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音の展開2017

金子智太郎(美学、聴覚文化研究)

2017年02月15日号

 美学・聴覚文化研究の金子智太郎氏による、音とアートをめぐるレポート。artscapeにて2013年に掲載された「[“音”の現在形]聴くこと、見ること、知覚すること──音=楽=アートの現在形」、2014年の「いま知っておくべきアートワード50選『音の展開2014』」に続き、今回はこの冬に東京で開催されたコンサートを中心に取り上げます。

“音”の現在形」──artscape 2013年12月15日号
音の展開2014」──artscape 2014年8月1日号

聴きとれない音、音のパターンの表象と操作

 2016年6月にデンマークで開催された、サウンド・アートの作家や研究者が集まる国際会議「サウンド・アート・マターズ」に参加することができた★1。そのなかで注目を集めていたテーマをいくつかあげると、アクティヴィズム(例えば「ストリートのサウンド・アート」)、エコロジー(「ポスト人新世のための音のデザイン」)、そしてとりわけ実在論、唯物論、存在論(「音の非人間的定義」)だった。最後のものはサウンド・アートをめぐる議論に、音という物質がどのように存在しているのかという問いをもちこもうとする。

 キーノート・スピーカーのひとり、ウォルフガング・エルンストは彼の造語「ソニシティー(sonicity)」について語った★2。この言葉は、波形(アナログ音響技術)やパルス(デジタル音響技術)としてあらわれるパターンを意味する。彼はこのパターンを空気や知覚とは異なる実在とみなして、「テンポリアリティ(tempor(e)ality)」という造語も使っている。そして、ソニシティーをどう理解するかは、時間や音楽についての認識と結びついているとされる。エルンストの著作『Sonic Time Machines(音響時間機械)』(2016)★3は、長い歴史をもつ音響技術がソニシティーをいかに表象し、操作してきたのかをメディア考古学的な視点で検証しようとする。彼は、音はソニシティーの聞きとれる部分にすぎないので、自分の議論はサウンド・スタディーに寄与しないとも言っていた。とはいえ、デジタル音響技術による時間操作がもたらす認識のありかたを理解しようとする彼の問題意識はよくわかる。

 スティーヴン・ウィットは『誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち』(2016)★4で、音声データの圧縮形式MP3の仕組みを開発者の物語をまじえて簡潔に説明している。「オーディオ版のピクセル」から、聴きとれない音や、反復される音のパターンを省略し、音声データを劇的に圧縮するこの技術が実用化されたのは1980年代末のことだった。訳者の関美和の言葉を借りれば、この技術は90年代以降の音楽文化がたどった物語の「縦糸」の一本になった。

 聴きとれない音、音のパターンの表象と操作、このようなテーマをめぐってこれまでに日本でもたくさんの芸術作品が生みだされてきた。例えば、芦屋市立美術博物館「この世界の在り方 思考/芸術」展に《マックスウェル光の電磁波説》(1974-75)が展示された菅野聖子は、音の響きを重んじた詩作から、碁盤や波形による音の表象、そして聞きとれない現象の表象へと進んだ。同時期の「季刊デザイン 特集=音」(1976)★5では、秋山邦晴の無響室論や山口勝弘の音響環境論とならんで、松岡正剛が「量子雑音」と写真の関係を論じていた。

 2016年末からこのレビューを書くことを意識して展示やパフォーマンスを見ながら、しだいにこうした、音のパターンの表象、聴きとれない音といったテーマにあらためて関心がわいてきた。NTTインターコミュニケーション・センターに集められた藤本由紀夫のメディア関連作品や、ワタリウム美術館のナムジュン・パイク展にもこうしたテーマが見てとれた。だが、ここではあえて展示作品ではなく、パフォーマンスとこのテーマのつながりを考えてみたい。そう思わせるコンサートがこの冬いくつもあった。

大城真・川口貴大 デュオ(2017年1月9日、神田SOBOギャラリー)
中島吏英・池田謙 デュオ(2017年1月9日、水道橋Ftarri)

 2017年1月9日に開催された二組のパフォーマンス、大城真と川口貴大のデュオと中島吏英と池田謙のデュオは見くらべる楽しさがあった。大城と川口は個人で、また「夏の大△」のメンバーとしても、多種多様な日用品を組みあわせて音を構築するパフォーマンスを続けている。中島と池田はともにロンドンを拠点に活動し、中島もまたモーターを使っていろいろな日用品を奏でるパフォーマンスを展開している。

