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学芸員レポート

「奥村雄樹による高橋尚愛」、「表現の森 協働としてのアート」

住友文彦(アーツ前橋)2016年07月15日号

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 一見奇をてらった印象を覚える展覧会かもしれない。「奥村雄樹による髙橋尚愛」展は比較的見慣れた並置された2つの個展ではない。高橋尚愛というヨーロッパとアメリカを拠点に活動し続けたアーティストの作品を、奥村雄樹が自分の個展として展示しているといえばよいのか。奥村がアーティストなのかキュレーターなのかを問うのも可能だが、それもおそらくさしたる問題ではないだろう。もしかしたら翻訳家としての彼を知る者はなるほどと納得するかもしれない。あるいは昨今多い近過去に言及する動向として片付けてしまう者もいるかもしれない。はたして、奥村はこの展覧会を彼の「個展歴」に記載するのだろうか。どうしても仕事柄、気にしてしまうのだが、そんなプロフィールへの登録方法についてもおそらく瑣末な問題にすぎない。この展覧会をめぐっては、それよりももっと多くのことを考え、語ることが可能である。

 ひとつの例として、「協働」の方法に目を向ける者が多くいるだろう。それは彼と同世代の作家たちが同じように関心を向けているテーマでもあるからだ。その点について、今回の展示は例えば協働が抱える困難さを、希望のほうへと開くことには関心がないと言えるかもしれない。それは高橋尚愛という固有名を奥村とともに掲げる明快さによって、奥村自身の選択の恣意性に鑑賞者の目を向けさせているからである。これは他者との協働ではあるが、ほかの類似的な関係性に代替不可能であることを示している。しかし、それは二人の関係性が閉じられたものであるという意味ではなく、むしろ見る者の想像力を使う領域をつくり出している。
 今回の出来事の経緯は会場で配布されるリーフレットに詳しく記され、けっして容易ではなくかつ長い時間をかけた協働のための試みは私たちに開示されている。奥村はそこで、それにしてもなぜ高橋尚愛だったのか、という誰もがいだく疑問についても回答している。しかし、それは私には必然でも偶然でもない選択だと思えた。そのバランスこそが、おそらく奥村にとって協働のための条件だったのではないだろうか。彼のやや文学的な表現を帯びた文章は、この選択を「必然」のものとして伝えている。しかし、実際の展示から感じ取れる過剰な同一性を揺るがす批評的な態度は、それが「偶然」でもあったと横槍を入れているようにも思える。
 それがはっきりと伝わるのは、奥村が高橋になりきって過去を振り返るインタビューに答える映像作品である。国外に出た高橋の生活はイタリアにはじまり、その後アメリカに渡り、ロバート・ラウシェンバーグのアシスタントをしていた。その過去はおそらく、奥村自ら調べた知識、あるいは直接語りとして聞いたものとが入り混じりながら彼の頭に入り込んでいる。それを世代も容姿も異なる人になり切りインタビュアーの質問にしたがって答えていくのだが、ある場面では確信的に詳細を語ることもあるし、別の場面では主語の取り違えによって奥村自身が露呈することもある。おそらく言葉で答えている以上に、高橋のアーティスト活動や生活について奥村が知りえたのは間違いない。それを歴史的再評価という成果として示すこともできただろう。そうした博物館的、もしくは昨今のアートマーケットが好む手法とは別に、文化人類学のフィールドワークのような聞き取りという手段をとる。しかも、自己同一性をはじめから否定するかのような態度で。


Courtesy of the artist and MISAKO & ROSEN

 さらに興味深いのは、彼が一連のプロジェクトを記憶の問題と捉えている点である。それはこのインタビュー作品に顕著だが、ほかにも奥村の作品で、『イスラエルのラウシェンバーグ』という本に載っている1974年に個展のため展示作業をするラウシェンバーグの記録写真から、消しゴムでラウシェンバーグとその周囲をぼかし、高橋の姿を明確に浮き上がらせている作品にも見て取れる。これは、父親殺しでも、影に隠れたアーティストに再注目するものでもなく、私たち自身が歴史とそれを構成するイメージや証言のなかに何を見いだしているのかを問いかける作品である。それに加えて、高橋が1971年に開始したプロジェクトもまた個人の記憶を扱うものである。彼がアメリカで知り合ったアーティストたちに「自分の記憶だけをたよりにアメリカの地図を描く」という依頼をし、数多くのアメリカが生まれた。個人の記憶と国のかたち。生まれ育った国を離れ、民族的なマイノリティとして生きる生活をしていた高橋は何を思ってこのプロジェクトを実施したのだろうか。そもそも依頼された、今となっては著名なアーティストたちも多様な出自を持っている。そして、奥村がこの作品に強い関心を示したのはなぜなのか。この時代のニューヨークに形成されたアーティストコミュニティへの憧憬もあるかもしれない。しかし、高橋と奥村に共通する特徴をこの作品から見いだせる点がより重要だろう。ここでは、人との関わり合いをもとに生まれるコミュニケーションの成立や齟齬がそのまま示される。これをとやかく関係性とか参加型などと言う、凡庸な言説をできるだけ遠ざけておきたいのだが、そもそも高橋のような立場の越境的なアーティストがフルクサスやコンセプチュアリズム的な動向を後押ししたことについて、再確認しておくべきだ。


