デジタルアーカイブスタディ

映画の聖地「国立映画アーカイブ」誕生──文化と経済を循環させる保存の力

影山幸一

2018年04月01日号

今春、2018年4月1日、国立美術館の映画専門機関として「国立映画アーカイブ」(英語名称:National Film Archive of Japan[略称 NFAJ])が東京・京橋に誕生した。2年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックを前に、その文化プログラムが全国各地で行なわれているほか、文化庁が東京・霞が関から京都市へ、2021年度中の本格移転に象徴されるように、日本の文化政策は歴史的転換期を迎えている。「国立映画アーカイブ」は、東京国立近代美術館フィルムセンターを改組し、独立行政法人★1国立美術館の6館目の機関となる。わが国初の映画文化振興のナショナルセンターとして機能を強化させ、国立の施設では初めての「アーカイブ」という名をつけた映画アーカイブだ。1895年にフランスで生まれ、娯楽性と芸術性が共存する映画と、デジタルアーカイブはどのように連関していくのだろうか。初代館長の岡島尚志(おかじま・ひさし)氏に「国立映画アーカイブ」の展望を伺った。(artscape編集部)

★1──業務の質の向上や活性化、効率性の向上、自律的な運営、透明性の向上を図ることを目的とし、各府省の行政活動から政策の実施部門のうち一定の事務・事業を分離し、これを担当する機関として独立の法人格を与えられた法人。


フィルムセンターから映画アーカイブへ

「国立映画アーカイブ」が設立された経緯を教えてください。

岡島──まず、独立行政法人国立美術館は、いままで5つの国立美術館(東京国立近代美術館京都国立近代美術館国立西洋美術館国立国際美術館国立新美術館)で構成していました。「国立映画アーカイブ」[図1]は、1952年に設置された国立近代美術館のフィルム・ライブラリーに始まり、1970年には機能拡充により東京国立近代美術館フィルムセンターとなり、今回新たな位置づけで、わが国唯一の国立映画機関「国立映画アーカイブ」となりました。これまでもフィルムセンターとして、映画の収集・保存・公開・活用を行なってきましたが、独立行政法人国立美術館に属する他の国立美術館と同格の、そして、6番目の国立美術館として改組されました。映画の専門機関であり、日本の映画文化振興のためのナショナルセンターとして一層の機能強化を進めていきます。そのミッションを「映画を残す、映画を活かす」という言葉で表現しています。


国立映画アーカイブ本館

この時期になぜ「国立映画アーカイブ」を設立したのですか。

岡島──1970年にフィルムセンターが発足した当時からすでに独立すべきだという意見はありました。だからこそ東京国立近代美術館の映画課ではなく、フィルムセンターという名称だったのです。独立をすべきだという考え方のもとに設置されたということです。ではなぜ、1970年から48年も時間がかかったのかといえば、それは安定的な資金・予算、専門人材、保存や利活用のための施設や技術といった、いわば独立に必要な「基礎体力」をつけるのが簡単ではなかったということです。そういうなかで1986年、神奈川県相模原市に世界でも最高レベルの映画保存施設「相模原分館」[図2]ができ、映画100年の1995年には東京・京橋の本館建物が建て替えられました。では当時独立できたかというと、資金も人も足りないままでした。そうしている間に、まさに1995年くらいを境にして、デジタルシフトが世界中で起きました。ここでいうデジタルシフトというのは、単なる映画の技術的変化にとどまらない巨大なもので、例えば、それまでの映画をつくってきた素材であるフィルムそのものがなくなってしまうとか、映画フィルムにかかわるあらゆる雇用が変わっていくというような、とても大きなシフトでした。

一例を挙げると、映画一巻分のフィルムを納める缶。デジタルに変われば缶はいらなくなるかというと、逆のことが起きるのです。なぜかというと、フィルム映画の寄贈が飛躍的に増えたために、映画アーカイブとしては、金属の、あるいはポリプロピレンの新しい缶をたくさん用意しなければならないわけです。これもデジタルシフトのひとつと言えるでしょう。1986年につくった保存庫は相当長い期間もつと思われていましたが、25年ほどで一杯になってしまいました。これもデジタルシフトの一環ですね。そこで、2011年には相模原分館に第二保存棟を増築することになりました。現在、映画フィルムが約8万本、映画関連資料として和書が約41,600冊、洋書が約4,700冊、シナリオは約44,000冊を収蔵しています。

