アートプロジェクト探訪

開国博Y150:都市ブランディングの主体は誰か──横浜の都市、アーティスト、そして市民

久木元拓(首都大学東京システムデザイン学部准教授)2009年07月01日号

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横浜FUNEプロジェクトに潜む横浜市民のポテンシャル

 開国博Y150と横浜と、アートと市民との関わりを考えていくうえで今回取材したのは「横浜FUNEプロジェクト」である。このプロジェクトの仕掛け人は、開港150周年記念テーマイベントのアートプロデューサーで、これまでにさまざまな場所でアートプロジェクトを経験してきたアーティスト日比野克彦氏である。「横浜FUNEプロジェクト」は、今年2009年の横浜開港150周年に向けて、横浜港の歴史を彩ってきた実際の船をモチーフに、ダンボールなどの素材を使った150艘のFUNE(船)をたくさんの市民とともに制作し、さまざまなメッセージをFUNE(船)に託し、横浜から出航(発信)させようというものである。制作したダンボールの船はベイサイドエリア大さん橋会場に展示される。横浜市内の市民利用施設や中学校などでFUNE(船)づくりのワークショップを実施し、開国博Y150が終了する2009年9月27日までに150艘のFUNE(船)の制作をめざしている。
 このプロジェクトのスタートは、2008年9月の横浜トリエンナーレ開催の1年以上前となる2007年6月にさかのぼる。記念すべき第1艘目のFUNE(船)はぷかりさん橋で制作されている。しかし、その始まりは横浜トリエンナーレやY150の華やかなPR戦略とは対極の地味で草の根的なものであった。学校の夏休み中のワークショップを開催するのに、子どもが集まらず先生一人、またある日は朝10時開始で参加者1名という時もあったという。しかし、そこは発想の転換でいとも簡単に切り抜ける。一人でも来てくれていれば、その一人が次のもう一人を連れてきてくれればよいわけである。参加していて楽しければまた来ようと思うであろうし、友達や知り合いにも声をかけてみたくなる。単純にやっていて楽しいということ以上に人を惹きつけるものはない。造船所と称するワークショップ会場は、市内の地区センターや中学校など110カ所以上を巡ってきた。それぞれの場所でのほんの小さな出会いが途絶えることなく積み重なって、気がつけば延べ13,000人の市民が集い、122艘のFUNE(船)が出来上がるに至っている。そして5月に横浜港大さん橋会場で行なわれた第一期の展示「タダイマ ナミノウエ コウカイチュウ」では、122艘の舟がずらりと並んだ。第二期の展示は9月に実施され、いよいよ150艘がそろうこととなる。