©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d'entreprise Hermès

 私がこの展示を見て思い起こしていたのは、例えばマルセル・ブロータスの《Bateau Tableau》(1973年)のことだ。作者不詳の海に浮かぶ船を描いたどこにでもありそうな風景画から、これでもかというほど細部を抽出し、拡大し、それを見ることを要求する作品である。歴史上知られた名画というわけでもなければ、わざわざ丁寧に見ることなどない絵画に実に豊かな細部が宿ること。その単純な事実に私たちは心を動かされる。そして、それは一部の物好きだけが喜ぶだけの行為ではけっしてない。無数にある選択肢のなかから、あるひとつのものを選び出し、それを信じ、必然のように関わることは私たちの人生そのものとさえいえる。つまり、コンセプチュアリズムが示したこの本質主義ではない偶有性を高橋と奥村をつなぐ特徴として見出すことができるだろう。そして、それが二人だけの関係を超えた開放性を持ち得るとも考えることが可能なのではないだろうか。

「奥村雄樹による高橋尚愛」展

会期: 2016年6月4日(土)〜2016年9月4日(日)
会場:銀座メゾンエルメス フォーラム
中央区銀座 5-4-1 8 階/Tel. 03-3569-3300

学芸員レポート

 アーツ前橋では今月22日から「表現の森」という展覧会がはじまる。というより、すでに参加するアーティストや団体の多くはかなり前から当館を何度も訪れ、それぞれの活動を行ない、それがどんどん発展してきているのでどうも通常の展覧会が「はじまる」感覚とは異なる状態だ。展覧会の展示室もきっと同じだろう。それは継続的に行なわれている活動が美術館に少し寄り道をしに来た、という展覧会になるのではないだろうか。
 ただこれに合わせて5つのプロジェクトが動き出したのは間違いなく、どれも活動場所は美術館の外にある。ひとつ目は団地。高度成長期に多く建てられた後、現在は都市の周縁に押しやられた高齢者や所得格差などをめぐる社会の課題が見いだせる場所となっている。中島佑太は子供のころに育った団地でワークショップを繰り返しながら再訪している。おそらく周辺に広がる住宅地と比べると、私的空間と公的空間の関係が団地のなかでは少し変化する。伝統的な共同体を出た複数の個がお互いに関わりあえる場所を作りながらも、同時に見えない境界線を作っている可能性もある。展覧会では住むことと人の往来に着目することになるだろうか。
 二つ目は、高齢者のためのデイサービスセンターである。神楽太鼓奏者の石坂亥士とダンサーの山賀ざくろがさまざまな大きさや音色のする楽器を持ち込み、利用者の体調に合わせて音を出す時間を定期的に持っている。センターを流れる時間は外の生活の時間と比べると、とてもゆったりとしている。お年寄りたちは静かな生活に合わせるように、自分の手や体の動きを確かめるようにして楽器に触れる。そしてその反応をじっくり確かめる。それは職業的な演奏者の音とは異なる響きを持つ。
 三つめは、インドシナ難民のなかでも精神を患った人たちを引き取っている「あかつきの村」。もとはひとりの神父がはじめた活動だが、それが現在の社会福祉法人に引き継がれ、リサイクル業を営みながら周辺に対して閉鎖的になることなく活動を続けている。赤城山の中腹の見晴らしの良いところに生活と仕事、そして信仰の場を築きながらひとつの稀にみる寛容な共同体が成立している。そのことに関心を持った演劇ユニットPort Bが取材を繰り返し、新しい演劇の可能性を見出そうとしている。
 それから四つ目は、開館前から縁を持っている母子家庭の支援施設である。さまざまな事情を抱えてシェルターにやってきた家族と、ミラノ在住の廣瀬智央と前橋在住の後藤朋美は手紙や写真の撮影など身近な表現手段を使いながら、一定の距離感と親密さが同居するような方法でかかわり続けている。人の成長や人生の中でこの場所に住む時間はどのような意味を持っているのだろうか。柔らかく感覚を開放することがいろいろな周囲のことに気付いたり、発見する悦びにならないだろうか。そんな日常と密接に結び付いた時間がテーマになりそうなプロジェクトである。
 最後は、学校や会社に行くことのできない若者の居場所をつくる「アリスの広場」。ある程度成長したあとも人と接するのが苦手な意識が残るときに、ただここで漫画を読む、卓球をする、そういう時間を過ごしにやってくる若者たちがいる。何か仕事や目標を実現することではなく、ただの断片でしかないような時間が精神を安らげることを彼らは体験的に知っている。滝沢達史は彼らと過ごし、感じてきたものを展示室に持ち込む。おそらくそれは私たちの知っている社会の構造とは異質なものでありながら、だれにとってもかけがえのない何かと似通っていると感じるようなものなのではないだろうか。