デジタルシフトへの対応については、「映画におけるデジタル保存・活用に関する調査研究(略称事業名:BDCプロジェクト:National Research Project for the Sustainability of Born-Digital Cinema)」を実施しています。フィルムを使わないデジタル映画ができてきたので、これらをどのように保存するか、また、どのように公開していくかという課題に関して、研究の柱を4本立てて調査を進めてきました(①デジタル映画の保存・活用に関する調査研究 ②フィルム映画のデジタル保存・活用に関する調査研究 ③諸外国におけるデジタル映画の保存に関する技術や法制度等に関する調査研究 ④映画のデジタル保存・活用を担う人材育成)。こうしたことの積み重ねのなかで、東京国立近代美術館から独立するための準備が整ってきたのが2015年頃、すなわち、映画生誕100年プラス20年経った頃でしょうか……。また、私どもの仕事をよく理解していただき、長瀬映像文化財団木下グループから大型のご寄付をいただけたことは大変大きなことでした。それによって専門家の雇用も進めることができ、資金、人材、規則、技術などがほぼ全部整ってきたのが昨年の2017年くらいです。そして今回の独立となったわけです。


国立映画アーカイブ相模原分館

施設名に「アーカイブズ」や「アーカイブス」、「保存館」などをつけず「国立映画アーカイブ」と命名された理由は何ですか。

岡島──わが国唯一の国立映画機関ということで「国立」と「映画」を使うことは自然であり、また、必要なことだと思います。ただし、「国立映画センター」「国立フィルムセンター」とした場合は、文化から産業振興まで映画に関するあらゆる事業を行なう、数百人規模の国家機関(例えば、フランスのCNC[国立映画センター])のような巨大な機関を示すものとなり、あるいはそのように理解されてしまう可能性がありました。これはわれわれが構想し目指す新生「NFAJ」とは規模も性格も異なる機関となってしまいます。フランスと日本では、映画産業から映画文化まで、扱う組織の形も成り立ちも多くの違いがあります。「国立映画アーカイブ」における映画に関する仕事は、保存・利活用(上映を含む)・調査研究を核にしながら、教育・国際交流等の事業も行なっていくもので、中心となる事業をもっとも端的に示す言葉として、諸外国の同種機関の先例を考慮しつつ、「アーカイブ」としたのです。

ところで、archivesの通常の訳語は、文書系機関を前提にしており、「古文書館」「公文書館」「文庫」などの表現が用いられる一方、「日本アーカイブズ学会」「NHKアーカイブス」など、archive(s)をめぐる訳語の表記には統一感がないのが現状です。そうしたなかで、私たちの先達であり、映画保存機関のなかでも最初期に生まれた英国映画協会(BFI)の保存部門が、1930年代から今日に至るまで、「National Film Archive」→「National Film and Television Archive」→「BFI National Archive」と名を変えつつも、常にarchiveを使っていることを参考にして、単数形をカタカナに直し、日本語の流通性に鑑みて「フ点」表記としました。ほかに単数形archiveを使用している例(英語翻訳名を含む)は、アメリカ(西海岸UCLA Film and Television Archive, Pacific Film Archive)、インド、イラン、香港、シンガポール、ニュージーランド、中国、韓国などに広く見られます。ちなみに、中国語圏では「電影資料館」=「Film Archive」としていますが、この「資料館」をそのまま日本語に用いた場合、機関のスケールや仕事内容が限定的になる印象があり、カタカナの「アーカイブ」とすることを選んだという事情もあります。ついでに言えば、国際フィルムアーカイブ連盟(FIAF)の英語名は、International Federation of Film Archivesですが、この場合のarchivesはarchiveの複数形と理解されています。