 大城と川口は机に向かいあって座り、机の上やまわりにおかれた物を順に作動させていく──地球ゴマ、目覚まし時計、エアー・コンプレッサー、エアー・ホーン、硬貨、リレー、スピーカー……。それぞれの音はあまり混ざりあわず、状況はしだいに混沌としていく。大城がワッシャーを床にたたきつけ、川口が机をゆすったときは、ジョン・ケージの《ウォーター・ウォーク》(1959)を思わせた。向きあって座る二人はテーブルゲームを遊んでいるようだった。



大城真・川口貴大(カセットテープ発売記念コンサート)[撮影=藤島亮]

 一方、中島と池田のデュオでは、中島が床にしきつめられた陶器や金属器を組みあわせ、モーターに当ててチリチリという音をたてた。池田は背後でリボンコントローラーとフットペダルをつかって電子音を鳴らした。かがみこんであちこちのモーターや日用品を慎重に動かしていく中島の仕草は、レゴブロックに熱中する子供のようにも見えた。彼女は、フラットな反復音の音階や音色だけでなく、空間的な響きを慎重に造形していた。音源どうしの距離を変えたり、音源を覆ったりして、響きのマスキングやフィルタリングを調整する。ひとつの音源を音の中心から引き離して、立体感をあたえる。池田による空間系のエフェクトがかかった電子音が、さらに奥行きを加えていた。


中島吏英・池田謙[撮影=棚田康司]

 中島があつかう物とくらべると、大城と川口の机にある物はそれぞれの個性が強く、異質さが際立っていた。いくつかの物はほかの作家の作品を思わせ(例えば、スピーカーから伸びるバネは鈴木昭男の《アナラポス》のようだ)、個々がひとつの作品のようにも見えた。二人はパフォーマンスの最初と最後にストップウォッチのボタンを押した。ほかの物を動かすときも、あたかもスタートとストップのボタンを押すだけで、それぞれの物が別々のタイムライン上を勝手に進んでいくように感じられた。動きだしたらすぐに止まってしまう物もあれば、果てしなく動きつづける物もある。同じようにいろいろな日用品を使い、中島と池田が入りくんだ音の空間をつくったのに対して、大城と川口は波形がならぶDAWの画面のようにいくつもの時間の流れを見せていた。

 SOBOギャラリーには、大城のインスタレーション《mono-poly》も展示されていた。会場中央を横切るように一本のヒモがはられ、その一端は会場の片隅に、もう一端は反対の隅におかれたスピーカーの振動板に結ばれていた。スピーカーは可聴域外の音を発し、その動きよってヒモが振動していた。そして、ヒモに点滅する光があたると、静止した弧として空間に浮かびあがるのだ。ここでもヒモがつくる波形と光のパルスという異質な時間が共存していた。つまり、川口とのパフォーマンスと同じように、作品がある種の時間のパターンの表現になっていた。

 2016年8月に神楽坂eitoeikoで開催された池田謙の個展「原風景─KAFOU」に展示された《Instrumental Drawing - サウンドプリント》もまた、振動するパターンの表象をめぐる作品だった。板に釘を打ち、そこに張った弦に絵の具をふくませ、はじいて絵の具を飛散させる。生まれた図像はドリッピングを思わせるが、アクションではなく振動の痕跡を定着したものだ。それでいて、ポロックの絵画のように飛沫の大小や重なりによって図像に遠近感が生まれていた。本展をキュレーションした飯田高誉は、池田の音楽作品を永井荷風の散歩になぞらえて、ヒエラルキーや線的連続性のない、相互浸透しあう音のかたまりと表現した。池田と中島は、音によってある種の空間をつくりあげる手つきにどこか共通点があるのかもしれない。

「実験音楽とシアターのためのアンサンブル 第6回」
(2016年12月25日、神保町試聴室)

 2016年12月25日に開催された「実験音楽とシアターのためのアンサンブル 第6回」は、「聞くこと/聴くこと」をテーマに選ばれた1960年代から2010年代の10作品を上演した。出演者の久保田翠、小阪亜矢子、照屋全宝、中村益久、西浜琢磨、馬場省吾、北條知子は、上演をとおして舞台、観客席、会場外を移動しつづけた。演奏は奇をてらうことも仰々しくもなく、各作品の世界に没頭することができた。

