〈歴史〉の未来

第5回:図書館から図書環へ──分類の「第三段階」におけるアーカイヴの役割とはなにか?

濱野智史(日本技芸リサーチャー)2010年03月15日号

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分類の「第三段階」における、アーカイヴの役割とは何か?

 さて、ワインバーガーによれば、こうしたタグをはじめとする「第三段階」の分類システムこそが、古来より人間の知を規定してきた、トップダウン的な「階層構造(ツリー構造)」から知を解放することになるという。これに対し筆者がかねてから指摘しているのは、こうした「第三段階」の分類システムはまだまだ誕生したばかりであり、たったこの数年の間に新たなイノベーションが次々と生じているということだ。そこで起きているのは「知の解放」というよりも、むしろ「新たな知の秩序を規定するアーキテクチャが模索されている段階にある」といったほうがより正確ではないだろうか。
 ここでは詳しく紹介しないが、たとえばニコニコ動画の「タグ」のシステムは、上で紹介したソーシャル・ブックマークのそれとは大きく異なっている。そこでは、ひとつのコンテンツに割り振ることができるタグの数は10個に制限され、しかも誰もがタグを自由に編集・削除可能というアーキテクチャが採用されることで、著しいタグの淘汰と進化をうながすことに成功している。また、Twitterのハッシュタグもある種の分類システムと呼ぶことができるけれども、それは分類の名称がそのままコミュニケーションの場と不可分に結びついているという点で、いままでにない特異な情報空間を実現している。
 いま情報環境の上では、こうした新たな分類システムの多様な実験が生じており、今後は「Kindle」「iPad」「Googleブック検索」といった電子書籍化の波が進んでいくことで、図書館が体現してきた知=分類のシステムは大きな転換を強いられることになるだろう。こうした状況において、未来の図書館が果たすべき役割はいかなるものになるのだろうか?
 もちろんこうした問題については、これまでも多くの議論が積み重ねられており、今後も議論が尽きないことであろう。図書館の未来の姿を具体的に提案するというのは、とても筆者の手に余ることではあるが、ここでは以下の二点について指摘してみたいと思う。

 一点目は、タグをはじめとする分類システムをアーカイヴ化することの必要性である。これまで図書館が保存対象としてきたのは、いうまでもなく書籍や資料といった《分類されるもの》の側だけだったが、ここで筆者が言いたいのは、今後は《分類するもの》としてのタグの側もアーカイヴ化される必要があるということだ。
 というのも、これは特にニコニコ動画に顕著なのだが、そこでは非常に活発にタグの淘汰と進化が生じている結果、タグの寿命は非常に短いものが多い。そのため、タグという知の生成プロセス自体がほとんど明るみにされることなく、歴史の闇に消え去ってしまう傾向にある。こうした問題に対し、すでにニコニコ動画では「ニコニコ大百科」という仕組みを備えており、タグに関するWikipedia的な記述を残すことが可能になっている[図2]。もし今後、タグという仕組みが「第三段階」における知=分類システムの一翼を担っていくことになるとすれば、タグをアーカイヴ化し、その発生プロセス自体を分析していく作業が重要になることは間違いない。


2──ニコニコ大百科
URL=http://dic.nicovideo.jp/

 二点目は、情報環境そのものをアーカイヴ化することの重要性である。これはつまり、「2002年頃のブログシステムでこの記事を読む」「2007年夏頃のニコニコ動画の仕様であの動画を見る」というように、ある特定のアーキテクチャの過去のバージョンを保存し、再現可能にするということを意味する。
 これがなぜ重要なのかといえば、いま私たちがなんらかの情報や知を生産・交換・消費するというとき、その行為や経験は、ある特定の情報環境に「埋め込まれた」かたちで実現されているからだ。たとえばニコニコ動画におけるコミュニケーションや創造行為は、ニコニコ動画という環境とは切っても切り離せない関係にあり、たとえばタグをひとつ取ってみても、その投稿制限数が10個なのか20個なのかによって、大きくその振る舞いは変質せざるをえない。だとするならば、今後私たちが知や情報をアーカイヴするにあたっては、経験の《対象》の側だけではなく、経験の《条件》の側もあわせてアーカイヴ化する必要が出てくるのではないだろうか。少なくとも情報環境であれば、それは原理的に可能なはずなのだから。
 もちろん、各サービスを提供している企業が内部的にバージョン管理を行なっているというのならともかく、公的にはこうした「情報環境のアーカイヴ作業」はほとんど行なわれていないのが現状である。しかし、これはすでにコンピュータ・ゲーム研究の領域では大きな課題となっている。ハードウェアの相次ぐ進化によって、わずか数十年前のゲームコンテンツであっても、そのプレイ経験を「再現」するのが困難になりつつあるからだ。書籍や絵画といったアナログメディアのアーカイヴ化が比較的容易であることに比べると、もともとデジタルメディアであったコンピュータ・ゲームのアーカイヴ化が困難であるというこの事態は、なんともアイロニカルで奇妙なことといえるだろう。

 以上の二つの指摘は、かなりの大風呂敷を広げたかたちとはなっているが、分類システムの「第三段階」を迎えた私たちにとって、いずれも本質的な課題になると筆者は考える。筆者の考えをひとことで要約すれば、知的コンテンツを収蔵するいわばハコモノとしての「図書館」から、私たちの知や創造性のあり方を支える環境としての「図書環」へ。そこでは知の《対象》だけではなく、知の《条件》そのものを保存する役割が求められるのではないか。これこそが、いま筆者が考える未来のアーカイヴの姿なのである。

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濱野智史

1980年千葉県生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。著書=『アーキテクチャの生態系』...

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