映画の保存と利活用

映画を保存する具体的な手順を教えてください。

岡島──寄贈や購入などで受け入れたフィルム(デジタル作品を含む)は、検査員による検査を経て、相模原分館に保管されるとともに、目録化されます。劣化や損傷が見られたり、その危険性があるフィルムや希少性の高いフィルム、滅失の危険がある可燃性フィルム等については、複製作業を通じ、長期保管を図るための保存に努めています。また、芸術的、歴史的、資料的に価値の高い映画フィルムについては、コンテンツのより忠実な再現を目指し、高度な技術による復元を行なっており、近年では『羅生門』『銀輪』、小津安二郎監督カラー4作品、『日本南極探檢』等の復元を実施しました。相模原分館では、映画フィルムおよび映画関連資料を、24時間空調システムによる管理のもと、適切な温湿度環境で安全に保護するとともに、映画フィルムの検査やデータの採取、出入庫作業などを行なっています。

「国立映画アーカイブ」にアーキビスト★2はいるのですか。

岡島──現在、約60名の職員がいます。常勤職員のほかに、さまざまな仕事をする非常勤職員がおり、また、専門分野を研究する客員研究員、教育など特定の分野を担当する特定研究員などが一定期間勤務しています。ここは美術館組織なので研究員、学芸員、キュレーターと呼ばれる人々がいるわけですが、私は彼らのすべてがアーキビストだと思っています。私は、例えば、フィルムに触れて仕事をしている人たちだけをフィルムアーキビストと呼ぶのは定義として狭すぎるという立場です。例えば映画保存にはたくさんの資金が必要ですけれども、公的な資金や民間の資金を集めるファンドレーザーさえも、フィルムアーキビストの範疇に含めてよいと考えています。

★2──永続的に保存価値のある資料を査定、収集、分析・整理、保存、管理し、閲覧できるよう整える専門職。

フィルムセンターよりも重点を置く活動は何でしょうか。

岡島──仕事全体の拡充を目指していますが、そうしたなかでも、教育・普及の事業には特に力を入れていきたいと思っています。すぐには保存の対象となりにくい映画も増えていく状況のなかで、長期的な視野に立って映画の保存や上映を進めていくためには“教育”がキーのひとつになってきます。

重要な既存の事業としては、例えば、子どもたちに映画を見てもらったり、楽しさを体験してもらう「こども映画館」というイベントがあります。これは、小さいときから映画の基礎的なものを学んでもらうものですが、もう少し年齢が上の中学生や高校生にあった教育プログラムも、生涯教育として映画というものがいかに広い範囲をもった芸術なのかということをわかってもらうプログラムも考えていきたいのです。映画に関する世代ごとのリテラシー教育というものが必要だと思います。

また、それとは別に、映画というものをうまく活用した歴史教育、文化教育というような教育のあり方も考えるべきでしょう。これまで、19世紀まで人間は歴史というものを書かれたものと考えてきましたけれども、20世紀になってから、映像による歴史もありうるんだということを理解したわけですね。そして21世紀になったいま、過去に撮影されたたくさんの映画、映像を用いた教育がますます必要になっています。

最後にもうひとつ必要なのが、映画アーカイブそのものに関する教育です。これは、例えば、映画の保存や特殊な上映、あるいは配信といったものを総合的に学ぶことのできるセミナーを開催するといった事業を通じて行なっていくものです。いわば、広い意味でのフィルムアーキビストを養成するための教育です。ところで配信と言えば、昨年から日本の初期アニメーション64本を「日本アニメーション映画クラシックス」として、ネット上で公開しています。現在、日本のアニメーション文化は世界に冠たるものになっていますが、そのもとになったこうした戦前の作品など、プリミティブな美しさに満ちていて、私は本当に素晴らしいと思います。このサイトには日本のみならず、大変な数のアクセスがあって、60%以上が海外からです。特にフランスからの人気が高く、なかには100万回以上アクセスのあった作品もあります。


