ボーン・デジタルの情報学
コミュニケーションインフラとしての学会・図書館
引用を通じた学術コミュニケーションが適切に機能するためには、誰もが過去の知識に同じようにアクセスできるようになっていなければならない。
仮に同じ分野にいる同じ能力を持った2人の研究者のあいだで、特定の文献が入手できるかどうかに差があった場合、一方は他方の知らない知識に基づいて新たな知見を得る可能性がある。ここでの問題は、機会の不平等がそのまま成果の不平等を招くという公平性のレベルで議論することもできるが、さらに重要なことは、そもそも一方が知り得ないような知見は信頼性を判断できないため、「巨人」の一部として組み入れることが認められず、結果として学術の発展に貢献しないということにある。
この点において、研究成果を秘匿したり独占したりするメリットがないため、理念的には機会の平等が確保されやすい環境ではあるものの、社会システムとしてこれを実行するためにはさまざまな制度や仕組みが必要となる。ここで、従来から大きな役割を果たしているのが学会と図書館、とくに大学図書館である。
学会は専門を同じくする研究者が集まる会員制の組織である。議論の場であるとともに、研究成果を広めるための出版者の役割をはたす。学会において査読された学術論文は定期的に雑誌としてまとめられ、発行される。研究者個人の専門領域については学会に入会し、雑誌を購読している場合が多い。しかしながら、あらゆる分野の学会を網羅し、必要な文献をいつでも読めるような環境を個人レベルで構築すること実質的に不可能である。
一方、大学図書館は、所属している研究者の専門分野に合わせて雑誌を購読・保存し、共有するための枠組みを提供している。また、購読していない雑誌・書籍については、他の図書館から借りることができる図書館相互貸借の制度がある。
こういった体制はニュートンの時代から存在し、整備が続けられてきた。そして、デジタル化の時代を経て、本論の主題であるボーン・デジタルの時代を迎えることになるのだが、まずはデジタル化の歴史に関して触れておきたい。
電子図書館の時代
「巨人の肩の上に立つ」プロセスを支援するうえで、学術情報のデジタル化・ネットワーク化は極めて有効である。
紙の上の情報をデジタル化するというアイディアは、コンピュータが誕生した1940年代にすでに存在していたが、これを「電子図書館」と呼び、実用化に向けた動きが本格的に始まるのは1960年代である。そこでは、図書館の中にどのような書籍・雑誌が存在するのかについての情報である目録の電子化が進められた。
目録(英語ではカタログ)はあらゆるアーカイブに必須の要素であるが、図書館における目録はカード型のものである。蔵書1冊ごとに1枚のカードが対応し、タイトルや著者、分類などが記載されている。このカードがタイトル順に並べられ、木製の棚に収められているのを公共図書館などでご覧になった方もおられるかもしれない。
この目録をコンピュータ上で扱えるようにし、検索できるようにしたものがOPAC(Online Public Access Catalog)である。目録のデジタル化、そしてOPACの導入は図書館業務の簡素化と利用者サービスの向上につながったが、影響はそれにとどまらなかった。図書館ごとの目録がデジタル化されたことで、国内の所蔵情報を一元的に管理することが可能になり、ある本がどの図書館にあるかを容易に知ることができるようになった。日本では、国立情報学研究所が全国の大学図書館の目録データの集約とそれに基づく検索機能の提供、ならびに図書館相互貸借の仲介を行なっている[図3]。
元来、目録は原本・現物に対する付加情報(メタデータ)にすぎない。このメタデータをデジタル化し、コンピュータネットワーク上で流通させることで大きなインパクトを与えたのが電子図書館システムである。しかしながら、「電子図書館」という言葉で想像するような原本・現物のデジタル化には一切踏み込んでいない。
現在、グーグルによる書籍の電子化や、それに続く国立国会図書館による電子配信計画は、まさに原本・現物のデジタル化であり、大きな議論を呼んでいる。この帰結がどうなるかはいまだ不透明であるものの、本論ではそのヒントとして、いち早く原本のデジタル化、そしてボーン・デジタルに切り替わりつつある学術情報流通の現状について述べていきたい。