フォーカス
香港アートシーン──大規模プロジェクトの展開と民主化デモの影響
長谷川仁美(キュレーター/ミアカビデオアーカイブ代表)
2016年01月15日号
香港の大規模な民主化デモから一年あまり、政府からの譲歩を得ることができぬまま終わったこの雨傘革命は、いまだ香港のアートコミュニティに影を落としている。この一年に行なわれた数々の民主化デモ関連のディスカッションや展覧会、アーカイブなどを見るにつけ、いかにこれが若者や美術関係の人々にとって大きな出来事であり、その結果についての失意をトラウマ的に抱えているかがわかる。そこには、必ずと言っていいほど雨傘革命の話が出る。たとえば、コネクティング・スペースでは2015年、雨傘革命関連の展示、レクチャー、スクリーニングが行なわれ、また、アジア・アート・アーカイブをはじめとしていくつかの団体が雨傘革命のアーカイブを制作している。
2014年9月に始まった不服従のデモ★1が、予想を超える規模となったこの大規模占拠、開始直後には民主主義への期待と希望が大きく膨らみ、高揚感と興奮が高まった。が、同年12月に強制排除がはじまり、最終的には撤退を余儀なくされ、また北京政府の事実上の無視により実際の普通選挙への道はほぼ絶たれた状態だ。首謀格の学生たちはパスポートを一時取り上げられ、2015年8月には違法集会の容疑で数名が逮捕、起訴された。学生連盟もほぼ解体状態。香港の人々、特に参加していた若者たちは、雨傘革命後遺症ともいえる状態にある。強制排除以降も、少なからず反対運動を継続していく動きはあったが、いずれも盛り上がりは見られない。
2015年11月の香港区議会選挙では、前回2011年の選挙より投票率が上昇、過去最高の47%約147万人が投票した。これはやはり雨傘革命による政治意識の高まりと捉えられる。一般的には投票率が上がると民主(中央政府よりではない)が有利といわれていたが、今回の選挙ではその逆の結果となった。★2
親政府派の得票数は10万票前回より増え、民主派の3万票増を上回った。また議席数も298席と民主派の106席を大きく上回った。そして実際に占拠されていた地域、銅鑼湾(コーズウェイベイ)、湾仔(ワンチャイ)、旺角(モンコック)地域ではほぼ親政府派が独占、32議席中27議席を占めた。全体でも、実際にデモに参加した議員はたった二人しか当選していない。
3カ月に及ぶデモと占拠は、じつは急激な変化や過激な行動を避けたい多くの市民には支持されておらず、占拠の中心となっていた若者たちとは対立した意見の市民が多いことを立証した。
選挙の結果からみれば、香港社会の中での政治的意見の分裂と、はっきりとは見えないけれども親世代と子世代という家庭内での対立が起きている可能性がある。が、一年以上経ち、現在反対派は影をひそめ、親中派の力が勝っている。雨傘革命により、反体制派は勢いをくじかれ、親中派が台頭、まさに中国政府の思うつぼといった状況だ。
M+の始動
いっぽうで、それらをよそ目に次々と巨大な文化施設のプロジェクトが進んでいる。世界でも最大規模の美術館のひとつとなるであろうM+も着々と2019年の開館に向け準備されている。2015年12月、すでに建物の基礎はほぼ完成しているという。また、建設完成までの毎年、M+はさまざまな会場や建設予定地で、映像やパフォーマンスなど毎年テーマを変えたプロジェクトを行なっている。
昨年秋に飛び込んできた残念なニュースは、館長のラルス・ニッティヴェが2016年1月に契約の更新をせずに去るというもの。このことは、開館まで彼がイニシアチブをとると信じていた多くの人々、特にM+内部の人々に驚きと失望をもたらした。だが、幸いなことにニッティヴェは顧問として引き続き関わっていくということになり、少なくとも一年間は、一カ月に一週間を香港で過ごすことになった。
M+は香港政府肝いりの西九龍文化区(WKCD)プロジェクトの大規模な開発のひとつである。この40ヘクタールもの地域のマスタープランは数回のパブリックコンサルテーションとコンペティションを経て2011年にフォスター+パートナーズに決定し、シティ・パークをテーマにしている。M+の美術館の建築は、日本からの3組(伊東豊雄、坂茂、SANAA/妹島和世 + 西沢立衛)を含めた6組の建築家のコンペティテションであったが、ピューリッツァ賞受賞のスイスの建築家、ヘルツォーグ&ド・ムーロンとTFPファレルズが勝利を収めた。逆T字型の建物は、183,000スクエアフィート(約17,000平方メートル)、展示空間、オフィス、倉庫、教育施設を備え、LEDシステムで作品がディスプレイできるようになるという。
