アートプロジェクト探訪

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009──10年を経て、どこへ向かうか

白坂由里(美術ライター)2009年09月15日号

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芸術祭のめざすものは、夏耕冬読の場所

 「大地の芸術祭」は、アートを通じて過疎化する地域を活性化するというミッションを負っている。芸術祭は回を追うごとに動員数を延ばし、恒久設置作品も増え、3年に1度の大祭のあいだにもツアーが組まれるようになり、芸術村の様相を呈してきている。ただし、ディレクターの北川フラム氏の希望は、もっとシンプルなものだ。「越後妻有が、日本の社会の鏡となり、晴耕雨読ならぬ夏耕冬読の場所となっていくといい。美術だけではなく、さまざまなことを考え、なにかを行なっていく、世の中を照らし出す場所となっていくことが、地域計画として良いと思っていますね」。
 日本の原風景が残る里山。都会からの旅行者には、懐かしさや癒しを感じる場所でもあるが、新潟に横たわるものはそれだけではない。都市と地方の格差、集落という共同体と市町村合併、減反政策を含む農業政策。あるいは縄文文化。北川氏は「新潟をのぞくと日本の“底”が見える」という言葉を発していたが、リピーターのなかにも「越後妻有という地域に日本の“原形”を感じる」という意見がある。大地に張る根は深い。そもそも田畑を切り開く耕作者とは、ここに定住しようと覚悟した者たちである。引力から自由になりたいアーティストとの出会いは、そもそも互いに異なるもの。違っているからこそ変化が期待される。

 越後妻有地域とは、2005年に5つの市町村が合併した十日町市と津南町を指すが、集落がコミュニティのベースとなっている。農村では、道路や河川の掃除、雪堀(雪かき)、現在は少なくなってしまったが屋根の茅葺きなど、さまざまな作業を共同で行なう。古来より伝わる祭りや年中行事も村全体で行なわれる。アーティストがそこに呼ばれるということは(すべての村で起こるわけではないが)、村の一員として受け入れられたということでもある。作家でなくても都市生活者には戸惑いを覚えることでもあるが、長年祭りのたびに出向く作家や、学生を引き連れて田植えを手伝っている作家もいる。作品制作に多くの人が手を貸してくれるのには、そのような共同体意識が働いているようにも思われる。村を盛り上げたい、アーティストの懸命さにほだされる、こへび隊のなかなかはかどらない仕事を見かねて加勢する、家事や仕事が忙しくて参加できない、など全集落で芸術祭に向けて一致団結なわけはなく、立場はさまざまだ。今回は、オープン前後に各集落で独自にオープニングパーティーをやっていたところも多かった。「住民が少なくなり、伝統的なお祭りが消えつつあるところに、アートが入ったことで、新しいお祭りができたのだと思います」と北川氏は言う。

 また、北川氏は「アートはなんでもありだと思っている」と口にすることもあるが、文章では「美術だけではなく、食やサーカス、舞踏などさまざまな企画が今年は増えた」と書いている。私自身はアートがなんでもありだとは思わないが、「大地の芸術祭は、美術だけではない」ということに違和感はない。山間部を回る鑑賞者は実際に飲食には困っており、今回「車座おにぎり」をはじめ、「食」をテーマにした企画や作品内にカフェなどが増えたのも必然であった。あるいは、スタッフやこへび隊が中越地震の際にご用聞きに回り、話し相手になった経験から「食」「祭り」といったことが重みを持っているのかもしれない。例えば、舞踏で考えれば、音楽があり、食がふるまわれ、それにともない器などの工芸品も自然と周囲にある。焼物もいけばなも同様で、近代以前の日本では生活のなかに芸術があったということがここでは実感される。いわゆる現代美術が日本に移入された歴史を思うと同時に、しかし異質なものを掛け合わせて働き合うことができれば、地域の流れは新しい方向に向かうとも思う。

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白坂由里

『ぴあ』編集部を経て、アートライター。『美術手帖』『マリソル』『SPUR』などに執筆。共著に『別冊太陽 ディック・ブルーナ』(平凡社、201...

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