〈歴史〉の未来
第6回(最終回):リアルタイム・ウェブは「歴史」を殺すのか?
濱野智史(日本技芸リサーチャー)2010年05月15日号
昨年始まった本連載も、今回でいよいよ最終回となる。これまで本連載では、ニコニコ動画やTwitterといったウェブサービスを例に挙げながら、「歴史」を支える情報基盤がはたして今後どのように変容していくのかについて、拙いながらも思考実験的な論考を重ねてきた。最終回となる今回は、これまでの連載のモチーフを振り返りながら、リアルタイム化が進む情報環境下での〈歴史〉のあり方について思考をめぐらしてみたい。
Twitterに見られる「時間的局所性」
これまで本連載が一貫して注意をはらってきたのは、ニコニコ動画にしてもTwitterにしても、近年の情報環境においては「リアルタイム化」が急速に進んでいるということだった。ありていにいえば、そこでは誰もが「ストック」よりも「フロー」の情報に多くの認知的リソースを割り当てるようになり、「過去」よりも「現在」こそがますます重視されるようになる。
そのことを端的に表わしているのが、Twitterのシステム・アーキテクト、Nick Kallen氏による次のエピソードである(「秒間120万つぶやきを処理、Twitterシステムの“今” − @IT」)。同氏の講演内容は、毎秒120万にも及ぶ膨大なつぶやきを処理するにあたって、Twitterではどのようなシステム設計上の工夫が施されているのかに関するものだった。
同氏によれば、Twitterでは、膨大なデータベースへのアクセス負荷を分散させるにあたって、時系列順にデータ領域をパーティショニング(分割)するという手法を採用しているという。ただし、こうしたデータベースの分割という手法は、ともすれば分断されたデータベース領域を何度も走査(スキャン)しなければならず、かえってシステム負荷を高めてしまう場合もあるため、通常はそれほどうまい負荷分散のやり方とはいえない。
しかし、Twitterでは、時系列順にデータベースを分割することで、じつに問題なくアクセス負荷を軽減することができたという。なぜなら同氏によれば、Twitterへのアクセスの大半は「現在」の情報に偏っているからだ。「実際にはほとんどのクエリは、より新しい情報へのバイアスがかかっている」。だから「ほとんどの人のリクエストは最新のパーティションに対するクエリで完結する」。こうしたTwitterのアクセスパターンの特徴を、同氏は「時間的局所性」(Temporal Locality)と呼んでいる。
リアルタイム・ウェブは「歴史」を殺すのか?
Twitterには「時間的局所性」、すなわち「現在(リアルタイム)」への極端な集中が見られるということ。これは裏を返せば、Twitterというサービスにはもはや事実上「過去」が存在しない──というよりも、「過去」という時間的領域が必要とされていない──ということを意味している。
いささか極端かもしれないが、次のような事態を想定してみよう。ある日突然、Twitterの過去のつぶやきを保存していたアーカイヴが消滅したら、はたしてどうなるだろうか。おそらく大半のユーザーはそのことに気づくこともなければ、しばらくの間は困ることもないであろう。実際、筆者もTwitterを利用しているが、1カ月以上前のツイートを参照することはほとんどない。いや、まったく皆無である。おそらく過去のツイートが実際に消えてしまったとしても、それほど困ることもないだろう。どうせそこにあるのは、たわいもないつぶやきが大半なのだから……。
もちろん、これはあくまで極端な想定ではある。しかし、あながち現実味がまったくないともいえない。いまやTwitterは、メールやウェブに並ぶ情報環境の基本的なインフラとして定着しつつあるが、そのサービスがこれほどまでに極端に「現在」に偏っているという事実は、「歴史」なるものの未来を考えるうえで極めて重要であろう。このままTwitterのようなリアルタイム・ウェブが私たちの生活を覆っていくことになれば、私たちは事実上、いまよりも「過去」を振り返ることをしなくなり、ますます「現在」というローカリティ(局所)で完結するようになるということを意味するからだ。
いささか挑発的な言い方をすれば、いまリアルタイム・ウェブは、「歴史」という過去の領域そのものを“忘却”の彼方へと葬り去ろうとしている。“忘却”という表現はいかにも人間的な響きを私たちに与えるが、むしろそれは、データベース(アーカイヴ)へのアクセスという計算論的レベルの上で起きている事態なのである。