キュレーターズノート

大竹伸朗「針工場」/淀川テクニック「ゴミニケーションin熊本!!」「だまし絵王エッシャーの挑戦状」

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2016年04月15日号

 瀬戸内国際芸術祭2016の目玉のひとつである、大竹伸朗の最新作「針工場(はりこうば)」を見るために、香川県の豊島に向かった。訪問日はあいにくの雨。フェリー内のテレビからは、高松商業の56年ぶりの甲子園優勝をかけた熱戦の様子を伝えるニュースが聞こえてくる。

 大竹の「針工場」は、家浦港から歩いて10分程の家浦岡地区にある。やや大き目の民家といったサイズの鋸屋根の工場は、かつて、ニットやジャージー生地などを編むためのメリヤス針を生産し、産業の少ない島での貴重な働き口のひとつとして、活気にあふれていたと言う。  鉄の廃材で賑やかにブリコラージュされた門扉に迎えられて、一歩中に足を踏み入れる。家浦岡独特の石垣(豊島では三つの地区ごとに石垣の積み方が異なるという)に挟まれるように据えられた年季の入った門型の鉄枠に、用を終えたと思しき鉄板や古材が括り付けられている。左手奥にある、スレート屋根の小屋で受付を済ませ、奥に入った。


大竹伸朗「針工場」入口
撮影=筆者


 かつての工場のちょうど真ん中に、その物体はあった。人間の肋骨のようでもある、流線型の優美な形をした木製の躯体が、空間の中央に30㎝程の高さに浮いている。正確には、浮いているのではなく、天井の鉄骨から吊り下げられている。そう、長さ17メートル、重さ約5トンという巨大な‘存在’が、まるで、あらかじめ重力などそこになかったかのように。
 この工場の中央に据えられた物体は、大竹が暮らす宇和島で、約30年前に鯛網漁船をFRP(Fiberglass Reinforced Plastics、ガラス繊維強化プラスチック)で造るために制作された船型(せんけい)である。FRP船は、昭和40年代以降、造船技術の発展に伴い、それまでの鋼船や木船に代わって、全国の造船所で盛んにつくられるようになったという。船の規模や形状によって異なるが、通常ひとつの船型から数隻から数十隻ほどの船が製作されるそうだ。しかし、この船型は、一度も船を生みだすことなく、宇和島の造船所に眠っていた。大竹は、この‘生まない母’としての船型そのものを、豊島まで、船出させることにしたのである。
 2015年の12月、船型は切断されることなく、そのままの形を保ったまま、宇和島で台船に積み込まれた。そして、四国を時計回りに航海する4日間の旅を経て、豊島・家浦港へと陸揚げされた。宮司による神事のあと、島の方々やスタッフ、小中学校、保育所の子どもたちとともに、家浦港から皆で大綱を引き、船型の練り歩きが行なわれた様子は、大竹伸朗作品制作プロセスに詳しい。
 じつは、筆者もかつて一度だけ船の吊り上げに立ち会ったことがある。八丁櫓(はっちょうろ)と呼ばれる13メートルのカツオ船の復元和船を、熊本の牛深港から美術館まで運ぶ作業であった。風の無いタイミングを選び、多くの人々の手と、重機を用いて船を慎重に吊り上げる。その前で、成す術もなく見つめているだけなのだが、数トンの船が重力を忘れて宙に浮き、陸送ではあったが再び動く姿を見て、まるで、進水式にでも立ち会うような晴れがましさを感じたのをよく覚えている。
 制作プロセスの記録写真には、どこかはにかんだような、そして楽しげで誇らしげな島の人々の表情が写しだされている。多くの人々の手によって運ばれた船型は、再びクレーンで天地逆向きに吊り上げられ、屋根を外し、壁や窓も外し、外枠だけになった針工場と、文字通り、合体した。
 この船型には、船を造る職人の、工場には、針を製造する職工の、そして、生み出されることのなかった鯛網漁船には、鯛釣り漁師たちの、さまざまな技術や記憶が折り込まれている。大竹はこの「針工場」を通して、それらの無名の先人たちに、最大の敬意と愛情を示している。それは、極めて限られた手数で、注意深く空間をつくり上げていることからも推察できる。針工場の染みや汚れのあるコンクリートの床をそのまま残し(雨に滲んだ油染みの跡は、大竹の「網膜」シリーズとの重なりを想起させる)、天井や船型の内部にのみ、ごくシンプルな白のネオン管を配す、といったように。