国立映画アーカイブ岡島尚志館長

不断に定義されていく映画

国立美術館である「国立映画アーカイブ」は、映画を美術作品として取り扱うのでしょうか。

岡島──かつて映画というものを考えてみて、ふと気づいたのは、ひとつも重要文化財と言われるものがないという事実でした。美術作品には重要文化財がたくさんありますが、映画は単に娯楽として見られるか、あるいは芸術とは言っても重要な文化財の扱いにはなかなかなれない芸術として見られてきました。これは日本に限ったことではなく、世界中にそうした傾向があったのです。それでも2000年くらいを境にして、ユネスコの世界記憶遺産(Memory of the World、公式訳は「世界の記憶」)に映画を登録するといったことが始まりました。ドイツ、メキシコ、イギリス、カザフスタン、フランス、アメリカ、キューバ、ノルウェー、カナダ、オーストラリア、オランダ、イタリア、スイスなどがこれに映画や視聴覚資料を登録しています。

どこの国も映画をきちんと文化財として認めてもらう必要があり、一番最初はドイツで、2001年にフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1927)を登録しました。その後メキシコがルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』(1950、ナイトレート・フィルム)を登録、フランスは映画を発明したリュミエール兄弟が製作した現存する全映画1,405作品を一括して登録、世界最大の映画国とも言いうるアメリカは、『オズの魔法使い』(1939、三色セパレーションネガ)を1点登録しています。日本は「世界の記憶」に映画を登録するには至っていませんが、まず重要文化財指定を目指し、2009年になって文化審議会は、日本人によって撮影された現存する最古の映画フィルム『紅葉狩(もみじがり)』(1899,35mm、可燃性デュープネガ・フィルム、342フィート13コマ)を初めて重要文化財に指定したのです。これによって映画フィルムが文化財として保護される道が開かれその指定が3年間続くことになりました。その重要文化財映画フィルムを安全に保存するため、2014年には相模原分館に小規模の第三保存庫「映画保存棟III」がつくられました。

映画とデジタル映像の区別がつきにくい昨今、映画をどのように定義していくのですか。

岡島──デジタル時代にあって、映画とは何かということをきちんと整理して考え、頻繁に映画を定義し直さなくてはならないのだと思います。保存だけをみても、映画の定義によっては、例えばスマートフォンで撮った映像も映画ということになりますから、その収集、保存、長期保管についてもアーカイブに何がしかの責任が生じる可能性があります。そこは慎重な定義・再定義が必要となると考えています。アーカイブにとっては、保存対象をきちんと決めていくことが重要である一方で、保存に関する教育がとても大事になってくるわけです。つまり誰でも映画をつくれるようになったからこそ、つくった人たちが自分で保存をすることについてのアーカイブ教育の意味が増すのです。今後は、映画を不断に定義しながら、どう収集し、保存し、公開し、利活用するかを考えていくと同時に、映画に関する広範な教育事業を進めて行かなければならないのです。

岡島館長がこれから「国立映画アーカイブ」で最も推進していきたいことは何ですか。

岡島──映画の保存というのは、結局、フィルムアーカイブが中心にはなるけれども、アーカイブだけではやっていけないものです。映画をつくった方はもちろん、映画を上映する人、研究する人、新旧の映画技術の専門家など、実にさまざまな人材が協力をしないとできないし、その先の利活用に繋がらないのです。その意味で、これまで培ってきた映画に関するさまざまな協力関係や、ネットワークづくりをさらに推進したいと考えています。国際的に言うとFIAFのような団体があって、国ごとの代表的なアーカイブが集まって、世界の映画関係者と意見交換をし、保存や上映をめぐる標準化や倫理についても議論をしています。そうしたFIAFの会長を務めた経験も活かしながら、国内的にも映画文化を考える開かれた場をつくり、多様な映画を楽しむ多様な映画ファンを増やすべく、環境を整えて行きたいと思っています。