 「実験音楽においては、知覚する者の役割は、段々と演奏者によって奪われていく」(マイケル・ナイマン『実験音楽──ケージとその後』(1974)★6)。実験音楽の作曲家は、演者が音を聴き、音に反応するよう促すことで、作品に豊かな多様性をとりこんだ。例えば、上演曲のひとつ、アルヴィン・ルシエの《(トーキョー)メモリー・スペース》(1970)は、演者に屋外の環境音を聞かせて、その音を声や楽器によって再創造させる作品だ。このコンサートでは、ほかの演者の音を聴く、環境の音を聴く、想像の音を聴く、小さな音を聴くなど、聴くことのさまざまなヴァリエーションが試された。観客に薄紙を配り、丸めて耳に当てるよう誘う、デイヴィッド・トゥープ《たくさんのプライベート・コンサート》(2015)は、知覚する者の役割を演者から観客にかえす作品だった。

 さまざまな年代の作品が集められていたので、上演前にひとつの疑問が浮かんでいた。実験音楽の歴史のなかで「聞くこと/聴くこと」はどう変わっていったのか。今回のコンサート・プログラムは、この疑問に対するひとつの答えとして、聴きとれるものから聴きとれないものに進むという展開を描いていた。演奏された音や環境の音から、記憶と結びついた想像の音、そして実在する聴きとれない音へ。上演曲のピーター・ステルク《沈黙の境界》(2000)は最後の段階の典型的な作品だろう。ふとしたときにしか聴こえない音の演奏からはじまり、音のしない(ただし、偶然聴こえてしまうこともある)演奏で終わる。

 ロビン・ホフマンの《耳/聴くことの作品(ソロ・リスニングのための)》(2006)では、演者が舞台上に並び、耳のまわりにおいた手のひらの位置を次々と変えていく。つまり演者は、耳にはいる音を部分的にさえぎり、聴きとれなくすることで、環境音の変調を聞くのだ。楽譜には手の動作がタイムラインにそって詳しく記されていた。この作品は、聴くという行為のなかで身体がフィルターとして働いていることを意識させる。


ロビン・ホフマン《耳/聴くことの作品(ソロ・リスニングのための)》(実験音楽とシアターのためのアンサンブル 第6回)[撮影=金川晋吾]

 ラ・モンテ・ヤング《デイヴィッド・チュードアのためのピアノ作品#2》(1960)のアレンジは特に秀逸だった。この作品は演者に、音を出さずにピアノの蓋を開けることを成功するまで続けるよう指示する。今回の上演では、演者を三人にすることで、状況やふるまいのフルクサス的な可笑しさだけでなく、聴きとれないものの共有という要素も作品に加えていた。「特に今回の3人による演奏においては、各自の『どこまでをピアノの蓋の音とするか』という主観がせめぎあう。可視化されることのない無言の議論を経て、満場一致でピアノの蓋を開けられるようになるには、どのくらいの時間が必要になるだろうか」(会場で配布された冊子より、北條知子の解説)。上演では34回目にようやく演者全員が何も聴きとることなく蓋が開いた。

 全体をとおして演者の姿勢や視線も興味深かった。耳には目線のような言葉はなく、人が何を聞いているのか、他者にはわかりづらい。それでも、聞くための体勢というものはある。ポーリン・オリヴェロスの《フィル・ウィルソンのための》(1979)は、演者が会場のなかで声を響かせて、自分にふさわしい環境をさがすという作品だ。演者はなぜか、よく会場の隅や狭い場所に入っていき、頭をつっこんで声をあげた。ホフマンの作品では、楽譜を見る演者の目がふと閉じられたときに、新鮮な緊張感があった。ヤングの作品を上演する三人の姿勢は、試行錯誤するうちにだんだんかたむき、耳を寄せあつめるようになっていった。

 今回のプログラムは実験音楽における聴くことのひとつの解釈であって、別の展開を見つけることも可能だろう。聴きとれない音に向かう展開には、実験音楽の外からの影響もありそうだ。例えば「ロウワー・ケース・サウンド」と呼ばれる、微小音や可聴域外の音をもちいる電子音楽作品が90年代前半にあらわれていた。それはさておき、実験音楽のロジックをふまえた作品群を、変化しながら展開するひとつの流れとして鑑賞できたのは得がたい経験だった。

安野太郎・吉田アミ デュオ(2016年12月10日、江古田フライングティーポット)

 安野太郎が主催するコンサートシリーズ「MusicAfterTomorrow」第2回は、吉田アミをゲストにむかえて2016年12月10日に開催された。「声を創造する」をテーマに、最初に安野のソロ、次に吉田のソロ、二人のデュオ、最後にトークという構成だった。SoundCloudにデュオの一部が、また「MusicAfterTomorrow」のサイトに城李門によるレビューが公開されている★7


安野太郎・吉田アミ(MusicAfterTomorrow 2nd Session)[撮影=勝美里奈]