当初のWKCDの予算は216億香港ドル(約3,456億円)であったが、現在は400億香港ドル(約6,400億円)に及ぶ予定だ。展示スペースは15,000平方メートル、実にロンドンのテートモダンの2倍、それだけでいかに巨大かがわかる。初期計画に加え、新たにオフィスタワーを建築することになり、そちらもヘルツォーク&ド・ムーロンによる設計となる。
毎年アートバーゼル香港の時期になると、M+のショッピング(!)が話題になるように、コレクションも開館前の時点でかなりの数に及んでいる。2012年のウリ・シグ・コレクションの中国現代美術作品をまとめて購入(こちらは2016年2月にM+による中国現代美術展の中核となっており、ロンドンや北京などにも巡回予定)し、現在これらも含めすでに4,300点もの作品が収蔵されている。収集方針は、アートのみならず建築、デザインなど多岐にわたっており、さまざまな重要な視覚芸術作品を購入している。倉俣史朗デザインの新橋の寿司店《きよ友》を購入したことは記憶に新しい。収集の予算も当初の予算が14億香港ドル(182億円)と、こちらも桁違いだ。サウスチャイナ・モーニング・ポストによれば、2015年11月、すでに65%のコレクションは完成したという。日本のアーティストの作品もすでに数多く所蔵されている。
次々とオープンする新しいアートスペース
そして、香港の小さな都市の中には、次々と新しい文化施設や美術館もオープンしている。一昨年には、PMQ、(元のポリス・マリード・クオーターズ、つまり結婚している警官の宿舎)がデザインや文化のスポットとしてオープンした。カフェやショップ、また宿舎になる前には、由緒ある中央書院であったので、その遺跡も訪れることができる場所だが、街中にあるのはチェーンの商業施設がほとんどである。また、デザイン関連のイベントが数多く行なわれている。
今年2016年の終わりには、別の複合文化施設が香港の中心部にある旧セントラル・ポリス・ステーションに、タイクゥンという名前でオープンする。こちらは、現代美術と史跡(アートとヘリテージ)が大きな2本の柱となっており、その歴史ある英国統治下時代の警察署とヴィクトリア刑務所の建物の一部をそのまま残し、現代建築と融合させた複合文化施設になる予定だ。つい先週、修復されたネオクラシカルスタイルの元警察署(現在は、タイクゥンのオフィスとして使用が始まった)がハリウッドロード沿いに姿を現し、白を基調にした美しいファサードをようやく見ることができるようになった。
タイクゥンは、香港政府とジョッキークラブ慈善財団(競馬場、ロッタリー、宝くじ、サッカーの賭けなどを運営する組織で、収益を慈善事業や文化事業などに運用している。HKJCCT)が共同でスタートさせたプロジェクトで、初期予算は21億香港ドル。1864年に一部は建築され、現在は使われなくなった旧警察署と刑務所を文化施設として生まれ変わらせることを目的に2007年にプロジェクトが発足した。
2015年の春に、元M+のキュレーターであったトビアス・バーガーがアート部門のディレクターに就任し、オープンに向けて準備中だ。
この中のアートセンター、2016年の終盤にオープン予定のオールド・ベイリー・ギャラリーズは3階建で1,500スクエアメーター、天井高は6.7メートル。やはりヘルツォーク&ド・ムーロンによってデザインされたこのギャラリーでは年間6本から8本の展覧会を開催予定で、うち1本は公募で決定される。
レジデンス施設にスタジオが5つ作られる予定で、こちらは美術だけではなく広いフィールドからアーティストやクリエイターを招待する予定だという。
ひろがるインディペンデント・シーン
オルタナティブやインディペンデントなスペースも、マーケットの盛況や美術館の設立がカンフル剤となっているのか、ここ5年間たくさん誕生している。1997年の英国から中国への返還後、英国の文化政策の置き土産としてアーツカウンシルがつくられ、非営利や個人が設立した芸術団体にカウンシルが助成をするようになってから、香港では非営利芸術団体がアジアのほかの国々とは比べ物にならないほど大きな力を持っている。現代美術の公立美術館がほぼ存在していなかった分を彼らが埋めていると言っても過言ではない。パラサイト・アートセンター、アジア・アート・アーカイブ(AAA)、ヴィデオタージュ、1aスペースなどの古株から、比較的小さな、クララとガムというアーティストカップルによる旺角のC&Gアートアパートメント、2015年にクローズとなったが、数年間アクティビストを中心に活動していたウーファータン、サウンドアートに特化したサウンドポケットなど。特に活動が活発で発信力があるのは、AAAとパラサイトであろう。
