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ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2010──多彩さとミニマル志向の交差する“People meet in architecture”
五十嵐太郎(東北大学教授/建築史、建築批評)
2010年09月15日号
妹島和世氏を総合ディレクターに起用、「People meet in architecture」をテーマに8月28日から開催されている「第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展」。建築批評・建築史家の五十嵐太郎氏に、故・篠原一男氏の生前の業績に対しての特別記念金獅子賞、また、石上純也氏が展示部門での金獅子賞受賞するなど、新旧世代の話題に事欠かない同展覧会をレポートしていただいた。
衝撃を与えた金獅子賞
大学院の試験を終えてから出発するスケジュールの都合上、ヴェネツィアの到着は8月27日の夜だった。ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展2010の内覧会も2日目が過ぎると、ほとんどのオープニングは終わり、残ったイベントは最終日の賞発表と授賞式である。2008年のときは、豪雨のために会場は急きょテアトロ・ピッコロに変更となった。小さいという名前の通り、会場はすぐに満席となって、筆者を含めコミッショナーや出展作家でさえ、締め出された苦い記憶がある行事だ。もっとも、今年は雨が降らず、ジャルディーニの特設会場にて開催され、無事、筆者も立会うことができた。キャパシティが大きいからである。業績賞としてレム・コールハース、特別記念金獅子賞として故・篠原一男の名前が呼ばれた後、意表をついたセレクションに驚かされた。国別の金獅子賞ではバーレーン、そして企画展示部門では石上純也が金獅子の栄冠に輝いたのである。
バーレーンは常設のナショナル・パヴィリオンをもたない中近東の小国だ。アルセナーレの一角を間借りして、漁師の小屋を幾つか建てた展示である。有名な建築家を起用したり、お金をかけた内容ではない。最先端のデザインではなく、ヴァナキュラー建築である。雛壇にスター建築家のプロジェクトを並べたオーストリア館やコンセプトに趣向を凝らしたイギリス館に比べれば、地味だろう。が、ここは来場者の休憩所のような感じで使われ、お茶を飲むこともできるようになっていた。なるほど、全体のディレクターをつとめた妹島和世の掲げたテーマ「People meet in architecture」、すなわち「建築において人々が出会う」というコンセプトにふさわしい。なお、今回は銀獅子賞や特別表彰を含めて、ジャルディーニの作品から受賞がなかった(コールハースはイタリア館に出品していたが)。
また事前に受賞の情報を知っていたわけではないので、石上の「空気のような建築」が選ばれたことに、心底驚かされた。よく知られているように、内覧会の途中で作品が壊れてしまい、遅れてヴェネツィアに到着した筆者も、そうした状態でしか見ていなかったからである。前回の華奢な温室と同様、きわめて実験的な作品だが、正直さすがに崩れてしまった作品に最高の金獅子賞が贈られるとまでは思っていなかった。
セジマのディレクションと日本館
前回のビエンナーレが、アーロン・ベツキイのディレクションのもと、ウクライナやロシアなど、街路にもオブジェ的な展示がはみ出るほどのにぎやかさだったのに対し、今年はフランス、ドイツ、スペインなど、大きなパヴィリオンをもつ国をはじめとして、会場は全体的におとなしいように思われた。予算規模という意味でも、派手さがなくなったのは、リーマンショック以降の経済状態が影響しているからなのだろう。2008年の印象的な会場風景だったザハ・ハディド、フランク・ゲーリー、グレッグ・リンらのような奇抜な造形が、これみよがしに展示されているわけではない。
前回に比して今回は、妹島和世のミニマル志向が反映された展示になっている。特にアルセナーレの企画展示では、一部屋に一作家という展示ルールが設定されており、すっきりした展示が目立った。実際、複数の作家が同居しないので、ごちゃごちゃした展示になりにくいだろう。ただし、都市をテーマとした2006年のビエンナーレ(Cities, architecture, and society)のように、データの展示が多い学術的な雰囲気でもない。むしろ、オラファー・エリアソンによる水の作品や、雲を出現させたトランスゾーラー/マティアス・シューラー+近藤哲雄の《クラウド・スケープ》など、リアルなスケールで空間を体感するタイプの作品が多い。そもそも共通した方向性をもっているのだろうが、妹島に協力した長谷川祐子の好みも影響しているように感じられた。
筆者もコミッショナーの選考に関わった日本館「TOKYO METABOLIZING」は、北山恒が明快なコンセプトを設定した。アメリカの資本主義の都市、ヨーロッパの君主制の都市に対して、メタボリズム的な日本の都市を定義し、具体的な建築として西澤立衛の森山邸と塚本由晴(アトリエ・ワン)の自邸兼アトリエを精密な模型によって紹介している。会場に設置した檻を挟んで、日本と西洋を対峙させるという諧謔も込め、展示は、日本が得意とする都市住宅を通じて存在感を示していた。なお、2010年は、ちょうどメタボリズム結成から50周年ということで、コミッショナー選考のコンペでも、複数の候補者がメタボリズムに関連した提案を行なっていたが、北山案がもっともストレートな解答だった[詳細は、日本と台湾のコミッショナーコンペの落選案を収録した五十嵐太郎+謝宗哲『Lost Paradise失落的威尼斯紙上建築提案 Invisible Architectural Exhibitions of Venice』(田園城市、2010)を参照]。
他のナショナル・パヴィリオンも紹介しよう。使用済みの建材をアートのように展示するベルギー館は、今年もセンスの良い内容だった。ルーマニア館は、展示室いっぱいに入れ子状に大きなゆがんだ箱型のヴォリュームを挿入し、不思議な空間体験をもたらす。オランダ館は、スタイロフォームによる大量の建築模型を天井近くのレヴェルで並べ、意表をつく。カナダ館は、SF映画の美術にも使えそうな、独自の神秘的有機的な建築観をもつフィリップ・ビーズリーを展示した。ハンガリー館も膨大な数の鉛筆をぶらさげるだけのシンプルなインスタレーションだったが、印象的だった。会場外では、いつも近い位置にある香港、シンガポールなどを見学したが、サンマルコ広場横の台湾館は、筆者もコミッショナー選出コンペの審査に関わったものである。コンセプトは「take a break」で、展示するのではなく、休憩所を提供するもの。紅色空間による憩いのスペースが設えられた。金獅子のバーレーンと同じようなアイデアだが、歴史的な建造物を使っているために、諸々の制限があり、飲食が提供できないのが惜しかった。