MusicAfterTomorrow: guest: yoshida ami(抜粋)[SoundCloudより]

 安野の「ゾンビ音楽」についてはこれまでにいくつもの論考が書かれている。先行作品との関係★8、ゾンビとロボットの違いをめぐって★9。安野自身も「ゾンビ音楽史」の世界観を語っている★10。ゾンビというテーマは、生と死、機械と身体、支配と被支配といった観念をいくつも抱えこむ。しかし、安野のパフォーマンスはこのテーマに拘束されることなく、慎重かつ柔軟なところが面白い。彼の自動演奏装置は、MIDI制御された指がそえられた四本のリコーダーに、内蔵を思わせるチューブを通してエアー・コンプレッサーが空気を送りこむ。加えて「ゾンビ・クイーン」と名づけられた人口声帯もチューブにつながっていた。この人口声帯は空気を吹きこむと笛と声の中間のような音をだす。この音を聴いて、18世紀にオートマタ作家、ヴォルフガング・フォン・ケンペレンがつくった「話す機械」の動画を思いだした。

 吉田のソロは、「連続して声を上げ続けることで、声帯が疲労し、摩耗していく」と書かれた図形楽譜をもつ《Voices》(2016)だった。この楽譜には、声帯のかたちを変えずに、60秒ごとに一息で声を上げつづけることを、指定の回数だけくり返すという指示がある。この指示はいわば、発声から、首より上の微妙なコントロールを奪ってしまう。城も書いているとおり、このパフォーマンスには彼女の意思に反した高音や沈黙、摩耗が混ざっていった。

 特に印象深かったのは二人のデュオだった。吉田の声は歌の抑揚を排除して、電子音とのセッションをくり返してきた。安野のリコーダーは人間の演奏を模倣せず、サイン波のように聞こえる。二人のパフォーマンスは、はなれた場所からたがいに近づいていくようにはじまった。吉田の声帯が疲労して高音が少なくなり、さらに人口声帯の演奏が加わると、音の絡みあいはいっそう密になっていき、判別がつかなくなる瞬間もあった。終盤ではふと、遠吠えをするオオカミの群れのように聞こえることもあった。オオカミやシカの遠吠えは意外なほど電子音に似ている。

 後日このパフォーマンスを思いかえしながら、「声の創造」という今回のコンサートのテーマについて考えた。吉田は声から抑揚を削ぎおとし、安野の人口声帯は抑揚をつかもうとする。そのなかで、人間以外の声の抑揚がふとあらわれてしまうこともある。人間は口が発するさまざまな音にまとまりや強弱、音高の区別をつけて、パターンを操作したり、聴き分けたりできるようになった。このパターンを聴きとることが暮らしのなかで意味をもつようになり、声が生まれ、言語や音楽が生まれた。このような過程はゲイリー・トムリンソンが『A Million Years of Music(音楽の百万年)』(2015)★11で、旧石器時代の考古学資料の解釈をもとに語ろうとしたものだ。そして、安野と吉田のデュオはこの過程を逆戻りしたり、たどり直したり、ときには逸れて動物に向かっていったりもしていたのではないか。最初期の楽器のひとつとされるオーリニャック文化の笛には、複数の穴が開いていた。トムリンソンによれば、この複数の穴は波形やパルスよりもずっと古い、分節化された音の表象ということになる。

サウンド・アートとモダニズム

 冒頭で述べたように、音のパターンの表象や聴きとれない音といったテーマは、日本でも遅くとも60、70年代には多くの作家が関心をよせていた。住友文彦は、振動して音をたてる高山登の《遊殺−2011》にふれて、こう書いている★12。「物質は分子レベルで常に振動をしていると言われ、そのために安定した静的な状態を保ち続けることはなく、それが産み出すエネルギーを私たちは利用して生きているとも言える。同時に、物を安定状態に置かず、偶然の動きを生み出す振動は、音楽のみならず現代の表現を作り上げる重要な要素であり続けている。日本の戦後美術においても、小杉武久、佐藤慶次郎、カワスミカズオ、河口龍夫などの仕事にはそうした魅力が備わっている」。河口龍夫の《172800秒》(1971)は、会場にテープ・レコーダーと8ミリカメラだけを置き、開催期間中ずっと記録しつづける作品だ。テープとフィルムは再生されることなく鉛の容器に封印された。この作品について、松本正司は社会における監視というテーマを指摘し★13、中原佑介は光と音を吸収する吸取り紙というイメージを語った★14