大竹伸朗「針工場」参考イメージ

 これまで、大竹はこの瀬戸内で、直島の《シップヤード・ワークス》(1990年)、《落合商店》(2001年)、家プロジェクト「はいしゃ」《舌上夢/ボッコン覗》(2006年)、直島銭湯「I❤湯」 (2009年)、女木島の《女根/めこん》(2013年)など、多くの作品を手がけてきた。そしてこの「針工場」は、大竹の瀬戸内での原点とも言える、《シップヤード・ワークス》(「切断された船首」「船首と穴」「船尾と穴」)と対を成す作品であると言える。《シップヤード・ワークス》の制作時に、大竹はすでに、船が造られたあとは巨大なゴミになってしまうという船型の存在に注目し、FRPで実際の船を造るのと同じ工程をたどりながら、制作を進めたという。それから、長い時を経て、ゴミになるはずであった船型は満を持して、瀬戸内の豊島へとたどり着いた。瀬戸内国際芸術祭2016のテーマは「海の復権」であるが、本テーマにこれほど相応しい作品は他にない。


大竹伸朗《シップヤード・ワークス 船尾と穴》
写真=村上宏治

瀬戸内国際芸術祭2016

会期:2016年3月20日(日)〜2016年4月17日(日)
会場:直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、高松港・宇野港周辺

学芸員レポート

 大竹のゴミが、1970年代のロンドンや、1980年代の宇和島の記憶をまとい、個人と場所の歴史と分かちがたく結びつきながら存在するのに対し、筆者と同世代の作家のゴミに対する感覚は、幾分違ったものになるのかもしれない。そんなことを考えていると、豊島へと渡るフェリーが出る宇野港で、柴田英昭(1976年岡山県生まれ)、松永和也(1977年熊本県生まれ)による、アートユニット淀川テクニックの《宇野のチヌ》が、私たちを出迎えてくれた。折しも、熊本市現代美術館では、現在、淀川テクニックの個展「ゴミニケーションin熊本!!」をギャラリーⅢで開催中である。
 本展は、「芸術文化を活かしたまちづくり推進事業」の第2弾として、当館がgreen bird熊本チームや熊本市、地域の小学校や大学、商店街の皆さんとともに、熊本市の中心市街地で淀川テクニックとゴミ拾いを行ない、そこからゲットしたゴミを用いて、市内中心部の花畑広場(仮称)にて公開制作を行なったプロジェクトである。今回は、熊本で拾ったゴミと、市民から集めたTシャツ300枚を用いた《オンチヌ》を作成した。高さ3メートルの巨大な《オンチヌ》は、完成後、花畑広場から熊本城の観光施設「城彩苑」へと‘回遊’し、現在は、熊本市の動植物園の菜の花畑の前に、泳ぎ着いている。現代美術館内ギャラリーⅢで展示中の《メンチヌ》とともに、5月5日(木)まで観覧することができる。
 併せて、4月9日(土)からは「だまし絵王エッシャーの挑戦状」展もスタートした。ハウステンボス美術館の貴重なエッシャーコレクションを中心に、ダリやマグリット、福田繁雄から、藤木淳のメディア・アート作品まで、エッシャーと重なる志向や関心をもった古今の作家の作品200点を紹介している。ぜひこの機会に足を運んでほしい。



淀川テクニック《メンチヌ》2016年


「だまし絵王エッシャーの挑戦状」展チラシ

追記

 2016年4月14日(木)21時26分ごろ、熊本県で最大震度7の地震が起こった。本日、15日はちょうど本連載更新日にあたるため、現在の熊本市現代美術館の状況をメモしておく。記録に先立って、本災害でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、また現在も不自由を余儀なくされている方々の生活が1日も早く元のかたちに戻ることを望みたい。

