているが、実物を見るのとはやっぱり全然違う。図版では、大きさの概念がわからない。ネズミとゾウの違いがわからないようなものでね。3mある絵巻とそれを印刷した図版ではまるで違い、そこがこわい。大きさっていうのは実は非常に大事な要素なんです。カラーで印刷すると実物よりきれいになっちゃいますしね。実物の肌触りがなくなる。別のものを見ていると思ったほうがいいでしょう。ただ、実物を見る場合、見る度に印象が違ってきてしまうという側面もあります。光の状態や自分の状態にも影響されやすい。実物を見ることは、それだけデリケートで重要だということ。また“美術史というのは学問ではない”などと言われることがある。そう言われるとき、学問とはなにか、と思い悩みます。実証性、客観性が学問にとっての最重要な柱とすれば、美術史といえどもそれらを大事にしなければなりません。しかし、歴史上の出来事を実証だけで詰め切れるでしょうか。それだけではわからないということのほうが多すぎます。それなのに時代の雨風を逃れて、今われわれの前に残っているモノが、見るものをしばしばギョッとさせ、感動させるのはなぜか。それも実証のものさしで測れることではない。こうしたギャップを埋めるのが想像力、イマジネーションの働きではないでしょうか。直感と連動した想像力の自由な働きと、それの反対側にある実証を求めての分析力・思考力。この二つの対立物がモノをめぐってせめぎあう地点、それが“美術史の研究の場”というものだと思っています。また面白いか、面白くないかって、非常に重要だと思うんですよ。それを第一の価値基準としてモノを見ています」。辻氏は美を探る新しい言葉を考え続けている。
創造的型破り
辻氏は「中世から近世にかけての日本絵画の歴史は、応挙のような〔型〕を作り出す画家と、その〔型〕を継承する呉春のような画家、さらにはその〔型〕を崩したり壊したりする〔型破り〕の芦雪のような画家という、三つの役割分担によって織り成されてきた」と述べているが、芦雪はその型破りのイメージ通り。
馬術、水泳、剣術、音楽と多趣味多芸で、独楽(こま)の曲芸が得意だった芦雪。あるとき殿様の前で披露した際、その独楽を受け損じて眼に刺さり、片目がつぶれてしまったと伝えられている。また師である応挙から三度も破門されたという話が残っている。自由奔放で傲慢に見えた芦雪の態度に反感をもつ者がいたのかもしれない。芦雪は46歳にして大坂で急死した。それも自殺説と毒殺説があり、尋常な死に方ではなかったようだ。一男二女を設けたが、いずれも夭折し、妻は芦雪の死後4年に32歳の若さで亡くなった。日本一大きい《虎図》は、南紀の風土の中で芦雪を解放しているにちがいない。
「長沢芦雪 奇は新なり」展が、2011年3月12日〜6月5日MIHO MUSEUMで開催される。《虎図》ほか新発見の作品や80年ぶりに公開される《方寸羅漢図》など、創造的型破りの作品が約100点出展される。2000年に開催された没後200年記念展以来の芦雪の大規模展である。
辻 惟雄(つじ・のぶお)
長沢芦雪 (ながさわ・ろせつ)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献