アートプロジェクト探訪
作品数の多さに比べ、本当に多様か
前3回の開催で恒久設置となった作品が約150点、今年の新作が約220点。東京23区より広い760平方キロメートルに約370点もの作品が散らばった。北川氏は「できるだけ集落それぞれに作家を入れたいし、話題の作品だけ回っても、一部の地域だけを回っても芸術祭の全体像がつかめるようになど、充分考えて配置しています」と語る。
大地の芸術祭の作品はコミュニティのベースである約200の集落に点在する。芸術祭がなければ、例えば十日町市街地から松之山の山間部など出かけることはなく、芸術祭があっても集落を超えて交流することはほとんどないようだ。大地の芸術祭は、十日町のキナーレと松代の農舞台とに大きな情報の拠点を2カ所設けているが、作品設置場所の番号は十日町の北から振られ、「周縁」から旗幟を挙げる構造を持っている。越後妻有地域へアクセスするには、電車で十日町駅とまつだい駅、あるいは東京方面から車でも十二峠トンネルを抜けて中里エリアから・大沢山トンネルを抜けて十日町南の山間部から・八箇トンネルを抜けて十日町市街地からと、インフォメーションセンターもそれぞれにあり、東回り・西回りと、多方向に人が流れる。2000年の北山善夫による廃校作品、2003年の中瀬康志の空家作品など「遠くに行ったほうが面白い」というクチコミもかねてから回っていた。
今夏は1泊2日か日帰りで何度か足を運んだが、車だけでなく、地元の電車とバスでも移動した。歩いてみると集落の間隔は広く、作品数が多くても致し方ないのかとも少し思う。しかし約200組もいれば作家一人あたりの予算は自ずと少なくなり、多大な労力に見合わない。370点もあれば、すべてが名作であるわけはなく、集落によっては逆効果なのではないか。
北川氏は「そのようなデコボコがあって良いと思っています。ひとつのテーマや基準に基づいて作家を外していくよりも、いろいろな作家がいて、いろいろなことが起こっていくなかから、なにかが生まれてくればいいと思っているんです」と語る。越後妻有の野外や空家、廃校といった舞台では、有名作家でもあまりうまくいかない場合もあるし、公募作家が大化けすることもある。ただし、ジャンルやキャリアの違いだけではなく、「作品は多様というほど多様ではないんじゃないか」という声もある。
2006年に空家や廃校プロジェクトが本格的に始まって以降、記憶をテーマに、農機具をはじめそこにあったものを素材とする作品がひとつのスタイルのようになった。地元で見て回っている人々のあいだでも「似たような作品が多い」という声があったようだ。2006年時に私も『美術手帖』誌に書いたが、今回は実数的にはこの傾向は減り、ものを組み合わせることよりも空間から考える方向にあったと思う。その結果、糸やワイヤーなどを張り巡らせたストリングス作品が今回は多かった。しかし、アートにも流行があるし、作家が場所からインスピレーションを受けるときに、同時多発的に同じような観点や問題意識が起こることはよくあることでもある。
9月5日に浦田集落で行なわれたシンポジウムで、「都市では生活のなかでの自身の違和感を作品化しているような作家が、すべて田舎万歳になるのも奇妙な話で、虫に手こずったり、植物や農業のことを全然知らなかったりするような自身をさらけ出した作品がなぜないのか不思議だ」という話が出ていたが、確かにだ。映像作品がほとんどなく、活躍している若手作家がほとんど起用されていないなど、現在の美術状況から離れつつあるようにも見える。とはいえ、そのまま移入しても越後妻有の環境に負けてしまったりもするのだが。北川ディレクターやアドバイザーだけではなく、アシスタントキュレーターの起用や、若いスタッフが作家を発掘するなど、さまざまな眼を入れると同時に、やはり作品数を絞って特化させることが必要なのではないだろうか。恒久作品が増えればメンテナンス費はかさむ。作品管理は、こへび隊から集落へと移行しつつあるが、人口は減少しており、将来の心配も出てくる。
集落を超えることは難しい。けれど、継続して参加している鉢や名ケ山周辺、下条地域、東川や上鰕池・下鰕池周辺など、地域的な盛り上がりを軸に、今後は、集落を超えた相補性や関係性をつくり出すことが必要なのではないだろうか。そういうことをアートはできないだろうか。不動産美術は越後妻有の大きな特色となったが、越後妻有地域に、動産美術をどう組み合わせていくかが鍵のような気がする。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009
会場:越後妻有2市町(新潟県十日町市、津南町)
会期:2009年7月26日(日)〜9月13日(日)
*JR「ディスティネーションキャンペーン」の一環で、引き続き秋にも開催。
大地の芸術祭2009秋版/10月3日(土)〜11月23日(月)