 4月14日(木)の地震当時、筆者は退勤して地域のコミュニティセンターで地区こども会の役員会の会議中だった。20〜30秒ほどの揺れのあいだ、参加者は部屋の中心に集まりうずくまっていた。最初の揺れが収まったころ、残してきた子どもたちが気になり、50メートルほど離れた自宅に急ぎ帰った。幸い小学校高学年の長女の指示で子どもは机の下に隠れ、揺れがおさまってから倒れる物が少ない広い部屋に移り、布団や毛布をかぶり、じっとしていたと言う。テレビやSNSなどで状況を確認し、ガスを止めて、風呂に水をため、飲料水を確保。非常用持ち出し袋や携帯の充電を確認し、いつでも逃げだせるよう家の扉を一部開け、外履を用意した。
 戸外からは、近所の方が声を掛け合い、小学校などへ避難している様子が聞こえてくる。防災ヘリがひっきりなしに行き交う音がする。幸い、携帯が通じ、家族の安否を確認。平屋建ての我が家は、多少本などが倒れたが、グラスがひとつ割れた程度。倒壊の危険が少なく、子ども連れの夜間の避難はリスクが大きいと判断し、自宅に留まることにした。そのあいだも震度6程度の余震が夜半過ぎまで続いたが、ほどなく、職場で対応にあたっていた夫が帰宅し、ひと心地つく。人命の安否が確認できると、今度は美術館内の作品の安全が気にかかる。そのまま、眠れぬ一夜を過ごす。

 4月15日(金)は快晴。家の周囲を点検し、職場の連絡網で、美術館は休館するが職員は出勤との指示を確認。職員はおおむね皆、連絡がとれているようだ。また、館の建物は比較的免震も働き、最悪の事態ではないと聞いてひと安心する。職場ではエレベーターが停止。事務スペースは多少書類等が散乱しているが、通れないほどではない。幸い電気や水道などは生きている。アーティストや他館の学芸員、関係者などからお見舞いのメールを多数いただく。とりわけ、災害の経験のある東北、高知、福岡などから、頼もしく力強いメッセージを頂く。出勤できる職員が集まったところで、学芸、総務ともに、本日の作業の割り当てを確認。
 学芸員は5人でまとまって行動しながら、エッシャー展の会場から点検を始める。概観したところ落下した作品などはない。会場の扉を開け避難経路を確保しながら、天井や壁等のひび、石膏ボードの粉の落下、可動壁の固定状況の確認と併せて、作品のチェックを行なう。大判の紙の作品の一部に損傷を発見。午前中いっぱいかかり、会場内の写真を撮り、被害状況をマップに記録。
 昼休みのあいだに、被害の優先順位の確認。移動の必要な作品に目星をつける。その後、動かせる作品を壁から外し、安全な場所に避難。その後、バックヤード、収蔵庫、一時保管庫、付室等の状況確認を行なう。一部倒れた作品はあったが、年度末のIPMクリーニングの際に作品の大きな移動をしたことが幸いして、目に見える範囲での被害はほとんどなくホッとした。
 その後、ギャラリーⅢに移り淀川テクニック作品の点検。シンプルな構造の動物の作品が一部倒れており、心が痛むが、甚大な被害はなく胸をなでおろす。まもなく、日通のスタッフが到着し、大物の作品の点検や、余震による二次被害をさける対応を実施。作業自体は、17時頃目途がつく。その後、現在も余震は時おり続いているが、展覧会担当者は、レポートを作成し、作家や所蔵先、関係各所に連絡を行なっている。  今後、余震がおさまってくれば、美術館は週明けを目途にフリーゾーンなどを部分的に開館し、企画展示室の壁等の補修を行なってから、4月末を目途に企画展を再オープンさせる見通しだ。エッシャー展、淀川テクニック展、ともに初日から大きな反響があり、多くの人々に足を運んでいただいていただけに、展示を中断せざるを得ないのは非常に残念ではある。しかし、今回「まさか」が、自分の美術館に起こった。これを機に、これまでの災害時におけるミュージアムの対応を再び学び直し、安心、安全な環境のなかで市民に美術を楽しんでもらう日を、一日でも早く取り戻せるように、心を配りたいと思っている。

[執筆:2016年4月15日]

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熊本市現代美術館は、熊本地震の復旧活動のため臨時休館していましたが、2016年5月11日(水)より、無料スペースを部分的に再オープンします。 最新の情報は熊本市現代美術館のウェブサイトをご覧ください。
(2016年5月10日、編集部)

淀川テクニック「ゴミニケーションin熊本!!」

会期:2016年2月19日(金)〜2016年5月5日(木)

だまし絵王エッシャーの挑戦状

会期:2016年4月9日(土)〜2016年6月12日(日)
いずれも会場:熊本市現代美術館
熊本市中央区上通町2番3号/Tel. 096-278-7500

※「だまし絵王エッシャーの挑戦状」展は現在閉場しています。(2016年5月10日現在)

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