 G・ダグラス・バレットは「サウンド・アート・マターズ」で、サウンド・アートにおける音への関心が、現代美術の「ポストメディウム」傾向とすれ違うことがあると指摘した。音(もしくは聴覚、音響メディア)に焦点を合わせつづける姿勢は、音とはこういうものだと決めてかかる、いわゆる本質主義におちいる恐れがある。しかし反対に、五感の違いに注意を払わずにいると、人がいつも世界を同時にさまざまなやりかたで感覚していることを見過ごしてしまうかもしれない。いくつものメディウムを横断する芸術作品が一般化したあとに、サウンド・アートという言葉が普及したことは事実で、その理由はあらためて考えてみる必要がある。一方で、音のパターンの表象と操作、もしくは聴きとれない音というテーマは、時代が変わり、音響メディアが変わっても、たくさんの作品にみとめることができそうだ。

 私は以前からクリストフ・コックスの「Return to form(形式への回帰)」(2003)という評論★15が気になって、書評などで参照してきた。彼はこのなかで池田亮司、カールステン・ニコライ、フランシスコ・ロペスらの作品を「ネオ−モダニスト・サウンド・アート」と呼んだ。クリスチャン・マークレイ、ジョン・オズワルド、ジョン・ゾーンといった80年代の作家たちが引用を駆使するポストモダニストだったのに対して、90年代にあらわれた上記の作家たちは音や聴覚に関心を向けているように見えた。コックスはこの展開を、クレメント・グリーンバーグのモダニズム美学への回帰と説明した。彼は議論の途中に「皮肉なしで『ネオ−モダニズム』と呼べるだろう」とか、「社会的、政治的問題から逃げているように見えるかもしれない」(けれどそうではない)と断りをいれていた。しかし、彼の解釈をある種の皮肉ととった読者も少なくなかったのではないか。

 コックスはネオ−モダニズムに「固有の政治性」があると主張したが、それがグリーンバーグとどう違うのかを説明するには字数が足りなかった。私自身はコックスの理解に大筋では賛同するものの、むしろブルーノ・ラトゥールが2016年ZKMで開催した展覧会「リセット・モダニティ!」★16のように、過去をふり返りながら音のモダニズムを再検討することのほうに興味がある。日本の戦後音楽と美術にまたがる音の表現の展開、それが今回見てきた現代の表現といかに接続するのか、こうしたことはまだ断片的にしか論じられていないからだ。


★1──Sound Art Matters http://conferences.au.dk/soundart2016/
★2──Wolfgang Ernst "Listening to Sonic Expressions with Media-Archaeological Ears" https://www.youtube.com/watch?v=B2m9ouzlYHc
★3──Wolfgang Ernst Sonic Time Machines: Explicit Sound, Sirenic Voices, and Implicit Sonicity, Amsterdam University Press, 2016
★4──スティーヴン・ウィット、関美和訳『誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち』(早川書房、2016[原著=2015])
★5──松岡正剛「写真の中の量子雑音」『季刊デザイン 特集=音』(美術出版社、1976)
★6──マイケル・ナイマン、椎名亮輔訳『実験音楽──ケージとその後』(水声社、1992[原著=1974])
★7──城李門「ゾンビはそこにいるか」(MusicAfterTomorrow)http://music-after-tomorrow.com/review.html
★8──畠中実「安野太郎のゾンビ音楽『デュエット・オブ・ザ・リビングデッド』」(メディア芸術祭カレントコンテンツ、2012)http://mediag.jp/news/cat3/post-217.html
★9──「音楽の生ける屍」(TANUKINOHIRUNE、2013)http://chez-nous.typepad.jp/tanukinohirune/2013/04/音楽の生ける屍.html
★10──安野太郎、渡辺未帆、危口統之「『世界の音楽を破壊する』妄想から生まれた『ゾンビ音楽』とは」(CINRA.NET、2015)http://www.cinra.net/interview/201511-zombiemusic
★11──Gary Tomlinson A Million Years of Music: The Emergence of Human Modernity, The MIT Press, 2015
★12──住友文彦「高山登『遊殺-2011』」(artscape 2011年04月01日号)http://artscape.jp/report/curator/1231898_1634.html
★13──「画廊にて 河口龍夫展」(京都新聞、1971年2月26日)
★14──中原佑介「吸取り紙への渇望」(河口龍夫「172800秒」展パンフレット、1971)
★15──Christoph Cox “Return to form: Christoph Cox on neomodernist sound art”, ArtForum, 2003 http://soundartarchive.net/articles/Cox-2003-Neo-modernist%20sound%20art%20.pdf
★16──Reset Modernity! http://zkm.de/en/event/2016/04/globale-reset-modernity

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