デジタルアーカイブスタディ
東日本大震災 ミュージアムにおける震災情報──「saveMLAK」の設立にあたって
山村真紀(ミュージアム・サービス研究所)
2011年06月01日号
3.11の東日本大震災をうけて設立されたWebサイト「saveMLAK」。ミュージアムへの情報支援を先導する「savemuseum」から「saveMLAK」へ至った過程を振り返りながら、今後の課題について考える。ミュージアムの災害に対して“情報”はどこまで有効なのだろうか。
「saveMLAK」の経緯
博物館・美術館(Museum)、図書館(Library)、文書館(Archives)、公民館(Kominkan)の被災・救援情報サイト「saveMLAK」 は、225名 のメーリングリストメンバーを中心とした有志によって運営をされている、プロジェクトサイトである(図1)。
「saveMLAK」の成り立ちは、2011年3月11日(金)、後に東日本大震災と呼ばれる大地震が起きた、翌12日にさかのぼる。Twitter上で図書館の被災・救援情報サイト「savelibrary」 の立ち上げがツイートされ、同日深夜にはミュージアム版の「savemuseum」 の立ち上げが続いた。そして13日にはアーカイブズ版の「savearchives」 の立ち上げ宣言が行なわれ、ここにいわゆるMLA連携の萌芽が震災二日後には見られたのである。その後16日にはMLAでのスカイプ会議が開かれたが 、最終的には4月4日の段階で公民館「savekominkan」が加わることとなり、現在の「saveMLAK」としての活動が開始されたのである(図2)。
「savemuseum」の立ち上げ経緯
「savemuseum」を立ち上げたきっかけは、至極単純である。「savelibrary」を見た際、即座にこれはミュージアム版「savemuseum」もつくらなければならないと思ったからである。現在、ミュージアム・サービス研究所を1人研究所として主宰し、ミュージアムについての一般への認知向上やミュージアム業界内における館種を超えた交流、またMLA連携といったことに関わっているなかで、図書館が動いてミュージアムが動かないというのは考えられなかった。余震が続き、家族の安否確認がなんとかでき、個人的に動揺しているものの、ミュージアムに関わるひとりとして、自分にできることは何か? の答えが目の前に現われたのである。
特に、日本にミュージアムは6,000以上あるともいわれているが 、今回被災したミュージアムはどれくらいあるのか?。各関連学協会が動くとしても、組織が動くには時間がかかる場合が多い。またインターネットを活用した情報交換・情報収集がどこまで可能か? さまざまな疑問はあるにせよ、それらを検討するのは動き始めてからでよいと判断した。恐らく美術館と科学館、動物園、水族館といった館種によっても事情が異なる今回の震災で、とにかく一番素早く動くことができるのは、既存の組織の枠に縛られず、自由に動ける個人であると考えたのである。実際、活動が進むなかで、ミュージアムの職員であるがゆえに「動けない」、という声も聞こえてきている。
こうしたことは、後に改めて実感することになるのだが、「savemuseum」が必要と判断したものの「savemuseum」のサイト作成にすぐさま取りかかれたわけではない。「savelibrary」は@wiki(アット ウィキ) を使っていたが、瞬間的に使い方がわからず、まず思ったのは「誰かがつくってくれないか」ということであった。しかし誰もが震災で家族や知人の安否確認を最優先としているなかで、その「誰か」を見つける時間を「savemuseum」作成に当てたほうがいいのではないか。幸いウィキは誰でも編集可能という「savelibrary」に書かれたメッセージ に背中を押されたかたちで、試行錯誤、悪戦苦闘の末、数時間後に「savemuseum」を立ち上げ、Twitter上でミュージアムの被災・安否情報を集約してほしいというツイートを行なったのである。
「savemuseum」の課題
「savemuseum」の活動を進めるなかで数日のうちに明らかになった課題があった。ひとつ目はリストの存在である。被災地におけるミュージアム調査が、各関連団体によって今後行なわれると想定されたが、実際には被災地におけるすべてのミュージアムをカバーしきれてはいないということが判明したのである。あくまで関連団体がカバーするのは会員館のみという点で、非会員館が調査の目から漏れてしまうという問題点が挙げられた(図4)。
二つ目は、複合施設の問題である。被災したミュージアムのなかには、図書館や文書館、公民館などの他の施設との複合施設が見受けられた。これらの施設に対し、縦割りのまま別々に安否確認を行なうことは非効率であるだけではなく、被災した施設の負担増にもつながる。どこかで情報を集約する必要があった。
三つ目は、システム面での課題である。「savemuseum」の基本的な情報収集方法は、Twitter上で集められた情報や、ミュージアム公式サイト等で公表された情報を集約サイトである「savemuseum」に反映させるものである。サイトはwiki と呼ばれる仕組みを利用し、有志による協力者を募集していた。だが、このwikiへの書き込み方法そのものが参加の壁になっていることがわかったのである。