2019年06月15日号
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ミュージアムノート

Museum Indifferent to Walls

光岡寿郎2009年02月01日号

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タクソノミーからフォークソノミーへ

 この概念的なアーキテクチャーである分類体系は、コレクションの電子データ化やそのオンラインアーカイブ化によってある意味ではインターネット上に可視化していくわけだが、その分類は依然として既存の専門知に基礎を置いていた。つまり、私たちがミュージアムのオンラインカタログにアクセスしたとしても、結局そこでは作者名や、学術的な時代区分、属していた学派などの専門用語によって個々の作品を検索する必要がある。それは一面で技術的には新しく見えようとも、ミュージアムの提示している価値体系を受容している点では実際に来館するのと大差はない。けれど、ミュージアムにおけるデジタル・テクノロジーの利用は、この専門知の受容という儀式に小さな楔を打ち込むことになる。その一例が、フォークソノミーを採用した検索システムだ。フォークソノミーは、もともと「folk(人々)」と「taxonomy(分類学)」の合成語で、私たち一般の人々による分類学とでも呼ぶものだが、ネット上の情報を個々の着想に基づいたキーワードでタギングし、分類する行為である。代表的なものとしてFlickerやはてなブックマークなどが挙げられる。このフォークソノミーによる分類をコレクションに反映する試みはミュージアムにおいても進行している。その代表的なプロジェクトが「Steve.Museum」だ。
 このプロジェクトにはメトロポリタン美術館やグッゲンハイム美術館を含むアメリカの8つの美術館が参加しており、ボランティアを集って彼らの膨大なコレクションを非専門家が分類していくという作業を進めている。彼らが個々の作品をタギングしたキーワードは、漸次データベースに反映される。つまり、彼らが使う非専門的なキーワードもまた検索システムに反映され、ゴッホの《ひまわり》を「黄色」く「暖かい」絵として検索することも理論上は可能になる。私は、このプロジェクトが、技術決定論者が指摘するような専門知の技術革新による解放などと言えるのかはまだわからないけれども、少なくとも私たちが日常的に行なっている知の営みを意識する良い事例だとは思っている。というのも、なにかモノや情報を集めて、それを自身の枠組みや志向に基づいて分類、より一般的に言えば整理するのは、もっとも日常的な創造的な知の営みだからだ。むしろ、フォークソノミーの面白さというのは、専門知の普遍性自体が、近代社会が自ら生み出したある種のフィクションだということを再認識させる点にある。つまり、それが学術的であろうがなかろうが、私たちは世界を認識するために日々まわりの情報やモノを分類しているのであって、そもそも歴史的にはミュージアムとはそのような個々人の分類が反映された空間のひとつに過ぎない。そこには、必ずしも来館者すべてが内面化すべき優越的な知の体系が鎮座しているわけではないのである。


Steve.Museum。フォークソノミーを利用したミュージアムコレクションを分類するプロジェクト。URL=http://tagger.steve.museum/steve.php?task=loginController_loginPage

Museum Indifferent to Walls

 では、このフォークソノミーが可能にするヴァーチャルなモノと情報の分類体系は、Museum Without Wallsのひとつの発展形式として理解するべきなのだろうか。というのも、タギングによって私たちはより自由に与えられたモノと情報の集合を分類でき、さらに技術的に言えば、私たち一人一人がデジタル化された作品を収蔵する電子的な空間を持つことはさほど遠い未来の出来事ではないからだ。むしろ、私たちはFlickerやPicasaというかたちですでに個々のミュージアムを持っている。この点に関してはまだアイディアに過ぎないけれども、既存の専門知に基づいた分類体系としてのミュージアムと併存していく、常に集合知として書き換えられていくミュージアムは、恐らく壁のないミュージアムなのではなく壁に無関心なミュージアム、つまりMuseum Indifferent to Wallsなのだと思う。というのも、Museum Without Wallsは「リアル/ヴァーチャル」や「ミュージアムの中/外の作品」のようにある意味で近代的なアジェンダに包摂された概念であり、壁に無関心であることでこそこのような手垢を払い落し、モノを集めその集合に意味を与え続けるという絶え間なき行為としてのミュージアムに焦点することが可能になるからである。もちろん、それは今後も「ミュージアム」という概念がその有効性を保持し続けられればという前提があるのだけれども。

★1──アンドレ・マルロー『東西美術論1──空想の美術館』(新潮社、1957)

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光岡寿郎

1978年生。メディア研究、ミュージアム研究。早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手。論文=「ミュージアム・スタディーズにおけるメディア論の可...

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