ここ2年では、充実したレジデンス施設を備え、ロッテルダムのウィッテ・デ・ウィッテやアジア・アート・アーカイブと提携、協力、また独自のすぐれた展示企画、ワークショップやレクチャーも数多く展開しているスプリング・ワークショップが目を引く。ここは篤志家のミミ・ブラウンによって設立され、現在はクリスティーナ・リーがディレクターとなっている。
また、最近アートコミュニティでホットになっている場所は深水渉(サムシュイポー)だ。2015年の秋、アーティストのリー・キットと、AAAのシャンタル・ウォンがオープンしたThings that can happen。ここはカフェのチェーンを経営する、コレクターで篤志家のアラン・ロウの所有するビルの数フロアを、展示とレジデンスの施設としてウォンとキットに任せた施設だ。
深水渉にはほかにもいくつかのスペースがオープンしている。アーティストランスペースである 100スクエアフィートパーク。デザインや建築ユニットのオフィスやカフェもあるスペース、ワンタンメンもこの一年に次々とオープンした。近隣の油麻地(ヨウマーティ)には、シチュアシオニスト的な視点で若者により経営されている定価のないカフェ ソーボーリング、何をやっているのか謎だらけのタッチーレーンとピットストリートというスペースもある。香港島を離れてカオルーンやニューテリトリーの地域になると、高額家賃で悪名高い香港でも、多少は家賃が安く、若者が共同で借りたりということが可能になる。
最近、アート関係者がしばしば通う場所としては、前述のスプリング・ワークショップ周辺の香港仔(アバディーン)の工業ビル地域だ。アーツ・デヴェロプメント・カウンシルのレジデンススタジオが最近オープンし、ロッシ&ロッシ、ペキン・ファイン・アーツやセントラルから引っ越しした、写真に特化しているブラインド・スポット・ギャラリー、またギャラリー・エグジット、アイショウ・ナンヅカなどのコマーシャルギャラリーがこの数年間に次々とオープン、サウスアイランドという名前で横の連携をつくり、サウスアイランド・アートディとして同じ週末にオープニングを行なうなどの活動をしている。
また2015年は、パフォーマンスに主眼を置いたスペース、ウィング・プラットフォームもオープンした。こちらはベルギーのパフォーマンスのキュレーター、レスリー・バン・エイクによる空間で、広い工業ビルのユニットをシアター、トーク、スクリーニングも可能な場所として改装、ルーフトップではパーティも行なう。ウィングは柴湾(チャイワン)工業ビル地域にあり、ここにもまた多くのアーティスト・スタジオやギャラリーが存在している。プラットフォームチャイナ・コンテンポラリー・アート・インスティテュート香港もここにある。
アートのイベントを多く行なうクラブやバーも香港にはいくつかある。ダドルズやビーボのように、オーナーがコレクターであるところ、またはヒドゥンアジェンダやプロパガンダのように、インディペンデントでライブやパフォーマンスも行なう場所もある。西營盤(サイインプン)のPing Pong Ginteriaも、卓球台が置かれたバーの中でたくさんの作品が展示され、美術関係のイベントも行なわれる。
2015年の11月には、ザ・ミルズという 荃湾(ツェンワン)の紡績工場の跡地が巨大な展示空間としてソフトオープンした。同年の8月にはChim↑Pomを招待して現地制作、セントラルにあるアネックスの展示のこけらおとしは、香港のチ・ウォ・ルンだった。ディレクターは、もとサザビーズギャラリーのアンジェリカ・リーだ。こちらの経営はナンフン・グループという不動産ディベロッパーである。
表現の自由の行方
香港は、英国統治時代には西洋的な枠組みを受け入れながら、もともとの香港独自の文化を保持し、そして1997年からは中国政府により一国二制度の名の下で統合された。天安門事件で大きく反対を叫ぶことができたのもこの制度のおかげだが、その境界線はじわじわと侵食されつつある。広東語を公用語としているのも、いまや香港のみだ。(ほかの広東省は、政府によって普通話・北京語に塗り替えられてしまった)
つねに複数のアイデンティティを持たざるをえないなかで、自由と民主主義を求め続けてきた香港。天安門事件のあった6月4日に毎年行なわれる大規模なデモンストレーションや一昨年の大規模蜂起など、香港の人々には行動に移す力と強い信念がある。その方向性は分裂の危機をはらみながらも、香港に住む多くの外国人にも支持されている。そして、数多くの現代美術関係の人々は、コレクター、キュレーター、アーティストも含めて外国人であったりする。
