〈歴史〉の未来
第5回:図書館から図書環へ──分類の「第三段階」におけるアーカイヴの役割とはなにか?
濱野智史(日本技芸リサーチャー)2010年03月15日号
連載5回目となる今回は、前回予告したとおり、昨年12月に行なわれた国立国会図書館館長・長尾真氏とのトークイベント「d-laboセミナー:これからの知──情報環境は人と知の関わりを変えるか」の内容をもとに、図書館というアーカイヴの未来について考えてみようと思う。そこで筆者が提示したのは、これからの図書館には知を蓄積する《貯蔵庫》としての役割だけではなく、知のあり方が変わりゆく状況そのものを支える《環境》としての役割が求められる──すなわち「図書館」から「図書環」へ──ということだった。
有史以来から「第三段階」を迎えた分類システム
図書館から図書環へ。それはどういうことだろうか。順を追って説明しよう。まず、改めて確認するまでもなく、「知」と「分類」のあいだには、『「分ける」ことは「わかる」こと』(坂本賢三、講談社学術文庫、2006)という言葉にも端的に表わされているように極めて密接な関係がある。図書館が知のあり方を考えるうえで重要なのは、それが書籍という知のパッケージを膨大に貯蔵しているからだけではなく、「図書館10進分類法」にしたがって知を体系的に格納しているからにほかならない。
分類が知を規定する。この事実を踏まえるならば、インターネットが可能にした新たな分類システムの登場は、知のあり方を大きく変えることになる。メタデータ研究者で知られるデビッド・ワインバーガーは、『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?──デジタルの無秩序がもつ力』(エナジクス、2008)のなかでこのように指摘する。
たとえば同書で挙げられているのは、「del.icio.us」や「はてなブックマーク」といったソーシャル・ブックマーク・サービスに実装されている、いわゆる「タグ」と呼ばれる分類システムである。リンネの生物分類学からデューイの図書十進分類法に至るまで、従来の分類システムの特徴は、あらかじめ「何をどこに分類するのか」を体系的に整理した「分類表」を有していた点にある。しかし、タグはこれとは大きく異なり、そこでは前もって定められた分類カテゴリは基本的に存在しておらず、各々のユーザーは好き勝手にその対象の特徴を表わす「タグ(分類キーワード)」を付与するだけだ。それでも「タグ」が分類システムとして機能するのは、それぞれのユーザーが同じタグを付与していくことで、「タグクラウド」のように情報が事後的かつ動的に整理されていくからである。
こうしたタグの仕組みが可能なのは、抽象的にいえば、《分類するもの》と《分類されるもの》がともに情報空間上に存在し、物理空間の制約を受けることがないからだ。この特徴を、ワインバーガーは有史以来の分類方法を三つの段階に分けて、「第三段階」と表現する[図1]。ちなみに「第一段階」とは、たとえば「フォークをキッチンの引き出しにしまう」というように、《分類されるもの》を物理空間上でただ整理整頓する状態を指し、「第二段階」とは、たとえば図書館における「書籍(棚)と図書検索カード」の関係のように、《分類されるもの》としての書籍は物理空間上に整理され、《分類するもの》としての図書分類は図書検索カードという情報媒体に記録される状態を指す。
この「第二段階」の時点では、物理空間の制約から、あらかじめ分類表をツリー的に確定させておく必要があった。その理由は単純である。たとえば図書館であれば、書籍は物理空間上の所定の場所に収める必要がある──そうでなければ膨大な知にアクセスする回路が確保できない──からだ。各人が好き勝手に「これは法学の書籍だ」「いやいや社会学だろう」などといちいち図書分類を変更していては、その書籍がどこにいってしまったのかがわからなくなってしまう。これを防ぐには、あらかじめ分類体系を確定させておき、誰もがそれにしたがって書籍を整理しなければならなかった。
これに対し「第三段階」においては、《分類されるもの》としての「コンテンツ(データ)」と、《分類するもの》としての「タグ(メタデータ)」がともに情報空間上に存在するため、こうした物理的な制約を受けることがない。そこでは図書館のように、いつもの決まった場所に本を戻す必要はない。「タグ」のように、誰もが好き勝手に分類票を付けて、後から自由に検索しアクセスすることが可能になる。筆者が別の場所で使った比喩を使えば、あたかもそれは「魔法使いが図書館中のあちこちに存在する書籍を、魔法一つでたちまち目の前に呼び寄せるようなもの」(拙著「ニコニコ動画の生成力」[『思想地図』Vol.2、NHK出版、2008]所収)なのである。