デジタルアーカイブスタディ
東日本大震災 ミュージアムにおける震災情報──「saveMLAK」の設立にあたって
山村真紀(ミュージアム・サービス研究所)
2011年06月01日号
MLAK連携で見えてきたこと
上記3点の課題に対し、ひとつ目のリストについては、最終的に「インターネットミュージアム」
一方で、MLAKとしておそらく初の実戦的な連携活動は、さまざまなカルチャーギャップを浮彫にしている。例を挙げればきりがないが、ひとつ挙げるとすれば、セキュリティの問題で被災情報を公開することが難しい美術館や博物館に対して、図書館は被災情報を公開することを前提として、一刻も早くレファレンスサービスを再開することを目指しているといった姿勢の問題である。
MLAK間でのカルチャーギャップもあるが、逆にM(ミュージアム)内での文化対立が生じる場合もある。例えば単純なところで言えばミュージアムを「博物館」というか、「博物館・美術館」というかという名称の問題から始まり、命を扱う動物園や水族館の連携体制のスピードの速さと、文化財レスキューをはじめとするモノを取り扱う人たちとの意識のギャップである。
これらはMLAKというさらに大きな枠ができたことで、改めて浮き彫りになったM(ミュージアム)の問題点ということもできるだろう。ほとんど近くて遠い異文化交流を日々行なっている状態での活動であるが、違う相手という前提での活動が、素朴な疑問を互いにぶつけ合うことで、改めて自らを振り返り、言葉で説明をするきっかけになっていると感じる。
「saveMLAK」の可能性
「saveMLAK」の活動は、今回の東日本大震災におけるMLAKの被災・救援情報を集約するという、後方支援を中心としているが、それは改めて日本におけるMLAKの実態と向き合うことからスタートしなければならない作業でもある。特にミュージアムにおいてはリストを確認すればするほど「ミュージアムとは何か?」を日々突きつけられることとなる
また、今回活動を進めるなかで、既存の組織の強みと弱みも浮き彫りにされた。それは言い換えると行政と民間、そしてNPOといったボランタリー組織の違いということもできるだろう。そのなかで、「saveMLAK」が選んだ方法は、あくまで参加メンバーは有志のボランティアであり、いつでも参加でき、そしていつでも辞めることができることで、息の長い活動を続けていくことを目標としている点である。
「saveMLAK」のなかには、「Flickrを使った写真アーカイブ」 や「3.11で止まった被災地のwebサイトを収集する──人々の営みを記憶するために」 といった、デジタル・アーカイブの活動も含まれている。震災によってデジタルによる弱みと強みもまた明らかにされた。
今後「saveMLAK」に集まった情報は、それ自体がMLAKの震災アーカイブとしての役割を担っていく可能性があるが、その情報と可能性を生かすも殺すも、MLAKに関わるすべての人次第である。少し大げさかもしれないが、10年後saveMLAKがどのようになっているかが、日本のMLAKの未来そのものの鏡となるのではないだろうか。
最後に、「saveMLAKは図書館、博物館、文書館、公民館は今のままでいいのかな? と思ってる人の集まりでもある」 。この言葉を謙虚に胸に刻みながら、「saveMLAK」の活動を今後も続けていきたいと考える。