文化政策から見る映画アーカイブ

文化政策に詳しく『文化政策の現在』(全3巻)の編著者である東京大学大学院人文社会系研究科の小林真理教授は「領域を問わず、デジタルアーカイブを行なわないといけない状況下で、映画が先鞭をつけて実現することは嬉しく喜ばしい。アーカイブを先駆けてやっていくことで課題も見えてくるので、次に続いていくところに結びつけていってもらいたい。昨年末に内閣官房と文化庁が出した「文化経済戦略」に書かれているように、去年から文化と経済の密接なシフトがはっきりしてきた。映画はその接点にある。日本映画の保存は長年の懸案で、官民共同による持続可能なアーカイブモデルになることが期待されます」と「国立映画アーカイブ」誕生にエールを送る。

また、文化庁の藤原章夫文化部長は「国立唯一の映画の専門機関として独立をしたわけであり、大変画期的なことだろうと思います。今後の映画の振興の観点から大きな契機になります。いま、映画の価値に対する芸術文化的な評価に加えて、経済的効果も注目されています。そうしたことを含めてこれから『国立映画アーカイブ』が、国際交流拠点として強化され大きく飛躍をしていただくことを私どもは期待しています。それと併せ、これからの人材育成もしっかりと機能を発揮していただきたい。日本の映画界は発展著しいが、一方で現場に目を向けると、映画そのものにかかわる人や、あるいはその周りで支えているスタッフの人材は、必ずしも十全ではない。これからの映画発展のためには、人材育成機能の強化が重要です。3つ目としては『アーカイブ』という名前が明示するように、映画に関する貴重な資産をしっかりと後世へ残していく。時代の進展とともに散逸、あるいは棄損という危険が高まっている部分があるので、こういったナショナルセンターをつくることによって、映画の資産を保存、継承していく機能を強化していってもらいたい。またこれら3つの強化に加えて、資金面でも民間資金の活用を図りながら、財政的な基盤体制を強化していただきたい。一方、東京では日比谷・銀座・築地を芸術文化地域として活性化する『東京アート&ライブシティ構想』が動き始めています。あの界隈全体に劇場や映画館、ギャラリーなどがあり、それらの文化資産を活かして街の活性化を図ろうとしている。『国立映画アーカイブ』もその仲間に入れてもらうことにしており、地域全体の賑わいに貢献していくことを考えています」と期待を寄せている。

インタビューを終えて

2017年6月に「文化芸術基本法」が成立し、これまでの文化芸術の振興にとどまらず、観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、産業等、関連分野における施策との連携や、文化芸術により生み出されるさまざまな価値を発展、継承および創造に活用することが盛り込まれるなど、従来の文化振興を越えた、総合的な文化政策の展開が国の基本方針として位置づけられた。

2018年は、明治元年(1868)から150年にあたり、政府では「明治150年」と冠したさまざまな取り組みを行ない、明治期の資料をデジタルアーカイブする施策も推進している。また2018年は、“稼ぐ文化”元年とも言われ、デジタル技術を用いたクローン文化財やデジタル観光VRといった、文化に先端技術や観光などを掛け合わせて、付加価値をつけた商品やサービスを開発するなど、デジタルアーカイブと産業界とを結びつける仕組みが考えられている。

そうした気運が高まるなかで映画が公共財として、“教育”をキーワードに全国各地の映像ライブラリーや他分野とのネットワークなど、多元的に連携していくことは、映画の新たな価値を創出し、新たな価値は映画の保存や創造に対して、投資する機会を生み、自立的に展開するサステイナブルな構造を形成することにつながっていく。

今回「国立映画アーカイブ」の設立に際し、民間から数千万円規模で寄付があり、これが今後も10年以上にわたって継続される予定だという。映画の価値を見出す民意の行為が、また地域の文化圏開発と結びつき、さらなる発展を誘発するだろう。映画を核とした成長と分配の好循環は、文化芸術振興と経済成長の相乗効果が期待できる。「国立映画アーカイブ」のアーキビストたちが、データマイニングや経営管理などの課題を解決しながら、一歩一歩未来を切り開いていく。われわれも主体的にアーカイブとかかわることが求められている。アーカイブを母体とした日本の文化資源が、経済資源としても社会的に機能し、映画のデジタルアーカイブの歴史が始まる。

2018年4月

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