 また、それ以外にも釜ヶ崎芸術大学、たんぽぽの家、日本紛争予防センターのArt for Peaceなどの試みを展示室では紹介する。担当学芸員の今井朋は国内外のこうした先進事例から多くを学び、そして前橋でも上記のプロジェクトを長期的に行なうことを考えた。
 それにしても、こうした私たちの身近に実際に存在しながらも支援を必要とする人たちと美術館はどのような関係をもつべきなのだろうか。おもな懸念として度々挙げられるのは、以下のようなものだろう。美術館が際限なく拡張すること、権力的な装置が介入すること、社会的弱者の包摂による芸術の正当化。そして、それらはオリンピックに向けてまさに膨張しつつある懸念である。むしろ美術館の良識的な態度は、こうした動向に背を向けることなのかもしれない。ただ、それらの懸念もまた紋切り型になりつつある。それを疑い、検証することがすでに求められている。そもそも「拡張」ではなく、美術とは何なのかという足元を見直す可能性はあるのか。公立文化施設だからこそ、できることもあるのではないか。芸術に対して批評や倫理が果たす役割を再考する近年の潮流について考える機会になるのか。

 ちなみに、実際にこうした現場に関わった人はよくご存じだと思うが、日々動き続ける現場と多くの交渉のなかでそんな問いかけをするのはかなり難しい。そして、目の前のことを肯定しながら前に進んでいく実態に対して、前述したような容赦ない批判が浴びせられる。そのことによって、両陣営が分断されるのはほとんどお互いの無理解による対話の不在によるものだ。だからこそ芸術以外の福祉、教育、医療などの他分野も含め、起きている出来事の良し悪しについての判断を先延ばしにして、何が起きているかを知り、それをめぐって異なる立場の人たちが意見を交わす機会をつくることには大きな意味を持つのではないかという気がする。
 私たちは、そもそも展示を目的としていないそれぞれのプロジェクトを、展覧会として開催する意味について考えを巡らせてきた。それはまずは、来場者へどのように始動したのかを知ってもらうものになる。そして、8月27日、28日の週末2日間にわたって行なわれるシンポジウムにおいて、参加アーティストや団体と、各分野の専門家が集まる機会と、これらの活動の記録を通してできるだけプロセスを開示するという手法になる。きっと多くの反応と意見が、各プロジェクトの次のステップをつくっていくに違いない。

 1階の展示室では、毎年恒例の収蔵作品と地域ゆかり作家の展覧会「コレクション+行為と痕跡」が同時開催される。小林達也(1973年生まれ)と高山陽介(1980年生まれ)という二人のアーティストが参加する展示になる。ぜひ、両方を合わせてお楽しみいただきたい。

表現の森 協働としてのアート

会期:2016年07月22日〜2016年09月25日
会場:アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16/Tel. 027-230-1144

コレクション+行為と痕跡

会期:2016年07月22日〜2016年09月25日
会場:アーツ前橋
群馬県前橋市千代田町5-1-16/Tel. 027-230-1144

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住友文彦

1971年生まれ。アーツ前橋館長。あいちトリエンナーレ2013、メディア・シティ・ソウル2010(ソウル市美術館)の共同キュレーター。NPO...

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