左=参加者各人がそれぞれ分担、おしゃべりしながら、あるいは黙々と作業を進める
右=仕上げの作業。みな自然と力が入る瞬間

造船所ワークショップに集う市民たち

 ここで実際のワークショップの様子を紹介しておこう。初夏の快晴の日差しのなか、ワークショップがいつものように開催される。この日初めてお邪魔した筆者がお会いしたボランティアクルーのリーダー的存在の金子さんは横浜生まれの横浜育ち。横浜を愛する彼にとって、このボランティアは自然とやりたくなったものであったという。大きな使命感や大義名分に動かされているわけではなく、あくまでも参加していて楽しいことを第一に、子どもや親たちとダンボールの舟づくりに精を出す現場の様子は、見ているうちに思わず糊と色紙をもって参加してしまう純粋な楽しさを醸し出す。
 日比野氏は、横浜市民と共につくった、たくさんのしかもどれひとつ同じでないダンボールの舟150艘が大さん橋の場所に並ぶ姿は、これまで誰も体験したことのない感慨を与えてくれるはずだと言う。確かに5月に展示された122艘は、ディティールの一つひとつのなかに、参加者一人ひとりの手でつくられた様子が手にとるようにわかる印象的な展示であったと言えよう。
 ボランティアの一人は、はじめて参加してくれた人が、「次いつやるんですか」と自分から聞いてきてくれたことに感動したと話している。こうした横浜市民がつくるプロジェクトの積み重ねが、市民それぞれにとっての横浜ブランドの蓄積となるのである。
 日比野氏によると、横浜市民には大いなる田舎としての特有のプライドがあると言う。東京から離れた地方都市であれば、通常はむしろ東京からのものをひとまず受け入れるが、横浜はその受け入れる糊代が他の地方都市と比べて短いのではないかと指摘する。ただ受け入れるのではなく、プライドをもって受け入れる。受け入れることへの自覚が強いと言ってもよいかもしれない。そんな話を聞きながら、じつは同様のニュアンスを4年前の横浜トリエンナーレの際に当時ディレクターであった川俣正氏からも聞いた記憶を思い出す。「横浜は文化レベルは高いが、小さな親分たちがたくさんいてまとまりがない、言わば小さなお山の大将の集まりである」と。こうした感想を受けて当時もいまも考えるのは、このまとまりのなさこそが都市の文化の許容量であるということだ。まとまりのなさの最たる都市は言うまでもなく東京であるが、東京はあくまでもカオスのままである。横浜と東京の違いは、まさに横浜市民が、横浜ブランドを自身の心の中に持たんとしている点である。
 例えば東京ブランドは、東京に住む人の心というよりは、国内外の他都市の人々の意識の中に潜んでいる。東京ブランドを東京に住む我々が確固としたかたちで抱くには東京は変化が激しくバラエティに富みすぎているのである。
 横浜FUNEプロジェクトの進展を可能にしたのは、横浜市民の新しいものをあえて受け入れるプライドのなせる技である。もちろんすべてを受け入れるわけではないが、一端受け入れたものをいたずらに排除することはしない。そこにあるのは横浜ブランドへの自信と誇りである。そうした自信と誇りの自覚が、横浜のブランディングを確たるものにしているのだと言えよう。


左=参加している小学生がワークショップの受付を率先して行なう
右=この日2艘のFUNE(船)が無事完成し、みんなで記念撮影

都市ブランディング第三段階へ差し掛かる横浜にとってのアートプロジェクト

 さて、都市ブランディングの最終となる第三段階だが、それは“愛着”である。この段階で重要なのは、ブランドがさまざまな思い入れとして、いかに人々の心の中に宿り、育まれていけるかである。「imagine YOKOHAMA」が目指しているのは、自信と誇りの先にある“愛着”という一人ひとりが抱く唯一無二の価値の醸成である。すでにこの段階に達しようとしている横浜だからこそ、あえてブランドという言葉を恥ずかしげもなく使えると言えるのだろう。ただし、その愛着は単なる地方都市の郷土愛とは異なるものでなくてはならない。新しいものを自身の判断で受け入れ、自身のものとして取り込んでいく誇り高き田舎者。これからの横浜に課された課題とは、頑なでローカルな愛着心を、もっと汎用性の高い「横浜」モデルとも言えるブランドへと昇華していくことであろう。横浜FUNEプロジェクトのような横浜市民の手によるアートプロジェクトは、単なる大規模イベントや商業施設の展開とは異なり、横浜市民の誇りを市民相互に、そしてその他の都市の人々にも自然に伝えられるものであると考えられる。それによって横浜でしか体感することができない新たな価値が、市民それぞれの愛着とともに形成されていくことも期待できよう。市民の手によるアートプロジェクトは、地味ではあるが着実な成果を導く重要な都市ブランディングの要素となるのである。


左=ワークショップ終了後、中華街の飲食店で打ち上げ。日比野氏と握手を交わすボランティアクルーの金子さん
右:5月に横浜港大さん橋会場で開催された「タダイマ ナミノウエ コウカイチュウ」での展示
撮影:日比野克彦

★1──都市ブランド共創プロジェクト「imagine YOKOHAMA」
URL=http://imagine-yokohama.jp/
★2──横浜市 創造界隈における経済波及効果
URL=http://www.city.yokohama.jp/me/keiei/kaikou/souzou/new/070710.html
★3──株式会社 浜銀総合研究所 プレスリリース「開幕目前!"開国博Y150"の経済効果」
URL=http://www.yokohama-ri.co.jp/press/index.html

横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」

会場:横浜市内3カ所(みなとみらい地区「ベイサイドエリア」、山下・山手地区の「マザーポートエリア」、ズーラシア近隣「ヒルサイドエリア」)
会期:2009年4月28日(火)〜9月27日(日)

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久木元拓

都市文化政策、アートマネジメント研究者

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アートプロジェクト探訪

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