これからの5年あまり、これらのプロジェクトが次々と完成し、多くのアーティストが招待され、大規模な展覧会が行なわれるだろうが、そこで本来の表現の自由を保持していられるかが今後の鍵となるだろう。たとえそこに(隠された自主規制などの)問題があったとしても、経済が回っていればアートマーケットは香港を潤し続けるだろう。
が、もしもあからさまな検閲や展示の強制撤去などの事件が体制により行なわれたとき、香港のアートコミュニティは従順に従ってゆくのだろうか? 簡単に逃げ出すことのできる外国人やディアスポラの人々が多くを占める脆弱性をはらんだコミュニティは団結し、戦うことができるのだろうか?
教育制度の変更を含め徐々に政治的圧力を強め続ける中国政府と対峙していくなか、アートのコミュニティはどこまで体制側と共存していけるのか、またいくべきなのか、今後も起き続けるであろうドラスティックな変貌を見守りたい。
M+(West Kowloon Cultural District M+ Overview)
PMQ 元創方
35 Aberdeen Street, Central, Hong Kongタイクゥン(オールド・ベイリー・ギャラリーズ) Tai Kwun (Old Bailey Galleries)
45 Tung Tau Wan Road, Stanley, Hong Kongパラサイト・アートスペース Para Site藝術空間(Para/Site Art Space)
G/F, Po Yan Street, Sheung Wan, Hong Kongアジア・アート・アーカイブ Asia Art Archive(AAA)
11/F Hollywood Centre 233 Hollywood Road, Sheung Wan, Hong Kongヴィデオタージュ Videotage
Unit 13, Cattle Depot Artist Village, 63 Ma Tau Kok Road, To Kwa Wan, Hong Kong1aスペース 1a space
3/F, 222 Sai Yeung Choi Street South, Prince Edward, Kowloon, Hong KongC&G Artpartment
35 Aberdeen Street, Central, Hong Kongサウンドポケット soundpocket 聲音圖書館
Unit 10C, Gee Chang Industrial Building, 108 Lok Shan Road, Tokwawan, Kowloon, Hong Kongスプリング・ワークショップ Spring Workshop
3/F Remex Centre, 42 Wong Chuk Hang Road, Aberdeen, Hong KongThings that can happen 咩事藝術空間
1/F, 98 Apliu Street, Sham Shui Po, Kowloon, Hong Kong100スクエアフィートパーク 百呎公園(100ft. PARK)
1/F, 220 Apliu Street, Sham Shui Po, Kowloon, Hong Kongソーボーリング So Boring 蘇波榮
2 Tak Cheong Lane, Yau Ma Tei, Kowloonピットストリート Pitt Street
18 Pitt street, Yau Ma Tei, Kowloonロッシ&ロッシ Rossi & Rossi
Unit 3C, Yally Industrial Building , 6 Yip Fat Street , Wong Chuk Hang , Hong Kongペキン・ファイン・アーツ Pekin Fine Arts(Hong Kong)
Union Industrial Building, 48 Wong Chuk Hang Road, 16 /F Aberdeen, Hong Kongブラインドスポット・ギャラリー Blindspot Gallery
35 Aberdeen Street, Central, Hong Kong15/F, Po Chai Industrial Building, 28 Wong Chuk Hang Road, Wong Chuk Hang, Hong Kong